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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
ドリアン騒動
11/110

その11

「まさか、隣にあったとはな」

 おけいからの報告を受け、左内は睡眠不足の赤い目を曽根美濃そねみの藩邸の方に向けて、溜息をつく。

「灯台下暗しとはこのことか……」

「隣の藩主は、事あるごとに天晴(あまはら)様を目の敵にされていますから、今回も嫌がらせのためにこのようなことをしたのでしょうか」

 忠助が憤懣やるかたないといった風情で頬を膨らませる。

「でも、なぜ私が狙われたのでしょう」

 首を傾げる忠太郎にすかさず兄が突込みを入れる。

「お前はいつも呆けたように緊張感無く歩いているから、なんでもしゃべりそうに思われたんだろう」

「ふううん、呆けたように歩いている瓜二つの兄上と間違われたのかもしれませんねえ、だ」

「なんだとっ」

「おいおい、止せ」

 傍らで取っ組み合いの喧嘩を始める双子の仲裁をしながら、左内は何か頭の隅に引っ掛かる思いを感じていた。ただ、今の彼は考えるべき喫緊の問題がありすぎていた。いつしか、その引っ掛かりは記憶の中に埋もれ、左内の意識はすぐに目前のドリアンの種に向けられてしまった。

 正午を知らせる時の鐘が聞こえてくる。柱を四隅に立て、(こも)で天井を作った掘立小屋の下に座り込み、美行(みくだり)藩の家臣たちも、休憩を取って思い思いに昼飯を食べていた。藩邸はすべて焼け落ち、唯一残ったのは土蔵だけという非常事態ゆえ、身分の上下なく全員がこの掘立小屋の下に座ってくつろいでいる。

 配られた昼食の献立は極めて簡素、朝食の残りの冷や飯を使った握り飯と沢庵、薄い味噌汁のみであった。ただ、この沢庵が妙に美味しく浸かっている。握り飯に極上のうまみを添える沢庵に、疲れ果てた藩士たちは歓声をあげた。この沢庵は他でもない、藩邸が焼けたとの知らせを受けた色町から一番に届いた差し入れである。殿の御乱行もたまには役に立つと、沢庵に舌鼓を打った家臣の間では殿の株が妙に上がっていた。

「しかし、どいつもこいつも、全くドリアンのどこがいいんだか……」

 沢庵の独特の臭いに、ふとあの腐ったネギのような腐臭を思い出した左内は顔をしかめた。

 隣の藩邸とは細い路地を隔てているのみ。距離としては近いが、土蔵がぽつんと藩邸の西側に建てられている美行(みくだり)藩邸とは違い、広くて立派な屋敷の中央に池津藩邸の土蔵はしつらえられている。外から忍び込むのは難しそうだ。

 一体、どのようにしてドリアンの種を奪回すればいいのか。

「右京もおけいの報告を聞いたろう。何かいい手は無いのか?」

 傍らで昼食の握り飯を頬張っていた天災発明家は、待ってましたとばかり、にやりと微笑む。

「私に頼むときには、何かいるだろう」

「少し焦げているが、いいか」

 左内も抜かりがない。忠助に合図をすると、焼け跡から奇跡的に見つけ出された菓子箱から発見された露草堂の栗饅頭一抱えを右京の目の前に差し出した。

「今は、一文でも惜しいときなんでな。これで我慢しろ」

「ま、仕方ないか」

 その言葉とともに、人間の所業とは思えないくらいの速さで栗饅頭は次から次へと右京の口めがけて消えていく。左内は瞬きも忘れたかのように目を丸くしてその光景を見つめた。

「お前、まるで妖怪栗饅頭だな」

「昨日から、頭を酷使しすぎてな、甘いものを欲してたまらないのだ、うーーーーん、砂糖分がキタキタキタ――」

 開いた口が塞がらない左内を尻目に、栗饅頭で脳に糖分の充填を終えた右京の目が妖しく輝いた。

「ドリアンコウだーーーーっ」

 意味不明の叫びに顔を見合わせる左内と双子。

 右京は両手を天に突き上げると、身体をぶるぶるとふるわせて、いずこともなく立ち去って行った。

 本当にあのような輩に、藩の命運を託してよいのだろうか。

 溜息をついて、左内は昨日吹っ飛んだ時間急速進行装置の再建現場に目を向ける。

「ん? 一体奴はどうしたのだ」

 全身に膏薬をべっとりと貼った家臣を見て、不思議そうに双子に目をやる左内。双子はきまり悪そうに、視線を足元に落した。




 一時(ひととき)、もたった頃だろうか。

 髪を振り乱して、目をらんらんと輝かせた右京が戻ってきた。

「左内、できたぞ~~」

 手に握られたギヤマンの小瓶を左内の目の前に突き出すと、右京は得意そうに高い鼻をひくひくと動かす。

 ガラスの中には小指の爪の半分くらいの毛の生えた透明な粒が二つ入っている。

 気味の悪いことに、その粒は時々身をくねらせるようにうごめいていた。

「そ、それはなんだ」

 左内は眉をひそめて、慌てて瓶から身体を離す。

「ドリアンコウだ」

「ドリアンコウ……、右京様、それはドリアンとアンコウをかけた洒落ですね」

 満面の笑みで忠太郎にうなずく右京。

「そのとおり。これを額にくっつけると、この触手が肌から奥に伸びて、眼や鼻を司る経脈に直結するのだ。で、念じるとこの触手はまるで魚のアンコウのように、額からするすると外に伸びる」

「一体これをどのようにして使うのですか」

「兄上は鈍いなあ、これを額にくっつければきっとこのドリアンコウがドリアンの種を探しに行ってくれるってことですよ」

 再び喧嘩を始める双子は置いて、左内は右京に詰め寄る。

「ここから曽根美濃(そねみの)藩の藩邸にその触手を伸ばすことは可能なのか、右京」

「ちょっと無理だな、遠すぎる。何とかして藩邸に入り込めないか」

「まだ、火事の詫びを入れに行ってない。口実は作れそうだが……」

 御家老様は腕組みをして、唇を引き締める。

「左内、お前が額にこれをぺたっ、と貼っつけて隣の藩邸にもぐり込めばいい」

「ま、それはそうなんだが……」

「ドリアンの匂いを追って勝手に触手は伸びてくれるし、ぼおっとだが触手の先端からあたりを見ることもできる優れものだぞ。種が見つかれば、触手は軽いものなら把持するくらいの力があるから、土蔵の外に持ち出すこともできる」

 左内は、瓶の中でもぞもぞと動く物体を嫌そうに眺めながら口ごもった。

「私は、その……、そういう毛虫のような動きをするものが、今一つ苦手なのだ」

「ふーーん、ま、我慢するより仕方ないな」

 左内の言葉を冷たく一蹴する右京。

「もちろん右京、製作者のお前も同行してくれるんだろう」

「な、なんで、私が?」

 びっくりしたように目を見開く、名ばかり藩医。

「藩邸の中で不慮の事態が起きたらどうするんだ、私だけでは上手く作動しないかもしれない。額にこれを張り付けて同行するのが発明者の責任じゃないのか」

 右京は顔の前で手をひらひらしながら、首を振った。

「そんな面倒くさいことまで引き受けた覚えは無いな。それにこのドリアンコウは、ドリアンの臭いを記憶している者ではないとドリアンの種を探しに行かないのだ。私じゃ無理無理……」

 し……ん。

 右京は、左内の全身がどす黒い影に包まれ始めたのを見て言葉を止めた。

「さ、左内?」

 いつにない左内の静かな気迫に、気おされる右京。

「なあ、右京。お前熊衛門に妙なことをさせたらしいじゃないか」

「あ、は、は。な……、なんのことだ?」

 いきなりの展開に目をそらす右京。

 急転直下の立場の逆転。いつになくうろたえる右京に、畳み掛けるように左内が詰問する。

「誰が、眠り姫だって?」

 まるで、凍てつく闇のような冷たい響き。そして、その言葉とは裏腹に左内の背後からは、めらめらと紅蓮の炎が立ち上っている。

「い、いや、お前は寝起きが悪いから」

 しどろもどろの右京の弁解など、噴火を控えた火山の様相を呈する左内の前には何の効果もない。

「寝起きが悪ければ、何をしてもいいのか? え?」

 まるで不動明王に睨まれたかのように、たじたじの右京。

「もちろん、お前もドリアンコウを装着して同行するんだろうな」

「いや、でも、私はドリアンの臭いを知らないし……」

「知らないなら、教えてやろう」

 逃げ出そうとする右京の襟首をむんず、と左内の手が掴む。

「忠助、忠太郎。こいつを土蔵の中に閉じ込めろ。一刻ほどたっぷり、な」

「御家老様の御命令です、悪く思わずに」

 右京の左右を、尾根角兄弟が掴み、焼け残った土蔵に引きずっていく。

「二人とも、土蔵のカギは壊れている。つっかい棒を忘れるな」

「さ、左内~~、お前なんて冷酷な奴だっ――」

 戸を閉める音とともにドリアンの臭いが充満する土蔵から右京の悲鳴が響く。

「うわあ、日ごろの行いとは言え、左内様は右京様にはとことん厳しい」

 余りの臭いに忠助が鼻をつまむ

「ま、喧嘩するだけ仲がいいってことだろう」

 楽天家の弟は、両手を広げて肩をすくめた。

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