その1
お読みになる前に!
今回は前章とくらべてちょっと下品に暴走気味。下品はキライって方にはお勧めしません。ちょっとくらいはめをはずしてもオッケーという方に~~。
「は? 申し訳ございません。今一度……」
左内が聞き返すのも無理はない。傍らの右京でさえも半開きの口を閉じられないのだ。
「大きな声では言えん。もそっと近くに寄れ」
殿の手招きに左内は気が進まぬ様子で、おそるおそる近寄る。
聞き違いだと良いのだが……。
家老の左内は祈るような気持ちでちらりと美行藩主を見あげた。
半分垂れ下がった殿の目の中にいつもにも増してよこしまな光が揺らめいている。折しも時節は木の芽時。左内はまた何かろくでもないことが起こりそうな予感にため息をついた。
「もう一度言うぞ」
藩主はそこで周囲をもう一度見回した。人影が無いことを確かめると彼は二人の方に前傾姿勢となり、口に手を当ててささやいた。
「女性になりたいのだ」
「にょ、にょ、にょしょうに……ですか?」
どうせ殿の事だ。また女性に関するよからぬ事を考えているに違いないとは思っていたが、事もあろうに女性になりたいなどとは……。
寒い沈黙がしばらく続く。
「もしやご趣味を変えて男色などをたしなまれるようになったとか」
たまりかねて右京が口を開いた。
「馬鹿を言え。男など、触るのも汚らわしい」
藩主はちょっとむっとしたが、それを良い機会とばかりに堰を切ったようにしゃべり始めた。左内は耳を塞ぎたい衝動に駆られたが、いかんせん臣下の身。黙って殿のお言葉を拝聴するしかない。
「いいか、私には昔から心に決めた男子一生の夢というものがある。すなわち、下町のちょっとはすっぱな女達と入浴し、湯に浸かってほんのり赤く輝く彼女らの珠の肌を間近で堪能したいのだ。熟れきった熟女や、恥じらいを捨てきれない娘達の玉の肌をそっと触れようものならその高揚はいかばかりか。ああ、湯煙に百花繚乱の乱れ咲くその光景はきっとこの世の極楽浄土に違いないっ」
興奮した殿の熱弁はとどまるところを知らない。
「な、情けない! 情けなさすぎます殿。それが美行藩主、男子一生の夢とは」
悲憤慷慨した左内は激しいめまいを感じ額に手をやった。
「しかし、殿。殿の権力を持ってすれば、美しい高貴な女性に囲まれて入浴など簡単な事ではありませんか」
右京が不思議そうに尋ねる。
「ふふん。まだまだ青いな、お前」
殿は勝ち誇ったように、鼻を鳴らした。
「美しすぎる女は飽きたし、高貴で高慢ちきな女ほどつまらんものはない。それよりはすこーし容姿に難がある方が、私の様な通にはたまらんのだ。それに、私のような気品あふれる美男子と風呂に入る幸運を得た女がどうなるかわかるか? え、右京」
「いいえ、殿。私の頭はそのようなことを考えるためのものではありません」
「そう言うと聞こえだけはいいがなぁ……」
右京の頭脳がしでかす様々な事件に想いをはせつつ、左内が小声でつぶやいた。押し黙る青年二人を壇上から見下ろし、殿はにやりと笑った。
「いいか、教えてやろう青二才ども。警戒するんだ。本来の彼女達ではなくなるのだよ。もっと平たく言えば、かたっくるしいんだよ。私のもとめているのはそんな姿ではない。粋な下町女のちょっとみだらな、奔放な、無防備な姿なのだ」
「はあああああっ」
これ見よがしの左内のため息も鼻息荒く熱弁を振るう殿の耳には届かない。
「で、結局、町の湯屋で女性の裸体に近づくためには同性に化けねばならない。それで女性になりたいなどとおっしゃっているわけですか。全く……殿も物好きな方だ」
右京の皮肉にも殿はいっこうに答えた様子はない。
「おお、何とでも言え。幸い我が藩の江戸藩邸には忠臣の左内と、天才の右京がいる。ちょうど天下も平穏だし、今こそ時は来たれり、だ。この機を逃し夢を実現できないならばこの吉元一生の不覚。いくら町の湯屋は混浴とはいえ、湯船の中は薄暗い。かなり相手に近づかなければ目的を達することはできないのだ」
美行藩主は代々好色でくだらないことに心血を注ぐお家柄。この情熱が別の方面に使われていれば今、この人は江戸城に居たかもしれない。煩悩にらんらんと輝く藩主の目を見て左内はため息をついた。
「一生のお願いだ、何とかしてくれ天才右京」
傍らの右京とは、お召しがかかった時から菓子を餌にして殿の妙な企てには荷担しないとの盟約を結んでいる。しかし悲しいかな、奴はおだてに乗りやすい性格なので今の殿の一言でどんな心境の変化が起こったかは推して知るべしである。
左内は天を仰いだ。
「お任せください、殿。この天才右京、それしきのことは朝飯前」
ほら、やっぱり。左内はいやな予感が徐々に現実のものになって行くのを感じた。降りかかる火の粉は振り払いたいのだが、振り払えない家臣の悲しさ。燃えさかる炎をしょって走るかちかち山の狸を連想しながら左内はきりきりと痛む胃を押さえた。
「な、なんとか阻止せねば。ひとたびばれれば、瓦版くらいじゃすまない……」
若い家老の脳裏には湯屋で釜ゆでになっている変態藩主の姿が浮かんだ。
「さまざまな御乱行がばれれば、下手をするとお家断絶。家臣は路頭に……」
目の前には彼の憂いなどどこ吹く風とばかりに、右京の協力を取り付け有頂天になってはしゃぎ回る藩主の姿がある。ござを身体に巻き付けて桜の下を裸足で歩く家臣一同の姿を想像して左内は身震いした。
片杉左内は江戸留守居家老である。留守居役とはそもそも江戸藩邸にあって、藩主の登城のおりの世話をしたり、情報収集をする重要な役目であった。しかし、この美行藩での留守居役最大の仕事は好色で派手好きな藩主の気まぐれによって起こるさまざまな事件の揉み消し工作なのである。前任者の急逝も、心労のためと噂されていた。左内は若干18歳で家老に就任した果報者と江戸では評判であったが、当の本人にとっては、まんまと押し付けられたという感が拭い切れない。おまけに幼なじみの厄介者、右京までが江戸にやってきてしまった。
呉石右京は長崎で洋学を学んだ天才であるが、怪しげな実験ばかりしてとうとう国元に居られなくなってしまったため、江戸藩邸に転がり込んできた。そもそも出島では、その常人には理解できない発明と行動で呉石ではなくクレージーと呼ばれていたらしい。
クレージー右京と殿のおかげで左内は毎日、胃の痛む日々を送っていた。
「先日の一件でもお分かりのように、今我が藩は正体不明の者たちから狙われているのです。あの幸屋の女中は姿を消し、そして捕まった賊どもはいまだその正体を吐こうとはせず、すべてはまだ闇の中です。ここで殿が軽率な行動に出ようものなら……」
「左内、こういう時だからこその軽率じゃ。お前も剣術の心得があるならわかるであろう」
「は?」
意味不明の藩主の言葉に、眉間にしわを寄せ黙り込む左内。
「これは敵を欺く『誘いの隙』というものじゃ。わはははははははっ」
こんな誘いの隙をしていたら、命がいくつあっても足りませんっ。藩の行く末を考えると、お先真っ暗な気分になる左内であった。
数日後、突然殿のお召しを受けた左内はどんよりとした気分で殿の部屋に向かった。あれ以来、どうにかして女性化計画を御止めしようかと日々考えているが、良い案が浮かばない。
一時は奥方様にご相談をとも思ったが、純粋無垢の奥方様は殿の本性を知らない御様子。殿にぞっこんの奥方様に真実を告げ、悲しませることだけは避けたかった。
藩主の部屋に通じる廊下は、人払いしてあるのかシンと静まり返っている。
と、左内の耳に聞きなれない少女達の声が飛び込んできた。
「さ、さわっても良いか」
「へ、減るものではなし……、な、何を躊躇しているのだ」
「わ、われら、これで一線をこえてしまわぬかと」
「この機会を逃せば、いつこのような幸運が訪れるか。危絵では、むぎゅ、と掴んだり撫でたり揉んだりは出来ぬではないか」
「そうか、それでは触るぞ。良いか、良いのだな」
「もちろん。そ、その代り、次にはこの私も……」
廊下の角を曲がったところで、左内が見たのは幼い少女たちがお互いの胸をはだけて大きく息を弾ませているところだった。
「お前たち、見ない顔だな。ここで何をして……」
「きゃああああああっ」
別なことで頭がいっぱいで左内の気配に気が付かなかったのか、その小柄な少女たちは飛び上がった。
左内の横を疾風のように駆け抜けていく二つの小柄な影。ひらりとめくれた着物の裾から薄いすね毛が見えた。
「くせ者、まてっ」
左内は後を追いかけようとして、息をのんで立ち止まった。
よく見ると逃げているのは小柄な少女達であったが、その顔は瓜二つである。
「とのーっ」
左内は殿の部屋に駆け込み、スパンと障子を開け放った。
「どうした、左内。物の怪でも出たか?」
肩で大きく息をする左内を殿のすました声が出迎える。
そこには案の定、右京も座っていた。実験疲れか目の辺りが落ちくぼみ、頬はげっそりそげているが、目だけが不気味にランランと輝いている。しかし、ランランと輝いているのは殿の目も同じだった。
「良く来た、左内。ささ、早う」
殿は猫なで声で手招きする。殿の妙に垂れ下がった目を見て、左内は自分を地獄にいざなう招き猫に呼ばれている気がした。
「良く来たじゃありませんっ。あ、あ、あれはなんですかっ」
「お前には察しがついておろう」
「もしや、小姓の忠助、忠太郎……」
地獄の招き猫が、にやりと笑った。
「ご明察だ」
「作ったのか、右京っ」
左内の詰問に右京は得意げに大きく頷くと、傍らから透き通った瓶にはいった禍々しい桃色の液体をとりだした。液体はぴっちゃん、ぴっちゃんと瓶の中で怪しげに揺れ動いた。
「こ、この裏切り者っ、藩を潰すつもりかっ」
左内は拳を震わせて、右京を怒鳴りつける。
「人聞きの悪いことを言うな。私はこの薬を不眠不休で殿のために仕上げたのだぞ。薬の完成が遅れ、待ちきれなくなった殿がこのお姿のまま女風呂に乱入したらどうする。これも忠義のつもりだが」
睨み合う二人。
「まあまあ、良いではないか」
気分を変えようとばかりに殿は一つ咳払いをして、左内の方を向いた。
「左内、今日お前を呼んだのは他でもない」
「伺わなくともわかります。あの女風呂の件ですね」
「さすが、左内。話がはや……」
左内の目が笑っていないのに気づき殿の声が尻窄みになった。左内はいきなりがばっとひれ伏して叫んだ。
「左内一生のお願いにございます。どうか、どうか、思いとどまりください。殿の御振舞に美行藩士の生活がかかっております」
殿は目を閉じ腕組みをして、延々と続く左内の必死の泣き落としを聞いていた。が、突然目を開くと左内の目をじっと見てつぶやいた。
「国やぶれて、山河あり」
「へ?」
いきなり殿から予期しない言葉がかえってきたので、左内は目を丸くする。
「知っておろう、杜甫の詩だ」
「はあ、でもなぜいきなり杜甫なんですか」
「国が破れても、山河はそのままだ。すなわち私がどうあろうと、国元の山河は変わらない。私の事など、この時代の移り変わりに比べれば小さいことだ、小事にこだわり、男の夢の邪魔をしないでくれ。なあ左内」
傍らで右京も大きく頷く。
「殿の御解釈に私、ぜんっぜん納得がいきません……」
左内の言葉を聞いたとたんに、殿の目がつり上がった。
「馬鹿者、私は色の道を究めるかたわら、漢文の研究も欠かさぬのじゃ」
そう叫んで、殿はもう一つ咳払いをした。
「漢文にもその表の意味と裏の意味がある。さすが漢と書くだけあって漢の書物じゃ。孫子の兵法にも実は世の女性を攻略するための奥義が隠されているのを知っておるか」
「孫子、ですか?」
いつもこんな風に全く関係の無いことから気が付くと丸め込まれているのだ。左内は相手の手管に警戒しながら相槌を打つ。
「武田信玄公の旗印は知っておろう」
「孫子の兵法をもとにした、風林火山です」
殿の目は再び閉じられ、自らのよこしまな心を解き放つかのような朗々とした言葉で二人に向かって語りだした。
「そう、風林火山だ。すなわち風のように早く、林のように静かに、火のように激しく、山のようにどっしりと。って事なのだが、人間聞いたまま見たままの事を鵜呑みにしては成長はない。そこで、私はここに天晴流の解釈を加えてみた。すなわち……」
「こんな事に孫子の兵法を持ち出さないでください」
きっと孫子も泣いています。心の中でそっと左内は付け加えた。しかし殿は頭を抱える左内に目もくれず、意気揚々と新解釈とやらを述べ続ける。
「女性に対しての戦略も同じく風林火山だ。風のように優しく、林のように影を持ち、火のように情熱的に、そして山の……」
「山の?」
不本意ながら膝を乗り出して聞いてしまう左内であった。
「山のような贈り物だ。わーっははははは」
あまりのバカバカしさに反論する気力も無く、左内はがっくりと肩を落とす。
右京は左内と藩主の攻防など、何処吹く風と瓶を磨き立てている。左内は絶望感にさいなまれながら桃色の液体を呆然と見つめていた。
いきなり、藩主の笑いが止まった。左内ににじり寄った藩主は彼にどこから撮りだしたのか、湯飲みを握っていた。
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