小話4 魔女と恋のおまじない(上)
星々の煌めく夜空を望むバルコニーに、冷たくも清浄な空気が吹き抜ける。室内からは煌々と光が漏れ出ており、人々の語らう声と管弦楽の音色が中和した心地よいハーモニーを奏でている。煌めくシャンデリア。輝く銀食器。色とりどりのドレスで満たされたそこは、さしずめ花園のようだ。しかし、そんな楽園にも暗雲は訪れるものでーー……
ーパリン!ー
「なぜ貴女なんかがあのお方に愛されているの!?」
ガラスの割れる音と同時に挙がる悲鳴。ザワリと空気が揺れ動き、途端、人々の間には喧騒が満たされていく。
淡い黄色のドレスを纏った美女が、真紅のドレスを纏った美少女に罵声を浴びせている。いまにも掴みかからん勢いで猛攻する美女に、美少女は何とも言えない表情で弁明を繰り返す。
「何かの間違いですわ、フレデリカ様」
「白々しい!あの方からの視線を一身に浴びておいて、よくもそんな嘘がつけたものね!?」
「嘘などついておりません」
「今宵のダンス、私が一番を取り付けていたのよ!それなのにっ!」
「落ち着いてください」
「煩い煩い煩い!貴女なんてこうしてやるわ!」
「え……きゃあっ!」
美女改めフレデリカ嬢はヒステリックに叫ぶと、徐に羽扇を振り上げた。するとカッと眩い光が羽扇より溢り出で、光は夜会会場内を包み込んだ。
「いったい何が……」
焼かれた視界が元に戻ったとき、人々は先ず自分の身体の無事を確かめ、次に他者を、最後に周辺を見回した。そして、光量の割にどこも傷ついていないと知るやホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、高らかに響く高笑いにギョッと目を剥いた。
「アハハハハ、良い気味ねっ!アハハハハ……!」
騒動を収めに駆けつけた騎士が見たモノ、狂ったかのように笑い続けるフレデリカ嬢とモゾモゾと動く真紅の布ーー……
「なっーー!?」
「バカなッ!?」
「こんな事って……」
騒動の主を中心に立ち尽くす騎士たち。目の前に突きつけられた現実に呆然自失となり、誰一人としてまともに動く事はできなかった。
※※※※※※※※※※
システィナの極東、隣国ライザタニアとの国境線を有する軍事都市アルカード。そこには国境守護を生業とした騎士団が存在する。その名も『東の塔の騎士団』である。
『東の塔の騎士団』に属する騎士たちは、王国に属する騎士の中でも近衛騎士に次ぐエリート集団。王国と国王に対する鋼の忠誠心は勿論のこと、実力もトップクラスを有する猛者たちが集まっている。
そんな彼ら騎士たちが守るのは国境線だけに留まらない。寧ろ、国境線に施された《結界》を維持する『東の塔』と『塔の魔女』の方に重きを置いていた。特に『塔の魔女』の施す《結界》は自国を守る上で欠かせぬもの。他国からの侵攻を防ぎ、そして自国からの侵攻をも防ぐそれは、今や、軍事の要とも言われる重要な役割を担っていた。
「今日こそは俺が勝ちます!」
「いや、俺だ。若造はひっこんでろ!」
「先輩こそ、もう徹夜は辛いんじゃないですか?」
「なにィ!? てめぇ、俺を年寄り扱いするか!」
「ここは若者に譲ってくださいよ、先輩」
青い騎士服を身に纏う4、5人の騎士の集団。件の騎士団に属する日勤の団員だ。反省会を兼ねた昼食中の後、彼らは騎士寮の食堂の外にて、舌戦を繰り広げていた。
騎士団員の殆どが貴族出身の為、その血筋の良さが顔に現れている。要するに容姿が良い。にも関わらず、今の彼らには年頃の女の一人近づく事はないと思われる。それ程、鬼の形相だ。
目が血走り、額に血管の浮き出ている。今にもつかみ合いの喧嘩に発展しそうな状況なのだが、何故か、それを止める者は誰一人としていない。他の騎士は皆、知らぬ存ぜぬといった雰囲気で、各々、食堂の扉を潜っていく。
「じゃ、ここはいつものアレで勝負を決めますか?」
「異論ない」
「覚悟は良いですか?先輩方」
「てめぇらこそ、覚悟できてんだろーな?」
「勿論ですよ」
屈強な男たちが真面目な表情で顔を突き合わせている状況。傍目には異様な状況に見える。とても声を掛け辛い雰囲気だ。しかし、それもトアル儀式を皮切りに状況は動く事になった。
「いいか、八百長はなしだ」
リーダーと思われる男の言葉に頷き合う男たち。「では」との合図にザッと間合い取ると、握った拳を腰の裏に隠した。そして、男たちは息を大きく吸うと、声を合わせて叫んだ。
「「「「「じゃーんけん、ポン!」」」」」
気合いたっぷりの掛け声と共に繰り出される腕。ある者は指を二本立てて、ある者は大きく広げて、ある者はグッと握り込んでいる。太い血管や筋がハッキリとうかんでおり、どの男の腕も太く逞しい。
「くっそ!」
「やりぃ!」
「ちっ!」
「なにぃ⁉︎」
「いぇーい!」
勝者は二人。ピースサインで天高々に腕を突き上げる若者たちだ。二人の周りには自身の腕を凝視しながら怨嗟の声を挙げる男たちの姿があった。
「なにあれ?」
ともすれば男泣きを始めそうな男たちの様子を中庭を挟んだ向かい側から眺めていた二人の騎士。その片割れが目を眇めた。声音には呆れと驚き、その両方が含まれている。
「センパイ、アレってなにしてんの?」
「……当直を決めているんだろう」
茶髪金目の青年と黒髪黒目の青年。茶髪の青年は小首を傾げ、黒髪の青年はピンと背筋を伸ばしたまま、それぞれ異なる雰囲気を漂わせ、男たちの奇行に視線を送る。
「ふぅーん?でも、当直ってシフトに組み込まれてるんじゃないの?押し付け合ってんのかな??」
「我が騎士団はブラック企業ではない。シフトには日勤と夜勤とバランス良く配置されているし、当然、有給もある。体調を崩す恐れのある連勤などさせない」
「なら、アレは何さ?どーも、当直をやりたがってる様に見えるんだけど。普通、当直って嫌がられるモンでしょ?」
「普通ならな」
「ココにいる騎士たちは普通じゃないってコト?」
「まぁ、ある意味普通ではないのだろうなぁ……」
「ハァ?」
自身も気づいていない旨味、それがさも『宿直』には在る様ではないか。茶髪青年は訳もわからず首を捻った。
実のところ、宿直の旨味というのはそう大したものではない。宿直担当者にはトアル特典がつくだけなのだ。しかも、それは金品や物品の類ではない。『魔女姫から直々に労いのお言葉を頂ける』。ただそれだけのことなのだ。しかし、その『労いのお言葉』に『麗しの微笑み』が付いてくる事で、その価値は金品よりも跳ね上がっているという裏事情があるだけで……。
ただ、『塔の騎士団』に属する騎士たちは近衛騎士団同様に国や主への忠誠心高き者の巣窟であり、そんな騎士たちは鷹揚にして金品の授受よりも『主君からの褒美の言葉』の方に重きを置いているものだ。
それらは元来からの騎士とは異なるリュゼには理解しかねる事情。一方、元来からの騎士である黒髪青年としては、同僚たちの心情は理解できるからこその心痛を覚えていた。
ーリュゼ殿が知れば、きっと眉をしかめるに違いないー
溜息混じりの呟きを漏らす黒髪青年の額には深いミゾ。まだ三十にも満たないというのに、纏う雰囲気は壮年のそれだ。ーーとそこへ、パタパタと軽い足取りで一人の少女が歩み寄って来た。その姿を視界に入れるや否や、背を壁に預けていた茶髪の青年はパッと少女の元へと歩みを寄せる。
「待った?リュゼ」
「ぜーんぜん」
「ナイル先輩もお待たせしました」
「お気になさらず」
軽く頭を下げる少女。
やんわりと頭を振る青年たち。
「で、どーだった?健診」
「うん。どこも悪くなかったよ」
「そりゃ良かった」
定期検診を終えた彼女は騎士団唯一の女性。その者の名はアーリア。『塔の魔女』としてアルカードへ常駐している魔導士だ。
これまで『塔の魔女』の選定には貴族子女が当てられる事が多く、その為、魔女のお付きには王都から侍女や使用人が大勢付き従っていたが、今代の魔女はその限りではなかった。今代の魔女は平民出身であったが為だ。勿論、後見人たるアルヴァンド公爵は魔女の付き人を用意する算段もあったのだが、魔女はその申し出を早々に断っていた。曰く「身の回りの事は一人で出来るから」と。
「コラ、嘘おっしゃい。胃腸が弱ってるって言ったでしょう?守護騎士にまで気を遣ってどうするのよ?」
「あ、アリス先生……」
「はい、薬。置き忘れてあったわよ」
「……ありがとうございます」
コツンと頭を叩かれて振り向くアーリア。その背後には美の女神も真っ青の麗人が。『塔の騎士団』に配置されている治療士の一人、自称『乙女』アリストルだ。
背後に現れたアリストルの言葉にアーリアは内心ゲッと顔を顰めていたが、気配を読む事に長けた騎士たちには隠し果せてはいない。しかも、肩に掛かる小麦の髪を指先に絡めてサッと流すその仕草さえ美しい美麗治療士の言葉に、二人の青年たちはあからさまに目線を逸らすアーリアへと疑惑の目を向ける。
「ふーん、胃腸がねぇ……」
「精神的な疲労もあるけど、寝不足も影響してるみたいよ。リュゼくん、今夜から彼女をちゃんと寝かしつけてね」
「オーケー。任せといて」
ガッチリと肩を掴まれるアーリアに逃げ場はない。それどころか、嫌がる子どものように頭を押さえつけられる始末。自業自得としか言いようがない。
「この扱いって酷くない?子どもじゃないんだよ?」
「体調管理ができないようじゃ、とても大人とは言えないよねぇ?」
「うぐっ……だ、だって、眠くならないんだもん」
茶髪騎士改めリュゼの背後で頷く黒髪騎士ナイル。3対1という圧倒的不利な状況下、尚も言い募ろうとする魔女アーリア。この後に及んで自分の非を認めない態度こそが子どもと言われる所以だ。アーリアも睡眠不足は大病の元だと知っている。しかし、自身でも改善が難しい問題を指摘されても困るというもので、この様に『眠くならないから仕方ないじゃないか』と逆ギレしたくなるのもまた人間として分かり易い傾向であった。
「眠れなくても目を瞑っているだけで、心も身体も休まるものよ?試しに羊でも数えてみればいいわ」
「羊ですか?」
「そ。羊が一匹、羊が二匹ってね。あら?アーリアちゃんはやった事ないのかしら?」
うーんと首を捻るアーリア。美麗治療士アリスの云う『眠れない時にするおまじない』の存在を知ってはいたが、あまり試した事はなかったのだ。
「あら。おまじないって侮れないわよ?ほら、占いもそうでしょ。『恋占い』や『星占い』っていうのが何時迄も廃れないくらいだもの」
「あ〜〜、花弁を一枚ずつ千切って好き嫌いって言っていくアレですか?」
「あら、リュゼくん詳しいわね?」
「ええ、まぁ。僕はした事ないけど、してた奴を知ってるんで……」
リュゼはその時の光景を思い出したのか、苦々しい表情をしている。
「あれって当たるんもんなの?」
「さぁね?ほら、占いって『当たるも八卦、当たらぬも八卦』っていうでしょう?」
「ま、そーっすね。じゃあセンセ、おまじないってのも……?」
「うふふ、どうだと思う?」
ニヤリと笑む治療士の怪しい笑顔に、リュゼは顔を痙攣らせた。
「『占い』は神官の使う白魔術の一種。一方『おまじない』は魔導士の使う黒魔術の一種に分類される。どちらも魔術だよ」
にじり寄る治療士を屁っ放り腰で後退るリュゼ。二人の様子を他所目に、アーリアはぽつりと呟いた。
「へ?魔術?」
「うん。神からの啓示を受ける『占い』は管轄外だから分からない点も多いけど。『おまじない』とはつまり『お呪い』のこと。呪術だよね?」
白とか黒とか色で区別してるが、ただ単にイメージ戦略として双方の組織がカラーリングしてるだけで特段意味はない。
神殿に仕える魔導士ーーつまり神官が扱う魔術には《回復》や《浄化》といったものが多く、どことなく神聖なイメージがある。一方、魔導士協会に所属する魔導士たちは回復や浄化に限らず攻撃魔術などオールマイティに研究している。中には呪術を研究する者もおり、どことなく暗いイメージがある。
アーリアの言葉に治療士は「アタリ!やっぱりアーリアちゃんは物知りねぇ」と頬を染めるが、アーリアとしては魔導士なら知っていて当たり前の事で褒められるのは釈然とせず、苦笑するに留めた。
「占いもお呪いも、どちらも不可思議な点が多いの。効力も一定じゃないし」
「だからアーリアはそんな渋った顔してんだね?」
本当に効くと分かっていたら、もうとっくに試していた。そう言うアーリアに納得顔するリュゼ。すると治療士も肯いて別の提案を出した。
「それじゃ軽い運動でもすれば良いわ。身体が疲労を覚えれば自然と夜もぐっすり眠れるものよ?」
「軽い運動……」
「あ。今、『運動キライ』って思ったでしょう?ダメよぉ〜〜そんなんじゃ。年をとった時に困るわよぉ」
「だって、キライなものはキライなんだもの……」
野外より屋内。剣術より魔術。動より静。剣よりペン。どんなに天気が良くとも、屋外で身体を動かすよりも室内で書籍を読んでいたい根っからの引き篭り体質。それを自他共に自覚するアーリアの中に『運動する』というワードは禁句だ。きっと、少しでも運動的センスがあれば挑戦してみようと考えただろう。しかし、天は二物を与えず、アーリアに運動的センスはナイ。
「では、馬術はどうですか?」
「馬術もちょっと……」
「なら、護身術でも習ってみる?」
「護身術か……」
「じゃあ、社交ダンスなんてどうだい?可愛く着飾ってさ!」
「社交ダンス⁉︎ うーん気が乗らない……って、カイネクリフ様⁉︎ どこから現れて……?」
肩越しに見えた絵本の中の王子様顔にギョッとするアーリアを他所に、余程、王子様とは思えぬゲスい表情で「手とり足とり、教えてあげるよ♡」と耳元で囁かれたアーリアは飛び跳ねた。首筋にはクッキリと鳥肌が浮かぶ。ソワソワと産毛立つ肌を落ち着ける様にアーリアは首筋を手で擦った。
一方、アルカード領主は今日も絶好調の様子で、無駄にキラキラしたオーラを放ちつつ「やぁ!」と片手を上げて挨拶する。その一挙一動ですら妙にキザったらしく見えてしまうのは、アーリアが彼の本質を知っているからだろう。でなければ、彼の微笑みを受けて頬を染めていたに違いない。
「いつからそこに……?」
「確か、『だって、眠くならないんだもん』のあたりかな?」
「そんな前から!?」
「そっちのみんなはずっと前から気づいてたけどね。アハハ!ホントに君って鈍いんだね?」
「放っておいてください!」
礼儀そっちのけで怒鳴るアーリア。ぷりぷり怒るアーリアの顔を嬉しそうに見つめるカイネクリフ。この時点で両者には相容れぬ価値観がある。
「で、どんな楽曲にする?夜会といえばワルツが定番かな?」
「いつの間に社交ダンスで決定しているんですか!?」
「ドレスはどうする?どうせなら新調しちゃおうか?流行り廃りがあるからねぇ〜」
「いや、だから、私は一言も社交ダンスをするとは言ってません。ちょっと、聞いてます?領主さま」
「春だからピンクってのは安直過ぎるかもね。薄紫か黄色、いっそのこと真紅とか?きっと目を惹くよ〜」
アーリアの言葉を一切取り合わず、アルカード領主カイネクリフはアーリアの腰に手を回し、腕をとってその場でくるくる回り出した。アーリアは領主の強引さに翻弄されっぱなしで、ろくな抵抗ができずに唸った。
「ご領主さまっ!」
「クリフって呼んでって言ったでしょう?」
「っーー!クリフさま、私の話を聞いてください」
「なにかな?アーリア嬢」
キッと強い視線を向けるアーリアを、領主カイネクリフはさらりと受け流し、蕩けるような微笑みを浮かべた。アーリアはその麗しい御尊顔に内心詰まりながらも、ぐっと下腹に力を込める事で自分を律した。
「クリフさまは何用でこちらへ参られたのですか?」
しれっと寝不足解消の為の話し合いに参加していた領主カイネクリフだが、本来、彼はこんな所で談笑してられる程、暇ではない。寧ろ、このアルカードいち多忙である筈なのだ。だからこそ、アーリアは社交ダンス云々で盛り上がる領主に問い質した。『アンタ、なんでココにいるの?』と。
「勿論、『夜会のお誘い』にだよ?」
流れるような優雅な物腰。領主カイネクリフはアーリアの手を取ったまま跪くと、手満面の笑みを浮かべながら、その手の甲へ唇を落とした。
お読み頂きましてありがとうございます。
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小話5『魔女と恋のおまじない(上)』をお送りしました。第3部『魔女と塔の騎士団』の途中あたりになります。
眠りの浅いアーリアを心配して様々な提案を出す騎士たち。しかし、運動嫌いなアーリアはどの案にも消極的。そんな中、会話に割り込む一人の男。それは、巷でシスティナ随一の女誑しとも云われるご領主で……
次話、『魔女と恋のおまじない(中)』も是非ご覧ください!