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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

この命だけは――(忙しい人向けの悲劇)

作者: かすっけ
掲載日:2026/10/31

 剣が振り下ろされる瞬間、私は視線をそらした。

 石畳に重なった二つの影が、妻と娘の最期を物語っていた。


 私はかつて、王国に剣を捧げた騎士だった。

 郊外に屋敷を構え、家族と静かに暮らしていた。元騎士であるがゆえ、城下の商人や町役人、兵に至るまで多くの知己(ちき)がいた。その一人である町の守備隊長が、密かに知らせを寄こした。

 

 先月、王権転覆を企てた一派が処刑され、王命により残党と子らにも捕縛の通達が出たという。

 名を連ねる者の中で、私の知る名はベール卿だけだった。

 貴族にしては奇特で、義を重んじる男だった。後妻を迎えず、一人娘と暮らしていると聞いていた。

 書面には、娘の名もあった。


 気づけば馬を走らせ、ベール卿の領地へ向かっていた。

 見張りの姿はどこにもなく、庭の井戸で、少女がひとり水を汲んでいた。

 まさかと思い名を尋ねると、やはりベール卿の娘だった。

 衣は裂け、泥に汚れ、顔色はひどく青ざめていた。

 私が問いかけても、少女はか細い息を漏らすばかりだった。


 通達を知る者は限られている。

 一瞬のためらいののち、私は少女を馬に乗せた。


 妻と娘は匿うことを受け入れ、息子は迷いを見せたが頷いてくれた。

 少女は疲れが抜けぬ様子で、「はい」か「いいえ」としか返さず、食事も勧められるまで手をつけなかった。


 朝を待ち、私は信頼を寄せる人物を訪ねた。

 修道院同士の連絡役を務め、寄進(きしん)を続ける男で、今も巡礼のため国境を越えている。

 事情を話すと、すぐに便宜を図ってくれた。

 疫病で家族を失った預け子として、国境近くの修道院に引き取られる手筈となった。


 少女を託し屋敷へ戻ると、いきなり兵が踏み込んできた。

 名を呼ばれ、拘束されてようやく、私は彼に密告されたのだと分かった。



 私たちに告げられた罪は、反逆罪。

 妻と娘は即日処刑された。


 私と息子は牢に入れられ、引き離された。

 日の昇り降りさえ数えられぬまま、冷たく湿った牢の中で、私は自らの愚かさを呪っていた。

 

 少女を守れず、我が家をも滅ぼした。

 善意も信も、過ちだったのだ――。


 鉄格子の開く音が響いた。

 鎖の擦れる音と足音が近づき、私の牢の前で止まる。


 立っていたのは息子だった。


 両脇にいる衛兵は、戦場で私の指揮下にあった者たちだった。

 彼らは声ひとつ発さず、私を見ることなく、息子が噛まされていた布を慎重に外した。


「父上。私は胸に問い続けておりました。人の道とは何か。騎士にも誇りを捨て、欲に溺れる者はおります。しかし、父上は正しき道を貫かれた。真に高潔なる騎士は、父上です」


 その眼差しに、喉が詰まった。彼らは再び布を噛ませ、息子を引き立てていった。

 水も食事も満足にとれぬ身でありながら、去りゆく背中は真っすぐ伸びていた。


 与えられた猶予は、私に耐えがたい苦痛をもたらした。

 陽が傾きはじめた城門前広場には断頭台が置かれ、民衆が集まっている。

 王はその傍らに腰を下ろし、騎士団は微動だにしない。

 壇へ上げられたところへ、騎士がひとりの子供を連れてきた。


――あの少女だった。


 胸が凍りついた。私は顔を上げず、声を張った。


「陛下! どうか、この者のみはお救いくださいますよう。罪なき子にございます!」


 王は鼻で笑い、低く言った。


「案ずるな。その娘を処すことはない。親も無く、寄る辺もない者よ」


 哀れみがかすかに混じって聴こえた。

 ベール卿は落ち延びられなかったのだろう。


 私もまもなく終わる。

 それでも守ろうとした命は、まだ息づいている。


「その娘はベール卿の家に仕えていた使用人にすぎぬ。己が子を逃がすため、偽りの名を負わせていたのだ。洗礼記録が示す正統の子は、すでに我が手中だ」

「使用人……」


 息が止まった。少女は頭を下げ、身を固くしている。


「卿の働きは、所詮は無に帰した。されど、汝の罪は神とて赦しはせぬ」


 王の言葉を受け、私の首は断頭台へと据えられた。

 民衆がどよめき、騎士が即座に制する。

 額を伝う汗が目元を曇らせ、脂で固まった髪が頬に貼りついた。

 歯を思いきり食いしばっていると、唾液が糸を引いて落ちた。


「……騙(かた)ったのか」


 空っぽの胃の奥から濁った声がせり上がる。

 全身の震えは、恐怖のせいではなかった。


「我々がどうなるか、わかっていて……尚も名を騙り続けたのか!」


 わなないても、俯いたままの少女を射抜かんとする視線は揺るがなかった。


 命を懸けた存在に、私は家族を奪われた。


 この命だけは――決して赦してなるものか!


「ぼろをまとった乞食風情が! 我が家族を殺した下賤の悪魔め!

 地獄で這いずれえええええ!」


 歪んだ視界の中で、少女の伏せた瞼に刃の影が重なった。




シェイクスピアぶりました。

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