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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
ドリアン騒動
17/110

その17

 冬の太陽はせっかちだ。

 先ほどまで空に引っ掛かっていたはずの橙色の陽は、すでに力尽き地平線の下に潜り込もうとしている。

 灯りが必要な時間が刻々と近づき、あたりには遊びに出た子供を呼ぶ母親の声が響く。追い立てられるようにばたばたと家路を急ぐ人々。貴重な無料の光源があるうちにとばかり、お江戸八百八町は急にざわめき始めている。

 視線の先までぎっしりと連なる家々の間からは、まるで仕事に出た人々を呼ぶ狼煙の様に夕餉の支度の煙が何本も立ち上っていた。人々はこれから家族とともに、または一人でほっと一日の終わりの平穏な時を過ごすのだろうか。

 しかし。

 ここ、美行(みくだり)藩に居る限り、そのような「平穏」は望むべくもない。

 年若い御家老様は、寝不足で赤い目をして溜息をつく。

 殿の悪事のもみ消しがやっと片付いたと思ったら、間髪を入れずこのドリアン騒動だ。

「前任者が早死にするのもうなづける……」

 左内は目の前に建てられた長細い四角形の建物を見上げた。

 藩邸も焼け、仕事が無くなった家臣たちが暇を持て余し……いや忠義の精神をもって右京の指示で作り上げた建物。焼けた藩邸の廃材を使っているだけあって、あちこちに隙間や焦げがある。

 外見からしてその脆弱さは推して知るべしだが、設計者はそこら辺には無頓着のようだ。

「おお、左内。内装が整ったぞ」

 隣の藩の奥方様に土産にともらった栗饅頭を片手に、建物の中から出てきた右京が手を振る。

「今度は、大丈夫なんだろうな」

「なんだその疑り深そうな目は。任せておけ。さらに改良を加えた時間進行装置で、今度はドリアン採り放題だ」

「いや、それも遠慮したいのだが」

 敷地内にドリアンの悪臭が溢れだす様子を想像して、左内は身震いした。

 ただでさえ好奇の目で見られているのに、この上腐臭の源になるなんて。瓦版の餌食になるのは火を見るより明らかだ。

『珍奇、お江戸にくさや邸現る』

『藩主の因果が、館に廻る。ああ、情けなや腐れ病』

『此処だけは病で良かった鼻詰まり』

 左内の頭に瓦版の見出しが次々に浮かび、彼の頭の中はくらくらと渦を巻く。

「まあ、入ってくれ。今度は多重光線照射方式だ」

 血の気のひいた左内の顔にはお構いなし。廃材で作った立てつけの悪い戸を引いて、右京は左内の背中を押す。

 マニ車で作った結界は姿を消し、その代り火縄銃のようなものが括りつけられた棒が、ドリアンの種が埋められている中央の盛り土の周りに数本立っている。その銃口はすべてドリアンの種の方向に向けられていた。

「これが改良した時間急速進行装置だ。この時間銃で狙いを付けたところに光を当てれば類似の組成のものに限って時間が進むという訳だ」

「と、いうことは、どういうことだ」

 首を傾げる左内に、右京が肩をすくめて続ける。

「物分りの悪い奴だな。昨日のように結界内すべての時間が進むわけではないのだ。たとえば、この光線をお前の爪に当てればお前全体が老化する。だが、着物や刀には影響が及ばない。……ってことだ」

 それがどういうメリットにつながるのか、よくわからないままに左内はうなずく。それよりも彼には気になることがあった。

「また、独楽鼠(こまねずみ)のようにあの水車もどきを回さないとといけないのか」

 左内は不安そうにあたりを見回す。危険を察知したのか、藩士たちはまたぞろ藩邸を逃げ出している。さすが、幾多の危機を超えてきた美行藩士たちである、その予知能力はそんじょそこらのネズミよりもよっぽど確かだ。

 という事は、昨日同様人手は望めない。

「しつこいが、私は病み上がりでおまけに徹夜明けで、とても昨日のようには走れそうもないのだ」

「ああ、わかっている。今回はあのネズミ小僧どもの貧弱な走力でも回るように改良してある」

 掘立小屋で、握り飯を頬張りながら忠助と忠太郎は大きくくしゃみをした。

「いつごろから始められそうだ」

「ううむ、もう少しこの叡智の城の中で調整をしてからだな」

 右京が自ら『叡智の城』と呼ぶ、時間進行装置のある細長い建物の中で何やら配線をいじくりながら没頭し始めたのを見届けて、左内も腹ごしらえとばかり掘立小屋の尾根角(おねずみ)兄弟のところに行く。

「二人とも、身体は大丈夫か」

 頼りない二人だが、逃げもせず残ってくれたのはありがたいと左内は微笑みかける。

「ははっ、何か私どもにできる事があればお申し付けください」

 頭を下げる二人。

「お前達に、やってもらいたいことがあるのだ。昨日私が動力を作るために中に入って回していた、水車のような輪があるな。あそこを今夜はお前達に走ってほしいのだ」

「ありがたき幸せ。この身が擦り切れようとも、走って、走って、走り尽くしてお見せします」

 ちゃらんぽらんな忠太郎だが、今日はいつになく殊勝な態度である。さすがにドリアンを食べてしまった責任を感じているのであろうか。

「忠太郎、お前のその言葉うれしく思うぞ」

 あまり期待していなかった者から発される忠義の言葉に、左内の疲れがすっとやわらぐ。

「ところで、御家老様」

 上目使いで忠太郎が左内を見る。そして、何やら両手が揉み手をしている。

「お駄賃はおいくらほどいただけますでしょうか」

「何に使うのだ……」

「じ、実は和算の本が欲しいのですが、持ち合わせが無く……」

「仕方ない」

 左内は懐から、財布を取り出し彼らに数文を与える。

 くら~い顔を見合わせる兄弟。

「た、足りないのか……」

「も、もう少しばかり色を付けていただければ、恐悦至極……」

 言い出しにくそうに、忠助がつぶやく。

「すまないが、こういう状況で私自身あまり持ち合わせがないのだ」

 その言葉を聞いて、塩に付けられた菜のように見る見るうちに萎れる二人。

 左内はぽん、と手を打つ。

「この一件が片付いたら、私が持っている塵劫記(じんこうき)という算術の本を貸してやろう。いや、小さい頃私も算術が大好きでな、肌身離さず解いていた塵劫記と離れがたく江戸にまで持って来てしまったのだ」

「あ、ありがたくお受けします」

 礼もそこそこに、そそくさとその場を離れる兄弟。

「そうか、やっと彼らにも勉学への萌芽が……」

 我が藩も、まだまだ未来があるではないかと心清々しく見送る左内。

「御家老様、ひっかかっちゃいけませんよ。目的は他にあるんですから」

 左内の背後から、棘のある声が聞こえてきた。

 ご存じ皮肉な鶏、おけいである。

「あのアホ助ども。先日来、どうにかして横町の地本問屋から危絵(あぶなえ)を手に入れようとずっと算段していたんですよ。この危機的状況を利用して、御駄賃を吊り上げて危絵購入の足しにしようと目論んでいたのは見え見えです」

「そ、そうなのか……」

 力が抜けた左内は、掘立小屋のゴザの上に座り込む。

「元気をお出しくださいよ、あなたの肩にこの藩の命運がかかっているんですから。さ、お結びでもお上がんなさいよ」

 口の悪い鶏も、左内に対しては慈母のように優しい。

 わっぱに入れられた白い結びを口に入れ、左内が微笑む。

「お前はいつも、冷静で賢くてそして前向きだな」

「いやですよ、全くう」

 左内に見つめられて、鶏が恥ずかしそうに羽で顔を隠す。

 その時、上空でかん高い声が響いた。

「ちょーーっと待ったあ」

 左内とおけいの間に、切り込むように急降下してきたのは美鷹であった。

 左内の腕に留まりたそうであったが、素肌に彼女の爪は鋭すぎる。残念そうに旋回すると、傍らの廃材の上に脚を据えた。

「御家老様、こんな年増なんか相手にしないで、若く美しいこの私をご覧ください。鶏ごときには望むべくもないこの肢体」

 鷹はその白くて優美なボディラインを左内の前に突き出した。

 おけいと美鷹が睨みあう。その時。

「美しくても、所詮この女は山育ち。高貴な血を持つこの私、洗練された物腰のこの貴鷹にあなたのお手をお貸しください」

 音もなく現れると、つややかな焦げ茶色の翼をひらりと翻し左内の前で優雅な礼をする貴鷹。美鷹が黄金色の瞳で妹をにらみつける。

「左内さーーまーーあーー」

 上空でつむじ風のように急旋回しながら舞い降りてきたのは舞鷹である。

「ええい、おけいにお姉さまたち、抜け駆けとは業腹(ごうはら)だ。くらえ目つぶし~~」

 舞鷹が羽を羽ばたかせると、姉鷹と鶏が悲鳴をあげて顔をそむける。

「あっははは~~、思い知ったかあ、これぞ七味目つぶし」

「この底抜けの大馬鹿っ、左内様をご覧」

 美鷹の叫びに、舞鷹が下を見るとなんと愛しの御家老様まで目を押さえて涙を流しているではないか。

「しまったああーー。あらっ、ひいいいっ」

 隣の邸宅から失敬してきた七味を舞きちらした舞鷹だが、急に変わった風向きに自らもその粉に撒かれて墜落してきた。

「あれええええ、おたすけえええ」

 七味にやられて目をしょぼしょぼさせていた左内だが、ずば抜けた運動神経と勘でなんとか落下地点に走り込んで舞鷹を受け止める。

「きゃーーっ、役得う~~。しあわせ~~っ」

 手の中で身を震わせる舞鷹。

「この、馬鹿娘っ」

「この(たばか)りおったなっ」

 有頂天の妹に姉たちの怒りが爆発。左内の腕の中で三つ巴の戦いが始まった。

「お、お前たち、落ち着け。まずみんな目を洗おう。ったたたたっ」

「洗っても、もう何も見えませぬ~~、恋は盲目ですからあ」

 どさくさまぎれに、ちゃっかり妹に変わって左内の胸に顔を埋める貴鷹。

「なによ、あんたのほうがよっぽど品が無いっ」美鷹が罵る。

「あら、お姉さま。昼は高貴な鷹ですが、夜の私は淫らな夜鷹。こういうのが殿方に一番受けましてよっ、ねえ左内様」

「い、いや、そう言われても……」

 持て余して、おろおろする左内。喧騒から少し離れたところに立ったおけいがつぶやいた。

「もう、こんな姿ばかり見せているからますます左内様が女性(にょしょう)と縁遠くなるんだよっ」

 どうやら彼女たちは自分達が鳥だということを忘れているようである。

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