この気持ちは
さて、そんな日から数日が経った、ある日のこと。
玲は授業終わりの気怠さに包まれながら、荷物をまとめていた。
ぐっと体を伸ばせば、校庭に人が集まっていることに気づいた。
「.............?」
不思議に思って見ていると、どうやら校門の外に誰かいるらしい。
芸能人でもいるのだろうか...いや、そういえば。
慌ててスマホを出しトークアプリを開くと、そこには。
『悠紀:今日迎え行くね。そのまま家来な』
「え、てことは...っ」
鞄を掴み、同級生たちを避けつつ急いで校舎をでる。
とんとんとん、とリズミカルに階段を降り、最後の2段を飛び降りた。
靴を履き替え、校門へ走る。
ちらりと覗く、ポニーテール。
「っは、はぁ...ゆき...?」
「、玲!どしたの、そんな急いで」
「えー、玲さんこの人と仲良いの?ね、紹介してよ!」
「ごめん、玲行こ」
息を整えていると、ぐいと悠紀が手を引いてくる。
沢山の同級生から離れた。
悠紀の手は冷たくて、それがとても心地よかった。
「お邪魔しまーす...」
「はいざんねーん。間違いなので入っちゃダメでーす」
「え...あ、ただいま」
「ん。よしよし」
にっと悠紀が笑う。
その一言に執着する理由はわからないが、こう言うと悠紀が笑ってくれるので『ただいま』が好きになった。
悠紀と過ごして変わったものの1つだ。
変わりに血の繋がる家族がいる家では言わなくなった。
私にとっての家族は悠紀だけだ、と思う為に。
「玲?どした?」
「あ、なんでもない!ごめんね」
廊下にいる悠紀が首を傾げるが、慌てて手を振るとまた笑う。
靴を脱ぎ、綺麗に掃除されたフローリングに足をつける。
鞄を置き、手を洗って制服から私服に着替える。
悠紀が似合う、といって買ってくれた白と茶色のパジャマだ。
リビングの黒いソファに身を預けていると、悠紀がココアを持ってきてくれた。
「え、ごめん、何も手伝えなかった」
「いいのいいの、私がやりたくてやったんだし。玲は学校で疲れてるだろうから、甘やかされてて」
「うん...ごめん」
「ごめんじゃ嬉しくないなぁ」
「あ、ありがとう」
「うんうん、どういたしまして」
温かいココア。
悠紀が持っているのはきっとコーヒーだろう。それもアイスコーヒーだ。
悠紀は猫舌だから、温かいものを飲むことは殆どない。
そのくせ体温は低いから、よく私にくっついてくる。
子供体温、とか言うけど、私と悠紀の年齢はそこまで変わらない。
恐らく2、3歳ほどだろう。
恐らく、というのは、私は悠紀の具体的な年齢を知らないのだ。
誕生日は知っている。4月1日。
嘘つきの私にぴったりでしょ、と笑っていたのを覚えている。
(...私は悠紀のこと、なにも知らない。知りたいと思っちゃ駄目だ。私と悠紀は、友達でもなんでもないんだから)
「...い?れーい?」
「っ、なに...?」
「いや、なんかゲームでもする?って言おうとして...玲、なんか今日おかしいよ?なんかあった?」
「な、んでも...」
「嘘。私に嘘が通じると思う?玲」
ああそうだ、誕生日について、こうも言っていた。
『嘘つきに嘘ついちゃ駄目だよ、利用されるから。嘘で生きてきたからこそ、鼻がきくんだよ』
「...思わない」
「いい子。で、どうしたの?...言いたくない?」
「...駄目なこと、考えてた」
「だめなこと?」
「........悠紀のこと、知りたいな、って」
「....................」
手からカップが奪われ、机に置かれる。
悠紀のカップとあたり、かちんと音が鳴った。
「...駄目だよ、それは。私たちは深く関わっちゃ駄目。いつでも離れられる存在じゃなきゃ、駄目なんだよ」
「...わかってる」
「うん、いいこだね。玲」
ぎゅ、と前から抱きしめられる。
悠紀の体温が感じられるから、ハグは好きだった。
まだ死んでないと実感できるから。
ゆっくり、愛でるように、髪を梳かれる。
ぽん、ぽん、と背中を叩かれ、心の隙間にとろりと蜜を流し込まれているような錯覚に陥る。
「ゆき...ねぇ、悠紀...」
「なに?玲」
「.....なんで、こうなっちゃったんだろ。私は悠紀のこと、好きなのに」
「うん、私も好きだよ」
「...私は悠紀がいなきゃ、生きられないのに」
「...うん」
「悠紀は?ゆきはひとりでいきられるの?私、だけ、なの...っ?」
「...そんなこと、ないよ」
「ゆき...っ、ゆきぃ...ッ!」
ぼろぼろと涙が流れ、悠紀の服に吸い取られていく。
1度崩壊したダムから流れる水は止まることなく、ずっと泣き続けた。
悠紀はずっと、抱きしめてくれていた。