麻痺する手
それは私が念願の一人部屋を手に入れた頃の出来事だった。
独り身だった祖母が亡くなってから暫くたち、家をリフォームすることになった。
私は大学生にしてようやく自分の部屋を持つことになり、祖母の部屋にあった家具の幾つかを貰うことにした。
本棚や照明、ちょっとした思い出がある雑貨などを物色する中で、ある家具に目が止まった。
それは高さが1mほどの白いボックス型収納棚だった。
一部に何かを張り付けていたような跡があったが、それ以外に目立った傷や汚れもなく、2段目の棚が設置予定のベッドの高さと同じで目覚ましやちょっとした小物を置くのに最適だった。
そう思って棚を持ち出そうとした時、ふと小学生の頃に感じた懐かしい感覚が再来した。
子供の頃は祖母の部屋を走り回っていたが、なぜか亡くなった祖父が使っていた書斎は苦手だった。
昼間の明るいうちで恐い事なんて何もなかったはずだったが、その部屋に入ると視線を感じ悪寒がしたのだ。
今から思えば、この収納棚から視線を感じていたように思えた。まあ何が置かれていたか全く覚えていないが、おそらく怪しげな民芸品でも置いてあったんだろう。
子供の頃というのはそういったモノを恐く感じるものだ。そう思って気にしないことにした。
数ヶ月後、リフォームが終わり、家具を入れてようやく私の部屋が完成した。
初日は少し興奮気味にベッドに入りその日は眠りについた。
翌朝目を覚ますと右腕の感覚がなくなっていた。たまに腕を体で押さえたまま眠って麻痺させることはあったが、全く感覚がなくなるほど麻痺する経験は初めてだった。
寝相はあまり良くなかったので、そういうこともあるだろうと思ったが・・・・
翌日も、そしてその次の日も、寝て起きると右腕は感覚がなくなるほど麻痺していた。
慣れないベッドで寝ているのが原因だろうか?
こう続けて、血行を止めて腕を麻痺させていたら絶対に体に良くないと思えた。しかし、毎回ベッド脇の収納棚に手を突っ込んでいる程度なのに、どうしてここまで麻痺するのか不思議でもあった。
加えて少し気になることがあった。
寝ていると視線を感じるのだ・・・・収納棚の方から。
この年になって何を気にしているのか、そんな思いもあって視線については考えないことにした。
私はとりあえず、右側に転がって右手を押しつぶさないように背中にクッションを挟んで体を支えて寝ることにした。
翌日起きると、クッションが功を奏したのか右腕は軽く痺れる程度だった。だが、相変わらず右手が収納ボックスの中に入っていた。
私は考えをめぐらし、収納棚にクッションを入れて右手が奥まで入らないようにした。
そしてその夜・・・・寝ていた私は右手を引っ張られる感覚に気がついた。
何気なく右手を引き戻そうとするが、手は縫い付けられたように動かない。
何となく麻痺している感覚もあり、私は右手を確認するため収納棚の方に顔を向け・・・・それと目があった。
収納棚の中には黒髪の見知らぬ女がいて、私の右腕をつかんでこっちを見ていた。
全身から冷や汗が吹き出し、私は慌てて右手を引っ込めようとした。
瞬間、女は目を見開いて鬼のような形相になって私に手を伸ばし、鋭く伸びた爪で私の右肩の辺りを切り裂いた。
私は激痛に声をあげて飛び起きた。
慌てて収納棚から距離を取るも、女は消えていた。
そもそもあのサイズに人が入れるはずがなく、さっきのは寝ぼけて見た夢に違いない。
そう私は自分に言い聞かせて心を落ち着かせようとした。
と、右肩の辺りがずきずきと酷く痛むことに気が付いた。
恐らく寝ぼけて引っ掻いたのだろう。
怪我の治療をするため部屋の明かりをつけた私は唖然とした。
右の首元から胸までがざっくり引き裂かれていて、白いシャツが血で赤く染まっていた。
元凶であろう左手の爪には自身の肉が目を覆いたくなる勢いでこびりついていた。
その後、タオルで止血して事なきを得たが、再びベッドに戻る気にはなれずリビングで夜を明かした。
収納棚について、どこで買った物か母に聞いてみた。
母は思うところがあったらしく、即答で中古屋で祖父が買ったのだと教えてくれた。
・・・・不倫がばれて家から追い出された時に。
祖父はその後、別居先で病気になり家に戻ることなく亡くなっている。
私は収納棚を捨てるか悩んだが、捨てる理由を親に説明するのも恥ずかしく思え、恐怖に負けるというのも癪に感じた。
何かいい手はないかと考え、リフォームの際に余った厚めのベニヤ板があることを思い出した。
日曜大工ならある程度できたので、ベニヤ板を加工して収納棚の二段目を塞いだ。
その日以降、収納棚から視線を感じたり、右腕が感覚を失うほど麻痺することはなくなった。
まあ、何かの気配を感じることはあるが・・・・今のところ問題は起こっていない。