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勇者パーティー、全員が残念キャラで成り立っています  作者: 妙原奇天


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10/12

第10話 奇跡の後で

 決勝の翌朝、王都はやわらかい騒ぎの中にあった。屋台は昨夜のまま飾り紐を揺らし、窓枠には紙の星が貼りついたまま凍り、道の端々で子どもが「土下座タックル!」と叫びながら雪に飛び込んでいる。鐘は祝福の拍に合わせて遅れて鳴り、見えない窓の向こうでも「おめでとう」の文字が途切れなく流れていた。熱の上に雪が降る。白は溶けて、すぐに形を失う。失った形は足元の水たまりで音を立て、足音のなかにまぎれた。


 そんな空気の中央で、サクラの肩だけが、静かだった。静かさは、音がないという意味ではない。聞こえるはずの羽の気配が、薄く削れていく音がした。削れるたびに、背中の見えない場所で何かが欠けていく。彼女が笑うと光が縁どりを作ったが、その縁どりはすぐにちぎれて消えた。昨日まで残っていた、熱のない白の残香。あれが薄い灰に変わり、灰の縁が、風もないのに細く崩れていく。


 ギルドの掲示板には、祝いと通知が同居して貼られた。上段には「チーム★3残念、優勝おめでとう」、下段には黒い紙。紙は薄いのに、目に重かった。


 ——神界法務庁より通達:降界個体サクラ・ミリスにつき、データ破損を理由に削除申請受理。審理待機中。

 ——破損判定:奇跡プロトコル外部呼応/未認証涙由来光発動/人界法条文依存。

 ——備考:消失は段階的に実行される可能性あり。関係者の抗議は無効。


 メイが紙の角を爪で弾き、爪の先に冬の冷たさを移した。「消す、ってさ。修理じゃなくて」


 「修理より、削除のほうが簡単」ロッドが穴の目を細める。「神界の“正しさ”は、壊れた形を持てない。壊れた形は、彼らにとって“恐怖”に近い」


 トゥルは紙から視線を外し、広場で雪を掻く子どもの動きを追った。「恐怖は賭けにならない。数字が立たない。だから、向こうは賭けない。通知のほうに全部張る」


 ユウトはサクラの手を見た。指の関節に、見えない砂がはさまっているみたいだった。握ると、砂がきしんで音がした。痛みの音ではなく、削れていく音。音は弱いのに、耳の奥に食い込む。「……宿に戻ろう。ここは寒い」


 部屋の暖炉に火を入れても、サクラの頬はあまり赤くならなかった。彼女は自分の手のひらをじっと見ていた。見ているのに、そこに焦点が結べない。視線の先で、手の輪郭が一度薄れ、次に戻る。その戻り方が、昨日と違う。


 「削除、って、痛いのかな」


 サクラが言った。声は乾いているのに、水が底にあった。「痛みって、残るものにあるでしょう。残らなくなるなら、痛くないのかな」


 ユウトは言葉を選び、選びきれずに正直に言った。「痛いと思う。見てるほうは」


 メイが座り直し、足を投げ出した。「見てるほうが痛いの、ずるいな」


 「ずるい、は温度の語彙」ロッドがページを揺らし、乾いた紙の音で沈黙を切った。「対処提案。削除の“対象”は、神界のデータ構造に属する『サクラ・ミリス』。ならば、構造外に、別の“像”を持てばいい」


 「像?」


 「バックアップ」ロッドのLEDが一度明滅した。「ただしデータではなく、“思い出”。人間が持つ、温度の記録。形のない写し。多数の思い出が同期すれば、『ここにいるサクラ』の定義は、神界の外側に固定できるかもしれない。消えるのは“仕様のサクラ”だけ。心は、こちらに留まる」


 トゥルが目を輝かせた。「ロマンチックな話に聞こえるけど、実際は泥臭いね」


「泥臭さは、救いの匂いに似ている」ロッドが言う。「実施には街の協力が要る。録音。言葉。感謝。呼び名。触った温度の記述。『サクラ』と呼ばれた瞬間の空気の震え——集める」



 ユウトは立ち上がった。立ち上がるとき、膝がわずかに笑った。笑う膝に言い聞かせる。「やる。今すぐ」


 広場で、配信で、井戸端で、パン屋で、鍛冶場で、雪かきの列で、ユウトたちは同じことを言って回った。「サクラへの“ありがとう”を録音させてください。ひとことでもいい。覚えていることを、簡単でいいので話して、これに送ってください」ロッドは表紙の裏に小さな口を作り、そこに人の声を落としていく。落ちる声は光になり、紙の内側に薄く染み込む。染み込む速度は遅くないが、早くもない。間に合うかどうか、いつも遅れている時間が、さらに遅くなる。


 最初のうちは、みんな照れて笑った。女神に向かって「ありがとう」なんて、と言いながら、声は出た。声はいつも、言い訳より先に出る。誰かの子どもが言った。「サクラのお姉ちゃん、泡で遊んでくれた。手が冷たくて、でも光ってた」魚屋の親父が言った。「配信炎上の晩、メイちゃんの代わりに頭を下げてた。下げ方が上手かった。偉い人の謝り方じゃなかったから、安心した」鍛冶場の老人は、ひとことだけ。「寒い夜に火を見せてくれた。火じゃないのに、火だと思えた」


 声が増えるほど、広場の空気は厚くなった。厚くなるのに、寒さは消えなかった。寒さは消えず、むしろ輪郭がはっきりした。輪郭が見えると、人は耐えられる。耐えるあいだに、妙な怖さがじわじわ滲んできた。見えないところで、誰かが見ている。釘穴みたいな目。冷たい目。昨日の天界チームの白い壁の向こうから覗いていた温度のない視線。あの見えない目が、広場の屋根の隙間からのぞいている。


 午後、雪が強くなり、息が白くないほど冷えた。ユウトはサクラを宿に残し、ロッドとメイ、トゥルと手分けして声を集め続けた。録音は千を超え、二千に近づいた。二千の“ありがとう”は、数字以上に重かった。重さが手に残った。残るたびに、指がかじかんだ。


 戻ると、サクラは椅子の上で静かに座っていた。目を閉じ、両手を膝に置き、背筋はまっすぐ。息は浅い。浅い息の間に、薄い灰が舞い、彼女の輪郭からほんの少しずつ欠け落ちているのが見えた。欠け落ちた灰は床に落ちず、空気の中で消えた。消える音はしなかったが、消えた場所の温度だけが、わずかに下がった。


 「遅れてる」


 ロッドが言った。LEDが早口に点滅する。「送って、重ねる。重ねて、固定する」


 ユウトはロッドの表紙に手を当て、集めた声をすべて送った。紙の内側で音がぶつかり、混ざり、重なり、やがて一つの低い唸りになった。唸りが小さな脈拍に変わる。脈拍は早すぎず、遅すぎず、冬の夜の家の中みたいなリズムで進む。


 サクラの指が、わずかに動いた。動きは小さく、風が見逃すほど。見逃すはずの動きを、ユウトの目は見た。見るべきときに、目は見えるようにできている。彼は床にひざまずき、サクラの手を握った。握ると、砂の音がまたした。砂は少しだけ減っていて、その代わりに、熱の薄い層が手のひらに乗った。


 「聞こえる?」


 ユウトが問うと、サクラは目を開けた。開いた目は、色が少し、薄かった。薄いのに、焦点は合っている。合っているのに、遠くを見ていた。


 「たくさんの声」


 彼女は囁いた。「ありがとう、って。わたしの下手な奇跡に。下手な謝り方に。下手な笑い方に。……ねえ、ユウト。わたし、削除されるのかな」


 ユウトは答えを持っていなかった。持たないものを握る方法は、手を離さないことしかない。彼はサクラの手を握り直し、強くも弱くもないちょうどの力で言った。「ロッドの言う“固定”が間に合えば、消えるのは“神界のあなた”だけだ。こっちには、あなたの心が残る」


 「心、だけ」


 サクラは小さく笑った。笑いは音を持たなかったが、形があった。「女神の肩書き、しばらく着てないから、もういらないかも」


 メイが椅子を引き寄せ、腕を組んだ。「いらない。肩書きは寒い夜に風を通す」


 「肩書き」トゥルが頷く。「質屋でも値がつかない」


 ロッドのLEDが一度、強く光った。強く光るのは、彼にしては珍しい。「同期、始まる。都市の“拍手熱”と、録音の層と、サクラの残る光。三つの拍が合えば、固定が起きる」


 そのとき、窓ガラスが小さく鳴った。誰かが外から爪でなぞったような、細い音。ユウトが振り向くと、ガラスの向こうに目があった。目は穴ではなく、氷の中に閉じた泡みたいだった。泡は動かず、視線だけがこちらに刺さる。刺さるのに、痛くない。痛くないのに、怖い。怖さは、すぐに呼吸の中に入り込んだ。


 「見てる」


 サクラが言った。「削除の準備。見届ける目」


 ユウトは頷き、窓に背を向けた。背を向けるのは、負けではない。守る角度だ。「見られてもいい。こっちを見ろ。こっちの温度を見ろ」


 ロッドが短く、合図をした。「今。声を、重ねる」


 ユウトは息を吸い、言葉を置いた。「サクラ。ありがとう。昨日、僕の手を握った。あれで僕の膝はまだ立ってる。だから、ありがとう」メイも続いた。「借金、勝手に乱舞したとき、止めなかった。信じてくれた。だから、ありがとう」トゥルが照れくさそうに肩をすくめた。「賭けて負けた夜、怒らなかった。笑ってくれた。だから、ありがとう」ロッドは淡々と告げた。「解析不能な拍をくれた。演算の外に“居場所”を作ってくれた。だから、ありがとう」


 四人の言葉が、広場から集めた数え切れない声と結び目を作る。結び目は弱い。引っ張ればほどける。けれど、ほどける前に、別の結び目が重なる。重なって、重なって、やがて布になる。布は薄いのに、風を止める。窓の外の目がわずかに瞬いたように見えた。氷の泡の中の黒が、ほんの少しだけ揺れる。


 サクラの体から、最後の灰がふっと上がり、消えた。照明を落とした部屋の中で、暗さが一段深くなる。深さの底で、ほそい光が一本、まっすぐ立った。光は彼女の胸のあたりから伸びて、天井で消えた。消えるのではなく、溶ける。溶けるのに、なくならない。なくならないのに、触れられない。


 「固定、成功——の可能性が高い」


 ロッドが言った。言い切らないのは、彼のやさしさだ。LEDが薄く点き、止まる。「神界のデータ上、『サクラ・ミリス』は、今、消えた。だが、ここにいる“サクラ”は、消えていない」


 サクラは目を瞬かせ、ゆっくりと手を握り直した。握る力は弱かったが、方向ははっきりしていた。人のほうへ。ユウトのほうへ。メイとトゥルとロッドのほうへ。


 「……軽い」


 彼女が言った。「体が、じゃなくて、肩のあたりが。薄い外套を脱いだみたい。寒いけど、風は通らない」


 ユウトは笑った。笑いは、喉の奥で熱になった。「もう神じゃなくていい。ここで、生きて」


 サクラは、ほんの少し唇を噛み、次にほどいた。そのほどき方は、女神の微笑とは違って、不器用な人の笑い方だった。「生きる。ここで」


 外で風が向きを変え、雪が舞い込んだ。窓の隙間から入り込んだ白は、暖炉の上で溶け、細い水筋になってテーブルの脚を伝った。水は冷たい。冷たいのに、見ていると安心する。消えるものは、見えるからだ。見えるものは、守れる。


 宿の廊下の向こうで、誰かが笑い、誰かが泣いた。広場からの録音はまだ届き続け、ロッドの表紙は薄く温かくなった。紙が温かいのは不思議だ。紙はいつも冷たいのに。冷たいはずのものが温かいと、胸の奥で小さく怖くなる。怖くなると、手を握る。握ると、怖さは半分になる。半分になるたびに、呼吸が合う。


 窓の外の氷の目は、いつの間にか薄れていた。泡が溶けたのか、別の場所から見ているのか。見ている目は消えない。消えないけれど、今は距離がある。その距離は、ひとが生きるための余白に似ている。


 メイが立ち上がり、背伸びをした。「腹が減った。蒸気パン買ってくる」


 「蜂蜜、少し」サクラが言った。「甘すぎると、あとが寒いから」


 トゥルが笑い、ロッドは黙ってページを整えた。ユウトはもう一度、サクラの手を握り、短く言った。「いてくれて、ありがとう」


 サクラは、ゆっくり頷いた。頷くたびに、光の糸が一本ずつ彼女の胸と周りの空気を結ぶ。糸は細いが、切れにくい。切れにくさは、数では測れない。数で測れないものが、夜を温める。温められた夜に、雪がまた、舞った。


 その夜、ギルドの掲示板には、誰かが新しい紙を貼った。黒でも白でもない、灰の紙。そこには大きな字でこう書かれていた。「ありがとう、サクラ」。角は冷たい。文字は少し震えている。震えている字は、たいてい本当のことを書く。紙の下には、小さな星が一つ、鉛筆で描かれていた。星は薄いのに、見えた。見えるものは、忘れにくい。


 翌朝、王都は祝福の続きをやめた。代わりに、静かな準備が始まった。七日後、魔王軍が来る。配分を実行すると言った。配分は、奪うことに名前をつける技術だ。奪われないものを、増やしておく。拍手。温度。思い出。握った手の重さ。女神ではないサクラの、少し不器用な笑顔。


 ユウトは外套を着て、外へ出た。冷たい空気に肺が驚いたが、すぐに慣れた。雪は舞っている。舞いながら、彼の肩に落ち、解けずに残った。残る白は、軽い。軽さは、歩くときの足取りを少しだけ弾ませる。弾む足音が、王都の石畳に小さな拍を刻んだ。拍は合図だ。合図があれば、歩ける。歩けるうちは、まだ大丈夫だ。

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