19 来航
「フッ……ハァッ…!」
イリオス総督であり、リディア王国王女でもあるシルヴィア・エル・リトニウスは、日課の鍛錬を行なっていた。
総督府内にある練兵所にて、シャドーボクシングのように空想の敵に向けて一心不乱に剣を振るう。
体にフィットした白い服を着た、見目麗しい女性が剣を振るう様は非常に絵になるが、その剣の速度は凄まじく、素人目に見ても王族のお座敷剣術には見えない。
彼女の服装は鍛錬のために動きやすく、機能性を追求しているので装飾の類いは無い。握っている剣も細身で一見すると王族や貴族が持っている実用性の薄い剣に見えるが、実際は非常に頑丈で、実戦にて敵の鎧を貫通させた経験もある。
シルヴィアは王女ながら幼少の頃から軍事教練に明け暮れ、才能もあってか剣術の腕は勿論、銃においてもリディア王国で有数の腕を持つ。
指揮能力も高く、実戦経験も豊富で数多くの勝利をもたらした事から、味方からは勝利の女神と称えられ、敵方からは魔女として恐れられている程の女傑だ。
父である国王からも「お前は生まれる性別を間違えたのでは?」と言わせる程に有能で、更には政治においても明るいのでリディア王国でも重要な拠点である貿易都市、イリオスの総督に任命されたのだ。
もしも彼女が女ではなく男として生まれていたならば、まず間違いなく兄である王子を飛び越え、王位継承第1位となっていただろう。それほどまでにシルヴィアは優秀であり、大きなネームバリューも持っているのだ。
そんなシルヴィアが何時も通り日課の鍛錬をしていると、そこに1人の男が大慌てで駆け込んで来た。
「緊急事態ですっ!! シルヴィア様っ!!」
その男は哨戒部隊の隊長で、肩を大きく上下させながら大声で伝える。
普段ならば貴族らしく、何か急ぎの用事があっても優雅さを忘れずにいる男が、一切の余裕も見せずに必死に伝えて来る様を見たシルヴィアは、とんでもない問題が起きたのだと悟った。
「…何が起きたのだ?」
シルヴィアは剣を鞘に仕舞い、真剣に聞く体制を取る。
「イリオス近海にて国籍不明の船団を発見!! 50隻以上もの鉄の軍艦で形成された大艦隊が、現在イリオスに接近しています!!」
国籍不明も気になったが、鉄の軍艦という意味不明な単語に疑問を持ったシルヴィアは再度尋ねた。
「…鉄の軍艦…とはどういう意味なのだ? 鉄の装甲でも張り付けているのか?」
パンゲア世界の常識しか知らないシルヴィアにとって、鉄の軍艦と言われても想像しにくい。
銃弾や矢を弾くために薄い鉄板を張り付けた帆船を思い浮かべるのが精一杯だ。
「…いえ、鉄の装甲を張り付けているのではありません。
船自体が鉄で出来ているのです!」
「…………」
荒唐無稽な答えにシルヴィアは固まる。
もしかして自分を謀っているのかと疑問が湧くが、目の前の男の顔はふざけていたり演技をしている顔ではなく、真剣そのモノ。そもそも、シルヴィアを騙す気ならもう少し現実味のある事を言うだろう。
「……鉄で出来た船…だと?」
騙す気は無いと分かっていても、やっぱり信じられない。20年以上に渡って暮らしてきた常識に当てはめれば、あり得ないからだ。
そもそも船1隻分の鉄を用意するだけでも大変な手間だろうし、用意出来たとしても鉄で出来た船が浮くなど到底信じられない。
製鉄技術が未熟なパンゲア世界では鉄は貴重品であるため、何千トンもの鉄をいずれ沈む船に使うなど狂気の沙汰だ。そんなに鉄があるのなら銃や大砲、鎧などを作った方が遥かに有意義な使い方だろう。
「はい! 更に言うなら、その鉄の船には帆がありませんでした!」
「………………」
シルヴィアは何かを堪えるように目頭を押さえながら、再び沈黙する。。鉄で出来た船というだけでも眉唾物だというのに、そこに帆が無い船などと言われた日には頭が痛くなる。
もしもシルヴィアが凡人だったなら一笑に伏して終わるのだが、残念な事に彼女は優秀なので戯れ言と切り捨てる事が出来ず、会話を続ける。
「……帆が、無い……それは真の事なのか?」
胡散臭げな視線を向けるシルヴィアに、男は自信満々に言い放つ。
「間違いありません。私の他、何名もの哨戒部隊の隊員が目撃しております」
鉄の軍艦で形成された大艦隊という、とてつもなく恐ろしいモノから逃げ帰ったアルフレッドは、急いで哨戒部隊の隊長に報告した。
しかし案の定、アルフレッドの報告を誰も信じなかった。それはそうだろう、木造帆船が当たり前の世界に帆が無い鉄の船が現れたと言われても、普通の者なら到底信じない。
現代世界で言うなら「宇宙人が攻めてきた」に匹敵する程に胡散臭い事であり、むしろ正気を疑われる。
しかしそれでも、アルフレッドは懸命に説得し、何とか数名の同僚と上司を引きずり出す事に成功した。
もしこれで何も無かったのならアルフレッドは何らかの処罰を覚悟しなければならなかったが、幸運と言うべきなのかその心配はいらなかった。
大艦隊は変わらず存在し、むしろ、説得に時間がかかったために先程よりもイリオスに接近していた。
初めて大艦隊を見た同僚や上司は、鉄で出来て帆が無い船に唖然としていたが、大小様々な鉄の船による50隻以上もの大艦隊を見ると皆一様に顔色を真っ青にした。
大きな船ではまるで島かと見間違える程に巨大な船体で、舷側には巨大な砲が幾つも突き出している。小さな船も沢山いるのだが、それでもリディア王国で最も大きい一等戦列艦より遥かに大きい。
彼等は一目しただけで、リディア王国中の軍艦をかき集めてもこの艦隊には勝てないと理解した。
そしてアルフレッド同様に逃げ帰るように帰還し、急いでイリオス総督であるシルヴィアに報告したのが現状だ。
「ふむ……」
未だ信憑性は薄いが、目の前の男は自信満々に断言し、嘘をついているようには見えない。
一笑に伏して無視する事も出来るが、もし万が一本当だった場合には対応が遅れ、とんでもない不利益を被る可能性も否定出来ない。
「……分かった。先ずはその艦隊を出迎える準備をしよう。入港目的どころか国名すら分からぬからな。
臨検は出来なかったのか?」
「……お恥ずかしながら…あまりの艦容に、一目しただけで逃げ帰って来た所存です…」
「……そうか」
国名すら確認せずに逃げ帰って来たなど哨戒部隊としてはあるまじき行為だが、その相手の姿を見ていない自分が頭ごなしに叱責してもしょうがない。
(とりあえずはその“鉄の艦隊”とやらを見てから判断するとしよう)
そう判断したシルヴィアは急ぎ総督府に帰り、総督として相応しい服に着替える事にしたのだった。
「…なっ……何なんだ、あれは…?」
軽く汗を流してから総督に相応しい服に着替え、近衛部隊を率いてシルヴィアが港に向かうと、港は大騒ぎになっていた。
イリオスの港では喫水が浅すぎて近付けば座礁してしまうので、イリオス派遣艦隊は港からそこそこ離れた海域に停止していた。
しかし、その巨大過ぎる船体のためにそこそこ距離が離れた港からでもハッキリと見えるため、その艦容を見たパンゲア世界の住人達はパニックになる。
何しろ船体が鉄で出来ていて帆も無しに進むだけでも、パンゲア世界の住人にとっては天地が引っくり返る程の驚愕だというのに、更には今まで自分達が最大最強だと思っていた一等戦列艦が、まるで小舟に見える程に巨大な船が何隻もいるのだ。
パンゲア世界の住人にとっては神話の艦隊に見えただろう。
更には、ボォォオォォオォォッッ!! っと、時折何隻もの船が汽笛を鳴らしているのだ。
汽笛を聞き慣れている日本人にとっては「うるさい」程度の感想しか持たないが、汽笛の存在すら知らないパンゲア世界の住人にとっては「巨大なモンスターの咆哮」に聞こえてしまうため、黒船を初めて見た江戸時代の日本人のように大パニックになる。
シルヴィアや近衛部隊は、日頃の厳しい訓練やシルヴィアの指揮能力の高さからパニックにはならなかったが、それでも見たことも無い巨大な船や数に圧倒され、汽笛が鳴るとビクッと怯えた。
「……何なんだ…あれは…?」
同じ疑問を投げ掛けるが、誰も答えてくれない。誰もが同じ疑問を抱いているからだ。
あまりの出来事にシルヴィア達がしばし呆然としていると、甲板が平らで巨大な船から何かが飛んで来た。
「…ん……何だあれは? ……新種の飛龍か?」
その飛龍らしき物体は白い体をしていて、羽を激しく回転させながら飛んでくる。
ヘリコプターの存在など知らないパンゲア世界の住人にとっては、新種の飛龍に見えるのだ。
「…それにしても、あの飛龍にはどうやって人が乗るのだ?
上の部分には高速で回転する羽? があって危険だし、尻尾の部分は細くて人が乗れるとは思えん…」
少しでも良いから未知の物体の情報を得ようとシルヴィアは懸命に考えるが、何一つ分からない。そもそもヘリコプターを生物と考える事自体が間違いなのだが、実用的な蒸気機関が存在しないパンゲア世界では無生物が空を飛ぶなどあり得ないので仕方ない。
非常に有能なシルヴィアをしても、自らの常識の外にあるモノなど分かる筈がなかった。
そうこうしている内に飛龍は港の上空に着き、けたたましい音を鳴らしながら降下し、シルヴィア達から少し離れた地点に着陸した。
シルヴィア達パンゲア世界の住人からして見れば、誰も騎乗していない飛龍だけを何故着陸させたのかが理解出来ないが、とりあえずは今も羽を回転させながら凄まじい風と音を出している飛龍に、シルヴィアは近衛部隊を引き連れて近付く。
すると、シルヴィア達が近付いてくる事を確認したヘリコプターはエンジンを切り、そしてドアを開けて搭乗員達が降りて来た。
シルヴィア達からして見れば突然飛龍の腹がスライドし、中から人が出てきたのだからかなりの驚愕モノだ。近衛部隊の中には驚きの声を上げた者もいたが、シルヴィアはこれから始まるだろう交渉のために毅然とした態度のまま近付く。
飛龍から降りてきた者達の服装は非常に豪華な装飾が施され、見るからにかなりの高位の貴族達だ。
相手が神や悪魔ではなく人間だという事に内心安堵しながら、毅然とした態度のまま歓迎の言葉を告げる。
「ようこそイリオスへ。
私はイリオス総督兼リディア王国王女である、シルヴィア・エル・リトニウスだ。貴殿達を歓迎しよう」
とりあえず相手が貴族らしいので、いきなり質問などせずに先ずは軽く挨拶をした。
「これはこれは、王女殿下直々の歓迎とは恐れ入ります。
私は日本帝国特命全権大使、黒崎誠也と申します」
シルヴィアの挨拶に、黒崎は貴族らしい作法をしながら挨拶し返す。
「ほぅ、日本帝国とな……失礼、不勉強なのか聞かない名だな」
「それはそうでしょう。我が国はこの大陸より海を越えて遥か東にある、別の大陸の国ですから」
「海を越え…という事は、パンゲアの外にその大陸はあるのか?」
「はい、この海の遥か先に存在します」
外海に別の大陸があるなど聞いたことも無いので近衛の中には黒崎達を胡散臭さ気に見る者もいるが、当のシルヴィアはこのような鉄の船や変わった飛龍を見たことも聞いたことも無いので、あり得ると考えた。
そしてパンゲア世界の船では横断するのは不可能な外海を、このような大艦隊で横断してきた日本帝国の技術レベルは、パンゲア世界より遥かに高いのだろうと理解した。
黒崎の他に視線を向けて見ると、豪華な軍服を着た護衛らしき軍人が立っている。それぞれがパンゲア世界では見たことが無い銃を持っていて、騎兵用だからか切り詰めてあってかなり短い。
他にもあの飛龍や鉄の船などなど、様々な事について質問があるが、それよりも来航の目的を尋ねるのが先なので視線を黒崎に戻し、シルヴィアは尋ねた。
「…それで大使殿。イリオスへの入港目的をお聞きしたい。
それも、こんな大艦隊で…」
沖にいるとは言え、その巨大な船体や大砲に威圧される。現に、艦隊を見るイリオスの住人の表情は恐怖に染まっている。
シルヴィアの非難するような視線にも、全く気にしていないのか黒崎は朗らかに笑いながら答える。
「いやぁ、我が国がパンゲアの国に訪問するのは初めてで、ついつい舞い上がってしまいまして」
何でも無いように黒崎は笑って答えるが、その真意は明白だ。
自分達の船より遥かに巨大な軍艦を50隻以上も引き連れての入港、誰がどう見ても威圧目的の砲艦外交だ。
パンゲア世界においても砲艦外交は普通に行われていて、列強国が中小国や後進国相手に一等戦列艦など巨大な船を見せ付け、自国に有利な条件を得ようとする。
リディア王国は列強国なので今までは脅す側だったのに、今では脅される側に立っていた。
「…………」
黒崎の言葉にシルヴィアは無言で返す。
相手が格下、もしくは同程度だったなら嫌味の1つも言えるが、明らかに相手は自国よりも格上。まだ詳細が何も分からないので判断しにくいが、少なくとも造船技術においては遥か上だと確信出来ていた。
シルヴィアが沈黙した事で場の空気が若干重くなったが、黒崎は全く気に止めずに本題に入る。
「我々がこのイリオスに来航した目的とは、我が日本帝国皇帝陛下の親書と献上品を、リディア王国国王陛下にお渡し、通商条約締結についての交渉を行う事です」
「…ほぅ、つまり我が国との国交を結びたいと?」
「まさしくその通りです」
黒崎は笑顔のままだが、シルヴィアの顔色は優れない。
何しろ砲艦外交をしに来た国と国交や通商条約を結ぶのだ、どんな条件を突き付けられるか分かったものじゃない。
オマケにその相手が自国より格上の可能性が高いのだ、もしも交渉が決裂でもすれば戦争に発展し、最悪国が滅ぼされる可能性すらあるのだ。
「…して、その親書とは?」
「親書はここにありますが……直接国王陛下にお渡しするよう命じられています」
黒崎は黒い革製のブリーフケースを僅かに掲げた。
「そうか…」
国王に渡す前に中身を見ておきたかったが、パンゲア世界でも親書は直接相手国の君主に渡すケースが一般的なので文句は言えない。
「…ですが、献上品につきましては我々が王都に着く前に国王陛下にお渡し願えますか?
その方が我が国についてより理解して下さると思うので」
ニコッと黒崎は笑顔で言うが、シルヴィアは何故かその笑顔に薄ら寒い感覚を覚えた。まるで、罠に引っかかったかのような何かを。
「り、了承した。我々が責任を持って陛下の元へお届けしよう。
それで…中身は何かな? 物によっては運送方法に気を付けねばならないのでな…」
若干つっかえながらも、毅然とした態度は変えずに中身を尋ねる。
「そんなに輸送に気を付ける必要はありません。中身は銃ですから」
「銃…かね?」
「えぇ、我が国自信作の銃です。きっと国王陛下もお気に召すでしょう」
自信満々に黒崎は言い放つ。
何しろ中身はボルトアクション式ライフルの九九式小銃と、ダブルアクション式リボルバーのS&W M1917だ。
パンゲア世界の工業レベルでは生産不可能であり、そんな銃を大量に生産出来る国とやり合っても勝ち目は無い事は、子供にでも理解出来る。
つまり、献上品が国王の手に渡ってしまえば、直に大艦隊を見ていない国王にも間接的だが国力差を見せ付ける事が出来るのだ。
「そうか……で、その献上品はどこにあるのだ?」
黒崎は勿論、誰も献上品らしい箱を持っていないのでシルヴィアは尋ねた。まさか献上品をそのまま剥き出しで渡す筈が無いので、それなりに豪華な箱なり包みを探すが、誰も持っていない。
「あぁ、間もなく来ますよ」
「間もなく、来る…?」
黒崎が艦隊の方を向き、確認するように言う。
またあの飛龍が来るのかとシルヴィアも艦隊の方を向くも、その予想は外れた。
確かに何かがこちらに向かって来ている。しかしその何かは空を飛んではいない、水上を走っていた。
その何かを知っている者ならエアクッション艇とたちまちの内に分かるが、そんな物など知らないシルヴィアやパンゲア世界の住人にとっては、高速で水上を走る何かとしか分からない。
「な、何なんだ…あれは…?」
シルヴィアの疑問は黒崎にも届いていたが、黒崎は聞こえない振りをする。
別に教えても構わないのだが、わざわざ教えて上げる義理が無いのと、目を白黒とさせながら唖然とする美女を眺めたかったからだ。
エアクッション艇は浜辺へと上陸すると、エアーを調整して船体を下げ、タラップを下ろして中身を揚陸させる。
本来なら車両なり荷物を揚陸させるのだが、今回エアクッション艇から吐き出されたのは馬車だ。それもただの馬車ではなく、8頭立ての豪華な大型馬車と荷物運搬用の6頭立ての馬車。それと護衛兼儀仗兵として30騎の騎兵隊だ。
「「…………」」
黒崎とシルヴィアは同じように沈黙していたが、それぞれ沈黙の意味が違った。
黒崎が沈黙した意味は、エアクッション艇の中から出てきたのが馬車という違和感からだ。
(これが王都までの足なのか…)
と、内心ため息を吐く。
黒崎としてはオフロード仕様の特別車両か、いっそのことヘリでそのまま王都まで行きたかったのだが、そうは問屋が卸さなかった。
移動速度や居住性を考えれば車かヘリの方が断然良いが、王都に車で乗り入れれば見たことも無い物体にかなりの高確率でパニック起きかねない。それに、ヘリで王都に入れば哨戒部隊の飛龍隊に追いかけられ、最悪撃墜されかねないからだ。
そのため、パンゲア世界でもお馴染みの馬車を使う他無かったのだ。
一方、シルヴィアが沈黙していた理由は、馬車や騎馬隊の豪華さだ。
馬車は乗り手の裕福さを表す一種のバロメーターであるので、王族は勿論、どの貴族も外観や内装にとてもこだわる。あまり派手な装飾を好まないシルヴィアにしても、自らの権威付けのために外観にはとてもこだわっているぐらいだ。
しかし、水上を走る何か(エアクッション艇)から出てきた馬車は、そんな自分達パンゲア世界の王族や貴族の張り合いなど無意味と言わんばかりの、豪華な馬車だった。
車体から車輪に至る細部にまで装飾が施されていて、様々な幻獣と思わしき(東洋龍や不死鳥など)彫刻が施されていて、そして下品にならない程度に全体的に金や銀で装飾されている。
動く芸術品と言っても過言でない程に完璧で、もし買うとするなら豪邸が建つ程の大金になる事は誰の目にも明白だ。
それに、大使が乗る馬車だけではなく、荷物運搬用の馬車にまで素晴らしい彫刻や装飾が施されていた。
流石に大使用の馬車には劣るが、パンゲア世界の基準で言えば列強国の王族の馬車と言っても十分通用する程に、豪華な馬車なのだ。
騎兵隊の装備も、上級貴族が着るような様々な刺繍や装飾が施された儀仗用の物で、銃や剣も実用性よりも装飾性を重視しているので最早美術品に近い。
ちなみに騎兵隊が所持している武器は九九式短小銃、S&W M1917、サーベルで、万が一殺されて装備品が鹵獲されても問題無いようにしてある。
このように、2人とも同じように沈黙しているが、考えている事はまるで正反対だった。
黒崎はただ単純に面倒がっているだけだが、一方でシルヴィアは恐怖していた。
何故恐怖するのかと言うと、国力の差をようやく思い知ったからだ。
今までも鉄の船の大艦隊や新種の飛龍、水上を走る何か(エアクッション艇)などなど、パンゲア世界では考えられないようなとてつもない物を散々見せ付けられて来たが、いまいちピンと来ていなかった。
大量の鉄を用意出来る事やとてつもなく高い技術力を持つなど、日本帝国がパンゲア世界の国々より遥かに凄い事は理解はしていたが、あまりにもパンゲア世界の常識とかけ離れ過ぎていて現実感がなかった。そのためどんなに凄いモノを見せ付けらても、恐怖はあまり感じなかった。
しかし、馬車というパンゲア世界でもお馴染みの物で力量差を見せ付けられた事で、シルヴィアはハッキリと格の違いを思い知ったのだった。
「…どうかなさいましたか?」
表情や仕草など、僅かな揺らぎからシルヴィアの心境の変化を察知した黒崎は、さも心配していますと言わんばかりの顔をしながら尋ねた。
「い、いえ……素晴らしい馬車だと見惚れていまして…」
咄嗟に聞かれたからか、シルヴィアは丁寧な口調で答えた。格の違いを思い知った事で無意識に出てしまったのだ。
勿論黒崎はその口調の変化を見逃さず、表情は先程同様に心配したまま変えないが、内心では狙い通りに進んでいる事に笑みを浮かべる。
「おぉ、そうでしたか。それはありがとうございます。
…ただ、私の希望していた物ではなかった事が残念でなりません」
「…それは、あの馬車よりも凄い物なのですか?」
「えぇ、あの馬車が10台は軽く買える代物です」
その言葉に、思わずシルヴィアは呆然とする。
パンゲア世界の基準で言えばあの馬車は王族の馬車ですら鼻で笑える程の豪華さで、冗談抜きで豪邸が建つ程の代物だ。そんな馬車が10台以上も買える馬車とは、一体どんな秘宝なんだとシルヴィアは呆れていた。
ちなみに、シルヴィアは勝手に馬車だと勘違いしているが、黒崎が希望していた物とはヘリだ。それもただのヘリではなく、国賓などVIPが乗るような特別仕様のヘリだ。
確かに特別仕様のヘリを買うなら馬車が軽く10台は買えるので、嘘は言っていない。
特別仕様の馬車や荷馬車、騎兵隊が黒崎達の目の前に止まった。
近くに来ると馬車の豪華さがハッキリと見え、所々宝石で装飾されている事も分かる。そのあまりの豪華さにシルヴィアは勿論、近衛部隊や遠目に見ていたイリオスの住人達も釘付けになる。
そんな好奇の視線など見えてないとばかりに無視しながら、黒崎は馬車の中から細長い箱と小さな箱を取り出す。
「この2つの箱が国王陛下への献上品です。
我々が王都に着く前に陛下にお渡し下さい」
黒崎から渡される2つの箱を、シルヴィアは慎重に受け取る。
何しろ箱自体にも美しい彫刻や金や銀、宝石などで装飾が施されていて、まるで国宝かのような雰囲気を醸し出しているのだ。箱だけでも献上品と言っても通用するだろう。
「……確かに、承った」
豪華な物を見すぎて感覚が鈍ったのか、シルヴィアは大して動揺する事なく約束した。
こうして、日本帝国は公式に初めてパンゲア世界の国と接触した。
今後、リディア王国が発展を迎えるのか滅びを迎えるのかは、この後の交渉にかかっているのだった。




