勝手にしろくま
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(ゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)
日曜日、家族連れで賑わう百貨店の屋上。青いベンチに座るおれの横には、しろくまがいる。
「今朝、ステレオが壊れたんだ。なんか、もう死にそうな気持ち。すげーダメージでかいんだけど」
おれは溜息と共に憂鬱を吐き出した。
「あれで音楽聴けないなんて、本当地獄。昨日、新譜買ったばっかなのに」
「ステレオとか持ってるのか。今時珍しいな」
しろくまはのほほんとそんなことを言い、そして、
「壊れたら直せばいい」
続けて、簡単そうな口調でそう言った。声がくぐもって聞こえる。
「おれ、機械弱いんだよ」
「自分で直さなくてもいい。保証書を持って購入した店へ行け」
しろくまは、至極まともなことを言う。
「修理に出すにしても金かかるじゃん。だったら新しいの買ったほうがよくない?」
「なら、そうしろ。万事解決したじゃないか」
「そもそも、金がないんだよなー」
「バイトしろ、バイト」
そう言って、しろくまは自分の顔をガポッとはずして、タイル張りの地面に置いた。中から、タオルを巻いた、飾り気のないシンプルな頭部が現れる。相変わらずすっきりとしていて特徴のない顔だ。おれの顔もこれといって特徴がないので他人のことは言えない。
「いいのか。子どもたちが見てるぞ」
「いい。全然いい。死ぬよりいい。暑すぎ」
しろくま、もとい、白井琢磨は、未だしろくまのままの手で額の汗を拭った。
「う。ごわごわする」
白井はうんざりしたような顔をした。首から下は、さすがに気軽に着脱できないらしい。
白井琢磨は、高校の同級生だ。三年生の時に同じクラスで、それぞれ地味なグループに所属していた印象がある。すごく仲がよかったわけではないが、おれは白井に対して好感を持っていた。おそらく、白井が誰に対しても態度を変えず、平等に接するような人間だったからだろう。
この春、高校を卒業し、おれは県外の大学へ進学した。白井の消息を、おれは今日まで全く知らなかったのだが、今日、この百貨店の屋上で、間抜け顔のしろくまに肩を叩かれ、
「澤、久しぶり」
くぐもった声で名前を呼ばれたのだ。しろくまは、自分は実は白井琢磨で、現在フリーターだと教えてくれた。偶然の再会だ。
ところで。おれは嫌なことや悲しいことがあると、この百貨店の屋上に来る。理由はわからないが、そういう時は自然とここに足が向かう。この春、大学に入学した時からの癖のようなものだ。少しでも空に近いところで、気持ちを浄化させようとしているのかもしれない。そういうわけで、久しぶりの再会にも関わらず、おれは壊れたステレオの話などしてしまった。
「なんて危険な仕事なんだ。八月の着ぐるみは死と隣り合わせだ。身をもって体感したぜ。一応ファンは付いてるけど、こんなの役に立ってんのかどうかもわからない。ボスからは、百貨店でガムのサンプルを配るだけだって聞いてたんだ。炎天下の屋上で着ぐるみなんて聞いてない」
そんなことを言う白井をベンチに残し、おれは視界に入っていた自販機まで歩いて行って、五百ミリペットのスポーツドリンクを購入した。白井に渡してやると、
「さーんきゅー」
白井は融解しそうな声で礼を言った。おれは、再びベンチに腰を下ろす。
白井が扮している、このしろくまは、製菓会社が新たに発売したミントガムのイメージキャラクターだ。『すっきり爽快☆ホワイトミント』というありきたりなキャッチフレーズと共にテレビCMに登場するしろくまは、その間抜けな表情が地味に人気を呼んでいる。
「しろくまー! 仕事しろー!」
遠くから子どもたちの笑みを含んだ声が聞こえる。
「キュウケイよ! ニッポン、アツいね! しろくま、アツいとこナれてないヨ!」
答える白井の声は、なぜか片言だった。しろくまは北極に住んでいるわけだから、確かに日本語圏ではない。だから、日本語を流暢に話せるわけがない。という白井の自分解釈はいいとして、しかし映画やなんかでよく観る中華料理店店主のような口調なのはなぜだろう。
「北極からの出稼ぎも楽じゃないぜ」
白井は言う。そして、さっき渡したスポーツドリンクをおれに差し出してきた。
「なんだ。飲まないのか。熱中症になっても知らないぞ」
「いや、蓋が開けられない。手がしろくまだからな。開けてくれ」
「なるほど」
おれは、ペットボトルの蓋を開け、再び白井に渡してやる。
「さーんきゅー」
白井は言って、それを太いもふもふの両手で挟むように持ち、一気に飲み干した。
「実際、現場に来てみたらさ、サンプルはあの美女たちが配ることになってて」
白井の視線の先には、サンバイザーにショートパンツの美女が三人、プラスチック製のカゴに入ったガムのサンプルを笑顔で配布している。大変素敵な眺めだ。
「で、俺はしろくまになって、テキトーにかわいく動けっていう……」
「かわいく」
おれは、首から上が白井、首から下がしろくまという、不思議な生物を眺める。全くかわいくない。
「かわいく動くって、なんだ。かわいいって、そもそもなんだ」
白井の中で、『かわいい』がゲシュタルト崩壊を起こし始めているようだ。
「あーもう、北極に帰りたーい。アザラシ腹いっぱい食べたーい」
自分設定だけはしっかりと持っているらしい白井は、そう言い捨てて、「あ、そろそろ休憩終わる」と地面に置いていた、しろくまの頭をガポッとかぶると、立ち上がる。
「じゃあ、おれ、そろそろ帰るわ。ステレオのことは悲しいけど、なんとか乗り越えるよ。おまえもがんばれよ」
おれも立ち上がり、行こうとすると、
「あー、澤。待て待て」
しろくまは、くぐもった声でおれを呼び、太い手で手招きをする。
「なんだ」
近寄ると、がばっと抱きすくめられた。
「うあー、あーつーいー!」
もふもふの胸に顔をうずめて叫ぶと、
「そうだろう、そうだろう。だがな、俺はもっと暑いんだ!」
しろくまは言って、おれの身体を解放した。
「やつあたりすんなよな」
言いながら、しろくまから距離を取ると、ぼくもわたしも、と言う子どもたちの群れに、しろくまは捕まってしまった。
「あつーい!」
しろくまに抱きすくめられた子どもが、さっきのおれと同じように叫んでいる。それを眺めて笑っていると、
「またな」
しろくまが、こちらに向かって太い手を振った。
「うん、また」
おれも手を振り返す。
*
日曜日ほどではないにしろ、やはり賑わう月曜日の百貨店の屋上。青いベンチに座るおれの横には、しろくまがいる。
「連日こんなところに来て、学校はどうした。学校は」
くぐもった声で、しろくまが言う。
「夏休みだよ」
おれは答える。
「あ、そうか。そういやそうだ。八月だもんな」
しろくまは納得したように言い、自分の頭をガポッと外す。タイル張りの地面にごろりと置かれたしろくまの顔は、相変わらず間抜けだ。
「俺は、毎日が夏休みみたいなもんだけど、でも、バイトが毎日あるんだよな」
半分だけ白井琢磨に戻ったしろくまは、そう呟いた。それは、夏休みどころか年中無休ではないのか、と思う。
「帰省しないのか」
白井は言う。
「しない。家帰っても、ゴロゴロするなとか手伝えとか言われるだけだし」
「親不孝だなー」
そう言って笑うと、白井は、
「今日は、スポーツドリンク買ってくれないのか」
などと言う。
「今日は無理。財布落とした」
「まじか」
白井は目を見開く。
「サブの財布で、免許証とかそういう大事なものは入れてなかったし、現金も千円札三枚と小銭くらいだったから、それはいいんだ。ない金がさらになくなったわけだから、全くもってよくなんてないけど、まあまあ、辛うじて諦められる範囲だ。問題は、財布だ。超気に入ってたんだ。わざわざカラーオーダーして作ってもらった、牛革の。牛革だから、牛のマークの刻印が入っててかわいかったんだ。一応交番に届けたけど、見つかるかどうかわかんないし。あーもう、ショックすぎて死にそうな気持ち」
おれが言うと、白井は、おれのあたまに、ぽすんと手を置いた。ただの手ではなく、しろくまの手なので、重量が結構ある。着ぐるみって重いんだな、などと思う。
「澤は毎日、なにかしら事件があるんだな」
白井は言う。
「毎日はない。昨日と今日と、たまたまだ」
「そうか、そうか」
白井は、しろくまの手で、おれのあたまをぽすぽすと軽く叩く。打ち付けられている釘の気分だ。
「やめろよ。背が縮む」
「財布落とした時と、失恋した時と、犬のうんこ踏んだ時は泣いていいんだぞ」
白井はそんなことを言う。
「いや、悲しいけど、泣くほどのことじゃないし」
おれが言うと、
「なら、たいしたことじゃない。よかったじゃないか」
白井は言って、おれのあたまから手をおろす。よくはないだろう、と思うが、まあ確かにたいしたことではないのかもしれない。
「ところで、俺はいま、暑すぎて泣きそうな気持ち。スポーツドリンクも飲めない。俺の財布は鍵のかかった控室だ。美女たちが帰ってからでないと俺は入れない。不便だが、かと言って無防備に外に置いとくわけにもいかない。ポケットに入れとくにしても、その上からしろくまの皮を被るから取り出せない。結局、財布は鍵のかかった控室の中だ」
今日も笑顔でガムのサンプルを配る美女たちは、美しい脚を惜し気もなく人目にさらしている。眼福だ。
「でも、あれはいいよなー。ショートパンツ」
おれが言うと、
「ああ、ショートパンツはいいな。あれはいい。悪いところが見つからない」
白井もしみじみと言った。
美女の美脚を眺めていると、少し元気が出た。同時に、頭が冷静に働くようになる。おれは尻ポケットからスマートフォンを取り出した。それを白井に見せると、白井は、
「なんだ」
きょとんとした表情をしてみせる。
「電子マネー」
おれは言う。白井は、目を輝かせ、スマートフォンを持つおれの手を、もふもふの両手で握る。というか、挟む。暑苦しい。
「澤、愛してる」
白井は言った。
「おまえが愛してんのは、おれではなく、飢え渇いたおまえにスポーツドリンクを与えてくれる誰かだ」
「まあ、おおむねそのとおりだ」
おれは、電子マネーで、自販機でスポーツドリンクを購入すると、ペットボトルの蓋を開けてやってから、白井に渡す。
「さーんきゅー。今度、なにかちょっとしたものオゴるな」
白井が言う。ちょっとしたもの限定か、とおれは笑う。
「生き返ったー」
スポーツドリンクを飲み干した白井は、
「じゃあ、俺はそろそろ普通のしろくまに戻るわ」
そう言って、地面にころがしていた頭をガポッとかぶる。
「どんどん稼いで、北極で待ってる嫁と子どもに仕送りしてやらないといけないんだ。最近、アザラシの値段も高騰してきて、ちょっと苦しいんだよな」
やはり、自分設定があるらしい。しかし、間抜け顔が人気の、ゆるいしろくまにそんな事情があったとは。なんだかせつない。
「またな、澤」
しろくまは手を振った。おれは手を振ると見せかけて、しろくまの身体に勢いよくタックルを決める。
「のわっ」
ころりとひっくり返ったしろくまに、子どもたちがわらわらと群がる。
「このやろう! もう、ちょっとしたものもオゴってやらん!」
しろくまは、くぐもった声で叫ぶ。おれは笑いながら屋上を後にする。
*
そこそこ賑わう火曜日の百貨店の屋上。青いベンチに座るおれの横には、しろくまがいる。
「財布、見つかったのか」
しろくまは、くぐもった声で言う。
「見つかんない」
おれは答える。
「ちょっと待ってろ」
しろくまはそう言って、おれの頭を重い手でぽんと一回触ると、ガムのサンプルを配るショートパンツの美女たちのほうへよちよちと歩いて行った。しろくまは、美女になにやら話しかけている。美女は笑いながらうなずき、ガムの入っているプラスチックのカゴからなにかを取り出して、しろくまに手渡した。しろくまは、それを両手で挟むように持つと、またよちよちとこちらに戻ってきた。なにかを預かってもらっていたらしい。あんな美女と会話ができて羨ましいなあ、などと思っていると、ベンチに座るおれの目の前にしろくまが立つ。
「これ」
そう言って、しろくまは両手に挟んだなにかを、こちらに差し出してくる。
「なに」
受け取ると、てのひらサイズの革の小銭入れだった。落ち着いたチョコレート色のそれには、油性ペンで描かれたらしき牛のイラストが入っている。無駄に上手い。
「ちょっとしたもの。牛のマークの、牛革の財布」
しろくまは言った。おれは、しげしげと手の中の小銭入れを見つめる。
「ちょっとちがう」
というか、全然ちがう。おれが落としたものとは、色も形も全くちがう。だけど、白井の気持ちがうれしかった。
おれはベンチから立ち上がり、しろくまの、そのもふもふした身体に抱きつく。しろくまは黙っておれを抱きしめた。
「うー! あーつーいー!」
おれは思わず叫ぶ。しろくまは、くぐもった声で笑う。
「この牛、白井が描いたの?」
ベンチに座りなおして問うと、もう頭を取ってしまった白井は、「うん」と少し照れたようにうなずいた。
「へえ」
撫でたりひっくり返したりして、おれは小銭入れを眺める。チャラチャラと音がするので開けてみると、百円玉が三枚入っていた。
「スポーツドリンク代」
白井は言う。
「そんなの、いいのに」
これでは、おれのほうがもらいすぎだ。おれはベンチから立ち上がり、自販機のほうへ向かう。白井にもらった小銭入れに入っていた小銭でスポーツドリンクを買った。ペットボトル蓋を開けて、白井に手渡すと、
「さーんきゅー」
白井は笑って、それを受け取った。
「白井、バイトいつ終わんの?」
「四時くらい」
白井は言う。
「五時から、ここビアガーデンになるから、準備の前に引き上げるんだ」
「じゃあ、おれ適当に時間つぶして終わるの待ってるから、いっしょにごはん食べに行かないか」
「うん、行く」
白井はうなずく。そして、しろくまの頭をガポッとかぶると、「澤、ありがとう」と言って手を振った。
よちよちと歩いて行く後姿を眺めながら、そういや小銭入れのお礼を言っていなかった、と気づく。礼を言わなきゃいけないのはおれのほうなのに、なぜか逆に白井に言わせてしまった。
四時すぎ、屋上入口へ行くと、もう白井が待っていた。
「あれ、なんかちょっと見ない間に痩せてない?」
「しろくまじゃないだけだ」
白井は言う。首から下がずっとしろくまだったものだから、なんだか本来の姿に違和感がある。
エレベーターは混みそうだったので、階段を使う。五階と四階の間の踊り場のところで、あ、お礼、と気がついた。
「牛の財布、ありがとう」
そう言って、白井に抱きついてしまってから、おれは、あれ? と思う。あれ、もふもふしてない。変だな。そして、はっとした。しまった。こいつはいま、しろくまじゃないんだった。おれは慌てる。生身の男に普通に抱きついてしまった。
「ごめん、つい」
焦って離れようとすると、白井は、笑いながらおれを力いっぱい抱きしめる。これはこれで、
「あーつーいー!」
おれは叫ぶ。白井の体温は高いらしい。
「俺も暑い」
すぐ耳元で、白井の楽しそうな声がした。
了
ありがとうございました。