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【平安鬼譚】源満仲の娘が鬼に狙われる話

作者: そらかける

 1


 光が失われる瞬間、初めて涙が頬をつたった。


 ――不思議だった。


『鬼』である僕は涙を流すことはないとおもっていたのに。


 闇に還りたくない、光の中にいたい。


 だから、僕を土に埋めないで……。


 闇に還さないで……。


「おまえ……」

 主人は信じられないと大きく目をみはって、ふ…と仕方ないとほほえむ。

「人として生きてみたいのか?」

 温かい声が手が、差し伸べられた。


   2


 ――白い女の手が夜な夜な柱に生えて手招きするという事件が内裏に頻繁に起きていた。


 滝口(たにぐち:近衛兵)がその手を切り捨てても、翌日にはまた手招きしているという。

 別に害はないが、気持ちが悪いということで僕の師匠・安倍晴明さまに依頼をしたのだけど、あいにく晴明さまは播磨はりまからお戻りになっていなかった。


 だから留守を任された、僕、守部真叉羅まもりべのまさらが御祓いをすることになったのだけど……。


 赤柱からはえた白い手は誰かを呼ぶように、請うように招いていた。


 僕はその手に微笑んで、握りしめた。


 ――つめたく、美しい手を。

 この手には悲しみがたくさんつまっている。


 触れるだけでこの人の悲しみが僕を巡った。



 ――悲しい、苦しい、誰かたすけて、私に気づいて……。



「僕がいるよ。僕があなたの手を握っているよ……」


 思いをこめてことさら強く握りしめると、手は僕の中できらめく霧となり散った。

「ま、真叉羅、平気か!」

 一部始終を見ていた兄弟子は呆然としていたけれどハッと気づき僕のそばにかけよる。

「はい、兄弟子。僕はなんともありません」 僕は微笑んで答えた。

 兄弟子はもう一度柱を注意深く確かめてうむ、と頷く。

「さすが安倍晴明さまの秘蔵っ子。呪言もつかわずに、消滅させてしまうとは」

「そ、そんなことはありません、兄弟子」

 僕は感触の残る手を祈るように握り合わせ、目を閉じる。

「あの手は最期を看る者がなくて虚しさや悲しさを抱いてお亡くなりになった女性でした。あの人は寂しかったのです。とても……」

 僕はもう一度柱に目をやった。



 3


 僕は邸へ帰る道々ふと空を見上げた。


 藍の空に高くのぼった満月。

 星々がつよく輝き、とても美しい。


「今日は遅くなっちゃったなぁ……照子はきっと怒ってるに違いない」


 ある事情で晴明邸に預けられている内親王、照子のことをおもって、苦笑する。


 晴明さまから誘われて陰陽寮に出仕する前は守役としていつも照子のそばにいたのだけど、今はその時間も取れなくて、一度は必ず顔を見せるという約束も守れずにいる。

「もう、遅いけど、一応顔だけでもみせよう」

 そう呟いたとき首筋から背筋にかけてぞわ……と悪寒が走った。怪しい気配を感じ取って。

 松明が闇をはらう門前にあかくてらされている男と女がいた。


 男は門衛だろうか、手に矛をもち、女の方は一昔前の衣を纏っていた。


 鮮やかな裙に唐服。肩にかけた巾領ひれが微風にフワリとういた。

 女がなにごとか男の耳元でささやくと、唇をうばう。

 僕はハッとして、霊符を女に放った。

 女は気づいて男からとびすさり、霊符をかわす。

「逃がすものか!」

 縦横に素早く刀印をきる。



「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前!」


 けれど女は空たかく飛び、巾領をひとふり、刀印法陣を破壊し、フッ…と闇へ消えた。

「取り逃がした、か……」

 僕は印を組んだ手を解いて、門衛を助けを起こしたけれど、すでに土気色の皮膚と骨だけのむくろとなり精気を奪われこと切れていた。

「もう少しはやく……」

 続く言葉はおもむろに首筋に当てられた刀の冷たさによってとぎれた。


 ――え?


 僕はおそるおそる振り返ると、そこにはまだ裳義を迎えていない十四歳ぐらいの少女が冷たい視線で見下していた。

 お歯黒も眉抜きもしてないその顔は少女にしては鋭利で、冷たい瞳。

 少女は刀の柄をかえし僕の首筋に強く刃を押しあてる。

「おまえが、その門衛を殺したのか?」

「――え、ち、ちがう!」

 僕はあわてて否定し、事情を説明しようとしてうまく口が回らない。

 ただ頭をぎこちなく振るぐらいしかできない。

 しかも少女は言い訳をきいてくれそうにない雰囲気だ。


 ――異様な焦りにかられた。


 このまま殺されてしまうのか?


 死にたくない! しかも誤解されたままで。


 僕は地面の土をギュッと握りしめた。

 そのとき、

「それは私の弟子ですよ、椿姫つばきひめ

 低く凛とした声が少女を呼びとめた。


 ……もしかして……。


「晴明さまぁ……!」

「晴明どの……」

 僕の歓喜の声と反対に椿姫と呼ばれた少女は怪訝な声でいった。

「久しぶりですね、椿姫」

 苦笑を浮かべて晴明さまは椿姫に挨拶をして僕に「たてるか?」と手を差し伸べる。

 ――半年ぶりの師匠だ。

 晴明さまの笑顔が懐かしくて僕は抱きつこうとするけれど、

「男に抱きつかれる趣味はない」

 と叩かれた。

 晴明さまは踵をかえして、ことぎれた男のそばによると怪訝に眉をひそめた。

「この男は『彩卑女あやひめ』にやられたな……」

「彩卑女?」

 椿姫は刀を収め、聞き返す。

「椿姫、あなたは彩卑女に狙われていますね?」

 晴明さまは静かに告げた。


 4


「どうして、彩卑女は椿姫を狙うのですか?」


 僕は霊符制作の手伝いをしながら晴明さまに訊ねた。

 あのあと、僕は晴明さまに先に帰って照子内親王の機嫌を取り戻してこいといわれて、くわしいことはきけずにいた。

 確かに照子はかなり怒っていてたけれど最後には許してくれたので助かった。どんなに遅くても顔を見せるという約束をして。

 晴明さまは播磨から邸に戻る途中、偶然通りかかって僕を助けてくれた。そしてあの椿姫は源 満仲みなもとのなかみつさまのご息女。

 満仲どのは晴明さまとおなじく帝や左大臣さまの信頼あつく、武芸は誰にもひけをとらない人物だ。

 でも、だからといってその姫君が刀を扱うとは思わなかったけど。

 晴明さまは霊符をかきながら、うむ、と頷く。

「姫君はお忍びで網代車でかけたときに彩卑女らしき女にあったと申していた。たしかに姫にはかすかだが彩卑女の気が感じられた。……しかし唐の紅娘が女を犯す話はしらないがな」

 ふ、と晴明さまはわらった。

 紅娘、というのは男の精気を吸い取る唐の妖魔のことで……ちなみに、女の精気を奪うものを緑朗というのだけど。

「では晴明さまは彩卑女を祓うのですか?」

 晴明さまはしばらく間をおいて首を横に振った。

「私は、あの姫君の秘密を知っていて、彼女に嫌われているんだ。それにここには一時的に帰ってきただけで、また明日には播磨に戻らないといけないのだ。だからこの件はお前に任せる」


「エ~ッ!」


 僕はさけんで、自分でも声が大きかったと自覚して口を抑えた。「でもどうして、」と晴明さまに視線をおくる。せっかく戻ってこられたのに……それに。

「……僕は照子との約束があるんですが、祭祀なんて行うとなると、会えなくなってまた機嫌わるくさせちゃう……」

「俺がなんとか理由を付けてやるから安心しろ」

 晴明さまは苦笑した。



「真叉羅さま、用意するものはこちらでよろしいでしょうか?」

「あ、はい、ありがとうざいます」

 僕は儀式に必要なものを用意してくれた女房さんににこりと微笑んでうけとった。

「白絹、米に果物、和布に鰹それに塩でよろしいので?」

「はい。確かに受け取りました……あとは七日間、だれもこの部屋に近寄らないよう。結界が崩れてしまい、被害が広がってしまいますので」

 わかりましたと女房さんはしずしずと辞していった。


 僕は姫を振り返る。 椿姫は僕にずっと鋭い視線を送りつづけ、すきあらば腰の刀で斬ろうとするのか、檜扇ひおうぎで顔の半分を隠し右手は刀の柄においていた。

「椿姫さま、すこし肩の力を抜いてください」

「……」

「姫、僕が信じられませんか?」

 椿姫は檜扇で顔を覆うのをやめて、怪訝に僕の顔をまじまじと見つめる。

 そして、ふいに口を開いた。

「どうして、そなたは人の中にいるのだ?」

「え?」

「私には、お前が鬼にしかみえない」


 ――僕は声を失った。


 急に指先が冷える。


「異形の鬼であるそなたが、人間の中になぜいる」

「……」

「なぜだまっている、答えろ」

「――もしかして、姫は見鬼けんきなのですか?」

「見鬼?」

 椿姫は小首をかしげ、

「見鬼、とはなんだ? それより答えろ、お前はなぜ人になりすましている」

 強く正体を追求する口調に僕は観念して淡く微笑んで答えた。

「見鬼、というのは『見る鬼』『見える鬼』…生まれつき修行をせずとも鬼を見ることのできる者のことをいいます。

……姫がおっしゃるとおり、僕は晴明さまに仕えていた鬼神でした。――僕のもつ鬼の力は良いものにも悪いものにもなりうるので、もしものことが起こらないようにと晴明さまに封印されるはずでした。けれど僕は封印されたくないと願ったのです。それで」


「晴明どのはお前を人間にしたと申すのか?」


「僕は人間になりたいそう願ったのです。僕は……人に焦がれているのです」

 姫はしばらく考えて、ふっ、と不敵な笑みを浮かべた。


「おもしろい」



 彩卑女と遭遇した時より欠けた月が空に上がっていた。


 夜風が闇に色を落とした木々を激しく揺らしざわめきをおこす。

「……手をはなせ真叉羅、どこへ行くのだ。物忌みをするのではないのか」

「みんなの目をさけてだれにもしられない場所に祭壇を作ったんです。今回の術は本来誰にもしられてはいけない。そして神々を呼ぶ儀式ですからね」

「そうなのか?」


 しばらく森を行くと明かりと祭壇が見えてきた。

 そして小さな手をふる式神も。

「真叉羅ー! 用意できたでー」

「少し遅いですよぉー」

「……なんなのだ、あの小人、空にういてる……」

「あれは僕の式神のひいらぎえのきです。他にもひさぎがいるのですが、いまは照子……内親王の世話にやっています」

「照子……ああ」

 椿姫はぽつりとつぶいやいて祭壇の前までくる。


 祭壇には式神に頼んでおいた供物があって、『離別祭文』の準備は整っていた。


 あとは……。


 僕は、ざわめく木々に視線をやる。


「姫、ここに座って僕が教えた詔を唱えてください」

「わかったが、お前はどこへ行こうとする?」

「姫は絶対にここにいてください、お願いします」

 僕はどこへ行くとは告げずに、そう強く言いおき、気配がする場所へとむかった。



 7


 案の定、彩卑女は椿姫の気配をおってこの森にきていた。


 けれど森の前に張られた結界でこれ以上進めずに、結界を壊そうと試みるそのとき、僕は彼女を呼び止めた。

「これ以上、手出しはさせない」

 彩卑女は僕をみて、目をみはる。

 彼女の目には同族に見えるのかもしれない。

「お前はなにものだ? 人間の体に鬼が重なってみえる」

「僕は安倍晴明さまの弟子、守部真叉羅」

「……ああ、晴明の鬼神か」

 彩卑女の紅い唇が嘲りにつりあがった。

「あの気高い鬼神が、下等な人間に落ちぶれるとは……」

 彩卑女は僕にちかより頬に触れる。僕はその手を冷やかにみつめ彩卑女の手首をとった。

「今は人だ。でも、鬼神の力もおとろえても……いないんだよ」

 彩卑女の手首が煙をあげ、あかく肉が焼けただれる。

「く……」

 彩卑女は燃え消えた手首をかばい、退いた。

 そして美しい女の姿は徐々に鬼女をあらわしていく。

「よくも妾に傷をつけおったな! 殺してやる、そして食らってやるぞ!」

 奇声をあげ、草木を大地をふるわせる。

 僕は手のひらに残った彩卑女の想いをにぎりしめた。

 その手首から伝わった悲しみ、悲鳴……。

 彩卑女の想いを知って胸が急に締めつけられる。


「彩卑女、あなたは本当は鬼女ではなかったはず。遠い過去をおわすれになってしまったのですか、あなたの本当の願いを……」

「何を、言う」

「あなたは愛するものの顔も声も思い出せなくなってしまったのですか?」

 彩卑女は嘲り、飛びかかる。

 僕はとっさに印を組むんだ。

 けれど途中で止めて指をほどいた。

 ドンっ、と彩卑女に押し倒され、鋭い爪が肩を食い込む。

「くっ!」

 僕は唇をかんで苦痛に上がる悲鳴を我慢し、彩卑女を抱きしめるために手を広げた。

 彼女に巣くう鬼を昇華させる。

 それが、彼女を闇から救う方法…。

 けれど、草を踏み走る音をきいてハッとそちらに目をやる。

 月光を浴び太刀をもってむかってくる、一人の少女。

 その姿を目にして、血の気が引く。


「――椿姫!」


 刹那、椿姫の太刀は彩卑女の腹部を切り裂いた。


 鮮血が草にびちゃりと散る。


「どうして、ここに」

「ばかか、お前、それとも間抜けか!」

 椿姫は怒鳴り、僕の胸ぐらをつかむ。

「お前、鬼になろうとしただろう、人になりたいと思ったのではないのか!」

「椿、姫……別に僕は」

 鬼になろうとは……と言う言葉を呑みとっさに姫をかばう。

 彩卑女が奇声をあげ椿姫を食らおうと耳まで裂けた大口で飛びかかったからだ。

「…っつぁ」

「真叉羅!」

 肉が抉られ、鮮血が狩衣を緋色に染める。

「大丈夫か、真叉羅」

「大、丈夫……」

 安心するように無理に笑顔をつくったけれど、肩を深く抉られ、痛みに悲鳴を飲み込むことはできなかった。

「無理をするな」

 椿姫は舌打ちして彩卑女を睨み付けた。

 そして、褝を邪魔だと言わんばかりに乱暴に脱ぎすてる。

「この妖が……切り裂いてくれる!」


 金属の音が闇夜に響く。

 椿姫はかなりの刀の使い手らしく、素早い彩卑女の動きを確実に見極めて、攻防を繰り返す。


 椿姫が優勢だった。もしかすると、少し楽しんでいるのかもしれない。


 彩卑女はその椿姫の力におどろき動揺して、刃物のような爪を無造作に振り上げて攻撃をするが全くあたらない。逆に隙をつかれて肩を太刀で切断され悲鳴を上げた。


 ――今のうちに……。


 二人が戦う隙に僕は上がる息で呪を紡ぐ。

「ひとふたみいつむにななや、ここのたびふるえゆらゆらと、ふるえ……」



 ――まだ人のこころがあれば……



 そう祈り願い。



「ひとふたみ、いつむに、ななやここのたびふるえ……ゆらゆらとふるえ……」



「ぐああ!」

 彩卑女は苦しげに頭を抑えよろけた。



「やめろ、やめろぉ!」


「どうしたというのだ……?」

 椿姫は彩卑女に上段に振り上げかけた刀をおさめ、呆然と見守る。

「私は……わたしは!」

 彼女は両肩を抱いてうずくまり喘ぐ。

 彩卑女の過去。


 ――遠い昔、内親王だった彩卑女は、身分違いの恋をし、恋人と逃げた。


 逃げきれるとおもった。

 けれど…………。



 けれど、追手は私達を見逃したりすることは決してなかった。



 満月のある日……。



 私は彼と、真人まひとと一緒になれぬこの世の運命ならばともに死ぬことを決意した。



 でも真人はそれを許さなかった。



「君に宿った子供はきっと僕の魂を継ぐから、僕はあなたのそばにかえってくるから…」


「まって!」

「あなたには生きててほしい」

 真人は、追手の前に飛び出し幾数の矢を身体に受け血まみれになって死んだ。

 そして、絶望して呆然となった私は内裏に連れ戻され、


「落ちつきますよ」


 と渡された杯を手にとって口につけた。


 けれどもそれは次第に身体をしびれさせ、意識さえも奪う。



 ――毒……



 いや、死にたくない。

 死ぬものですか……何としてもこの子を生まなくてはならない…。

 魄がなくなろうと、どんな姿になろうとも、この想いつらぬいてみせる!



 必ず……



 かすれゆく意識のどこかで声をきいた。



 願いを叶えてやろうか……

 と。



「けれど、こんなことをしたくはなかった。ただ私に宿った子供を産みたかっただけなのに……――鬼になどなりたくはなかった」



 彩卑女の姿が、優艷な女性に戻っていく。


 そして、うっすらと身体が消えはじめた。

 彩卑女の姿を保っていた激しい想がとける。

 このままだと鬼ともに彩卑女の魂も消滅してしまう。


 僕は彩卑女を抱きしめた。


 鬼のままで逝かせはしない。



 ――僕は鬼を食らう鬼。



 鬼をこの身に昇華することによって自分の傷を癒す。


 ……皮肉なものだ。


 ゆっくりと彼女に巣くう鬼が昇華し、最後に残るのは人の魂。



 明るい光が僕の腕からするりと抜け、空へと翔び消えた。


 9


「えっと……椿姫、これを……」

 僕は目をつぶって、椿姫に褝を渡した。

 戦いで袷がくずれ、肌が露になっていたからだ。

 けれど、椿姫はキョトンとしてくっ…と堪えきれずに笑いだす。


「え?」



 ……なんで、笑う?

 榎が僕に耳打ちした。


「真叉羅~真叉羅~、あいつ男やで…」




 ……おとこ?




 ――え!



 僕は振り返る。


 椿姫の唇にニィ…と面白がる笑みが広がった。

 胸は確かに……ない。


 そして、


「裏声を使うのはなれているのだ」

 と声変わりをした椿姫がそう答えた。

「男……」


「それはともかくお前、どうしてうその詔を私に教えた?」

「ええっと……」

 椿姫は刀の切っ先を僕の眉間にぴたりと止める。

「それは単にお前がまぬけなのか、それとも、この私を囮りにつかったのか? ……どっちだ」

 僕は椿姫の問いに視線をそらした。

離別祭文りべつさいぶん』とは嫌な相手から別れる詔だ。

 彩卑女を遠ざけるには、縁を切るにはこれが一番いい詔だと思ったのだけど。

「で、でもどうして詔がうそだとわかったのですか?」

「柊と榎が目をあわせてくすくす笑ったのだ。それって、夫とわかれる呪法やで~とな」

 僕は椿姫の肩に乗っている小さな式神に目をむけると柊は微笑んで、榎は口笛をふいて空に視線を泳がした。


 ――こいつら……。


 僕はため息をついて開き直る。

「あー半分本当で半分外れです」

「どういう意味だ?」

「呪法、間違えて教えてしまったのと、姫が囮ということが本当です」

 姫はフ、とわらって、まあいい、と刀をおさめた。

「この刀の切れ味がわかったからいいとするか――さすが家宝、髭切」

 抑揚のないしゃべりに何処かしら嬉しさが伺えた。

 僕はハッとして目をみはる。

「もしかして、それは、劾鬼の刀ですか?」

「ああ。髭切丸という」

 椿姫は刀身に月光を滑らせた。


 ――だから、出会ったとき刀をむけられて、異様なあせりにかられたのか……。


 納得。


「あらためて名乗ろう……俺は源 頼光だ。まあ、椿というのは私の幼名、椿姫ではなく、正確には『椿丸』だが。私がなぜ、女装をしていたかというと、私の生まれが特殊、……まあ、あけっぴろにいえば呪詛をかけられた双子だったため、弟は捨てられ、私は鬼がつかないようにと女装させられてすごしている」


「は、はあ……」


 何となく事情がのみこめてきた。


 晴明さまが『椿姫の秘密』を知っているといったのはこの彦君の誕生に立ち合い、事情を知っていたんだ。――男だってことを。

「じゃあ、彩卑女が…えーと、彦君をねらったというのは……男で……でもどうして網代車でお忍びを?」

「私は女と逢瀬をかわしていたのだ。そのとき偶然彩卑女に会ったらしくな、連日門衛は鬼女に精気を吸われ、狙われつづけ被害がでるならばいっそうその鬼女を清和源氏の名において成敗してやろうとおもったのだ」


 見鬼でもなく、ただ単に男だから、彩卑女に狙われていたということか……にしても、この彦君、説明するときはぺらぺら口早にしゃべるんだなと感心してると、彦君は不敵な笑みをうかべ、

「お前がもし悪鬼に化したとき私がお前を斬ってやる。この髭切丸で」

「……彦君?」

「だが、人でありつづけるのであれば、真叉羅、お前は私の友になれ」

 彦君の頬がほんのりとあかい。

 僕は彦君の表情と言葉の意味がわかって微笑んで手を差し伸べた。

「もちろん。よろしく、えっと」

「頼光でいい」

 強く手を握り返した。



 10


 久しぶりに僕は照子と縁に座り中庭を眺めていた。


 麗らかな陽気と照子のそばなので平和で眠くなってしまう。


 内親王・照子はとある理由から、生まれてすぐ、ここ晴明邸に引き取られた。

 活発で、裳義を済ませたにはかかわらずお歯黒はしないし、眉を抜かない。


 そんな自然で美しい少女の顔が不貞腐れていることに僕は気づいた。

「どうしたの? 照子……?」

「……きいたわ」

「なにを?」

「満仲殿の椿姫のところに通っているってこと」

「え……! ば、ばかいわないで、彼は……」

「なんで、そんなに動揺してるのよ!」

「動揺するよ、だって椿姫はおと…」

 照子は僕の言葉なんて聞いていない。むしろぶつぶつと唇に拳をあててつぶやくように言う。

「真叉羅が物の怪とか霊に好かれるのはしかたがないと認めていたけど…」

「そ、そっちのほうが問題なのでは?」

「問題じゃありませんーだ! もうしらない! 椿姫のところへでもいけばいいんだわ!」

「ちょ、ちょっと、誤解だって、照子!」

「もうしらないわよーもーっ」

 その日一日誤解を解こうと努力したけれど、照子は全然聞いてはくれなかった。

たぶん今まで載せてきたながで二番目ぐらいに古い作品……です。続編ありますので、

続編のばあいすべてまっさらな状態でお読みになってくださると幸い。

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