赤スパ
授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
先生が今日の授業はここまでと言った。
「いびきがすごかったぞ」
隣に座っていた田中が咎めるように言った。
「授業中にごめん」
「別に授業とか聴いてないからいいけど、メッセージを打つのに集中できなくても困ったよ」
何だ、授業を聴いていないのかよと思ったが、それはお互いさまだ。
「なあ、例のライブのチケットが、サトシがドタキャンしてさ、1枚余っているんだけど行くか」
「ごめん。今日はだめだ」
「バイトか?」
「いや、配信がある」
「配信? 配信の講義とかこの後あったか?」
「違うよ。Vチューバーのライブ配信だよ」
「何だ? それ」
「アバターを使った動画のライブ配信のことだよ」
田中はポカンとした顔をした。
「じゃあ」
僕は講義が終わると真っ直ぐに家に帰った。そして早めの夕食を済ませると机の前に座った。
パソコンの電源を入れた。
ファンが回り始める音がしてケースが7色に光り始めた。
この起動の瞬間が好きだ。
画面にPINコードを打ち込むと、あかねさんの壁紙が出迎えてくれた。
プラウザを立ち上げ、動画配信サービスで「あかねちゃんねる」のライブ配信を開いた。
画面にあかねさんのイラストと「もうすぐだからね」というメッセージが表示された。隅の方でライブ開始までの残り時間がカウントダウンされていた。
カウントダウンの数字を眺めながら待った。
開始まで10秒を切った。
スクリーンに大きな数字が表示され、映画フィルムのようなカウントダウンが始まる。
5
4
3
2
1
画面の中央にあかねさんが登場した。
「こんばんは、ハロー、あかねです」
一斉に「こんばんは」とか「ハロー」というコメントが流れ始める。
僕も「ハロー」とコメント欄に打ち込む。
だが、コメントの数が多いので僕のコメントは流星のように一瞬で流れてしまった。
「みんな、今日どうしていた?」
コメント欄に書き込みが始まる。
そのコメントを押しのけるようにして赤い付箋に書かれたようなコメントが出てきて画面に留まった。
誰かが1万円を投げ入れたのだ。
コメントには「初見です」とだけ書いてあった。ロイという名だ。
「ロイさん。初めまして。スパチャ、ありがとう! でも初見で赤スパって間違っているからね」
するとロイからまたスーパーチャットで1万円が投げ込まれた。
「ごめんなさい。間違っていました」
「だから、それ間違っているって!」
コメント欄に「ないすぱ」とか「草」という字が並ぶ。
(次は僕の番だ)
心臓の鼓動が高まる。
大教室で手を挙げて質問するより緊張した。
Vチューバーのあかねさんの普段の配信は、他の動画配信者もしているようなゲームの実況や、歌や雑談だった。それにあかねさんは特にゲームが上手いわけでも歌が上手いわけでもない。
あかねさんの魅力は何と言ってもライブのスパチャ祭りだった。
それはとある配信での、あかねさんの何気ない一言から始まった。
「わたし、ホントにスパチャとかないの。チャンネル登録者数も他のメンバーより少ないし、その上、今月クレカも止まりそうなの」
それはただの愚痴だった。
だが、その後に「そうなの? それじゃあ、少しだけど援助するね」というコメントと共に1万円の赤スパが投げ込まれた。
普通ならそこで「ありがとう〜!」というコメントを返すだろう。
だが、あかねさんのリアクションは違っていた。
「はぁ? 何、わたし、色を見間違えている? 赤? 本当に赤なの?」
あかねさんはパニックになった。
「だめだって、わたしにそんなにお金使っちゃ。1万円を稼ぐのって大変なんだよ。それとも桁1つ間違えた?」
クレカが止まりそうでお金が欲しいはずなのに、あかねさんは自分にそんな大金をつぎ込むなと田舎の母のように説教をし始めたのだ。
すると、「少ないですが1000円援助します」という1万円の赤スパが別のニキから来た。
「だから、桁を間違えているって!!」
次はコメント無しで1万円の赤スパが投げ込まれた。
「無言で赤スパとか怖いから、やめて!」
そんなあかねさんの反応を見るのが面白いと次々と赤スパが投げ込まれた。
そして、あかねさんは、ボケのきいたコメントに対して、ナイスなツッコミを入れてくれた。
配信の終盤で、デビューして初めてという投げ銭の合計額にあかねさんは号泣した。
「こんなにたくさん。なんだかこわいよ。でもありがとう。ほんとうにありがとうね。みんなにどうやってお返しをしたらいい? ねぇ、お礼に脱ごうか?」
その一言にコメントがフリーズして止まった。
その後、爆発した。
「えっ! 脱ぐ?」
視聴者の方が今度はパニックになった。
「どうやって脱ぐ?」
あかねさんはVチューバーだ。画面に映っているのはバーチャルなCGのアバターだ。アバターがどうやって裸になるのであろうか。
「脱いだガワも用意してあるのか」
「まさか中身が脱ぐのか」
「バンされるだろう」
「配信事故だ」
「収益化停止だぞ」
画面が降り注ぐ大量のコメントで集中豪雨の中を走る車のフロントガラスみたいになった。そして、興奮がマックスに達した視聴者から、さらに赤スパが投げ込まれて配信はカオス状態になった。
この配信は伝説の神回となり、ライブ配信をまとめたダイジェスト版のアーカイブ動画の再生回数は百万回超えとなった。
僕はマウスを握りしめた。
人生初の赤スパだった。
すでにチャンネル登録は済ませ、サブスクのメンバーにもなっていた。
だが、スーパーチャットはそれとは次元が違う。
あかねさんが僕の名前を呼んで、コメントを読み上げてくれるのだ。そしてその部分はまとめ動画になり、世界中に配信されて何十万、何百万人という人がそれを観るのだ。
ウィンドウのお金のマークのアイコンをクリックして1万円の金額を設定してスーパーチャットの用意をした。
問題はコメントをどうするかだ。
視聴者の多い配信では、チャット機能でコメントをしてもすぐにコメントの表示が画面上で流れて消えてしまう。ところがスーパーチャットという機能を使うと、コメントが流れないで金額に応じて画面に1定時間残る。要はお金を払ってコメントが流れないようにする機能だ。だがそれだけじゃない。スーパーチャットは「投げ銭」ともいわれる。昔から大衆演劇の演者などに、おひねりとして、千円札や万札をファンが投げ込むことがあるが、あれと同じだ。基本的にファンからの応援だ。だからコメントは「いつも応援しています」などと書くのが本来の使い方だろう。
だか、あかねさんのスパチャ祭りはそれとは少し違う。
赤スパのボケの効いたコメントと、それに対するあかねさんの鋭いツッコミが、まるで漫才を見ているようなのだ。
いかにコメントでボケ、面白いリアクションをあかねさんにしてもらうかが大事だ。
それは世界中に配信されるショーなのだ。
その瞬間、僕はあかねさんの共演者になる。
そして下手をするとテレビより多くの視聴者がそれを観るのだ。
(何とコメントを書こう)
だが、僕には文才もお笑いの才能も無い。ここは奇をてらわず、素直に書くしかないと思った。
「初めて赤スパする学生です。仕送りが振り込まれたので、あかね祭りで赤スパする夢を実現します」
打った文章を自分で読み直した。
ストレートすぎて、全くひねりが効いていないと思ったが、他にどう書いていいかわからなかった。
思い切って、マウスで紙飛行機のようなアイコンをクリックして、1万円のスーパーチャットをライブ配信に投げ込んだ。
僕の赤スパがコメント欄に表示された。
「コウチャンさん、赤スパありがとう。ええと、コメントは、初めて赤スパする学生です」
僕の名前は康一郎だ。あかねさんに、恋人のように「康ちゃん」と呼んでほしくて、わざわざアカウント名を「コウチャン」にしたのだ。
あかねさんが僕の名前を呼んでくれたことに胸がキュンとした。
「コウチャン! だめよ。学生が1万円も赤スパしたら。仕送りでそんなことしたらだめだから、もうやめてね」
あかねさんが叱ってくれた。
素直に嬉しい。
「それに、わたしに赤スパするのは夢とかじゃないから。そんなちぃちゃな夢見ないでね。いい? コウチャン」
画面の向こうのあかねさんが僕の目を見て言った。
本気であかねさんに惚れた。
「ねえ、もうしないって約束して」
僕はすかさずマウスとキーボードを操作した。
「もうしません」というコメントを赤スパで送った。
「だから、しているって。君、しているよ。それ、だめでしょう」
あかねさんがまた叱ってくれた。
「コウチャン、そんなことしていたらご飯を食べるお金がなくなっちゃうよ。ちゃんとご飯だけは食べてね」
僕はまた赤スパを投げた。
「大丈夫。もやし大好物だから」
「だから、だめだってば」
コメント欄は「ないすぱ」や「草」で埋まった。
(ウケたぞ!)
僕は額の汗を拭った。
憧れのあかねさんとついに共演したのだ。
そしてこの瞬間を同接している世界中の人が観ているのだ。
さらにこの後、まとめ動画に編集されて百万回以上再生されるのだ。
これは夢でも錯覚でもない。
これほどまでの充実感と満足感、そして多幸感を味わったことは、これまで生きていて1度もなかった。これで3万円は安いものだった。
それから配信が終わるまでパソコンの前にいた。
だが、あかねさんの他の人へのコメントは頭に入ってこず、自分に呼びかけてくれた「コウチャン」という言葉が脳内でループ再生されていた。
あかねさんのアバターがリアルな自分の恋人に思えた。
配信が終わると時間を見た。
午後10時50分だった。
(ちょうどいい時間だ)
僕は近所の午前1時まで営業しているスーパーに行った。
店に入ると、思っていた通り売れ残りのもやしが半額になっていた。
半額のもやしを3つ買った。
(明日から当分の間、もやしの醤油炒めとご飯の自炊生活だ)
スーパーを出てアパートまで歩いて帰る途中、夜空を見上げた。
郊外のこの町は照明が少なく、東京の空なのに星がよく見えた。
瞬く星はあかねさんの瞳のようだった。
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