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勇者パーティー、全員が残念キャラで成り立っています  作者: 妙原奇天


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第5話 女神の休職日

 女神の力が尽きるときは、音がしない。火が消えるときみたいな匂いも残らない。ただ、サクラの背中にあるはずの見えない羽の音が、ふっと止まり、代わりに空気の静けさだけが残る。静けさは重い。重いから、抱えた腕がわずかに震える。


 その日の午前、ギルド杯の二回戦の抽選紙を見た直後、サクラは椅子に手をついて、目を伏せた。彼女の額には薄い汗が浮かび、指先は白く冷たかった。ロッドが穴の目で見て、短く告げた。


 「神力残量、ゼロ。活動停止を推奨」


 「推奨って、止まるしかないってことだよね」


 ユウトが苦笑まじりに言うと、サクラはいつもの強がり半分の笑顔を作ろうとして、うまく作れなかった。笑顔の形だけが頬に残り、心が追いつかない。女神の笑顔が形だけになると、ひどく人間に見える。人間は無理をするとすぐばれる。そこが、愛おしくもあり、怖くもある。


 街外れ、蒸気管の音がやわらかくなるあたりの宿に部屋を取った。冬の王都リブレリアでは珍しく、窓に束ねたドライフラワーが吊るしてある宿だ。枕元には小さな陶器の天使が置かれていて、笑っている。笑っているのに、目は開いていない。目を閉じたまま笑う像を見ると、胸のどこかが冷える。


 サクラは人間の姿のまま、布団に沈んだ。黒ずみかけた羽は消えて、背中には何もない。何もない場所が痛い、と彼女は小さく言う。痛みは、たいてい、あるものよりも、なくなったものの輪郭に沿って走る。ユウトは毛布をもう一枚引き上げ、寝息のリズムが整うまで隣に座っていた。整ったと思った矢先、窓ガラスの外を、目に見えない視線が擦るような感覚が通り過ぎた。見ている目は、いつだってどこかにある。


 「稼がないと」


 メイが言った。部屋を出る前、ドアノブに手をかけたまま、きっぱりと。「サクラを寝かせておくには、宿代も、食事も、暖炉の薪もいる」


 「仕事、検索」ロッドが即答する。「短期、即金、寒冷地対応。除雪、皿洗い、流しの演奏、搬入、荷役、夜間保全巡回……」


 トゥルはフードの奥で笑った。「チップが出るやつがいいな。夢がある」


 「夢を博打に換金するな」メイが眉を寄せる。「換金される前に壊れるのは、だいたい心」


 ユウトは一度、サクラの寝顔を見に戻り、そっと部屋を出た。廊下の古い板が鳴る。鳴り方に癖があり、足を置く位置によって音程が変わる。音を重ねると、宿全体の呼吸のように聞こえた。呼吸は生き物の証拠だ。証拠がある場所は、まだ安心できる。


 まずは皿洗い。王都の中心に近い食堂は、昼前から忙しくなる。湯気とスープの匂いに包まれ、ユウトとメイは袖を捲って洗い場に入った。ロッドはレジ脇の在庫管理板を穴の目で覗き込み、トゥルは「呼び込みと片付け、なんでもやる」と笑って客席へ出た。主人の大きな手が鍋を振り、スープが太い音で鍋肌を叩く。


 最初は順調だった。ユウトが泡立て、メイがすすぎ、二人で流れを作る。皿は白く、光は冷たい。冷たい光は皿の縁で跳ね返り、洗い場の壁に星の形の斑点を散らした。星は数字にならない。数字にならない星は、心を少しだけ楽にする。


 だが、忙しさが熱を帯びると、テンポが狂った。メイは剣の代わりに皿を握る手が強すぎる。縁に小さな亀裂があった皿を掴んだとたん、それは見事に二つに割れ、洗い場に澄んだ音を残して沈んだ。彼女は「ごめん!」と言って、すぐ次の皿を取る。次の皿も、音を立てた。二枚、三枚。主人の太い背中がぴくぴくと動き、振られる鍋のリズムが乱れる。


 「メイはすすぎはやめて、運びに回って」ユウトが素早く配置を替えた。彼女は頷き、割れない鉄鍋とサラダボウルだけを抱えて走った。走り方は戦場のそれで、木の床が低く鳴った。


 カウンターの先では、トゥルがチップを受け取っていた。身軽な笑顔、冗談のタイミング、皿の間をすり抜ける身のこなし。客の懐をひっかくように、光るコインが彼の手の中へ滑り込む。彼はコインを親指ではじき、光の軌跡を一瞬見せてから、エプロンのポケットに落とした。落ちる音は小さい。小さい音ほど、後で大きくなる。


 「在庫管理システム、最適化提案」ロッドが主人の肩越しに乾いた声をかけた。「原価の高い香辛料の発注頻度と来店客の胃袋は相関しない。人は冬に辛い物を求めるが、求めた言葉と食べる量は一致しない」


 主人は「はあ」と言い、意味がわからないという顔のまま鍋を振り続けた。ロッドは穴の目をパチリと一度だけ閉じ、いつの間にか店の帳場板に接続していた。数字が勝手に並び替えられ、赤字の列が青く染まっていく。


 「おい、勝手に触るな!」


 抗議は一歩遅かった。ロッドは店のシステムを美しく整えて、同時に、主人の怒りを手に入れた。怒りは正しい。正しい怒りは音が低い。低い音は、店内の木の梁に吸い込まれて、後から出てくる。


 「出禁。うちは魔導書お断りだ!」


 ロッドは静かに表紙を閉じ、「了解」とだけ言った。彼の表紙のLEDが一度だけ消え、しばらく戻らなかった。


 昼が終わる頃には、洗った皿よりも割った皿の枚数のほうが多い気がして、ユウトは目を閉じた。閉じたまぶたの裏に、サクラの寝顔が浮かぶ。寝顔は静かで、静けさは彼女の背中の“ない”場所に集まっている。ないものほど、よく見える。よく見えるものほど、守りたくなる。


 食堂から少し離れた通りで、午後の除雪の求人を見つけた。蒸気管の整備会社が人手不足で、路地の雪を剥がす仕事だ。腰にベルトを締め、雪押しを手にして、ユウトとメイとトゥルは低い姿勢で押した。雪は軽いはずなのに、押すほど重くなる。重さは段差に溜まる。溜まったところで、足を取る。


 「こっちは俺の得意分野じゃないな」


 トゥルが笑い、雪の塊の上に滑り乗って、バランスを崩し、尻餅をついた。笑い声が白い蒸気の間で転がる。笑い声は軽い。軽い声は風に乗りやすく、すぐに隣の路地に流れていく。流れていった先で、知らない誰かの耳に届き、誰かの一日の湿度を少しだけ変えるのかもしれない。


 夕方、指先の感覚が鈍くなる頃、交差点の角にある小さな広場で、流しの演奏の募集がかかっているのを見つけた。古いバイオリン、歯の欠けたハーモニカ、壊れかけの小太鼓。楽器はどれも、ひとの手垢と冬の乾きで艶が変わっている。


 「どれにする」メイが小太鼓を持ち上げると、皮がきいと鳴いた。「これ、叩けば割れそう」


 「割るな」ユウトはバイオリンを取り、弓に息を吹きかけて毛を温めた。昔、遠い町で、母親が夜に眠れないとき、小さな子守歌を弾いたのを思い出す。覚えているのは、指が触れた木の温度だけだ。音は覚えていない。覚えていないのに、弾き始めると、指が勝手に昔の形を思い出す。


 最初の一音は細く震えた。震えは恥ずかしさのかたちをしている。二音目、三音目、震えは雪に吸われ、音はすこしだけふっくらした。トゥルがハーモニカで手伝い、メイが小太鼓を割らずに叩くリズムを見つけた。ロッドは表紙を開き、音の波を記録しているふりをしながら、通りを行く人の足取りの速さを数えていた。


 チップは、思ったよりも入った。思ったよりも——つまり、少なかったけれど、ゼロではない。銀色の小さな硬貨が、寒さで青い指先から器の底へ落ちるたび、薄い音が重なる。重なった音は、夕焼けの色の中で、少しだけ温かく聞こえた。


 「すみません、その銀、ちょっと両替……」


 トゥルがそう言って硬貨を集め、角の向こうへ小走りに消えた。嫌な予感は、冬の風より早く背中を撫でる。十分後、彼は笑顔で戻ってきたが、手は空だった。笑顔に小さなひびが入っている。


 「ちょっと、夢を見た。すぐ覚めた。寒い夢だった」


 メイが無言で頭を叩いた。小太鼓で叩かなかっただけ、優しさだ。優しさは音を小さくする。


 夜。宿の部屋に戻ると、サクラはまだ眠っていた。頬の色は薄く、唇は乾いている。ユウトは暖炉に薪をくべ、湯気の立つ洗面器に布を浸して、そっと彼女の額に当てた。額の下で、皮膚がわずかに震える。震えのリズムが、人間の眠りのそれになっている。女神の眠りは、もっと静かに冷たかったはずだ。今の彼女の眠りは、音が多い。音は生きている証拠だ。


 メイとトゥルとロッドは部屋の隅で小さく収支を数えた。割った皿の分、出禁の補填、除雪の支給、演奏のチップ、トゥルの夢の負債。ロッドがLEDを点け、数字を並べ、ため息の音で合計した。


 「三十」


 「三十G」


 メイが額を押さえる。「はあ……」


 「三十という数字は、小さい。だが、ゼロではない」


 ロッドの擁護は、いつも通り乾いている。その乾きが、かえって胸の奥の湿気を落ち着かせた。湿気が落ち着くと、冷たさが正しく見える。正しく見える冷たさは、耐えられる。


 夜半、外は雪が強くなった。窓の向こうで白が舞い、街灯の周りに薄い輪ができる。輪の内側はあたたかそうに見えて、実際は一番寒い。見かけと中身の温度差が、人を疲れさせる。ユウトは椅子から立ち上がり、サクラの枕元に座り直した。布団から出ている手は、子どものように小さく見えた。小ささは弱さではない。ただ、守り方が限られているというだけだ。


 ユウトは手を取った。冷たい。冷たさは、すぐに伝染する。伝染した冷たさを、自分の掌の中で温める。温かさは、すぐには戻らない。すぐ戻らないことを受け入れる時間が、いちばん長い。


 「無理して笑わなくていい」


 彼は小さな声で言った。声は暖炉の火に当たり、丸くなる。「みんなで残念なら、それでいい」


 言葉は、空気に浮かんで、ふわりと沈んだ。沈んだところに、サクラの息が触れた。ほんのわずかに、頬が光った。光は熱ではなく、光そのもの。冬の氷が吐く白い光。氷雪が、窓の外だけでなく、室内でも一瞬だけ舞った。ありえない、と思う前にきれいだ、と思った。きれいだ、と思ったあとに、すこし怖い、と思った。怖いときに手を離さなかったのは、たぶん偶然ではない。


 サクラのまぶたが、ほんの少しだけ持ち上がる。目は完全には開かない。けれど、そこには確かに目があった。目は、笑わない。笑わない目は、ときどき、いちばんやさしい。


 「……残念、の意味、考えてた」


 彼女はかすれ声で言った。声の端が、雪の輪郭で縁取られている。「天界では、残念は配点が低い。でも、ここでは、残念に人が寄ってくる。寄ってきて、一緒に笑う。……不思議」


 「配点のない笑いは、こっちの通貨だよ」


 ユウトは微笑んだ。笑いは、彼女の手の上では薄い布のように軽くなり、ふくらんだ。「三十Gしかないけど、三十だけは、ある」


 「三十、ある」


 サクラは小さく繰り返した。繰り返された言葉は、ひとの胸の中で形を持つ。形があれば、熱が入る。熱が入れば、氷は小さく溶ける。溶けた水は、朝になると涙になるかもしれない。涙は、悪くない。


 窓の外で、雪が踊った。踊り方がいつもの雪と少し違う。誰かが振り付けしているみたいに、一定の拍で舞い、少しだけ逆流して、また落ちる。街灯の下で、見えない誰かの目がまばたきもせず、その踊りを見ている気がした。見られている、という感覚は、完全には消えない。それでも、今夜ばかりは、その目の温度がいつもより高い気がした。高い温度は、疑ってもいい。疑いながら、手を握る。


 メイは壁にもたれて眠っていた。鎧の縁に白い結晶がつき、息が規則正しく上下する。トゥルは窓枠に腰をかけ、足をぶらぶらさせながら、眠ったふりをして起きていた。ロッドは暖炉のそばで表紙を半分だけ閉じ、LEDを弱く灯している。灯りは小さく、でも、部屋の四隅まで届く。届いたところで弱くなり、その弱さが、今夜はちょうどよかった。


 サクラの指が、ユウトの指を握り返した。弱い。弱いけれど、はっきりと。握り返すという行為は、どんな神事よりも、人間の儀式だ。儀式には順番がある。順番は、誰かの心で決まる。今夜の順番は、正しかった。


 「明日、雪が弱まったら、蒸気パンを買ってこよう」


 ユウトは独り言みたいに言った。サクラが目を閉じ、口角を上げた。上がり方は不器用で、愛おしい。


 「蜂蜜のやつ」


 「蜂蜜、少し。甘すぎると、あとが寒い」


 彼女の言葉に、ユウトはうなずいた。甘さは、冷たさを隠すが、消しはしない。消せないものを抱えて生きる方法を、学ぶために、わたしたちはこうして残念でいるのかもしれない。


 夜は長い。長い夜は、ゆっくりと人の心を温めたり、冷やしたりする。温める作業は遅く、冷やすのは速い。速さに負けないために、手を離さない。離した手は、また握ればいい。握る手があるうちは、まだ大丈夫だ。


 宿の屋根に雪が積もり、蒸気管から上がる白が月を薄く包んだ。月は星の代わりに、街を見守る。星は数字にならない。数字にならない光は、眠るひとのまぶたにそっと乗り、やわらかい影を作る。影は怖くない。今夜は、怖くない。


 女神の心が、人間の言葉でほんの少し温まった夜。三十Gは小さいが、灯りは小さいほどあたたかく見える。見え方がすべてを決めるわけじゃない。でも、見え方に救われることはある。救いは、配点に載らない。配点に載らない救いを、わたしたちは「残念」と呼んで、笑った。


 その笑いの薄い膜が、明日の朝まで破れませんように——ユウトはそう祈りながら、サクラの指のかすかなぬくもりを、眠りに落ちるまで数えた。数えた数字は、誰にも見えなかった。見えない数字が、見えない羽の代わりに、彼女の背中をそっと支えている、と信じるには、十分な夜だった。

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