29 秘密協定
日本帝国の参戦を取り付けるべく、リディア王国はロードスの日本大使館へ特使を派遣した。
大使館の応接室には駐リ日本帝国大使と、リディア王国王女であるシルヴィアが対面していた。シルヴィアが特使として任命されたのは、日本帝国への参戦要求の発案者であり、自ら志願したためだ。
最悪、日本帝国の参戦の取り付けに失敗しても良いとは言え、確実な勝利を得るためや国内貴族の抑え込みには日本帝国の参戦は必要不可欠なので、最も日本帝国についての知識があるだろうシルヴィアが任命されたのだ。
「…お久しぶりですシルヴィア殿下。租借料の支払いや銃の供与以来ですね」
「…あの時は世話になった」
などなど、とりあえず互いに挨拶をし合い、当たり障りの無い会話をする。一見すると無駄にしか見えないのだが、一応様式美としてある程度の挨拶は欠かせないのだ。
「それで…本日はどういったご用件でしょうか?」
諜報活動や本国からの報告によって、リディア王国が日本帝国に参戦を求めている事などとっくのとうに知っているのだが、それでも大使は何食わぬ顔で尋ねた。
「…貴国も既にご存知の事と思うが、近々我が国とメディア王国は戦争になるだろう」
「そのようですね」
現代と違い、徴兵や物資の運搬など戦争準備にはかなりの時間がかかるので、隠す事など到底不可能。そのため、両国とも大々的に準備している。
「もしもメディア王国との戦争に発展した暁には……是非とも貴国には我が国に参戦して欲しいのだ」
もしもとは言っているが、戦争になるのは既に決定事項。時間が経てば経つ程新式銃の購入や開発でメディア王国の戦力が上がりかねないので、リディア王国としては今すぐ開戦したいのだ。
「…ほぉ、貴国への参戦…ですか…」
分かっていた癖に大使は勿体ぶる。
日本帝国としてもパンゲア世界に大々的に進出する大義名分が欲しかったので、本心としては1も2もなく飛び付きたいのだが、それではあまりにもがっつき過ぎて足元を見られかねない。
日本帝国側のスタンスとしては、リディア王国が求めるから仕方なく承諾したというのが好ましい。それも、自国に有利な条件で。
「貴国の銃を大量に導入した我が国単独でも、メディア王国に勝利出来ると確信している。しかし、貴国が参戦してくれるならより確実に…そしてより圧倒的な勝利を望めるだろう」
シルヴィアも相手が何を望んでいるのかを理解しているので、日本帝国の思惑に乗る。
日本製の銃を導入した事で勝利出来る事や、日本帝国が参戦すれば圧勝出来るなど、とにかく日本帝国を持ち上げた。
「それに……もし参戦してくれるのなら貴国の要望は最大限叶えよう」
そして、相手が最も言って欲しいだろう事をシルヴィアは言った。
いや、言ってしまった。
「…ほぉ、我が国の要望をですか…」
その一言を聞いて、大使はニヤッと笑う。言質を取ったからだ。
その何とも薄気味が悪い笑顔を見て、シルヴィアは慌てて保険をかける。
「も、勿論、我が国に可能な範囲に限る…」
これこれがリディア王国側が最も恐れている事だ。
日本帝国に参戦しては貰いたいが、代わりに何を要求されるかが分からない。通商条約締結時にとんでもない不平等条約どころか、一定期間とは言え領土を求めて来た国だ。
リディア王国側でもどんな要求をしてくるのか話し合われたが、何せ日本帝国にはパンゲア世界の常識が一切通用しないので、予測のしようがない。
「ご安心を…貴国にとって(・・・・・・)無理な要求は致しません」
「…心遣い、痛み入る」
言葉だけを見れば有難いのだが、相変わらず薄気味悪い笑みを浮かべているのでシルヴィアは警戒を解かない。
貴国にとって、という言葉に引っかかったのだ。
「我が国が求めるのは戦後処理についてです」
「戦後…? まだ始まってすらいないが?」
「そうですね。それが何か?」
大使のそれが何か発言に、シルヴィアは戦慄した。幾らある程度勝負が見えているとは言え、いきなり戦後についてを話し合うとは思いもしなかったからだ。
確かにリディア王国でも戦後についての話し合いはあったが、あくまでジョークの域を出ないモノで、精々が「こうだったら良いな」程度の希望に過ぎなかった。
しかし、日本帝国は参戦の対価として真面目に言って来たのだ。この認識の差はあまりにも大きい。
てっきりロードスを租借地から正式に日本帝国の領土にする程度だろうと考えていたので、シルヴィアは思わず絶句してしまった。
「……そ、それで…戦後処理の条件とは…?」
「はい、先ずは貴国の取り分ですが、戦勝の暁には戦争の原因となる魔石鉱山地帯を与えます」
「…………」
与えるという、あからさまな程に上から目線だが、唇を噛み締めながらシルヴィアは耐える。現代と違い、力こそが全てであるパンゲア世界では強者の言い分が正しいからだ。
(…目的の鉱山を手に入れられるのだから良しとしよう…)
攻め込むための言いがかりに使った鉱山だが、実際に良質な魔石を産出する鉱山をリディア王国は欲していた。
そのため、戦勝の暁には鉱山一帯を自国の領土に組み込むつもりだったので、大使の言葉にシルヴィアはホッとした。
「そして、次に我が国の取り分ですが…」
シルヴィアはゴクッと唾を飲み込みながら大使の言葉に集中した。
「…それ以外の全てです」
「……それ、以外…?」
予想どころか考えてすらいなかった言葉に、シルヴィアはただ言い返す。
「はい、魔石鉱山一帯を除くメディア王国全土、並びに、メディア王国側に付くだろう国々。そして、北部の未開拓地とロードスの正式領有です」
「………………は?」
生まれて初めてであろう。シルヴィアは頭が真っ白になった。
生まれながらにして聡明で、常に冷静さを忘れないシルヴィアは思考停止に陥った経験が無い。日本帝国の大艦隊を見た時ですら、驚愕しながらも戦力を分析するなど様々な事を思考し、結果、日本帝国には勝てないと判断した。
しかし、今回は考える事すら出来なかった。いや、考える事を放棄してしてしまった。
あまりにも信じられない言葉に、脳が拒否したからだ。
「…………い、今……何と…言ったのだ……?」
ほとんどかすれながら、シルヴィアは尋ねた。
自分の聞き違いであって欲しい。そうでなければ冗談だと笑って欲しい、とシルヴィアは心の中で祈った。
「ですから、簡単に言えば貴国の取り分である鉱山一帯と、貴国や貴国の味方だろう小国を除いた、アバロニア大陸の全てが欲しいのです」
しかし、シルヴィアの祈りは無惨にも無視された。
それも、最悪な形で。
「…何だその条件はっ!? 貴様ふざけているのかっっ!!?」
今までの鬱憤が爆発したのだろう。常に冷静沈着で言葉を選ぶシルヴィアが、大使と自分を隔てる高価な机を力一杯叩きながら、ただ思ったままに罵声を浴びせる。
我を失うという、先程の思考停止に続いて初めての経験だった。
「ふざけているとは心外ですね。我が国を侮辱するおつもりか?」
そんなシルヴィアの様子にも大使は顔色1つ変える事なく、反論する。日本帝国にとってはお馴染みの反応だからだ。
「これをふざけていると言わずに何とするっ!! ロードスやメディア王国だけに飽きたらず、その属国や北部の広大な未開拓地まで寄越せだとっ!?
どこまで強欲なのだっ!?」
怒り心頭に発したシルヴィアは、普段では考えられない程に感情を剥き出しにして叫ぶ。
殺気を全開にして、正に視線で殺さんとばかりに大使をにらみ付けるが、大使は全く気にせずに続ける。
「強欲とは何事ですか、我が国は正当な報酬を要求しているだけです」
「正当!? これのどこが正当だっ!!
百歩譲ってロードスやメディア王国だけならまだしも、属国に加えて広大な未開拓地まで寄越せという、過大要求のどこが正当なのだっっ!!?」
自国が良質な魔石を産出するとは言え、たかだか鉱山地帯の領有権だというのに、日本帝国はそれ以外の全てを持って行こうとするのだ。
到底受け入れられる筈がなかった。
その後も、シルヴィアは思い付く限りの罵声を浴びせる。
いい加減冷静になっても良い頃なのだが、絶妙なタイミングで大使が挑発的な事を言うので、中々怒りの炎が消えないのだ。
…しかし、終わりは突然現れた。
「そこまでご不満ならこの条件を飲んで頂かなくとも結構……我が国としてはどちらでも(・・・・・)良いのですから」
「?…………っっ!!!!」
大使の言葉に最初は疑問を覚えたものの、その真意に気付いたシルヴィアは驚愕し、そして絶句した。
大使のどちらでも良いとは、リディア王国が条件を飲もうが飲まないが日本帝国は参戦し、欲しいモノを得るという事だ。
条件を飲んでの参戦ならば、メディア王国やその属国、未開拓地は日本帝国に取られるも、以前から欲していた魔石鉱山一帯をリディア王国は得られる。
しかし条件を飲まずに参戦ならば、魔石鉱山どころかそれを契機に日本帝国との戦争に発展し、リディア王国が滅ぶ可能性が高い。
日本帝国からして見ればリディア王国が条件を飲もうが飲まないがどちらでも良いのに対し、リディア王国からして見れば条件を飲まなければ国が滅ぶ。
それに先程までの激しい口論でも、我を忘れたシルヴィアはかなり挑発的な発言をしていた。宣戦布告理由としては若干弱いながらも、それを口実にリディア王国を攻めるという手段も取れる。
つまり、リディア王国は完全に八方塞がりだった。
「…これが狙いだったのか!?」
ようやく冷静に戻ったシルヴィアは、己の愚かさを呪う。
「? 狙いとは何がですか?」
何の事か分からないと言わんばかりに大使は首を傾げる。しかし、先程までの完璧な演技に比べ、今のリアクションはあからさまにわざとらしかった。
その証拠に、大使の顔は半笑いだ。
「くっ……!!」
悔しげにシルヴィアは顔をしかめる。そして、自分自身のあまりの情けなさに涙さえ浮かべた。
幾ら挑発されたとは言え、先程までの自分はあまりにも軽率だった。宣戦布告理由には弱いとは言え、口実になる事を与えてしまったのだ。
常日頃から日本帝国との戦争回避を訴え、時には嫌われ役を買って出る事さえした自分自身が戦争の引き金になってしまったのだ、泣きたくもなるだろう。
「…それで、どうされるのですか?」
一般的な人間なら美女が涙を浮かべていたら、慰めの言葉をかけたり、多少の情けをかけようかと思うのだろうが、外交の場では何ら意味が無い。
シルヴィアが精神的に弱っていると判断し、大使は決断を迫る。人としては最低な行為だが、国益を守らなければならない外交官にとっては満点だった。
「……我が国としては、戦勝後にメディア王国に戦費などの賠償金を請求したいのだが…」
心情的にはさっさと承諾して終わらせたかったが、シルヴィアもまた自国の国益のために続ける。
「残念ですが、戦後にはメディア王国は我が国が併合し、消滅する予定です」
国が滅べば全てがチャラ。敗戦によって大日本帝国が消滅し、莫大な国債や軍票を帳消しにしたのと同じだ。
「……では…貴国が代わりに支払ってくれないか…?」
一縷の望みを賭けてシルヴィアは涙目で懇願するも、外交の場では無意味だった。
「何故我が国がリディア王国の戦費を補填しなければならない?」
遂には敬語すら止め、大使はシルヴィアを睨み付ける。
その構図は正に圧倒的強者と弱者を現すモノで、睨み付けられたシルヴィアはガックリと肩を落とす。
何度も言うように、弱肉強食の時代では強者こそが正しく、弱者が間違っているのだ。
こうして、リディア王国が折れて日本帝国の条件を全面的に飲んだ事で、日本帝国とリディア王国の間に秘密協定が結ばれた。
全てが思い通りになった日本帝国は大満足だったが、期待していた賠償金が得られないと分かったリディア王国側にとっては大いに不満が残った。
戦勝の暁には戦費の補填は勿論の事、莫大な賠償金を請求して国庫を大いに潤そうと思っていただけに、それが叶わないと分かったので一気にやる気を失った。
しかし、だからと言って開戦しなければ、日本帝国の機嫌を大いに損ねるのでやらない訳にもいかない。それに、既に徴兵をかけて軍勢を編成してしまったので、今更ここで止めれば徴兵にかかった費用が無駄になってしまい、大赤字なので開戦は避けられない。
期待していた賠償金は得られず、更には貴重な収入源だったロードスさえ失ってしまうのだ。
リディア王国にとっては損ばかりの戦争になるのだった。




