44 嘲笑と絶望
カラハソ戦争から10年。
日本帝国の凄まじい資金と開発力によって、カラハソ大陸には先の戦乱の跡はどこにも無く、逆にかつてのトラキア王国やイリリア王国とは比較にならない程に、発展を遂げていた。
人々は3等国民として権利が著しく制限されているが、かつての半ば奴隷のような暮らしに比べれば、正しく天国だった。
職に困る事も無く、賃金も昔に比べれば遥かに高いので裕福な生活を送れる。
食料も大量に生産されているので商店に行けば新鮮な食べ物が並び、かつては一生食べる事など無いと思っていた高級な食べ物は勿論、衣類や日用品、嗜好品、宝石などなど、様々な物が手に入る。
電気、ガス、水道などインフラ整備は万全で、かつての暮らしとは比較にならない程に便利な生活が送れる。
住宅も新しく用意され、1人暮らし用のアパートから、大家族用の一軒家まで10年間は家賃や公共料金が免除される。
義務教育として3年間は無料で学校に通え、その後は学費が必要だが最大で中学校まで通える。ちなみに奨学金制度も充実している。
このように、他国から見れば完全に貴族の暮らしであり、かつての祖国ではまず考える事すら出来なかった程に豊かで、恵まれていた。
かつての祖国があまりにも酷かったために、必然的に年を追う事に住民達の日本帝国への忠誠心が高まり、愛国心すら芽生え初めていた。
「カラハソ大陸の同化は非常に順調です。特に元トラキアの住民達はかつての支配があまりにも酷かったためか、我が国の支配に積極的に協力しています」
「うむ」
統治政策が順調にいっているという喜ばしい報告なのだが、例によって北郷は頷くだけ。
国を支配する度に何度となく同じ内容を聞いているため、最早感動の欠片も無い。
「反乱分子や旧貴族の残党の処分も完了しました。また、山間部や未開拓地域のモンスターの殲滅も完了し、資源採掘も順調です」
「良し、とりあえずこれでカラハソ大陸の初期開発は完了したな。
……これでようやくリディア王国に移れる」
アメリカ大陸を中心とした巨大な世界地図を、北郷は忌々しげに見る。
リディア王国は本国(アメリカ大陸)と支配地(旧メディア)の中間にあり、非常に邪魔なのだ。
リディア王国が東部一帯を支配している限り、本国を出航した艦船はわざわざ大陸を南に大回りし、西部の支配地にまで行かなくてはならない。パナマ運河が無かった時代のように、燃料費など多大なコストがかかるのだ。
コピー能力を持つ北郷がいるので燃料や予算は無限なのだが、輸送時間が無駄にかかってしまうのが我慢ならなかった。
「出来るならさっさと潰してやりたかったが……カラハソ大陸のせいで10年も遅れた…」
当初の予定では旧メディアの開発がある程度目処が立った後、リディア王国を攻めてアバロニア大陸全土を支配する筈だった。
しかし、その直前にドーマク伯爵の蒸気機関の報告が入り、優先順位からリディア王国は後回しにしたのだ。
「だが、ようやくカラハソ大陸の初期開発も完了した。これでリディア王国にも攻められる。
…何か緊急の報告は無いだろうな?」
又もやリディア王国よりも優先順位が高い厄介事が起きてないかと、北郷は確認する。
「ご安心下さい。現在の所、リディア王国よりも優先順位が高い出来事は起きていません。
各国は蒸気機関よりも軍拡に目がいっており、蒸気機関の開発に回す余裕はありません」
日本帝国がアバロニア大陸に続き、カラハソ大陸まで支配した事で各国は「自国にも攻めてくるのでは」と戦々恐々になり、増税をかけてまで軍拡に走って軍を強化していた。
最も、日本帝国が動かないので平時体制に戻っている国もあるが。
ちなみに、新式銃開発も盛んに行われており、列強国はどこもシルヴィア銃(ミニエー銃モドキ)のような新式銃を開発したが、量産化に不可欠な蒸気機関の存在には気付いておらず、どこも手作業で量産化を進めている。
未だに銃器ギルドが新式銃の生産に反対しているが、事が一刻を争うので王命によって無理矢理、銃器ギルドに新式銃(ミニエー銃モドキ)の生産を命令した国もあった。
「ならば良い。これでリディア王国を攻める憂いは無くなった。
…後は大義名分だな」
かつての地球世界だったなら大義名分など要らず、「国益のため」などと言った自分勝手な侵略も出来たが、パンゲア世界では表向きだけでも大義名分無しの侵略はあり得ない。
そんな事をすれば蛮国の汚名が一生付き、その国は勿論、国民さえもが蔑まれる。
日本帝国としては他国に蔑まれようがどうでも良いのだが、前記したように下手に侵略だけを前面に出せば、日本帝国以外の国々が連合を組みかねない。
例えパンゲアの国々が連合を組もうが日本帝国なら圧勝出来るのだが、それでは一気に世界征服をする事になってしまう。地球世界でもそうだったように、ある程度の敵を残しておかなくては国民の結束が緩み、危機感が無くなってしまうので、北郷は世界征服をする気は無かった。
「…準備は進んでいるのか?」
「はい、我が国の製品によって市場から駆逐された大量の失業者がいますので、その者達に資金や武器を格安で販売、提供しています。
勿論、我が国の仕業とバレないように何人もの仲介人を挟んでいます」
「上手くいっているのか?」
「はい、我が国の製品の不買運動が度々起こっていますし、代理店を襲撃する事件も起こっています。
また、過激な行動に感化される若者も増えていて、国粋主義者を名乗る者達も出ています」
安価で高品質な日本製品によってリディア王国の産業は年々衰退しており、失業者の数は増加している。
日本製品の代理店の者達は成功しているが、クビになった者達にとっては面白い筈は無く、腹いせに日本製品の不買運動や代理店を襲い、略奪をする。
日本帝国はそこに目を付け、金や武器を渡して代理店を積極的に襲わせ、混乱を誘発する。
更には演説を行って無知な若者達に耳障りの良い愛国心を説き、日本製品を追い出して自国の産業を復活させろと叫ばせる。少数の人間がやっていても注目はされないが、大勢がやっていれば否が応にも注目され、感化される者達も出る。
そうやって次々と数を増やし、とんでもない事件が起きる下地を作り上げるのだ。
「良し、順調だな。不買運動や代理店の襲撃ぐらいでは宣戦布告理由にはならんが、下地にはなる。何かとんでもない事件が起きる下地には…な。
その騒動はリディア王国中に広まっているのか?」
「はい、むしろ中央より地方の方が保守的な傾向が強く、貴族である士官はともかく、平民である下士官や兵士には国粋主義に感化される者達も増えてきています。
…最も、王宮や貴族達は大して注目もしていませんが…」
リディア王国は他のパンゲア世界と同じように絶対王制国家であり、平民など人間扱いされないので、例え兵士や下士官が過激な思想や不穏な動きをしようが、歯牙にもかけない。
「平民ごときに何が出来る」と慢心しているのだ。
しかし、日本帝国は決して逃さない。
「…ほぅ、ならば尚好都合。例え上がする気が無かったとしても、下が暴走して始まる戦争など幾らでもある…」
宣戦布告への道筋が見えた事で、北郷は笑う。最早リディア王国は膨らみ切った風船と同じで、少し突つけば意図も容易く破裂する。
聡明なシルヴィアが存命だったならここまで簡単にはいかなかっただろうが、既に死んでいるのだからどうしようも無い。
リディア王国の国王は決して凡人ではないのだが、常識の範囲内での優れた君主でしかないため、範囲外の事には対応が出来なかった。
リディア王国国王、クロードは国内情勢に頭を痛めていた。
先代のロベール3世が2年前に崩御したため、第1王子であるクロードが順当に即位した。
もしもシルヴィアが生きていたなら王位継承に何かしらの問題が発生していただろうが、幸運にもと呼ぶべきか彼女は既に他界していたため、何の問題も無くスムーズにクロードが即位した。
しかし、即位後は問題が山積みだった。
「陛下、またもや失業者達が日本製品の不買運動を行っています」
「……そうか…」
最早何度目であろうか、クロードが即位して以来、日本製品へのバッシングは日に日に強くなっている。
正確には先代国王の頃からバッシングが続いており、そのせいか元々老け顔だった先代国王はますますやつれ、最後には枯れ木のようになって死んだ。もしも治療魔法が無かったのなら、とっくの昔にストレスで死んでいただろう。
「…何とか解散させろ。このままではまた日本帝国の大使から苦情が来る…」
不買運動で日本製品の売上は減少しており、更には過激な思想を持つ者達が日本製品の代理店を襲撃し、商品の略奪や店を放火、店主を殺害する事件まで起きている。
代理店の店主はリディア王国人なので日本帝国側としては大して問題ではないのだが、身の危険を感じて辞める店主や店員が続出しているため、一刻も早く日本製品へのバッシングを止めさせようと、日本帝国は何度となくリディア王国に要請(実質命令)をしている。
「多少の怪我人や死人はやむを得ん。軍を投入してでも解散させるのだ」
「かしこまりました」
国王の命令に臣下は礼をした後、執務室から退出した。
「……はぁ~~…」
臣下が退出したのを確認し、国王は大きくため息を吐く。
10年程前に日本製品によって失業した元職人達が起こした不買運動は、今に比べると遥かに規模は小さく、ほとんど注目もされなかった。
しかし、年を追う事にその規模は拡大していき、今ではリディア王国中に拡大している。
勿論、リディア王国としても日本製品は大事な税収源でもあるので、大規模なデモなどが起きればその都度鎮圧して来た。しかし、運動はまるで収まらず、逆に過激化の傾向にあって代理店への直接的な暴力や略奪が横行している。
リーダーと思わしき者を捕らえて公開処刑しても、また直ぐに新たなリーダーが現れて逆に規模が拡大する。最早、国王はどうしたら良いのかが分からなかった。
「…このままでは、日本帝国が市場から撤退してしまう…」
不買運動によって売上が落ち、過激派の行動で次々と代理店が閉店に追い込まれているため、日本帝国側も新たな出店などを控えている。
また、日本大使が日本製品の排斥を止めさせるよう要請(命令)した際に、「このままではリディア王国の市場から撤退する事になりかねない」と脅しもかけていた。
「日本製品が市場から消えてしまえば……税収は激減して国が立ち行かなくなってしまう。
貴族達は優雅な生活を維持するために増税をかけ、そのせいで平民達の購買意欲が減少して更に税収は落ち、そして穴埋めのためにまた増税をかける…」
正に最悪な負のスパイラルであり、その様子を想像したのか国王は震える。
全ての貴族が税収が減ったからと言って増税をする訳ではないのだが、日本製品によって膨大な税収が入る事が当たり前になり、贅沢三昧に慣れた多くの貴族達が今更質素な生活など送れる筈もない。
「……いや、そもそも日本製品が撤退すれば、市場に並ぶ商品自体が無くなるか。何しろ……我が国の産業は壊滅状態だからな…」
国王は自嘲するかのような笑みを浮かべる。
日本製品に対する関税を撤廃してから20年。
安価で高品質な日本製品によって、リディア王国の市場は完全に独占されていた。必然的に国産製品の売上は激減し、商品が売れなくなった商店や工場は倒産に追い込まれ、大量の職人が失業に追い込まれた。
勿論、リディア王国の職人も何とか日本製品に勝つべく懸命に努力をしたものの、機械で大量に生産する近代式の日本製品に太刀打ち出来る筈もなく、次々と廃業に追い込まれていく。イギリスの機械織りにインドの縫製業が潰されたように、やがてリディア王国の職人達は諦めていく。
オマケに、日本帝国は衣類だけではなく、日用品から家具、食品、嗜好品、貴金属、宝石、雑貨などなど、ありとあらゆる商品を販売しているため、リディア王国の産業全般が崩壊していた。(無事なのはマジックアイテムぐらい)
そんな事が20年も続けば当然リディア王国の産業は壊滅状態であり、市場に並ぶ9割以上の商品が日本製品だ。
そのため、もし日本製品がリディア王国から撤退すれば市場には商品が並ばなくなり、平民はおろか貴族や王族まで、何も買えなくなってしまう。
「…そうなればリディア王国は終わりだ。産業を復活させるまでに何十年とかかるだろう。
…列強国から一気に後進国に転落だな…」
最早何が可笑しいのか分からないが、国王は笑う。あまりにも絶望的な未来に、笑うしかないのだ。
もしもそんな事になればリディア王国は産業を求めて属国に攻め込む事になり、最悪、日本帝国にも戦争を仕掛ける事になりかねない。
正に、リディア王国の終わりだった。
即位以来、良いニュースなど何一つ無く、ひたすら日本製品への排斥運動と日本帝国からの圧力に板挟みになり、国王の心労は溜まる一方だった。
日常的に治療魔法やポーションを多用しているおかげで、健康面においては問題無いのだが、ストレスのためか元々は端正だったその顔も、父親のように実年齢より老けて見えるようになっていたのだった。




