見せ場
「やはり出てきたな、クレージー右京」
賊の一団の最も奥から、不敵な声が響いてきた。
他でもないこの計画の首謀者、田沼意次である。
右京は、声の方には見向きもせず、まっすぐにお富に瞳を据えて言い放った。
「任せておけ、お江戸の明日は私が守る」
蜂を背にして、悪に立ち向かうその姿は、まさにこれぞ主人公。
「お江戸の地下に巣窟を作り、蜂を改良して幕府を掌中に収めようとは。言語同断」
賊に向かって真っすぐに人差し指を突き出した右京は叫んだ。
「行け蜂ども。利用されたその恨みは、奴らを刺しまくって晴らすがいい」
言葉は通じなくとも、なんとなく心は伝わるのか、蜂は一斉に田沼一派の方を向いてカチカチと警告音を鳴らし始めた。
バラバラだった警告音が、徐々に重なり、そして一つとなって石積みの壁にこだまする。
「な、何をする。たぶらかされるではない。儂はお前らに餌をやり、そして子孫を残すべく部屋を作り――」
小さな目を血走らせて真ん前に出てきたのは、平賀源内。
細長い顎を振り立てるようにして、蜂たちへ叫ぶ。
「間違うな。お前たちの子供を滅多切りにして殺したのは、他でもないこの男だぞ」
指先には、左内がいる。
嘘のつけない左内の顔は、蒼白になった。
田沼一派に頭を向けていた蜂が、迷うように首を振り始める。
そして、その振幅は徐々に左内に収束していく。
「右京、蜂に何とか言ってくれ、すまなかったとか、どうしようもなかった、とか」
左内の額に汗がにじむ。
「でも、殺したんだろ、お前」
唇をかみしめてうなずく左内。
「ううむこうなれば、一番手っ取り早いのは……」
右京は突然真横にいた左内を指さした。
「こいつも敵だっ。実はあいつらの仲間なのだ」
言葉と共に、蜂の軍団に向けて左内の背中をポンと押しだす。
「な、何を言うっ」まさかの裏切りに左内の顔が青くなる。
蜂たちが、一斉に左内を取り囲み始めた。
「悪いが左内、蜂を説得する自信がないから敵と一緒にボコボコに刺されてくれ」
「お、お前っ」
右京の襟をわしづかみにしようとする左内。
しかし、それを合図に蜂たちが一斉に襲い掛かった。
慌てて右京の手を放し、敵陣に駆け込む左内。
左内とともに蜂の大群が田沼一派に襲い掛かり、たちまちそこかしこで阿鼻叫喚の嵐が吹き荒れた。
「おさなちゃんっ」「左内っ」
左内を助けようと、おたこと勘助が後を追う。
「口うるさい小姑のような奴だったが、良い友だった……」合掌する右京。
「違うでしょうがっ」
スパコーンと、右京の後頭部を露草堂が手に持ったわらじでひっぱたく。
「その、菓子と恋にとち狂った極甘の頭で、左内様を助ける名案を考えるのです」
大混乱の敵陣。
「何が必要なのですか、露草堂の栗饅頭ですか、羊羹ですか、それとも」
「飽きたなあ、露草堂の菓子も……」
上から目線の右京は、半開きの口でこれ見よがしにため息をつく。
その口の中に。
ほろりと崩れる、甘い菓子。
「ぼうろよ。お京ちゃん、好きでしょ」
ふと見ると、お富が右京の口に菓子をそっと突っ込んでいるではないか。
右京にとっては最高の官能刺激である。
右京の高い鼻がぴくぴくと動き、耳から正体不明の湯気が吹き出し、そして目がらんらんと黄金の輝きを増してきた。
クレージー右京発動である。
「おさなちゃんを助けてあげて」
「無論っ!」
右京は袖から何やら小さい機械を持ち出した。
「実は蜂は目が良くないのだ、黒、赤、青などというはっきりした色以外はあまり見えない。という事は」
右京はその小さい機械を振り上げて、蜂から逃げ惑う一団に照準を合わせた。
それは、覚樹院様の着物に絵を映したあの投影からくり。
「さっき左内の背中を押したときに、これに連動する映写機を取り付けてある」
言葉と共に機械を押す右京。
いきなり穴倉のような地下空間が真っ白な光で満たされた。
そして、そこには3羽の鷹の姿が。
「見たか」
「聞いたか」
「参ったかっ」
「われら大江戸鷹姉妹、参上っ」
そこには、狂ったように飛ぶ美鷹、貴鷹、舞鷹の映像が。
そのとたん、蜂は我先に部屋を逃げ出し始めた。
「こ、これは? 右京様」露草堂が目をぱちくりする。
「思い出したのだが、スズメバチを食べる鷹がいるのだ。ま、種類は違っても人相の、いや鳥相の悪いあいつらを出せば、蜂どもは逃げ出すだろうと思ってな」
機械の試作の際の試し撮りに、鷹姉妹を使っていたらしい。
「そんないいものがあるのなら、さっさと思い出してくださいっ」
スパコーンっ。露草堂のわらじが火を噴いた。
「殿、こちらへ」
形勢不利と見たのか、蜂の毒で体をがたつかせながら忍び装束の者たちが平賀源内と田沼意次を連れていく。あたりには毒にあたり、失神している者が累々と倒れていた。
「待てっ」
満身創痍ではあるが、蜂の針からはかろうじて逃れた左内は田沼を追う。
「われらを追ってどうする片杉左内。これら忍者は言ってみれば、証言の価値もない雑魚。すでにここにはわれらが加担したという証拠は何もない。美行藩が仕組んだこととわれらが言えば、そのままお前たちは幕府転覆を企んだ大逆人として、お尋ね者とあいなるのだ」
田沼の言葉に、左内は硬直する。
「そうはうまく行くかな」
高い声がして、まだあどけない顔をした華奢な体躯の青年が現れた。
「お、お前、いや、あなた様は――」
田沼が急にうろたえる。
まだ少年と言ってもいいような顔つきに似合わず、その瞳は大人びた狡猾さを秘めていた。
くすりと鼻で笑うと、その青年は腕を組んだ。
「ちょいと悪戯が過ぎませぬか、田沼殿」
普通は青年が大の大人に向かって言えるセリフではないが、彼が言うと不思議と違和感がない。
「あ、あなた様は」
左内の脳裏にあの一夜がよみがえる。
そもそも、この大奥にくる発端となったのは、この青年の来訪だった。
「おお、美行藩のご家老様。また、激しい装いで」
この少年は――、御三卿のひとつである一橋家の跡取り。御年十七歳になられる一橋治済殿である。
「一部始終は闇に隠れて聞かせてもらった。田沼殿、私は家治殿と同じくあなたの手腕は買っているつもりだ。だが」
青年はにやりと笑った。
「くれぐれも大奥に物騒なことは持ち込んでほしくないものだな」
治済公は田沼意次に負けず劣らずの眼力で、にらみつける。
田沼意次もじっとその視線を受け止める。
「わかりました、今日のところは将来有望なあなたに免じて引き下がりましょう。しかし、この田沼意次なくては、この天下うまく回っていかないということも、十分ご理解のほどを」
「もちろんだ、今回のことは内密にしておく。しかし、身の程を知らずに伸びすぎた庭木は刈らねばならぬ。私が刈らなくてもいつか、誰かが、な」
田沼意次と、平賀源内は踵を返して出ていく。
しかし、田沼意次は途中でふと足を止めると振り返った。
「片杉左内、これで勝ったと思うなよ。われらとはまた別の――、後は自分達で何とかするがいい」
意次の不気味な笑いは、地下空間の大きな石によって増幅され不気味に響き渡った。
「とりあえず、目前の危険は去ったようだな」
左内は田沼の言葉を反芻しながらつぶやいた。
右京は、頬を紅潮させ、なぜだか小刻みに震えている。
「さ、お行きなさいな」
露草堂が、やさしく背中を押す。
「今日のあなたは、恰好良かったですよ」
無言でうなずいた右京。
彼は、両手をいっぱいに広げて駆け出した。
い、今こそ!
「お富――――っ」
しかし。
右京が駆け寄るより早く、小柄な影が飛び出してお富にしがみついた。
それはまるで雪だるまに留まる、ナナフシのよう。
右京は両手を広げたまま立ち止まって、目の前の光景を呆然と見ている。
「会いたかったぞ、お富」
「治済様っ」
小さい影は、豊満なお富の胸の中に吸収されて一つになっている。
「こんな危険な場所に来られるなんて」
「お前が、お前が無事ならそれでいいのだ。おたこから大奥がきな臭いと聞いて気が気ではなかったぞ。私は、一目見た時からお前の虜だったのだ」
「ああ。もったいないお言葉。わ、私もでございます」
大団円を迎えている二人。
「治済殿の思い人は――、お富さんだったのか」
予想だにしなかった、意外な結末。
そーっと左内は右京の方をうかがってみる。
まだ、何が起こっているのか理解できない様子で、ぽかんと口を開いたまま固まっている右京。
そこだけが薄闇に沈んでいる。失恋の衝撃は、生半可ではなかったようだ。
当たり前だ。治済は御三家のひとつ、一橋徳川家の次期当主である。若くて才知があり、地位も権力もある治済には、何をもってしてもかなう訳がない。
第一、当のお富が首ったけなのある、右京になすすべはない。
「右京、おい、しっかりしろ」
左内が、動きを止めた右京の黒目の前に手を振ってみる。
「プピー」
「右京っ」
「クワックワックワッ、ケー、プシューっ」
ガクガクと震え始めた天才科学者は毛穴という毛穴から白い気体を吹いて、その場に卒倒した。