日米開戦!
昭和19年、十二月八日。
サイパン島に米菓艦隊が接近して来た。
欧州では戦火も拡大してたが、太平洋はまだ平和だった。
だが米軍は突如、攻めて来た。
日本軍は米艦隊に、哨戒機から英語で無線、並びに拡声器で。
「ココは日本領土のサイパンである。
領海侵犯するなら日本政府を通してから通過セヨ!」
まぁ聞く訳がないので、返事は対空砲射撃して追い払う。
即座に霞ヶ関皇居ビル群に通報し、アメリカ合衆国政府に抗議するが。
アメリカ合衆国政府は日本政府に開戦を一方的に通達。
日本政府は全世界に最大化の短波放送でアメリカ側から攻撃を受けた事に依り、開戦するに至ったと放送。
日本政府は直ちに反撃開始準備。
旗艦、戦艦長門、陸奥を主力とした空母打撃戦隊を呉、横須賀より出撃!
>佐世保、舞鶴の艦隊は対ソ中朝に対抗する為、動かせず。
アメリカ艦隊はグァム沖からサイパン沖で何故か待機。
日本側も哨戒機でパトロールするが、射撃や爆撃は封印。
日本政府はグァム沖にて対峙するので待て!と通告するとアメリカ艦隊も受諾。
日米がついに対峙する事となったのである。
連合艦隊側は山口多門中将が総指揮官となり、総司令部は霞が関皇居ビル群で指揮。
旗艦長門のCICルームにて多門は指示を待つ。
「こちら霞が関、山口提督、総指揮を命じる。武器は全てオールウエポン。
敵を射程に入れ次第殲滅セヨ。以後、戦闘終了まで無電封印ス。」
「聞いたか?総司令部より全ての権限を与えられた。まずは敵に撃たせヨ。
そしてジャミングだ。戦闘機は全機発進し高空で待機。」
旗艦長門から命令が下ると空母群艦隊から零式艦上戦闘機が続々と発進。
カタパルトに前輪を固定し、エンジン全開。
発艦指揮官の振る発艦旗を掲げ、操縦桿は手前に引き、
フットバーはフリー、六点式シートベルトはガッチリ締まってるのを確認。
そして親指を立て、発艦指揮官は旗を振ると・・。
一瞬で時速300kmまで加速する油圧カタパルトで戦闘機は蒼空に舞う。
二本あるカタパルトには続々と機が集まり数分で50機の戦闘機は全て上空に集結。
酸素マスクを装備し、高度1万まで上昇し待機。
赤城、加賀、飛竜、蒼龍、翔鶴、瑞鶴、信濃、大和、武蔵、我が日本の機密空母がベールを
脱ぐ日が来たのだ。
全機が発進すると敵側も新鋭機、グラマンF4Fを主力とする艦上機群を我が艦隊に差し向けて来た。
敵が発進を終わると同時に電波をジャミング。
米軍は以後、通信不可能となり戦闘の様相は不明となったのだ。
やっと戦闘開始です。