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勇者パーティー、全員が残念キャラで成り立っています  作者: 妙原奇天


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第6話 神界からの使者

 王都の朝は、紙のように薄い光から始まった。蒸気が街角の空気を白く裂き、鐘楼の影が石畳の上に真っ直ぐ落ちる。ギルドの扉を押すと、湯気まじりの暖気が漂うはずなのに、この日は違った。中に入った瞬間、空気が一段冷える。目に見えない薄膜が一枚、室内と外を隔てていて、膜の向こうに音が吸い込まれていく。壁の掲示板には、昨夜貼られたはずの紙が一枚もない。釘穴だけが並び、穴は目に似ていた。


 受付前に、灰色のコートをまとった男が立っていた。立っているだけなのに、床の目地までが緊張して固くなっている。肩の線は細く、その細さが逆に重さを示していた。フードの内側に、凍った水面みたいな瞳が二つ、じっとこちらを測っている。


 「神界代表、来訪」


 最初に声を出したのはロッドだった。表紙の穴の目が一度だけ縮み、LEDがごく短く明滅する。「識別名:ラヴェン。神界法務庁・降界監察部」


 「監察、か」


 メイがわずかに剣に手をやる。刃に触れていないのに、鞘の内側で金属が冷たい音を立てた。ユウトは呼吸を整え、受付台の端に片手をそっと置いた。木の感触が舌の上の言葉を落ち着かせる。


 ラヴェンと名乗った男は、こちらの動きを待つでもなく、封蝋のついた書簡を机上に置いた。封の紋は星形だが、どこか歪んで見える。見ている目の角度で形を変えるタイプの印章。


 「通告する」


 ラヴェンの声は低すぎず高すぎず、耳の奥にそのまま沈む。「サクラ・ミリスを即時帰還させる。理由——神界の機密を人界に漏らした罪。本人の意思は問わない。保護拘束のうえ、上申手続きに付す」


 「保護って……連れ去るってことでしょ」


 メイの表情が動いた。動き方は最小限だが、怒りの芯はむしろ静かになる。「機密って何。彼女は何も——」


 「言葉を選びなさい、人間」


 ラヴェンの瞼がゆっくりと持ち上がる。見られる感覚が、物理の冷たさになって皮膚を刺した。「女神は“左遷”状態でも女神だ。奇跡の運用法、権限の経路、審級の申立て手順、あなたたちの言う『復職ポイント』の算定式。口に出した瞬間、それは漏洩だ。理解しなくていい。あなたたち人間は、神のデータを理解できぬ」


 「理解、ではない」


 ロッドが淡々と返す。ページの端で数字が立ち上がり、すぐに消える。「共感。彼らはそれを持つ。データは演算で到達するが、共感は跳躍で届く。跳躍で届いたものは、わたしにも計測できない。だから怖い。怖いが、運用すれば強い」


 ラヴェンの口の端がわずかに上がった。笑いではない。冷笑、という言葉は、温度の単位を持つ。「器用に喋る。古代の残滓が人の肩に乗って何を気取る。神界の規範は、感情では動かぬ」


 「じゃあ、動かしてみる?」


 トゥルが軽く言った。軽さは挑発の形に似ている。フードの影で目だけが笑っている。「置いていくなら、せめて理由の一つや二つ、こっちの言葉で言ってくれ。紙に書かれた単語は寒すぎる」


 「理由は既に提示した」


 ラヴェンがコートの袖を払うと、室内の空気が一段下がった。受付の鉢植えの葉が、縁から白く変わっていく。誰かが短く息を呑む音がして、それさえ膜に吸い込まれた。ユウトは視線をめぐらせた。サクラは——いない。宿の寝台で、まだ眠っている。ここには彼女の匂いだけが薄く残っている。昨日の夜、笑いの膜が部屋を包んだときにできた、甘さの少ない温度の痕。


 「本人がいない場所で、本人の運命を決めないでください」


 ユウトの声は、自分で思ったよりもはっきり出た。言った瞬間、喉の奥が少しだけ熱くなる。熱は薄氷を溶かすが、同時に音を大きくする。「サクラは——彼女は、あなたたちのいう『機密』を、たぶん上手に守れない。笑ってしまうから。人の手を握ってしまうから。だから今、僕らが代わりに言う」


 「代わりはない」


 ラヴェンの目がこちらに定まる。定まった目は、それだけで人を古い石像みたいにする。「人間。名は?」


 「ユウト。チーム★2残念」


 「残念、か」


 ラヴェンの白い指先が机の縁を叩く。三回。固い音が木に吸い込まれ、板がわずかに軋む。それが合図だったかのように、扉の両側に影が二つ滑り込み、フードを目深にかぶった使徒が背に短杖を背負って立った。杖の先に、白い結晶がはめ込まれている。結晶は呼吸しているみたいに、わずかに収縮する。


 「抵抗は想定済み。抑制を行う」


 「抑制、はこっちの仕事よ」


 メイは鞘から剣をわずかに抜き、空気の裂け目に刃先を差し入れた。鋼が冷たさと触れ合った瞬間、きい、と音が鳴り、薄膜が一枚剥がれた。剥がれた膜の向こうから人のざわめきが戻ってくる。受付の女性が顔色を変え、合図もないのにカウンター下から避難鐘を取り出した。


 「警告」


 ラヴェンの眼差しが鋭くなる。「魔法戦に移行する。人間の骨格は——」


 「折れると痛い、でしょ」


 トゥルが投げたのは短く削った鉄釘。釘は薄膜の残滓にかすかに引っかかって軌道を変え、使徒の杖に当たって鈍い音を立てる。杖先の結晶が瞬く。その光は「測る」光だ。測られた瞬間、ユウトの肺のリズムが一拍遅れ、足首の熱が一向に上がらない。


 ロッドがページをめくる。「結界式:遡行偏差型。評価ループ付随。観測者の数に比例して堅牢化」


 「また“目”か」


 メイが短く吐く。「数で押されるタイプは嫌い」


 使徒が杖を振り下ろした。床板の目地が開いて黒い影が吹き上がる。風ではない。薄い手の形をしたものが一斉に伸び、足首に絡みつこうとする。ユウトは反射的に後退し、手近の椅子を蹴ってその手を払う。払った手はすぐにまた伸びた。伸びるたびに数が増える。


 「時間、稼ぐ」


 トゥルが叫び、カウンターに駆け上がると逆さに回転し、使徒の後ろへ着地した。足音が氷に似た鋭い音を残す。彼の短剣は杖の結節を狙い、メイは正面から相手の視界を塞ぐ。二人の動きは乱暴に見えて、同期していた。同期は友好の形ではなく、生存の形。生存の形は、よく訓練された愛情に似ている。


 「ユウト」


 ロッドが呼ぶ。穴の目が大きく開き、その黒に、文字が浮かんでは消える。「神界法。第十二条。奇跡の自由行使。条文の第三項……」


 「待って」


 ユウトは息を整えた。紙の上でしか見たことのない条文が、記憶の中でゆっくり組み上がる。宿の夜に、サクラがぼそりと教えてくれた断片。左遷部の机に落ちたコーヒーの跡みたいに、曖昧な輪郭の語尾。


 「読み上げます」


 声は震えなかった。震えよりも先に、言葉が出る。「神界法第十二条。奇跡の自由行使。女神は、降界時に限り、本人の意思と保護対象の安全を最優先として、上位権限の制限下であっても瞬間的な奇跡を自由に発動できる。第三項。保護対象が自己の言葉を持ち、かつ、それによって合意が示されるとき、奇跡はその言葉の内側に従う」


 ラヴェンのまぶたがぴくりと動いた。使徒の動きが一瞬止まる。「その条項は——」


 「古い条文ね」


 受付の女性が呟いた。ギルドの鐘が短く鳴り、音は空気の膜をやぶって観客席のざわめきのように広がる。「改正案が出てたけど、確定してない。間に合ってる」


 「合意は、ここに」


 ユウトは呼吸を吐き、言葉を置いた。「サクラ。僕らは、君の奇跡が必要だ。帰ってこなければ、だめだ。帰ってきて、みんなでまた“残念”でいる。笑って、怖がって、勝てなくても手を握る。それを、奇跡の内側にして」


 室内の温度が、ひとつ上がった。ほんのわずか。冬の朝に、カップの縁だけが温まるみたいな差。差の向こうで、扉のガラスに白い息の跡が映る。ユウトは扉を振り返らない。振り返る前に、光が来た。


 光、としか言いようがなかった。熱のない白。音のない音。雪片の内側で鳴る鈴が、耳の奥に薄い輪を描く。サクラの光だった。窓の外からではない。宿から走ってきたわけでもない。どこからでもなく、ここに降りた。彼女の足音はなかったのに、靴の踵が床を探す音だけが確かに聞こえた。


 「……遅れてごめん」


 サクラの声は弱くて、しかし、見えない羽の音を戻していた。背中の黒ずみはまだ消えていない。けれど、黒は光に縁取られて薄くやわらいで見える。彼女はユウトの横に立ち、指先を軽く絡めた。絡んだ瞬間、条文の文字が空気に浮かび、薄い雪のように舞って床に溶けた。


 「奇跡、自由行使——発動」


 ラヴェンが一歩、踏み出す。「無効だ。降格通知は——」


 言い終える前に、光が満ちた。満ちるというより、視界の“影”が裏返った。影が表になり、表が影になる。ラヴェンの使徒が振り下ろした杖の先から、冷たい針の束が弾ける。針は光に触れ、直角に曲がって壁に吸い込まれた。壁は傷を飲み、指先ほどの黒い穴を二つ残して、また白く戻る。穴は目に似ている。目はまばたきもせず、針をその奥に抱えた。


 「反射……」


 ロッドが囁く。「攻撃意図の“評価”を逆相にして返す。見ている目の数に比例して強くなる」


 「見られてるほど、跳ね返すってこと?」


 トゥルが笑う。「今日の俺たち、トレンドだもんな」


 ラヴェンの顔から、皮膚の温度が引いた。彼はもう一度杖を掲げ、今度は音のない重さを投げつける。空気の階段が一段落ち、床の線が一瞬滑った。滑りは人の膝を裏側から叩く。ユウトは危うく崩れそうになり、サクラの手の圧で持ち直した。手の圧は彼女のわずかな理性の欠片、その欠片が彼の骨を正しい角度に戻す。


 「戻るのは、わたしが決める」


 サクラが短く言い、ラヴェンを見た。見られた瞬間、ラヴェンの瞳に初めて“動き”が入る。凍っていた水面に、小石が落ちたような波紋。彼は理解しない。理解できない。けれど、波紋は嘘をつかない。


 光が、もう一段階深くなった。深く、という言葉が合っているのか自信はない。色が増えるわけでも、音が大きくなるわけでもない。ただ、“ここ”という輪郭がいったん薄れ、次に戻ったとき、輪郭の中にいた全員の呼吸が同じ拍に合っていた。メイは刃を下げ、トゥルは膝を緩め、ロッドはページを止め、ユウトはただ手を握る。奇跡は、勝つためではなく、拍を合わせるために発動した。


 「君たちは、“機密”を喋った」


 ラヴェンの声がわずかに掠れる。「神界のデータとやらを、彼らの言葉で」


 「喋ったのは、温度」


 サクラは微笑んだ。弱さを隠さない笑い方。弱さは軽く、軽さは危険で、しかし救いだ。「条文は硬い。でも、硬いものにも熱はある。人間はそれを触って、すぐに火傷する。火傷の跡が、言葉になる。わたし、それを止められない。止めたら、女神の意味が消える」


 ラヴェンの腕が、重力に引かれるように下がった。使徒たちの杖から力が抜け、結晶が止まる。停止した結晶は、ただの石だ。石の白は、雪よりも冷たい。


 「……神にも、欠点はあるのか」


 倒れかけの体勢で、ラヴェンが呟いた。呟きは自分に向けた問いで、空間に向けた敗北宣言ではない。「欠点は、致命的な——」


 「あるよ」


 サクラは彼に歩み寄り、至近で目を見た。目と目の距離が詰まる瞬間、室内の空気が少しだけ音を持った。音は、水に落ちた針の音に似ている。「だから、人間が愛しいの。欠点のあるものが、欠点のあるものに手を伸ばす。その拍子に、奇跡が出る。神界のデータの外側で、ね」


 ラヴェンは応えなかった。応えられなかったのかもしれない。立っているようで、立っていない重心のまま、彼は一歩後ずさり、机の端にわずかに触れた。触れた指先に温度が戻る。戻った温度が彼を現実に引き戻し、彼は短く合図を送った。使徒が素早く彼の肩を支え、三人はさざ波のように揺れて扉へ退いた。


 「帰還命令は撤回されない」


 ラヴェンは最後にそれだけを言った。けれど、声はさっきより人間に近かった。「審理の期日は、追って——」


 「紙でお願いします」


 ユウトが言った。お願いします、の響きに、サクラの指がわずかに笑う。「紙は冷たいけど、温められる。暖炉の上に置いとくから」


 扉が閉まると、ギルドの空気は急に柔らかくなった。受付の女性が胸に手を当て、避難鐘をそっと台に戻す。彼女の手は少し震えている。震えは悪くない。生きている証拠だ。


 メイが剣を収め、トゥルがカウンターから飛び降りる。「勝ったの?」


 「勝ってない。負けてもない」


 ロッドが慎重に言葉を選ぶ。「試合は中断。条文は発動。反射は成功。奇跡は——うまく行使された」


 サクラはその場に腰を下ろし、息を吐いた。吐いた息の白に、わずかに光が混ざる。光は数では測れない。「ねえ、ユウト」


 「うん」


 「ありがとう。あなたの読み上げ、心の底に刺さった。条文は、音で届く」


 ユウトは笑った。笑いは薄い膜になって、みんなの周りを包んだ。膜の向こうで、掲示板の釘穴が、ひとつだけ薄く光る。誰かが見ている。見ている目は、冷たくて、少しだけ温かい。温かさは疑わしい。でも、疑いながら救われてもいい。


 そのとき、扉の外で雪が静かに降り始めた。白は冷たい。冷たいのに、今は少しだけやわらかく見える。ラヴェンの残した冷気がまだ床に張り付いているのに、その上から降る雪の粒は、吸い込まれていくみたいに消える。消えるたびに、誰かの胸の中の拍が、ほんのすこしだけ揃う。


 ギルド杯の二回戦の紙は、まだ貼られたままだ。文字は黒く、角は冷たい。黒の端に、小さな手描きの星が一つ、増えていた。誰が描いたのか、わからない。けれど、その線は震えていた。震えている線は、たいてい本当のことを描く。


 「行こう」


 ユウトは言った。言葉は床に落ちず、空気の中で丸くなる。「審理も、試合も、借金も、雪も、全部いっぺんには無理だけど、順番に行けばいい。残念の順番で」


 サクラは頷き、メイは肩を回し、トゥルは指を鳴らし、ロッドはLEDを一度だけ灯した。灯りは小さい。小さいけれど、目印には足りる。目印があれば、人は歩ける。歩けるうちは、まだ大丈夫だ。


 外に出ると、雪の匂いがした。朝よりも冷たい匂い。冷たい匂いのなかで、サクラが空を見上げる。目を細める。笑う。人間みたいに。女神みたいに。どちらでもあり、どちらでもない笑い方で。


 「欠点のある方へ、行こう」


 彼女の言葉に、ユウトはうなずいた。欠点は、怖い。怖いけれど、そこに手をかけるために生まれてきたのだと思えば、少しだけ楽になる。楽になるぶんだけ、勇気は軽くなる。軽くなった勇気は、冬の空気の中で、よく跳ねる。


 跳ねる音が、遠くの鐘の音と重なった。鐘はまだ鳴っていないのに、胸の奥で確かに鳴った。鳴りは、次のページの合図だ。ロッドが小さくページをめくる。紙の音が雪に溶け、薄い光が、その上をやわらかく滑っていった。

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