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04.ちょっとした事件


朝。

今日はいい夢見た。

懐かしい夢だ。

俺は気分良く電車に乗っていた。

今日は二分遅刻する電車じゃない。一本前の電車だ。

今日は遅刻じゃないんだ。きっと課長も怒らない。

ま、どうでもいいや。気分いいし。

俺は電車を降りて、駅を出て……会社に向かう途中で気がついた。

……ふぅん。

朝から要刑事が俺をつけてるけど。

ま、それもどうでもいいや。

狙われているわけじゃないみたいだしね。

俺はルンルン気分で、会社に入ろうとした。

ところが、美女二人が待っているはずのエントランスホールでは、ちょっとした事件が起きていた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


たくさんの人がそこにいた。

人だかりだ。

俺は背伸びをして、中を覗き込んだ。

なに?なんだろ。

俺は聞き耳を立てた。そこらじゅうからヒソヒソ話が聞こえている。

でも聞こうとしなくても、大きな声がエントランス中に響いた。

「ってめえ!ざけんじゃねえぞ!」

あんまり突然で、俺はちょっとビックリした。

柄の悪い男の声だ。かなり興奮して怒鳴っている。

「こっちの台詞よ。大声出せば済むと思って。」

女性の声はやけに冷静だ。

―――あ。今野さんだ。

昨日、俺を殴った女の人。

すでに制服姿だった。

今野さんを脅しているのは、赤いジャージ姿のでかい男で、首に金のネックレスをしている。見るからに暴力団系……の下っ端みたいに見えた。

みんなはそれを遠巻きに見ている。


みんなのヒソヒソ話によると、どうやら最近別れた彼氏みたいだ。

今野さんにヨリを戻そうと迫っている……らしい。

「俺にそんな口が利けると思ってんのか!ああ!?」

「こんなところまで来て、何考えてんのよ。」

「仕事なんかできなくしてやるよ。俺の相手ができねえなら会社なんか辞めちまえ!!男ができたなんてウソつきやがって!!」

「ウソじゃないわよ。」

「じゃあ呼んでこいよ。できねぇんだろ!?」

「なんでアンタにそんなこと言わなきゃならないのよ!」

今野さんがそう言うと、人だかりの中の一人が、慌てたように会社の中へ入って行った。

ああ……橋本主任。

逃げたよ。

ま、さすがに不倫じゃ、名乗れないよねぇ……

それにしても恋人が困っているんだから、逃げることないのに。

さりげなく助けに入るとかさぁ……


でもそれは、橋本主任だけじゃなかった。

誰も助けない。

相手の男の風貌がヤクザっぽいから、怖くて近寄れないみたいだ。

当の今野さんも、冷静に言い返しているけど、ちょっとだけ手が震えている。

……きっと今までに暴力とか受けてたんだろうなぁ。

今野さんは、逃げた橋本主任を見て、ぐっと下唇を噛んだ。


その時、始業のチャイムが鳴る。

言い争いをしている今野さんを置いて、みんなバラバラに会社へ入って行った。

俺もこっそり、その流れに乗って、受付へさり気なく寄る。

受付の美女に声をかけた。

「ね、もう警察呼んだ?」

みゆきちゃんは目を潤ませて言った。

「あ、杉田君……うん、呼んだよ。もうすぐ来ると思う……でも、どうしよう、あたしが今野さんを呼んじゃって……」

きっと不審者は門前払いするとか、警察呼ぶとかって、マニュアルで決まってるんだろうと思う。

みゆきちゃんは、悪いことをしたと思っているみたいだった。

俺はニッコリ笑って言った。

「ん、大丈夫だよ。きっとすぐ来てくれると思うし。」

見物人が少なくなったからね。

目立つの困るけど、やっと助けに入れる。

通りの向こうから、要刑事が見てるけど。

まぁ、うまくやるよ。

「俺から逃げられると思うなよ……!サキ!」

「ふん。なによ、子供みたい。」

「なんだとテメェ!!」

「キャ……!」

大男は興奮して、今野さんの胸倉に掴みかかった。

みゆきちゃんが、はっと息を飲む。

俺は二人の間に、強引に割り込んだ。


「ハイ、ストップ、ストップ~!」

大男は俺に押されて、手を離した。

よろけそうになる今野さんをさり気なく支える。でも誰にも気付かれないうちに、すぐに手を離した。

「なんだぁテメェは!?」

俺は大きなジャージ男を無視して、今野さんに笑いかけた。

「おはよ、今野さん。もうチャイム鳴ったよ?せっかく早く来て着替えてたんでしょ?早く行かないと、遅刻になっちゃうよ?」

「杉田……」

今野さんは、ちょっと驚いた表情をしたけど、すぐに視線を逸らして言った。

「……いいのよ。もう。」

こんなところを見られたら、もう会社にいられない。

そう思っているみたいだった。

……そんなに思い詰めることないのに。

「な、なんだテメェは?」

男は無視されて、呆気に取られたようだった。

でも俺は更に無視して今野さんに言った。

「じゃあさ。俺今日、有給取るからさ、今からデートしてよ。」

「……は?」

今野さんは目を丸くした。

それと同時に、俺の背後で大男が顔を真っ赤にして怒った。まるで茹でタコだ。

「おいコラ……!なんなんだオメェは!!」

大男は俺の胸倉を掴んで引き寄せた。至近距離で凄まれる。

「うわ、え、なに?」

でも俺は恐くなかった。

だって、テレビの中の人に怒鳴られてもねぇ。

「ああそういえば君、誰?」

今、思いついたように言うと、男は更に怒ったみたいだ。

「サキの男だよ……!俺の目の前で誘いやがって!」

今野さんは焦って言った。

「ちょ、誰がアンタの……!」

「へぇ、そうなんだ。知らなかった。」

俺はニッコリ微笑んだ。

「でも俺は、好きな人を大声で脅したりしないよ?」

「てんめぇ……いい度胸だなぁ……!」

今野さんは男の腕をぐいぐい押している。

「ちょっと……!やめなさいよ!その手を離して!!」

俺はでっかい男に引き寄せられて、爪先立ちになっていた。

うわ、バランス崩れる。

俺は多少、引きつったような表情になった。

「あ、ああうん、よく言われる。俺、空気読めなくてさ。」

「なんだとぉ……!」

でも、本当に度胸がいいって言うのは、ハルちゃんみたいな人のことだよ。

俺なんか、ただのビョーキだ。

大男はいきり立ったように俺に怒鳴った。しかも至近距離で。

「テメェがサキの新しい男か!」

「へ?」

「違うわよ!なに言ってるのよ!!」

今野さんは、慌てて俺と男の間に入ろうとしていた。

俺はそれを無視して笑った。

「あぁ~、それいいね。」

「なにっ!?」

俺は笑ったまま言った。

「……そだよ。俺がサキちゃんの新しい彼氏。」

サキちゃんは、俺の隣で愕然とした。

「な……なに言って……!」

「っ……!ぶっ殺してやる!!」

大男は俺の胸倉を掴んだまま、片手を離して拳を作った。

その動きで、縋り付いていたサキちゃんが振り放される。

俺は慌てて叫んだ。

「わ、わっ!」

その瞬間から、もう一人の俺の目には、スローモーションに見えた。

サキちゃんがよろけて、コケそうになっている。

あぁ……足首、ひねってないといいけど。

「わぁーー!」

俺自身は焦った表情をして、手を振り回していた。

……しかしこの人。

おっそいな。

もう一人の俺は呆れ返っていた。

頭に血が上っているのか、掴んでいるから俺が避けられないと思っているのか。

モーションがでかすぎる。後ろに引きすぎる。

こんなに遅いんじゃ、まともに当たっても、たかが知れてる。

それに。

会社の外から要刑事が見てるし。

遠すぎてどんな表情かわからないけど。


俺はそのまま、くらうことにした。

バキィ……!

俺の顎に、まともに入った。

その衝撃で、俺を掴んでいた手が外れる。

俺はそのまま後ろにぶっ飛んだ。

うわ!

こんなに派手にぶっ飛ぶとは思わなかった。よろける程度かと思っていた。でも体重差がありすぎたみたいだ。俺は後ろの受付の台に、思いっきり後頭部を打った。

「ぐっ!!」

「キャアァッ!」

受付のみゆきちゃんの叫び声。

―――あ、まずい。この感じ……

痛くないけど、意識が遠のいていくのがわかった。


「杉田!」

「杉田君、しっかりして!」

二人の女の子の声に、俺ははっとした。

どうやら、ちょっとだけ気を失ったみたいだ。

でも、その間におまわりさんが来てくれたらしく、大男は取り押さえられていた。

「離せコラァ!ぶっ殺すぞ!アアッ!?」

「暴れるな!」

「暴行の現行犯だぞ!わかってるのか!!」

二人の制服の警察官が、大男に馬乗りになって押さえつけている。

あ……よかった。来てくれたんだ。

でも、もうちょっと早く来てくれればよかったのになぁ。

さすがにハルちゃんみたいにうまくはいかなかった。

ハルちゃんならきっと、殴られたりしないで、うまく時間を引き延ばしたりできるんだと思う。

サキちゃんは、ほっとしたようにため息をついた。

「ああ、良かった、杉田。気がついた。」

「よ、よかったぁ……死んじゃったかと……」

みゆきちゃんは、ウルウルと目を潤ませている。

「あ、あは。大丈夫みたい。」

俺はそのまま動かずに、少し笑った。

口の端がちょっと引きつる。

奥歯がぐらぐらしているような気がする。痛くはないけど。


いやぁ……

それにしても……

すぐ目の前に、二人の美女が……!

倒れている俺を心配そうに覗き込んで、すぐ近くで揺り動かしていたらしい。

まるで覆いかぶさるように、二人で俺を覗き込んでいた。

うはぁ……!

む、胸が……!

目の前にある、ふくらみと谷間に、俺は一気に夢見心地になった。

キツネ顔の美女と、犬顔の癒し系。

うへへ。

ちょーラッキー!


美女二人に囲まれてデレデレしていると、制服を着たおまわりさんが近寄って言った。

「大丈夫ですか!?」

「あ、大丈夫です~」

俺は、ゴツい男の人の顔を見たくなくて、目を閉じてゆっくり起き上がった。

まあ見ないようにしてても見えちゃうんだけど。

ほんとはもうちょっと寝ていたかったけど。

制服のおまわりさんは心配そうに言った。

「念のため、検査をしたほうが……少し気を失ったみたいですから。」

「いや、ほんとにたいしたことないですよ。平気平気。」

予想通り、顎が砕けるほどじゃなかったしね。

でもちょっと失敗かな。

一瞬でも気を失うなんて。

もし刺客がいたら、きっともう死んでる。

父さんが生きていたら、ものすごく怒られそうだ。

「それに検査なんかしたら、おバカなのがバレちゃいますよ。あはは。」

俺が頭をかくと、制服のおまわりさんは、ちょっとほっとしたようだった。

「そうですか……訴えるのでしたら病院に行った方が有利ですが。」

「いや、訴えませんよ。大丈夫。」

「そうですか。じゃ、ちょっと事情を聞かせてもらえますか。」

あぁ、やっぱりそう来るか。

うーん、それより美女二人に心配されていた方がいいなぁ……

「ハイ……」

俺は名残惜しく立ち上がった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


それから一時間くらい、おまわりさんに事情を聞かれた。

といっても、俺はほとんど事情なんか知らないから、ただ今朝のいきさつを話しただけだけど。

サキちゃんは、あの男とは別室で色々聞かれているみたいだった。

盗み聞きした内容では、俺なんかよりも、ずっと時間がかかりそうだ。

もうデートどころじゃなさそうだった。

半分、本気だったのになぁ。


会社に戻って、自分のデスクにコートを置くと、みんなから注目された。

でもそれは今までにないくらいにあったかい視線だ。

みんなニコニコしている。

どうやら今朝のことはすぐに会社中に広まったみたいだった。

隣のデスクの山ちゃんが言った。

「よっ、ヒーロー!」

すると、みんなが口々に、はやし立てた。

そこかしこから口笛が聞こえる。

「やるじゃん杉田!」

「ヒュー!」

「カッコイイ!」

俺はびっくりして笑った。

「え、えええ!?」

山ちゃんが笑いながら言った。

「聞いたぜ。女の子をかばって殴られるなんて、やるじゃねぇか。かっこつけすぎだってぇの。」

「か、かっこつけてないよ!殴られたんだから。」

山ちゃんが笑った。

「ま、かっこ良く助けるなら、殴られたりしねぇよな。」

すると、課長がわざとらしく咳払いした。

「コホン。」

みんなは慌てて仕事に戻る。急に静かになった。

課長が言った。

「杉田。ちょっと来い。」

「あ、はい。」

俺が課長の近くへ行くと、課長はまた咳払いをした。

「……また遅刻だな。」

「はい。スミマセン……」

課長は、手当てしてある俺の顔を見て、無表情に言った。

「傷の方はもういいのか。」

「あ、大丈夫みたいです。」

「……ふん。頭なんか打って、バカがこれ以上バカになったらどうするんだ!」

「あはは、そうですよねえ。」

俺が頭をかいて笑うと、課長もちょっと笑った。

「で……今日は休まなくていいのか。」

「はい。おまわりさんには、もういいよって言われたので。」

「病院は?」

「行かなくて平気です。おバカは治りませんし。」

課長は笑った。

「……確かにな。」

それを聞いていた社員のみんなも、ぷぷっと笑った。そこかしこからクスクス聞こえる。

「……行ってよし。無理はするなよ。」

「はーい。」

「短く!」

「はいっ!」

俺はふざけて敬礼して、自分の席に戻った。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


お昼休み。

俺はいつもの通りに屋上へ出る。

いつもの行動を急に変えたら、きっと要刑事に怪しまれる。

それに万が一、ナナミちゃんがお弁当作ってきてたら、悪いし。

昨日と同じ、隣のビルからは死角の位置に入る。

ベンチに座って伸びをして、ついでに欠伸もした。


でも、しばらく待っても、ナナミちゃんは来ない。

まあ、さすがに昨日の今日じゃねぇ……

俺は諦めて、食堂で食べようかと思っていた。

その時に、突然誰かが俺の隣に座った。

しかもベンチが揺れるほど乱暴に。ドカッと。

「うわ、びっくりした。」

本当にちょっとびっくりした。

まさか女の子が座っただけで、こんなに揺れると思わなかったから。

「これ食べな。」

「……今野さん。」

サキちゃんは俺に大きめの包みを差し出した。

どうやらお弁当みたいだ。

「……あ、ありがと。いいの?」

「ええ私、警察でカツ丼食べてきたから。」

俺はその言葉に、軽くショックを受けた。

「け、警察でカツ丼って……!そんなベタな。っていうか犯人みたいじゃん。」

サキちゃんは、真っ赤な唇で笑った。

「ドラマの見すぎよ。ちゃんとお金取られたわ。私が選んだし。」

「そ、そうなんだ……おごりじゃないんだ。」

「ええそうよ。ラーメンでもよかったけど、ドカ食いしたい気分だったから。」

「な、なるほどぉ。じゃ、遠慮なくいただきます。」

「はい、どうぞ。」

俺はサキちゃんのお弁当を開けた。


それはナナミちゃんのお弁当のような、かわいくてきれいなお弁当じゃなかった。まるで男性用の平らな四角いお弁当で、中身はトンカツと唐揚げ。しかも、ご飯の部分は、お米じゃない。全部細かいキャベツが入っていた。

俺はそれを見て、ちょっとびっくりした。

ご……ごはんがない。

揚げ物とキャベツだけだ。

でも俺は手を合わせた。

「いっただきまーす!」

もぐもぐとキャベツをかっこんだ俺を見て、サキちゃんはちょっとびっくりしたみたいだった。

「た、食べるの?それ……」

「え、なんで?」

まさか昨日に引き続き、酢が入ってるとか?

でも違和感ないなあ。

サキちゃんは、ちょっと視線を逸らした。

「いやその……私用に作ったものだから。普通は嫌がるかと思ったんだけど。」

「えー、そんなことないよ。おいしいよ?この唐揚げ。」

「それはいいんだけど……ま、いいわ。無理しなくていいのよ。」

「無理してないよ。キャベツもうまいし。」

サキちゃんは、ほっとしたように少し笑った。

「そ、そう……良かった。私こう見えても大食いなのよ。揚げ物とか好きで。でも食べ過ぎると太るから、お昼はご飯の代わりにキャベツなの。レタスの時もあるけど。」

「へぇ~そうなんだ。」

サキちゃんは諦めたように言った。

「でも今日は、カツ丼大盛り食べちゃった。」

「あっは……いいんじゃない?たまには。」

サキちゃんは、ちょっと笑った。

「……あんた優しいのね。」

「そう?そんなことないよ。」

「その……ありがとね、助けてくれて。」

「ん?……ぜんぜん助けにならなかったよ?ただ殴られただけだし。」

サキちゃんは、うつむいて微笑んだ。

「でも……あんたしかいなかったわ。」

「……ねえサキちゃん。」

俺が呼ぶと、サキちゃんは驚いて、ちょっと顔を上げた。

「サキちゃん?」

「あ、ごめん。サキちゃんて呼んじゃだめ?」

ハルちゃんは、ちゃん付けで呼ぶと怒るから、今は呼び捨てにしてるんだけど……ほんとは嫌なもんなのかなぁ……?

でもサキちゃんはすぐに笑った。

「ふふ。いいわよ別に。」

「よかった……サキちゃんは、あんな人と付き合ってたの?」

「んー、そうね。」

サキちゃんは長い足を組んで、腕組みした。

腕組みがくせなのかもしれない。

「最初はあんなんじゃなかったのよ。ちゃんと働いてたんだけど、私と付き合ってからいきなり仕事辞めて、私のお金でパチスロ始めちゃって。別れるの面倒で、そのまま放置してたら、今度は覚せい剤。」

「えっマジで?」

ほんとは警察でちょっと聞いたけど、俺はびっくりした。

まさかそんなことを俺に話すとは思っていなかったから。

サキちゃんは自嘲して笑った。

「……ちゃんと告発してきたわ。あいつは当分出られない。今のうちに引越しでもするわ。」

「そ、そうだね……それがいいかも。」

サキちゃんは、ため息のように言った。

「……私、だめなのよ。男を見る目がないの。いつもそんな感じ。」

「へぇ~……」

「でも、あんたなら。」

「え?」

俺はキャベツを食べる手が止まった。

サキちゃんは俺を見て笑った。

「……今夜、ヒマ?」

俺はキャベツをごくっと飲み込んだ。

「……マジで?」


俺は箸を片手にドキドキして焦った。

ハルちゃんに似てる人からお誘いなんて。

どういう急展開?これ。

「え、えぇ~っと俺、ものすごく嬉しいけど、今日、営業課全体の飲み会が……」

サキちゃんは、あっさり言った。

「そう。」

「ああっ、でもでも!人数増やせるよ。サキちゃんが来てくれたら、きっとみんな喜ぶと思うな!」

サキちゃんは自嘲した。

「……まさか。誰も喜びはしないわ。」

「そんなこと……」

「でも、他の子なら喜ぶかもね。」

サキちゃんは俺を遮って言った。

「へ?」

サキちゃんは俺を見て、悪戯っぽく笑った。

「四人ほど追加しておいて。秘書課の女の子を三人連れて行くわ。後輩だけど。」

「ええっ!?本当!?」

「ええ、もしよければだけどね。」

「大歓迎だよ!きっと山ちゃんが飛び上がって喜ぶよ!」

「そう、よかった。」

俺たちは微笑み合った。でも……


誰かいる。

近くに誰かの気配。

サキちゃんが笑いながら言った。

「でもその後で……今度は私に付き合ってよね。」

俺は内心で、その人物を気にしながら言った。

「え……それってもしかして。」

「ふふっ……キャベツが付いてるわよ。」

サキちゃんはさらっと長い髪を揺らして、俺の顎にキスした。

「……うっそ。」

ちょーラッキー!

そんなことってアリー!?

俺は舞い上がったけど、すぐにはっとなって言った。

「え、でもでも、主任は?いいの?」

サキちゃんは、吐き捨てるように言った。

「ああ、もういいのよ、あんなの。私、目が覚めたの。」

「そっかぁ、うれしいな……!」


屋上に出るドアの前で、男が一人立ち尽くしていた。

―――橋本主任。

すぐそこにいるけど。


「あー……でも俺、すごく嬉しいけど……束縛されんの嫌いで。だから特定の彼女作らないつもりでいるんだ。でも……サキちゃんなら考えちゃうなぁ……」

サキちゃんは笑って呟いた。

「いいわよ、別にどうでも。」

「……」

サキちゃんは。

橋本主任がすぐ近くにいること、知ってるんだ。

いや、それどころじゃない。

橋本主任はお昼休みに屋上に来たことないのに。

きっとサキちゃんが呼び出したんだ。

わざわざ呼び出して、これを見せて……


俺はトンカツを頬張りながら言った。

「ほうだね……サキちゃんは主任と別れられば、ほれでいいんらもんね。」

サキちゃんは腕組みを解いて、妖艶に笑った。

「……そうよ。役に立たない男はいらないわ。」

俺は、ふふっと笑った。

「……女の子って……たまに恐いよね。」



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