15 魔法の理不尽さ
日本帝国のとある秘密基地の地下室で、ある種の異様な光景が繰り広げられていた。
その地下室はわざわざこのために作られた施設なので、邪魔になる物は一切置いておらずスッキリとしている。分かりやすく言うならば、何も無いのだ。
四方の壁や床は分厚いコンクリートや鉄板で出来ているので非常に頑丈で、例えロケット弾の直撃を受けたとしても耐えられる設計となっている。
そんな無機質な地下室に、2人の男がいた。
服装は日本帝国軍が採用している新型迷彩服で、靴も軍用のブーツを履いている。流石にヘルメットは着用していないが、迷彩服と同じ柄の帽子を着用している。
軍の施設なのだから軍服を着た軍人がいても何ら不思議は無いのだが……強い違和感があった。その違和感の正体とは、2人とも銃ではなく、杖を持っている事だ。
それも歩行補助のための杖ではなく、先端に握りこぶしより一回り小さな透明な宝石が仕込まれた、いかにも魔法使いが持っていそうな杖なのだ。
そんな杖を持っている時点で正気を疑われそうなのだが、更に、2人は杖を構え、何やら呪文らしき長い言葉を唱えている。
冗談混じりや恥ずかし気にやっているならば、ただ単にふざけているか無理矢理やらされているだけとも取れるのだが、2人とも至極真面目な顔で杖を壁に向かって構え、堂々と大きな声で呪文を唱えている。間違っても冗談や無理矢理やらされているようには見えない。
二十歳を越えた良い大人が、まるで夢見る少年のような事をしているこの光景を一般人が見たなら、病院を勧めるか見ない振りをするだろう。
しかし、彼等は頭がおかしい訳でもなければ、ふざけている訳でも無い。
何故なら彼等は魔法が使える兵士、魔術兵だからだ。
その証拠に、2人が長い呪文を唱え終わると、1人の杖の先からはライターの失敗のような火花が飛び散り、もう1人の杖からはオモチャの水鉄砲より弱い水がチョロっと出た。
あまりのショボさに魔法ではなく手品にしか見えないのだが、タネも仕掛けも無いのだから手品では無い。
火花と水が出終わると、再び2人は杖を構え、呪文を唱えて同じ魔法を出す。
何度も何度も同じ事を繰り返していくと、徐々に火花が大きくなってきたり、水の勢いが強くなってくるなどの成長が見えて来た。
初めから2人の魔法の完成形が使えた北郷からして見れば、地を這うがのごとく遅い歩みだが、これが一般的な成長速度なのだ。むしろ、魔法という存在を知って一月程度でここまで成長したのだから大したモノだ。
幾度となく繰り返していると、魔力が切れて来たのか火花や水が弱まり、やがて2人の呼吸が荒くなっていき、遂には杖を下げてしゃがみこむ。
典型的な魔力切れだ。
魔力や魔法の精度を上げる単純な方法は魔法を使いまくる事であり、その事はパンゲア世界でも解明されていたため、魔術師達はひたすら魔法を使い続ける。他にも魔力を上げる方法や精度を上げる方法はあるにはあるが、この方法が最も手っ取り早いからだ。
しかし、あまり効率は良くない。何故なら、よほどの上位の魔術師でなければ直ぐに魔力が切れ、今の2人のように動く事さえロクに出来なくなるからだ。
それに、2人のように安全が確保された状態なら魔力が切れるまで魔法を使い続けても良いが、パンゲア世界ではそうはいかない。
日本帝国とは比べ物にならない程治安が悪いパンゲア世界では、魔力が切れた魔術師など格好の的だ。魔術師は金持ちが多いから襲えば簡単に大金が手に入り、更には魔力が切れているのだから魔法も使えない。護衛を雇っているならある程度は抑止力にはなるが、その護衛が雇い主である魔術師を襲うケースすらある。
オマケに、魔術師は選民思想が強い傾向にあるので普段から傲慢に振る舞い、恨みを買う事が多い。そんな高慢ちきな魔術師が、魔力切れでフラフラ歩いていれば狙って下さいと言っているようなモノだ。
実際、復讐などによって殺される魔術師は少なくない。
そのため、パンゲア世界の魔術師達は最低限度の魔力を残す必要がある。魔法の種類にもよるが、大抵の場合は1、2時間も魔法を使い続ければ魔力が切れるので、ただでさえ少ない訓練時間が更に短くなってしまう。
なので手っ取り早くはあるのだが、極めて効率が悪いのだ。
しかし、この2人にはそれが当てはまらない。
2人は荒い呼吸を整えながら、唯一、この地下室に置いてある物である大型冷蔵庫を開ける。
冷蔵庫の中には赤い液体が詰まった丸底フラスコのようなガラスビンが並んでおり、2人はその中から1つずつ取り出し、蓋を開けて飲んだ。
「……はぁ。相変わらずヒデェ味だな…」
火花を出していた魔術兵、瀬川は顔をしかめながら言う。
「…まぁ、薬だから仕方ない」
水を出していた魔術兵、南川も同意だと頷きながら、2人とも再び赤い液体を飲み始める。
2人が飲んでいるのは魔法ポーション、それも上位魔法ポーションだ。
2人はこの地下室で魔法を使い続け、魔力が切れれば魔法ポーションを飲んで魔力を回復させ、再び魔力が切れるまで魔法を使い続ける。これを繰り返している。
北郷がリディア王国に行っている間も似たような訓練をしていた(他に方法が分からなかったので)が、北郷が魔法ポーションをコピーして来た事で効率は大幅に上がった。
魔法ポーションが無い頃は、今以上に魔法の精度が低かった事もあり2人とも30分も保たずに魔力切れになって突っ伏すか、失神していた。しかし、魔法ポーションによって魔力を補充出来るようになってからは長時間の訓練が可能になり、かつては一月以上もロクに成長が無かったというのに、魔法ポーションが来てからは目に見える早さで成長していた。
勿論、この方法はパンゲア世界でもとっくの昔に考案されていた。
魔力が切れて訓練が出来ないのなら、魔法ポーションを飲んで魔力を回復させれば良い。子供でも考え付く事だ。
しかし、パンゲア世界ではあまり行われていない。
最も効率良く成長出来る事は誰もが分かってはいるのだが、大々的には出来ない。何故なら……問題点が多すぎるからだ。
先ず1つ目の問題点としては、魔法ポーションの値段の高さだ。
原料の貴重さや人件費などによって、下位の魔法ポーションでさえ2エクシードはし、上位ならば200エクシードにもなる。幾ら魔術師が普通の平民に比べて高給取りだからと言って、そんな高価な薬品をポンポン使っていては簡単に破産する。
2つ目の問題点は、魔法ポーションの希少さだ。
魔法ポーションの原料の1つである植物は、栽培など大量生産が難しいので野生のモノを採取しなければならないため、どうしても生産量が限られる。そのため、国や一部の富裕層が買い漁れば他の魔術師には回って来なくなってしまう。
もしもそんな事になれば魔術師達は抗議のストライキを行い、国の経済活動に深刻なダメージを与える事になってしまう。
この他にも、様々な問題点があるため魔法ポーションを多用する方法は大々的には行われない。行われたとしても、魔術師が貯めた金で10本買うぐらいの、極々小規模なモノだ。
そんな数では焼け石に水なのでほとんど意味が無いのだが、少しでも魔法の腕を磨くために魔術師達は金を貯めては魔法ポーションを買う。
何だかんだ言っても、この方法が一番手っ取り早いからだ。
しかしこの2人、というより、日本帝国にはそんな制限は無い。
幾ら高かろうがコピー能力を持つ北郷ならば無限にコピー出来るし、原料である植物や鉱物などが日本帝国では産出しなくても、完成品である魔法ポーションを無限にコピー出来るのだから問題は無い。
ちなみに、何故2人は下位魔法さえ使えないのに上位の魔法ポーションを飲んでいるのかと言うと、下位の魔法ポーションでは効力を得るためにはビン一本分を飲まなければならないが、それでは直ぐに胃が満タンになって飲めなくなる。
しかし、上位の魔法ポーションなら効果が強いため、魔力が低い2人なら少し飲むだけで魔力は回復するからだ。
2人は北郷から指示された通り、早朝から魔法を使いまくり、魔力が切れたらその都度魔法ポーションを飲んで魔力を回復させ、また魔力が切れるまで魔法を使う。
昼頃には魔法ポーションの飲み過ぎで胃がパンパンになり、魔法ポーションをこれ以上飲めなくなれば次は座学でパンゲア語の習得。
そして夕方頃には胃にも余裕が生まれてくるので、座学を終了して再び魔法訓練に戻る。
これを毎日続けている。
1本200エクシードの上位ポーションを湯水のごとく使いまくるという、とてつもない贅沢。
200エクシードとは、流石に貴族達が住む富裕街には無理だが、市民街ならば立派な豪邸が建つ程の大金だ。普通の平民が見る事は一生無いだろう。
魔法ポーションの値段については、北郷から伝えられているので初めは恐る恐る飲んでいたのだが、今では缶ジュースを飲むかのように気にせず飲んでいた。
「……この不味い赤い液体1本で、家1軒が建つんだよなぁ…」
「…あぁ……頭がおかしくなりそうだな…」
今更ながら思い出したのか、その非常識さに2人は震える。パンゲア世界と日本帝国では物価が違うので何とも言えないが、日本帝国の感覚で言えば数千万にもなるのだ。
自分達の年収よりも高い薬品を毎日飲んでいると思うと、何かやるせない気持ちになるものだ。
「…でもまぁ、その価値はあるな。魔法ポーションが無かった頃に比べて、効率は何百倍にも上がってるし」
魔法ポーションが無かった頃は30分程度で魔力が切れ、後はグッタリしながら自然回復を待つしか無かったのでそれだけで1日が潰れた。
しかし、魔法ポーションが来てからは胃が保つ限りは、1日中魔法が使るようになった。そのおかげで、訓練効率は何百倍にも跳ね上がった。
「……まぁ、毎日大量に液体を飲んでるせいでここの所ゲリ気味だがな…」
これが唯一の欠点だった。
幾ら1回に飲む量が少なくても、合計すればかなりの量になるし、途中休憩を挟んで更に飲み続けるのだから腹も下す。
「…ゲリ止めも支給されてるけど、やっぱり毎日は辛い…」
魔法ポーションが来てからは、2人とも訓練が終わるとトイレに籠る日々が続いている。
後々には体調管理のために摂取量の制限などが設けられるのだが、まだこの時は魔法ポーションを導入したばかりなので手探りの状態。簡単に言えば、2人で実験をしているのだ。
現在、日本帝国軍に所属している魔術兵はこの2人を含め、12人。
魔術師が生まれる確率は1000分の1ぐらいなんだから、400万人いる日本帝国軍なら4000人ぐらいの魔術兵を簡単に得られる筈なのに、僅か12人のみ。
何故こんなにも少ないのかと言うと、現在は主に教官の育成や、魔法の知識や経験などの蓄積に当てているからだ。
知っての通り、日本帝国が元々いた地球世界には魔法が存在しなかったため、魔法に関する知識や経験など0。勿論教官や研究者なども皆無なため、魔法については何も知らない。
北郷がリディア王国から大量の書物を持ち帰った(コピーした)ので、とりあえず知識についてはある程度は得られたのだが、所詮は表面的な知識のみ。金さえ払えば誰もが閲覧可能な図書館に、大事な書物を置いておく筈が無い。
それに、技術や経験に関してもほとんどがその国々で秘匿されているので、肝心な事は何一つとして分かっていない。
手っ取り早く知識や経験を得るには、パンゲア世界の国に侵攻して魔法技術を接収するという手もあるが、日本帝国側としても転移による混乱の沈静化や戦力の充実など、パンゲア世界への進出前にやる事が沢山あるので時期尚早。
ならば魔術師を拉致して無理矢理協力させるという方法もあるが、そこらを歩いている魔術師を拉致しても重要な情報を得られる確率は低く、だからと言って宮廷魔術師など上位の魔術師の場合は屈強な護衛を付けている可能性が高いので、拉致自体が難しい。
それに、上位の魔術師が突然消えれば必ず大きなニュースになる。大陸が違うのだから露見する事はまず無いだろうが、余計な騒ぎを起こせばパンゲア世界進出後に響きかねない。
そのため、自国で知識や経験などノウハウを蓄積するしかない。
いきなり4000人もの魔術師を得ても運用方法が分からず、混乱してしまうので、とりあえずは少人数で様子を見て、徐々に人数を増やしていくしかないのだ。
ちなみに、魔術兵が持っている杖(魔石)は北郷のと同様の2等級だ。
本当は1等級の杖を支給したかったのだが、杖の作り方や魔石のカッティング方法などがまだ研究段階なので、既製品(?)の中で一番位階が高い2等級を支給したのだ。
パンゲア世界の国に1等級の魔石を持ち込んで杖を注文するという方法もあるのだが、ただでさえ産出量が少ない1等級の魔石を持ち込み、杖を作って貰えば必ず目立つ事になる。
魔石は地球世界で言えば原油や天然ガス、ウランなどの戦略資源に匹敵するので、国が動く可能性すらある。
そのため、杖も1から作るしかない。
一応、杖についての書物も北郷がコピーして来たので大体の作り方なら分かるが、日本帝国の技術書のように懇切丁寧に書かれている訳ではなく、それぞれ職人によって作り方が違うので大まかにしか書いていない。
未だに魔術兵達は下位魔法すらロクに使えないので研究すらままならないが、北郷は自分だけでも出来る実験を行なっていた。
その実験とは、弾丸の強化だ。
元々その強化魔法は矢の貫通力を強化する魔法で、その強化魔法をかけた矢ならば鉄製の甲冑も容易く貫通させる事が出来るという、素晴らしい魔法なのだが、ほとんど普及する事は無かった。
それもその筈、その強化魔法をかけるには何十本もの束で一気にやるのではなく、矢1本ずつに強化魔法をかけなければいけないのだ。
非常に手間がかかり、普通の矢と比べて1本当たりの単価が何百倍にもハネ上がるので、とてもではないが何千何万と大量に矢を消費する戦争で普及する筈も無かった。オマケに魔力が切れればただの矢になってしまうので、備蓄も出来ないのだ。
しかし、北郷にとってはその障害は何ら意味を成さない。
ただ一発の弾丸に貫通力を高める強化魔法をかけ、その弾丸をコピーすれば何億発と労せず手に入れられる。
実験として9mm拳銃の弾丸に強化魔法をかけ、ライフル徹甲弾にも耐えられるレベル4規格のボディーアーマーに対して実験を行なって見た。
結果は見事に貫通。
もし人間が着ていたなら間違いなく死亡していただろう。
たかだか9mm拳銃が、レベル4規格のボディーアーマーを僅か一発で貫通させたというあり得なさ。
そのあまりにもあり得ない光景に、研究者や護衛、9mm拳銃を撃った親衛隊員もポカンと口を開けながら唖然とした。
それもその筈、生まれてから今まで当たり前だった常識が、目の前で粉々に打ち砕かれたのだ。
この実験で改めて、北郷達は強化魔法の理不尽さを痛感した。今はまだ大々的に研究や実験さえ行う事は出来ないのでこの程度だが、実用化されたならとんでもない事になる。
例えば航空機の機体に強化魔法をかけたなら、重い装甲を一切張る事なく戦車並みの頑丈な機体に出来たり、逆に装甲を一切減らす事なく、戦車を乗用車並みの軽さにする事すら出来る。
このあまりにも理不尽さには北郷ですら絶句し、そして魔法の恐ろしさを改めて認識した。
強化魔法の理不尽さもあるが、下位の攻撃魔法でも拳銃やライフルに匹敵する威力を持つのだ。元々一般化させるつもりは無かったのだが、もし魔法技術が流出すれば間違いなく何らかの犯罪に使用されたり、最悪テロや反政府活動に使われかねない。
なので魔法を最重要軍事機密に指定し、国の許可の下以外での使用を固く禁じた。
もしも上記の理由以外で使用したのならテロリストとして扱われ、国家反逆罪が適用されて使用者は勿論の事、家族や親類も皆死刑となる法律を制定したのだった。




