6 上陸
まだ日もロクに明けていない早朝のせいか周囲は薄暗く、海と空の境界線も曖昧な時間に、突如海の中から黒く巨大な物体が現れた。
徐々に露になるその姿はまるで、伝説や神話に出てくる巨大な海龍のようだが、その巨体の正体は……日本帝国軍の2万トン級ミサイル原潜だ。
鉄で出来た巨大な船が浮かび上がって来るという、木造帆船が全盛期のこの世界ではあり得ない光景で、もし目撃者がいたなら神話の海龍の復活かと大陸全土で大騒ぎになる事は間違いないだろうが……未だ日も上がっていない深夜の海に目撃者などいる筈が無く、誰にも知られる事無く浮上し、上陸準備を始める。
原潜のハッチが開き、何人もの水兵らしき兵士が出て来て周囲を暗視装置付きの双眼鏡で誰もいない事を確認し、慌ただしく作業を開始する。
ゴムボートを海に浮かべて膨らませる者、周囲を警戒するために双眼鏡で覗いている者など様々な兵士が作業をしているが、中にはとても珍妙な姿をした一団もいた。
フード付きのマントを着た怪しい5人組だ。
最新の技術を結集させたミサイル原潜の甲板にそんな集団がいるだけで不自然だが、そのマントの隙間からは18世紀の欧米人が着ていたかのような古い服が見てとれ、腰には短剣と長剣が下げられていた。
まるで映画の撮影のような時代錯誤な格好だが、彼等の持っている武器は全て殺傷力を持つ本物なので笑えない。
そしてそんな珍妙な集団の中でも、特に変わった格好をしている者がいた。
まるでマンガやアニメに出てきそうな黒いローブを羽織り、大きな杖を持つという、いかにも魔法使いと言わんばかりの格好だ。もしも街中でそんな格好をして歩いていれば、間違いなく痛い人と思われるか、病院行きを勧められるだろう。
そんな奇妙な5人と、操舵手や警戒のために2人の兵士が準備が完了したゴムボートに乗り込み、潜入用のために開発された静粛性が高いエンジンをかけて海岸線を目指して航行する。
ボートの中は誰1人として口を開かず、沈黙が支配する。そのせいで静粛性が高い筈のエンジン音が海に響き渡る。
そのボートの操舵手を務める兵士は、早朝という事だけあって内心眠たく思うが、任務なのでそんな様子は欠片も見せない。
今回彼等の任務は未知の大陸への調査隊の派遣と、回収だ。
これまでは衛星による監視や艦艇による付近の海域調査など、未知の大陸への直接の接触は避けていたが、遂に本格的な調査隊を送り込む事になった。
当初はその調査隊第1陣の輸送任務という、大役を受けた事で彼等も大いに興奮したが、実際に調査隊の格好や人数を見ると不安を感じずにはいられない。僅か5人という少人数に加え、まるで本土統一以前のような格好をした面々なのだから、それも当たり前だろう。
事前の説明では「なるべく目立たないようにするため、この大陸の文明レベルに合わせた格好をしている」とは聞かされていたが、実際に見ると良い年したコスプレの集団にしか見えない。
(こんなのが帝国の先見隊で大丈夫なのか?)
顔には出さないが、彼は勿論、警戒をしている兵士も同様の事を考えていた。
彼等は思いもしなかった。
その良い年したコスプレ集団の中に、自分達の絶対的な神である初代北郷帝がいる事など。
ボートは陸地に着き、北郷を含めた5人はボートを降りて上陸し、浜辺に移動する。
それを見届けた兵士達は無言で敬礼し、北郷達が応礼するのを見てボートを反転させ、帰還した。
ようやく日が登ってきて徐々に視界がハッキリしてくる中、護衛達は装備や荷物などの不備を確認をしていたが、北郷はただ1人しゃがみこみ、浜辺の砂を触っていた。
(砂の成分は地球のと変わらないな…)
異世界なので構造等が違うのかと確かめて見るが、地球の砂と何ら変わりはなかった。辺りに生えている植物も地球の植物とほとんど変わらない。
周囲の確認が終了した後、北郷は装備などの確認をしている護衛達の格好を確認する。
護衛達は全員長剣と短剣を持ち、近世の庶民のような服装をしている。鎧など防具の類いは一切無く、全員が暗い色のフード付きマントを羽織っている。
当初、武器はそれぞれが得意とする槍やハルバード、弓矢、クロスボウなど、様々な種類の武器が候補として上がったが、「銃が普及している世界で民間人が槍や弓矢を持っていては目立つのでは?」という意見から却下され、持っていてもそこまで不思議は無いであろう、長剣と短剣に決まった。
もしもこの世界がモンスターが跋扈するファンタジー世界だったなら、民間人が重武装していても不思議は無かったかも知れない。しかし、この世界ではモンスターは未開拓地か山間部に追いやられているので、少なくとも開拓地を歩く分には重武装は必要無い。
盗賊を警戒して槍や弓矢を持つ人々もいるにはいるが、そういうのは商隊や貴族などの護衛をしている者達か傭兵ぐらいで、民間人が武装している事は少ない。何故なら装備を買う金が無いのと、反乱を企てているなどの有らぬ疑いをかけられかねないからだ。
鎧にしても、当初はマルタ島の部隊が採用しているような立派なプレートアーマーの鎧にしようかとしたのだが、これまた「銃が普及している世界で鎧を着ているのは変」という意見から、鎧などの防具は無しとなった。
これは仕方の無い事で、幾ら鉛の球形弾や黒色火薬を使うマスケット銃とは言え、弾丸の口径自体は現代の小銃の倍以上もあるので、小銃と同等かそれ以上の威力を持つ。そのため、厚さ2~3mm程度の鉄板では簡単に貫通してしまう。貫通させないためには単純に鎧を厚くすれば良いのだが、それでは重すぎて自由に動けなく、重装騎兵ぐらいにしか運用出来ない。
任務の性質上、極力目立ってはいけないため、防具を身に付ける事が出来ないのだ。
しかしその代わりに、武器に関してはかなりこだわっており、見た目的にはただの長剣や短剣だが、最新技術や新素材をふんだんに使用している。
合金鋼など、最高の素材と技術を結集し、更には人間工学に基づき各個人に合わせた完全オーダーメイドでもあるので、もし買おうとすればとてつもない額となる。 この世界で同じ物を作る事はまず不可能だろう。
では北郷が着ているローブはどうなのかと言うと、特にこれと言った特別な物ではなく、ただ単に通気性が良いぐらい。
神という立場であり、臆病者である北郷が何故通気性が良いだけで防刃性も期待出来ない、ただのローブを身に付けているのかと言うと……北郷の身体能力のせいだ。
護衛達は1000万人以上いる日本帝国軍の中から選ばれた精鋭中の精鋭であり、常日頃から特殊部隊並みに厳しい訓練を行なっている。そのため、重い装備を身に付けながらでも徒歩での長距離移動も何ら問題無い。
片や、北郷は健康維持を目的とした運動ぐらいしかしていなく、更には神という立場からあまり外を出歩くという事もしない。そのため、重い装備を身に付けながら徒歩での長距離移動など到底不可能。
幾ら新素材や新技術を用いて通常より軽量化されていても、常人並みでしかない北郷にとってはかなり重たい。そんな物を身に付けていては直ぐにバテて移動が困難になり、いざという時に不利になってしまう。
ならば馬車や馬にでも乗って移動すれば良いとも思えるが、馬車や馬に乗りながら護衛を引き連れていては、どこぞの御曹司や貴族に思われかねなく、情報収集がしにくい。
それではわざわざ太平洋を横断してこの未知の大陸に渡って来た意味が無くなってしまうため、危険性は高いが、護衛達と同様に北郷も軽装備となった。
……尚、この決定のせいで北郷の身を案じて止まない侍従長が騒ぎ出したが、結局は北郷の決定は覆らなかった。
幸い、北郷は魔術師としての才能があるので重い武器を持たずに済み、後衛職でもあるので防具もそれほど必要としない。
それに、唯一の装備品である杖にしてもコピー能力によって幾らでも出せるし、そもそも魔法の発動の際に補助(魔石)を必要としないので、極論すれば手ぶらでも何ら問題は無い。
偽装のために杖は持っているが、後は旅人という設定なのでカバンを肩から下げているぐらい(中身はほぼ空)。テントなど必要最低限の荷物については、護衛達が担いでいる。
テントなど、大きな荷物を背負っている事から一見すると護衛達の荷物は多そうに見えるが、その実かなり少ない。
本来なら長旅には沢山の食料や飲料水を運ばなくてはいけなく、中でも飲料水はかなりの重労働だ。成人男性は1日3リットル程の水を飲まないといけないので、5人で考えると1日15リットル、つまり15kg、それも1日分だけで。
行く先に川があるのなら多少は軽減出来るが、もしも川が干上がっていたなどの不測の事態に備えなければならないので、どちらにしても大量の飲料水を運ばなくてはならない。
飲料水の他にも、食料や着替え、調理器具、食器、寝具などなど、旅にはとんでもない数の物が必要になるので、通常ならば重い荷物を背負うか馬車が必要になるのだが、北郷がいるのでその全ては解決出来る。
北郷がいれば飲料水でも食料でも何でも無限に出せるので、先程同様に、極論すれば荷物など必要無い。
しかし、荷物1つ持たずに旅人だと言い張るのは、科学技術が発達した日本帝国においてさえ不自然であり、ましてや産業革命すら起きていないこの世界ではあからさまに異常だ。
自分達から「怪しい者です」と言っているようなモノなので、護衛達はカモフラージュとして大きなカバンを背負い、北郷もほとんど何も入れていないショルダーバッグを肩から下げている。
ちなみに、近代兵器の類いは一切持って来ていない。
これまた当初は「万が一のため」として隠し持てる拳銃や手榴弾などの携行が検討されたが、もし現地民に拳銃や手榴弾を見られたら厄介な事になる事に加え、万一盗まれでもすれば最悪なので、持ち込みは許可されなかった。
護衛達の確認作業も終了し、隊長が北郷へと報告する。
「出発準備が完了しました」
「良し、それではこれより出発とするがその前に、この大陸にいる間の注意事項を伝える」
「「「「はっ!」」」」
フード付きのマントを着た集団が現代式な敬礼をするのはどこかシュールだが、北郷はスルーする。
「知っての通り、この大陸に渡ったのは情報収集のためであり、極力目立つ行為や我々が異世界人だと悟られてはならない。
よって、これより大陸にいる間は全員偽名を名乗る。無論私もだ」
「「「「はっ!」」」」
偽名を名乗ると言われても、護衛達は特に動揺したりはしなかった。親衛隊員は特殊部隊や情報局などに所属していた将兵が多いため、偽名を使う事は慣れているのだ。
「先ず私の名前は…エリックとする。
以降、私の事はエリックと呼ぶのだ」
「「「「はっ! かしこまりました、エリック様!」」」」
名字は庶民にも一般的なのかが分からないため、下手に名字を付けて貴族と間違われては面倒なので付けなかった。
「よし、では次はお前達の名前だが……何か希望はあるか?」
「「「「いえ、ありません!」」」」
「そうか…」
北郷としては面倒なので自分達で決めて欲しかったが、自分が決めなければいけない雰囲気なので、仕方なく護衛達を見ながら考える。
(…とは言っても、特徴無いんだよなぁ…)
髪は兵士なので全員が短髪。染めてもいないし、カラーコンタクトも着けていないので全員黒眼黒髪。
武器も長剣と短剣で統一され、服装も全員がフード付きのマントの下に同じような服を着ている。
体格もガッチリ鍛えられていてほとんど差は無く、強いて言うなら身長差ぐらいしかないが、全員が175cm以上の長身なのでこれまたほとんど差が無い。
つまり、これと言った特徴が無いのだ。
勿論それぞれ顔は違うし、性格なども全然違うのだから長い付き合いになれば各人の個性も分かて来るだろうが、北郷との付き合いなどほぼ皆無。北郷とこの4人の関係は主人と護衛、神と信者に過ぎなく、会話をした事も数える程でしかない。
そのため、護衛達の個性など知らない北郷は外見から偽名を考えようとしたが、外見からも個性が分かりにくいので何と偽名を付けようか迷っていた。
「では……右からジョージ、ニック、アラン、チャーリーだ」
「「「「はっ! かしこまりました!」」」」
装備や服装での区別が付けられないので、結局はかなり適当な偽名となった。
ちなみに護衛隊の隊長がジョージだ。
「では続いての注意事項だ。
この大陸にいる間は敬礼など、軍人と分かる言動を一切禁ずる。我々はあくまで旅人として振る舞うのだから、軍人がいては不自然である。
なのでこれからは軍人ではなく、私の従者として振る舞うのだ」
「は、いえ……かしこまりましたエリック様」
護衛隊を代表してジョージは条件反射で敬礼しかけるも、途中で止めてただ頭を下げるだけに変えた。
北郷としては本当は敬語も止めて仲間らしい雰囲気にした方がよりカモフラージュとしては良いのだが、それでは一時的にとは言え神としての権威が墜ち、侮られる恐れもあるので従者とした。
とは言え、幾ら従者を装った所でそんな簡単に為りきれる筈も無く、雰囲気は完全に軍人そのモノだが、元軍人の従者だとすれば何ら問題は無い。
「では最後の注意事項だ。
知っての通り、我々がこの大陸へと赴いたのはこの世界の情報を集めるためである。そのためには積極的にこの世界の住人と会話をする必要があり、必要とあれば金で情報を買う。
つまり……賄賂を使う事も躊躇わないという事だ。
…無いとは思うが、拒否反応や動揺などは一切見せないように」
「勿論、分かっております」
隊長であるジョージの返事と同時に、他の隊員達も首を縦に振る。
日本帝国の人口の9割以上が信奉する北郷教において、賄賂は全ての諸悪の根源であり、殺人よりも上位に位置する。
この教えは日本人ならば幼い時、それも生まれた直後から死ぬまで洗脳のように何世代にも渡って刷り込まれているため、最早遺伝子レベルで賄賂を拒絶する。
憲法においても、賄賂は国家反逆罪に相当する。もしもこれを犯せば賄賂を渡した側、受け取った側の当事者は勿論の事、その家族や親戚など、一族も連座として処刑されかねない。
それほど日本帝国にとって賄賂は忌むべき事であり、恐怖の対象でもある。
一般の日本人や普通の兵士ならば直接見るだけで大騒ぎになり、自分で渡すなど考える事すら出来ないだろう。
しかし、情報局や特殊部隊に所属した事がある者達ならば、情況によっては何ら躊躇しない。何故なら彼等はローマ帝国など、外国への潜入のために賄賂の受け渡しの訓練を積み、実際にも行なって来たからだ。
行政サービスが充実して民度が高い日本帝国と違い、他国の文明レベルは2世紀程度なので、行政サービスや民度など期待するだけ無駄。政治や外交、経済、医療など多岐に渡って賄賂が飛び交い、むしろ賄賂が無ければ円滑な関係など不可能だった。
護衛達もかつてはマルタ島に配属されていた時代があり、ローマ人と触れ合う機会もあったので賄賂の受け渡しの経験があるため、北郷の賄賂発言にも何ら動揺しなかった。
勿論、北郷もこの事を知っており、これが彼等を護衛として選んだ最大の理由だった。
空が徐々に明るさを取り戻して来た頃、注意事項や準備などが完了した事を確認した北郷は、遂に出発宣言をする。
「では、これより出発する。
先ずはこの浜辺を西に進み、街道を目指す。そして街道へ出た後は南に進めば、村にたどり着く。
恐らく……日暮れまでには村に着ける筈だ」
北郷は懐から懐中時計を出し、時刻を確認した。
衛星から見る限りこの世界、少なくともこの北東大陸の文明レベルは18世紀程度はあると推察したため、自動巻き式の懐中時計なら存在するだろうと判断し、持って来たのだ。
ちなみに腕時計は一般的なのかが分からなかったため、持って来なかった。
「先ずは村で一般常識や通貨などを確認し、その後は都市へと向かう。
…何か質問はあるか?」
「「「「………」」」」
「…良し、では出発だ」
北郷の宣言の直後、全員が無言で西にある街道目指し、前進を始めた。
こうして、日本帝国による調査が開始された。
今はまだこの世界の誰もが日本帝国の存在すら気付いていなく、何時もと変わらない日常を感受していた。
…何れとんでもない事になるとも知らずに……。