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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
春が来た来た! 美行藩
22/110

その2

 藩主は煩悩に濁った眼を細め、とろりと目じりを下げると左内に微笑みかけた。

 激しく嫌な予感に、左内の背中に悪寒が走る。

「で、左内。実は今日お前に頼みたい事があってな……右京、例のものをこれに」

 右京は一礼すると、禍々しいピンク色をした液体をうやうやしく湯飲みに注ぎ入れた。

 殿は無言で左内にそれを差し出す。

 主君からの賜りものを付き返すわけにはいかない。仕方なく、湯呑を頂く左内。

「こ、これはまさか女性(にょしょう)化する薬……」

 彼の頭の上から、美行(みくだり)藩主の猫なで声が降ってきた。

「その通りだ左内。忠臣のお前なら、やってくれるな」

「も、もしや」

 左内が目を丸くした。 

「こ、これを私に飲めと?」

 思わず、傍らの右京の方を向く左内。

「そうだ。殿に万が一の事があったらどうする。忠助達が飲んだ子供用の量では大丈夫だったが、大人用の量ではまだ試していない。ここは家老の左内、お前がまず飲んで、毒見をするのが道理というものだろう」

 涼しい顔で言い放つ裏切り者を睨み付け、左内は前に出された湯飲みをぐっと掴むと右京の方に突き返した。

「断る。私は若年ながら家老の重職にあるもの。そのような危険な事は断る」

「死にはしない。それはもうアイツらで試してある」

「忠助、忠太郎……」

 左内は慌てて廊下を外股で走って行ったあのすね毛のある少女達の姿を思い浮かべる。

「奴らは量や濃度の設定が甘くて充分に変体仕切れなかったらしい」

「で、秘密を知る最後の実験台は家老の私って事か」

 右京がにやりとした。

「成人用にちょっと高濃度にしてみたのだ」

「お前が飲めばいいじゃないか」

「もちろん飲みたいのは山々だが、私になにか起これば、殿の一生の夢がついえてしまうからなあ」

 殿のおぼしめしだと言わんばかりに、右京の細長い目がちらん、と左内を見る。

「左内、この通りだ。頼む」

 追い打ちをかけるように、殿が手をついて邪悪なおねだり視線で左内を見つめる。殿の視線から逃れるように、彼は怪しげな薬の製造者を睨み付けた。

「隠しても無駄だ右京。実はお前、まだこの薬に自信が無いんだろう」

「ばれたか……」

 にやりと頭を掻く右京。

 次の瞬間。

「自分の責任は自分がとれーっ」

 左内は右京の鼻をつまみ一気に口に湯飲みをねじ込んだ。

「ぶはっ」

 むせた右京が左内の顔面に勢い良く薬を吐き出す。

「わっ」

 左内の意志とは別にその桃色の液体は彼の口腔にも飛び込んで行った。

 次の瞬間、右京と左内の二人の姿がゆっくりと変わり始めた。身長が縮み小柄になる代わりに、腰や、胸が柔らかいラインを描いてせり出す。そして四肢の筋肉が落ち、柔らかくふっくらとした肌に変化していく。 

 殿は身を乗り出して変貌していく二人の姿を歓喜の表情で見つめていた。

 変身を遂げた二人を、殿は満足そうに見比べる。

「おお、まるで我が眼前に花畑が出現したかのようだ。右京はさながら桔梗(ききょう)、そして左内は芍薬(しゃくやく)じゃな」

 右京は、面相筆で描いたような吊り上った眉毛と鼻筋の通った高い鼻がアクセントになって、なかなか個性的な仇っぽい女性に変化していた。柳を思わせるすらりとした体型がまた、その色気を増幅している。

 左内はもちろん女性になっても美形である。もともと睫毛の長い切れ長の目は、女性化すると楚々とした奥ゆかしさを醸し出し、ややふっくら変化した桜色の頬は、赤い唇と相まって若々しい女性特有の可愛らしさが匂い立つ。

「おお、左内、右京、お前達なかなかやるではないか。もし我が藩が財政破綻したらこの薬を使って、夜だけ吉原ならぬ天晴(あまはら)を営んでもいいな。こちらの方が倒錯の香りがある分、好き者には本家より受けるかもしれん。ははははは」

「じょ、冗談ではありませんっ」

 左内はわなわなと震えながら、真っ赤な顔で叫ぶ。

 だが隣の変人発明家と殿は、左内の怒りなど意に介さず二人で小躍りして喜んでいる。

「ご覧くださいこの胸を。殿、大成功です」

 右京は胸元をはだけ殿に向かって左右にぶるぶると大きく揺らして見せた。

「おお、見事な胸じゃ。天晴れ右京」

「な、何が、天晴れだっ」

 この姿を国元の父が見たらなんと思うか。左内はがっくりと膝をついて頭を垂れた。しかし、左内も自分が知らず知らずのうちに艶めかしい横座りになっていることには気づいていなかった。




「成功、じゃな」

 しばらくして、二人の身にそれ以上何も変化が起こらないことを確かめた殿は怪しげな桃色の液体がなみなみと入った瓶を頭上高らかに差し上げた。

「お前達だけに良い想いはさせぬぞ。百花繚乱咲き乱れる淫らな世界に、わしもいざ出陣だぁっ」

「と、殿っ、湯呑に半分っ……」

 右京の声が殿の耳に届く時には、すでに手遅れ。辛抱の限界を超えたと見える殿の手は瓶を鷲掴みにして口に付けると、勢いよく液体を喉に流し込んでいた。

 ごくごくごくごくっ。

「ぷはっ」

 一気に飲み終えると、殿は期待に身をよじらせた。

 右京はあまりの事に、ぽかんと口を開けたまま。

 この勇気が別のところに向けば、今頃江戸城にいるのは……薄いながらも存在感を増した胸を持て余しながら左内はがっくりと首を垂れる。

 二人の目の前で、見る見るうちに殿の姿が変わり始めた。

 夜な夜な江戸の美姫達を虜にするその少し垂れた茶色の瞳は、女性になってもその吸引力を失わず、前にも増して悩殺の破壊力を増している。

 すらりとした高い鼻、凶暴ともいいたくなる艶めいた赤い唇。そして年齢的にも熟れきった肢体は震い付きたくなるような完成度である。特に着物の合せからせり出した両胸は、この時代には珍しいくらいの巨峰であった。

 全身から立ち上る邪悪とすら言いたくなるような色気。右京と左内の目の前には、春に狂い咲きした曼珠沙華のような迫力ある美女が出現していた。

 姿見で自らの姿を見た殿は、歓喜マックスでその美しさを確認するかのように何度も回転する。

「ええい、自分で自分を抱きたいくらいの美しさじゃ」

「それをするのは、自家生殖するもの、例えば海鞘(ホヤ)とか寄生虫の類ですが……」

 右京の突っ込みに反応するわけも無く、藩主のテンションは留まるところを知らずに昇っていく。

「まっていろ、下町の美姫たちよっ」

「殿っ」

 思わず叫ぶ左内を藩主はぎろりと睨む。

「たわけ者っ、殿ではない。わらわは蜜滴る下町美女、すなわちお(みつ)ぞ。今からお忍びで湯屋に行く。着物は用意してある、ものども支度をせいっ」

「でも、着物の着付けは私どもではできませぬ」

 左内は辺りを見回した。人払いをしているから誰もいない。さすがの殿もこの姿で湯屋に乗り込むわけには行くまい、この計画は気の毒だがここで頓挫だ。彼は心の中でほくそ笑んだ。

「大丈夫だ。自動着付け機を作っておいた」

 右京の一言で左内の希望はあっさりと砕け散った。相変わらず要らぬ事には気がまわる奴だ。左内はがっくりと肩を落とす。

 殿は自動着付け機でさっそく着物を装着すると、カツラをかぶり意気揚々と部屋を出ようとする。

「お待ちください」

「ええい、離せ左内。お前がどうしても伴をしないのであれば、わし一人でも湯屋に参るっ」

 殿がすがりつく左内を振り払う。女性化して腕力が衰えたのか、左内は座敷の上に投げ出された。

「と、殿っ」

 その時である、天晴(あまはら)公は妙な表情で立ち止まった。

「ぬ、な、何じゃこの感触は……」

「どうされました?」

 右京が近づく。

 右京の耳元に手を当てて、こそりと何かを伝える殿。

「失礼、診察(つかまつ)る」

 右京は、殿の裾をまくり上げて、眉をひそめた。

「と、殿、いやお蜜様。まことに申し上げにくい事ですが……」

「何だ」

「今日の入浴は中止です」

「馬鹿を言え、これを中止したらあの薬を飲んだ意味が……」

「いきなりの大量服用で、一気に来たようです」

「何が来たのだっ」

 言い出しにくそうに右京が声を潜めて殿につぶやく。

「月のものです、お蜜様」




 殿の居室の前には水の入った手桶が置かれている。

「気分がすぐれぬ」

 うんざりした面もちで布団に横たわりながら変態藩主はぼやいた。

「月の障りなら若いお前らの方にこそ訪れそうなものなのに……」

 殿は悔しそうにかけ布団の端を噛んでいる。

「煩悩に目がくらんで、人より多く飲むからです」

 左内が冷たく言い放った。

「まあ、殿のように不摂生されていれば私達よりは肝の臓が痛んでいるは必定。女性になるための液性物質は肝の臓で代謝され、不活化されるので、殿の方がより女性に近くなったためかもしれません」

 右京はそう言いながら、涼しい顔で天を指さした。

「でもまあ、きっと天罰でしょう。月だけに」

「きいいいっ、くやしいっ」

 殿の物言いがどことなく女性的になっている。

「お月様、ありがとう」

 左内は心の中でつぶやいた。

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