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クレージー右京  作者: 不二原 光菓
大奥暴走編
105/110


 一方、こちらは右京と、露草堂。

「おい、露草堂。さっさと私を地上に連れて行ってくれ。早くお富に会って菓子を貪り食いたいのだ」

「ふふ、本当に会いたいのはお菓子かどうか……」 

 意味ありげな笑いを浮かべて、ちらりと右京を見つめるタヌキ親父。

「右京様がお菓子より重きを置く女性など、金輪際現れないと思っていましたが、長生きはするもんですな」

 軽口をたたきながらも、老忍者の年季の入った足はわずかな勾配を捉えて進んでいく。

「こちらの道がわずかに上っております。という事は地上に近いという事」

 その時、右京がくんくんと鼻をうごめかした。

「甘い」

「へっ?」

「甘いんだよっつ」

 先に行く露草堂を押しのけて右京が何かにとりつかれたように、暗闇の中を走り始めた。

「この匂いは極上のっ」

 ぴょんっ。

 右京の体が華麗に宙に浮く。

「お待ちください右京さ……、おっと」

 右京が飛び上がった場所の手前、足裏の冷たさに気づいた露草堂の小走りが止まる。

「これは」

 かすかな灯を近づけて顔を近づけてみると、そこの床だけ石の質が変わっている。そしてわずかな凹凸の隙間から、地下からと思しき風が吹き上げてくる。

 落とし穴か。

 露草堂は安堵のため息を吐きながら、飛び跳ねながら前進する右京を見つめる。

「それにしても、危険を察知して華麗に飛び越えていくなど、あのお方には人知を超えた能力が備わっているんですな」

 落とし穴を避けて壁に貼りつくようにして進んだ、その先。

 そう、それは左内が見つけた、妖蜂の産卵場所であった。

 右京はじゅるじゅると唾を飲み込んで、暗い部屋をそっと覗き込んでいる。

「これは、まごうことない蜂蜜のにおいだな」

 生温かい風にのって、甘い香りが右京の心を震わせる。

 ブーン、ブーン。

「おお、頭の芯まで震えるようだ」

 右京がつぶやいた瞬間。

「頭をお下げくださいっつ」

 いきなり露草堂が右京の首根っこをつかんで床に引きずり下ろす。

「この羽音は、蜂、それもかなり大きい――」

「え?」

 我に返った右京の耳に激しい羽音が伝わってくる。

 それとともにカチカチという不穏な音が。

 左内の剣を逃れた少数の働き蜂が新たな侵入者を察知して警戒音を出し始めたのである。仲間を殺され、かなり激高しているようだ。

「ちぇっ、蜂もいるのかあ」

「なぜ、大奥の地下に蜂など……」

 その時、右京がはたと手を打った。

「そういえば、大奥のお女中と思しき女性たちがはちみつ漬けになって、蜂のお化けになっていたんだった」

 ぶつぶつとつぶやきながら、舌なめずりを始めた右京。

「喜べ露草堂、この秘儀が我が手中に入れば、お前の店の奉公人を蜂にして、蜂蜜をただで使えるようにしてやる」

「遠慮いたします。やっぱり、大奥の陰謀を暴くとか、そこら辺の思考回路はないんですね。ご自分が勝手に蜂におなりください。」

「ある種の蜂は、自分が祖先から受け継いだ体の情報を卵を産み付けた蝶の幼虫に組み込んでしまうことができる。あの女たちの蜂化はその性質をさらに強めたものだろう」

 寄生蜂であるアオムシサムライコマユバチは、寄生した幼虫に自らの遺伝子を送り込む。驚くべきはその際に自己免疫を抑制するウィルスもともに送り込むのだ。そのため免疫機能に障害されず、蜂の幼虫は寄生した相手の体内で無事に発育することができる。

しかし、アオムシサムライコマユバチは生むべき種類ではない幼虫に卵を産み付けてしまうことがある、その場合には幼虫は蜂に食べられずに済むのだが、そのウィルスには蜂の遺伝子も含まれているため、蜂の遺伝子を持った蝶が生まれてしまうのだ。 

人間が開発するずっと以前から、この蜂は遺伝子組み換えという技術を操ってきたのだ。

「とすると。蜂の毒、と、蜂女への変化の機序は違うのだろうな……」

 扉の前でぶつぶつとつぶやく右京。

 思考が回転してしまうと、周囲の状況が見えなくなるのが彼の常態である。

「何はどうあれ、秘密も蜜もこのなかってことだな」

 言葉と共に立ち上がると、何も考えずに扉を開ける右京。

「……ぶないっ」

 飛び出した露草堂が、右京目指して飛来した蜂の毒針を短刀で切り落とす。

 一尺はあろうかという蜂が弾丸のように攻撃してきたのだ。

「大丈夫だ、産卵管を兼ねた針を持つのはメスだけだ。メスを見分けてそれされ防げれば大丈夫」

 蜜の前には恐怖も消えるのか、右京はひとさし指を立ててにっこりと微笑む。

「こんなに早いのに見分けなんかつきませんっ」

 若い時とは動眼視力も違う。

「ま、刺されてもだ。産卵さえされなければ……」

 右京ののんびりした声。

 刀を振り回して、飛来する蜂を追い払う露草堂。

「されなければっ?!」

「まあ、意識を失う、か、死ぬくらいだろう。お化け蜂にはならずに済む」

「十分、大変ですっ」

「いいじゃないか。ま、もしお前がお化け蜂になったら露草堂は蜂蜜には困らん。それはそれである意味僥倖じゃないか」

 左内がかなり個体数を減らしているため、彼らの周りを取り囲む蜂は数匹だが、それにしても弾丸の波状攻撃をかわすのは並大抵ではない。若くはない露草堂の肩が次第に大きく上下してきた。

「右京様、何かいい考えは……」

「で、採取した蜂蜜を団子にたらーりとかけて、だな……」

 し――――ん。

 頭の中はすでに蜂蜜のことで一杯の様だ。

 もう、右京に頼れる状態ではない。自らの死地は自ら切り開かねば。

 百戦錬磨の露草堂の頭が回転する。

 蜂蜜、は、菓子屋にとって大切な食材。もちろん修業時代の露草堂も蜂蜜を採集して回った経験がある。

「そ、そうじゃ」

 露草堂は、菓子の夢に埋没する右京の首根っこをつかむと、懐から取り出した小さな玉を服でこすると壁に投げつけた。

「伏せてっ」

 鈍い音、と共に小さな玉は爆発しあたりに煙が立ち込める。

 蜂の羽音が次第に小さくなる。

 やがて、ぼとり、ぼとり。と蜂が地上に落ち始めた。

「蜂は煙で気絶します」

 焚火の煙でミツバチを追い、蜂蜜を採取した若き日の記憶がよみがえる。

「そういえば右京様」

 ぽん、と露草堂が手を打った。

「なんだ」

「ススメバチは蜂蜜を造りません」

 なんだって――――。右京の失望の声が石室の中に響き渡った。




 スズメバチが気を失っている間に、二人は繭の方に赴く。

 蜂たちはこの繭を守っていたのだろうか。

「陰謀の証拠です、持ってまいりましょう」

 露草堂が、2,3個の繭を取り出したその時。

 背後から、かすかな羽音が。

 落ちていた蜂たちが、羽を震わせながら飛び立とうとしている。

「煙玉だ、露草堂」

「あれでおしまいです」

「なんて用意の悪い忍者だ」

「年を取るとものを持ち歩くのが重くなるんです」

 無表情な尖った顔が二人に向けられる。

 その羽音の激しさから、前にも増した殺気が伝わってくる。

 蜂たちは二人を取り囲んだ。が、妙なことに先ほどのようにすぐ攻撃を仕掛けてはこない。

「ま、繭か。繭をこちらが持っているからか」

 どうやら繭が人質の役目を果たしているらしい。

 二人と蜂の軍勢はにらみ合っている。

 こちらが繭に危害を与えようものなら、即穴だらけになってあの世行きになるだろうことは火を見るよりも明らかだ。

「早く、地上に出て皆様にこの異変をお伝えしないと」

 露草堂のこめかみから一筋の汗が。

 その時。右京が露草堂から、いきなり繭を取り上げた。

「な、何を……」

 右京は繭を持ち、巨大スズメバチの方に一歩一歩、近づいていく。

「こいつらにしたら、いきなり入ってきた闖入者が子供を連れ去ろうとしている、って場面だ。そりゃ、腹も立つよな」

 右京は蜂の顔を見ながら、繭をそっとその前に置いた。

 スズメバチの羽音が静まっていく。

 右京がそのまま後ずさっても、蜂は攻撃をしてこなかった。

「大切なのはお互いを思いやること。すなわち愛だ、愛――」

 へ?

 非常時ながら、露草堂は口をぽかんと開けたまま額に皺を寄せる。

 一番似合わない人間から「愛」の言葉が出るとは。

 人とは思えぬ行動と言動と本能を持つ右京が、なぜか心の機微を解するようになっているではないか。

「お富さん、とやらいう(ひと)が右京様を人間にかえなすったか」

 露草堂は信じられないというように首を左右に振った。

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