02.お弁当
なんで……?
なんで俺を見てるの?
ハルちゃんの身辺調査の一環?
それとも……
「わ、おいしそうだね!どれもこれもキレイ!」
タコさんウインナーに、玉子焼き。から揚げに、きんぴらごぼう。ポテトサラダ。
俺はお弁当を膝に乗せて、両手を合わせた。
「いただきまーす!」
要刑事がここで待ってた以上、多分ここには、盗聴器が仕掛けられている。
もしかしたら監視カメラも。
なんで俺がここに来ること知ってるんだろう。
聞き込みでもやったのかな?
まさか、それはないよね。
そんな派手なこと、するはずがない。
俺は一口で玉子焼きを平らげた。
……ん?
なんか違和感。この玉子焼き。
ま、いっか。
「おいしいね!」
俺はそう言って、そのまま食べ続けた。
すぐ隣に座っているナナミちゃんを、俺は見なかった。
でも、神妙な表情をしているのがよくわかった。
「あの……杉田君?」
「なに?」
「……無理しなくていいのよ?」
「ん?なにが?」
ナナミちゃんは足元を見た。ナナミちゃんの膝には本人の分のお弁当が置いてある。
ただし手をつけていない。
「そ、その……美味しくないでしょ?それ……」
俺は思いっきり頬張って答えた。
「へ?なんで?おいしいお?」
俺はモグモグ食べ続けていた。
「そのお弁当……思いっきり酢が入ってるんだけど……」
俺は一瞬だけ箸を止めたけど。
そのままモグモグ食べ続けた。
「え、なんで?ああ、そっか。わかった!」
「え?」
俺はにっこり笑った。
「それって俺のためでしょ?あれだよね。お酢って身体にいいって言うもんね。」
「……そ、そうじゃなくて……」
「ん?」
俺はナナミちゃんを見た。でも俺は、そのまま食べ続けたまま。
ナナミちゃんは泣きそうな顔をしていた。
俺は頬張ったまま聞く。
「じゃあ、なんで?」
ナナミちゃんは泣きそうな顔で口ごもった。
「そ、それは、その……た、食べなくて、いいわよ……マズいんだから!」
「マズくないお?」
俺は口いっぱいに頬張って微笑んだ。
「ナナミちゃんの作ってくれたお弁当だもん、美味しいよ。残したらもったいないし。全部食べるよ。」
ナナミちゃんは、目にいっぱい涙をためていた。
「なんで?なんで全部食べるのよ!?酸っぱくないの!?」
「んーちょっと酸っぱいけど、美味しいよ?」
「……」
ナナミちゃんは涙を手で拭いてうつむいた。
俺はその間も箸を止めることはなかった。
「あーおいしかったぁ!ごちそうさま!」
俺は箸を置いて、手を合わせた。
お弁当をしまっていると、ナナミちゃんが呆れた声で言った。
「……ほんとに全部食べるとは思わなかったわ……」
「あれ?ナナミちゃん食べないの?もしかして自分の分にも入れちゃった?」
「……いや……そうじゃなくて……」
「ん?」
「食欲、なくなったのよ……」
俺がきょとんとしていると、ナナミちゃんは食べずにお弁当をしまった。
そして、うつむいたまま言った。
「ねえトモ君。」
「ん?」
「昨夜、どこに泊まったの?」
「……どこって……」
俺はとぼけたけど。
それで納得した。
わざとマズく作ったお弁当で、俺の反応を見ていたのか。
「……いつものホテルだよ?総務課のナミちゃんと。」
「!」
ナナミちゃんは驚いた表情で俺を見た。でもすぐに目を伏せた。
「……そう。隠さないのね。」
俺はにっこり笑った。
「なんで隠す必要があるの?」
ナナミちゃんは焦ったように言った。
「だ、だって……!」
「あ!そういえば、ナミちゃんとナナミちゃんて、名前が似てるよね!」
「……でも関係ないわ。同一人物じゃないのよ。」
「うん、知ってるよ?」
「そう……見分けがつかないのかと思ったわ。」
「あはは。まさかぁ……」
ナナミちゃんはうつむいていたけど、顔を上げて俺を見た。
「でも、私のこと好きって言ったわよね?」
「え、好きだよ?……でも愛してるわけじゃない。」
「……!」
俺は笑って首をかしげた。
「って、前に言ったはずだけど?」
ナナミちゃんは、みるみる泣きそうになった。
「ひ、ひどい……」
「どうして?その時はナナミちゃん、それでもいいって言ったよね?」
ナナミちゃんは涙で喉を詰まらせて言った。
「私……も、もういやなの。別れて欲しいの。」
「うん、いいよ。別に構わないけど。ていうか、俺たちって元々付き合ってたっけ?」
俺がそう言った瞬間。
パァァンッ!
「ぶ!」
急に左頬が熱くなった。ナナミちゃんの平手打ちだ。
「い、いっ……!」
俺はびっくりして、左の頬を押さえた。
ナナミちゃんは低く言った。
「……さよなら。」
そして赤い包みを二つ持って、屋上を早足で出て行った。
俺はまだ、頬っぺたを押さえていた。
「いっ……」
痛くないけど、びっくりした。
「……女の子って、たまに痛いよね……」
俺は独り言のように呟いた。
それは盗聴器のためでもあるし、近くにいた人のためでもあった。
その、近くにいた人は、そのまま立ち去るのかと思っていたら、意外にもボイラーの角からすっと出てきた。
「……あんた。バカじゃないの?」
俺はその人の足元を見た。白い制服の靴だ。
そのままスラッとした脚に目を奪われて……どんどん視線が上げていく。
制服のスカートに、大きな胸……それを覆うほどの長い髪。
赤い口紅がよく似合っている。
「……今野さん。」
秘書課。今野咲さん。
歳はわからないけど、未婚で社内一の美人だと有名だ。
キツネ顔の美人で……ちょっとハルちゃんに似ている。きっとハルちゃんが女の子になったらこんな感じ。
でも、ひどいウワサがたくさんある人だ。口が悪くて性格ブスで、不倫してるとか。
やっぱり目立つ人って、いろんなウワサをたてられちゃう運命なんだ。
ハルちゃんもそうだけど。
今野さんは見下したような目で俺を見て言った。
「社内一のプレイボーイって聞いたけど……その程度か。女の子を泣かせるようじゃ、まだまだね。」
俺はちょっと笑った。
「……そうだね。」
……あぁ、初めて口利くのに、こんな場面からじゃ不利だなぁ……
今野さんとは、さすがに無理かな……
ハルちゃんに似てるから、かなり気になってたんだけど。
俺は今野さんの足元を見て笑った。
「……でも社内一なんだ。うれしいな。」
今野さんは、嘲笑うように言う。
「ふ……あんた本当に頭が悪いのね。褒めてないわよ。」
「あっは。そうなの?でも嬉しいよ。理由はともかく、それで今野さんから話しかけてきてくれるなんてさ。」
「ふん……」
今野さんは腕組みして、吐き捨てるように言った。
「……ちょっと見ていられなかっただけよ。」
でもすぐに、少し笑った。
「でもスッキリしたわ。」
「え?」
「ふふ……殴られて当然よ。いい気味。」
「……」
俺はうつむいたまま、ちょっとドキッとした。
性格も、ハルちゃんに似ているんだね……
ナナミちゃんとは、お友達じゃないはずなのに、ほうっておけなかったんだ。
女の人って、そういう時やけに連帯感があるから。
今野さんは多分、俺に復讐したくてしょうがないんだ。だから声をかけた。俺に追い討ちをかけるために。
なんて攻撃的。
……どうしよう。
ますます気になっちゃうなぁ……どきどき。
今野さんは俺を蔑んだように言った。
「どう?少しは考え直した?」
「なにが?」
今野さんは高飛車に言った。
「……尻軽なんて最低よ。」
俺は地面を見たまま、ふっと笑った。
「そう?」
「ええ、そうよ。最低。」
「……不倫よりいいと思うけど?」
「!」
今野さんは腕組みしたまま、ぎくっと全身を硬直させた。
「……なんですって?」
俺は薄く笑って、ゆっくり立ち上がった。一歩だけ、今野さんに近寄る。
でも今野さんは、気丈に俺を睨み上げた。俺はにっこり微笑む。
「ね……あんなのやめてさ、俺にしない?」
「は?」
今野さんは驚いたように俺を見て、嘲笑った。
「……呆れたわね。殴られたそばから、早速近くにいた私なの?」
俺は少し首をかしげた。
「うーん、そういうわけじゃないけど、前々から気になってて。」
「ふん……冗談じゃないわ。私はお手軽じゃないのよ。」
「そっか……残念。」
今野さんは警戒して言った。
「あんた……大人しそうな顔して、私にケンカ売ってるの?」
俺はにっこり笑った。
「まっさかぁ……」
「そ。ならいいわ。」
今野さんは冷たく言って、俺に背中を向けて歩こうとした。俺はその瞬間に言った。
「でも君は利用されてる。」
「!」
今野さんはピタリと脚を止めた。
そのまま沈黙したので、俺は畳み掛けた。
「彼に大事にされていないよ……かわいそうだね。」
今野さんは振り返らなかった。そのまま言った。
「……なによそれ。」
「人事部の橋本主任でしょ?俺見ちゃったんだよね……君が遊ばれてちゃってるトコ。」
「……」
今野さんは、組んでいた腕をおろした。でも振り返らなかった。
「俺だったら、大事な人にあんなことしないよ。誰が来てもおかしくないような社内で……誰かに見られたら、何か言われるのは君なのに。それこそ君のこと……どうなってもいいと思ってる証拠なんじゃないかなぁ。」
「……そうね。」
今野さんは冷静に言って、スタスタ俺のところに近付いてきた。
「ね、だからさ、あんなのやめて俺にし……」
バシィィィッ!
「ぶっ!」
俺はまたしても顔を思いっきり殴られていた。
俺は右頬を両手で押さえた。
「い、いっ……!」
「……余計なお世話よ。」
今野さんは低い声で言い捨てると、うつむいたまま屋上を去って行った。
「いった~……」
ほんとは痛くないけど。
でも、すごくびっくりした。
今野さんって、ナナミちゃんより、かなり力持ちだ。
「お……女の子って……ほんと痛いよね……」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
夜。
俺は気の合う同僚たちと、小さな飲み会をした。お昼休みに2連発で殴られたけど、気分を変えて、女友達と男友達、気の合う仲間と楽しんだ。
居酒屋から出て、タクシーでハルちゃんの待つ家へ帰る。
俺はテレビの画面を見るように、自分を見ていた。
あーあ……顔は真っ赤で、足元フラフラ。
完全な酔っ払いだ。
でも今日は、これくらいで丁度いいかも。
俺はこれからのことを考えて、ニヒヒと笑った。
お酒はあんまり強くない。
でも味がよくわからないから、つい飲みすぎてしまう。
記憶を無くしたら、飲む意味がないのに。
残念ながら、本当に全然覚えていない。
でも俺は、ウキウキ気分だった。
ハルちゃんとキス……
ハールたんとチュー……んふふ。
変な気分だぁ。
もう一人の自分は、俺を見ているのに、ぜんぜん冷静じゃない。
もう一人の俺も、完全に酔っ払っている。
すごく気分がいい。
「たっだいまぁ~!」
玄関を開けて、すぐ近くの玄関マットに崩れ落ちた。
俺の後ろでドアが閉まるけど、もう立ち上がってカギをかける気力は無い。
「せんせ~?帰ったお~!ただいまって、ただいマット~!」
きれいな玄関マットは、白くてフニフニしている。
まるで女の子みたいだ。
玄関マットに頬ずりをしていると、リビングの奥からハルちゃんが出てきてくれた。
鮮やかなハルちゃんは、ため息混じりに言った。
「……珍しく早いな。まだ11時だぞ。」
「んん~?そぅお?」
俺は玄関マットに顔をくっつけたまま、カエルのように潰れていた。
でもハルちゃんはよく見える。
髪は後ろで結んでいて、新しい眼鏡をしていた。やっぱり黒縁だ。
黒いスウェットの上下。かなりリラックスしていたみたいだ。
いつ見ても、美人だね。
そんな、人に見せられない姿のハルちゃんも、大好きだよ。
だってハルちゃんの周りだけが、鮮やかだ。
色褪せた空っぽの世界がそこだけリアルに見える。
俺にとって、ハルちゃんだけが現実だから。
どうでもよくないのは……ハルちゃんだけだよ。
だから早く……触って。
俺に現実を見せて。
「水飲むか?友宏。」
「うんー……」
「おい、そこで寝るなよ。今、持って来てやるから。」
「んー……」
それより、チュー……
ああ、まずい。
待っている間に、気を、失い、そ……
急に、口元に冷たい感触。
「ほら、しゃんとしろよ。」
「うー……」
今、ほんとに寝てた。
でもハルちゃんは、俺の上半身を起こして、水を飲ませてくれた。
その瞬間から。
ドラマや映画だった世界が変わる。
もう一人の俺が消えて、俺は自分の視界だけになる。
俺の姿が見えない。周りの景色も。
俺の視界には、今までになかった色鮮やかな世界が映った。
家の壁の色。
目の前にある透明なコップ。
それと、美人なハルちゃん……いい匂い。
ハルちゃんは息がかかりそうなくらい近くで、俺に水を飲ませてくれていた。
周りが見えないなんて、最初は不安だったけど。
これが普通らしいから。
「……ぷは。」
水は飲み干したけど、ぜんぜんスッキリしない。
俺の目の前はクラクラしたままだ。
でも、見えるところすべてが鮮やかで、俺はすっごく嬉しかった。
ハルちゃんは満足そうに微笑んだ。
「よし飲んだか。まだ大丈夫のようだな……ほら立て……部屋に戻るんだ、色男。」
「んんー……」
まだ大丈夫……じゃないよ。
ああ、今度こそ……まずい。
クラクラする。
早くしないと……
俺の腕を取ったハルちゃんに、焦って言った。
「ハルちゃん……ちゅー、しよ。ハルた……ん……」
でも次の瞬間に、気を失った。