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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
大奥暴走編
106/110

姉弟

「女に化けたお前には楽しませてもらったぞ」

 首領が口角をあげて、左内に切っ先を向ける。

 首領に遠慮してか、周りの部下は一対一の果し合いを邪魔しないように一歩下がっている。しかし、もちろん首領に何かあれば大挙して左内に襲い掛かってくることは、想像に難くない。

「ええい、黙れ」

 自分の動揺を誘う手口だとわかっていても、左内は怒りで後頭部が焼かれるように熱くなる。

「お綺麗なご家老様とも、ここでお別れだ。冥途の花向けににわしの名を教えてやろう、わしは……」

「黙れ、知りたくはないっ」

「名乗りを妨げるとは、無礼な奴だ、さっさとあの世に行けい」

 言葉と共に白刃が振り下ろされる。

 予想どおりの軌跡だったのか、左内も軽々と受け止める。

 白刃がぶつかり合い火花を上げた。

 だが、左内が相手の刃を跳ね上げた瞬間。

 幾多の激闘で劣化が激しかった左内の刀は、高い音を上げて上半分がはじけ飛んだ。

 首領が繰り出す次の一撃。左内は横に飛んでかろうじて身をかわした。

「ふははははは、万事休す、といったところかな、左内」

「油断は自分の足元をすくうぞ」

 手に持っている刀はすでに人を斬れるような状態ではない。左内の言葉は強気だが、はた目にはどうにか防いでいるといった様相だ。

「やめて、やめてくださいませ」お富が左内をかばおうと前に出る。

「あぶな……」

 お富を抱きとめようとして、左内に一瞬の隙ができた。

「さらばだ」

 首領の刀が、左内の首に振り下ろされる。

 明和四年。片杉左内、二十年の短い一生に幕を下ろす……か?!

 がきっ。

 首領の刀は飛んできた菜切り包丁でその軌道を大きく変えた。

「な、何奴っ」

 まるで海が二つに割れるかのように、部下の忍者たちがなぎ倒されていく。

 その中央に浮き上がるように浮かび上がった人影。それはお富より二回りも大きい巨漢であった。

「ええい、あたしのおさなちゃんに何をするんだい」

 つり鐘を突く橦木(しゅもく)かと思うようなすりこ木をぶん回し、大風をおこしながら左内達に向かってくるその姿は、まるで水滸伝の魯智深。

「左内、お前どんだけ趣味が悪いんだ」

 首領が叫ぶ。しかしすりこ木の風圧で、さすがの首領も立っているのがやっとだ。

 命の恩人の姿をまじまじと見て、左内は絶句する。

「おたこ。お前、なぜ……」

 意地悪な先輩女中としか思わなかったおたこが、この窮地でまさかの登場である。

「あたしもさるお方の密偵でね。名前は隠してあるが、御膳所に妙な密偵が来るというつなぎだけは届いていたんだよ」

 大奥に長い間潜伏して普通の女中として暮らしながら、万が一の時にだけその本性を洗わす。それがおたこの使命らしい。

「名前はつなぎでは伝えない。もし漏れたらあんた達の身が危ないからね。ただ、符丁があって、そういうちょっといわくのある人間には御膳所勤めでも魚介類ではない呼び名をつけるんだよ。そして、最後の確信は、あたしがあんたにちょっかいをかけた時に見せたあの武芸」

 それはきっとおたこが左内に迫って、指をなめたときのことであろう。あまりの気色の悪さに、左内はつい隠していた本来の力を出して手を振りほどいてしまったのだが。

「私はまんまと罠にはまったという訳か」

「へへっ、これだけあんたを欺けたのなら、あたしも相当な役者だねえ」

 おたこは、すりこ木を回しながら、左内とお富の前に仁王立ちになる。

「だけどこの恋心は本物さ。さあ、どっからでもかかっておいで」

 しかし、おたこがなぎ倒してもなぎ倒しても、部下たちは次々と地下から湧いてくる。おたこの力が尽きるのは時間の問題と思われた。

 おたこの額に汗がにじむ。

「さっさと、この女武者と片杉左内を葬ってしまえ」

 奥から田沼の命令が飛ぶ。

「この化け物女。私が相手だ」首領の怒鳴り声が洞窟に響いた。

「おや久しぶりだね、勘助」

 本名なのか、首領の動きが止まる。

「こんなケチな野郎のところで働いているのかい。もうろくして、あたしの顔を見忘れたんじゃなかろうね」

「何を言う、まだもうろくという年では――」

 おたこの顔を見て、目を丸くする首領。

「ったく、姉弟(してい)で同じ人間に惚れるなんざ、茶番もいいところだよ」

 にやにやとした笑みを浮かべたおたこが長い舌で、ゆっくりと自分の頬を舐める。

 頬骨から鼻の横にかけて、花びら型の赤いあざが数枚。

「桜吹雪。あなたは、吹雪姉さん」

 首領が絶句する。

 昔は、肋骨が浮き出るくらいにやせていたのに。

 職人気質の姉のことだ、別人に化けるために、大量に肉を付けたのに違いない。

「何をしている、早く殺ってしまえ」

 意次から焦りに似た声が飛ぶ。

「で、できません。主は違えど姉なんです、私の大切な――」

「忍びのくせをして、主より血縁を選ぶとは女々しい奴め。行け、蜂ども。使えない裏切者は絶命させてしまえ」

 田沼の横から、聞き覚えのある声がする。

「源内か」

 左内が唇を引き締める。この満身創痍の状態で、いったいどこまであの蜂どもを防げるか。

 カチ、カチ、カチ、カチ。

 部下たちが引いたと同時に、無表情な蜂どもが空中を埋め尽くした。

 先頭集団の蜂が、首領に襲い掛かる。

 首領の刀をかいくぐって、一匹の蜂が頸動脈に針を向けた。

「危ないっ」

 左内が猛然と床を蹴ると、短くなった刀で蜂の針を切り落とす。

「お、お前……」

 信じられないといった顔つきの首領と背中を合わせながら、蜂に刀を向ける左内。

「敵の敵は、味方。味方の味方は、味方だ。勘助」

 背を向けた左内が白い歯を見せて笑む。

 だが、その笑みは一瞬だった。

 蜂の休みない波状攻撃は、お富にも向けられ始めた。おたこがそばで守っているとはいえ、中にはすりこ木の回転を上手に避ける敏捷な蜂もいる。

「右京の思い人に、けがをさせるわけにはいかない」

 しかし、さすがの左内も自分の周りを防御するだけで精一杯であり、なかなか近づけない。

 ついに風圧に耐えて、お富めがけて数匹の蜂が突進してきた。

「きゃあああああ」

「お富さんっ」

 たくさんの針が、お富の柔肌に突き刺さろうか。と、いうその時。

「待て待て待てーーっ」

 声とともに別な蜂の一群をつれて、右京が駆け込んできた。

 その瞬間。針をお富に向けていた蜂がぴたりと空中で制止する。

 右京と共に入ってきた蜂は、妙なダンスを踊りながら、カチカチと音を出している。

こいつらは繭を取らないで返してくれた無害な人間だとでも、羽音と、歯を鳴らして出す独特の音で会話しているのだろうか。

「右京、露草堂」

「おお、ご無事でしたか、ご家老様」

 蜂たちは、攻撃を止め、困ったように空中をさまよい始めた。

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