小話2 甘い香を貴方へ(上)
【注意】
バレンタイン企画
時系列的に第3部後半の話になります。
第3部ご購読後にお読みになると丁度よいかも知れません。
甘い香が街中を包み込んでいる。その中を満開の薔薇のように頬を綻ばせた女性たちが歩み行く。
南国ドーアの名産カカオがシスティナ国内に浸透して早数年、歴史も浅く認知度の低い食物であるにも関わらず、カカオから作られる甘いチョコレート菓子は若い令嬢たちだけでなく全世代の男女を虜にしていた。しかし、高価な食材であるカカオ、そのカカオからチョコレート菓子を作る菓子職人の数はそれ程多くはない。必然的にチョコレートは王侯貴族のみが口にする事ができる『高級菓子』の位置付けがされるようになっていった。
だが近年、カカオを扱う専門の菓子職人や料理人の数も増え、民間の中にも浸透し始めた事によって、平民であってもチョコレートを口にする機会が増えつつあった。
そしてこの春、『軍事都市』との物騒な名の付くアルカードにもチョコレート菓子を扱う菓子店が競うように新設された。その新進気鋭の菓子店をトアル領主が訪れた事で、爆発的な人気が生まれる。
『女の子には甘いチョコレートがよく似合うね?』
花が咲き誇るような領主の微笑み。何処ぞの王子様のような容姿、柔らかな物腰と口調、立ち居振る舞いに恋い焦がれる女性たちが続出し、瞬く間にチョコレート菓子がアルカードの流行になっていった。
※※※
※(アーネスト副団長視点)
桃のようにほんのりと頬を紅色に染めた少女は、るんるんという音が出そうなほど軽い足取りです。腕に抱える紙袋の中には包装された幾つかの小包。それを大事そうに抱えながら鼻歌交じりに歩く少女の姿が大変可愛らしい。
「ご機嫌がよろしいようですね?」
「あっ、分かっちゃいますか?」
「ええ」
少女の横顔を見ながら私はクスリと笑みを零してしまいました。ですが、これほど分かり易い『ご機嫌』もないと思いますよ?白い頬を桃色に染め、口元に弧を描いている。『花も綻ぶ満面の微笑』とはこの事を言うのでしょう。足が地面から2、3センチ浮いているのでは?と足下を覗き込みたくもなります。
「アーネスト様。お付き合いくださって、ありがとうございます」
「いいえ、礼など無用です」
いつもナイルやセイばかりがアーリア様の側にいるなど、ズルイではありませんか。部下の仕事を上司が取り上げるなどパワハラも良い所ですが、それでも、たまには直接、主君と触れ合う時間を持ちたいと思う事は、許されるのではないでしょうか。
騎士団員に対して懐疑的で、なかなか心を許されないアーリア様の警護は、必然的にナイル率いる第二小隊が務める事が多くなっています。騎士の中から露骨に文句を言う者は居りませんが、やはり、面白くないと考える者がいる事も確か。その為、出来る限りローテーションを組んでアーリア様の警護をさせているのですが、その中に団長や副団長の名が含まれていない事に気がついたのはずっと後の事でした。
「お持ちしましょう」
「えっ……ありがとうございます」
「女性にこのような荷物を持たせたままでは、システィナ紳士の名折れですからね?」
アーリア様の腕からヒョイっと奪うように荷物を持ち上げれば、その意外な重量に驚きました。チョコレート菓子と侮っていましたが、紙袋一杯ともなれば決して軽いとは言えないのですね。
「随分と買い込まれましたね?」
「あーーはい。故郷の師匠や兄たちに送ろうと思いまして……」
「成る程……では、イベントに参加する為ではなかったのですね?」
「イベント?」
「あのバカーー失礼。ご領主様発案の催物ですよ」
小首を傾げられたアーリア様。アーリア様もあの領主主宰の催物に参加されるのだろうか?と早合点しておりましたが、どうやらそうではないご様子。
「その様子では、何もご存知ないようですね?」
「あの……?何を仰っているのか分からないのですが……。ご領主様ってカイネクリフ様のことですよね?」
「ええ。あのご領主以外にはいませんよ。こんなバカげたイベントを思いつくのは」
いけませんね。あの領主の事を話す時にはどうしてもトゲが生まれてしまいます。これも、あの領主との腐れ縁が為せる技でしょう。
「……。因みにどんなイベントなんですか?」
「これをご覧ください」
アルカード領主カイネクリフの名を聞いて微妙に引き気味になっているアーリア様に、懐から取り出した一枚のチラシを手渡しました。
『チョコレート記念日』
◆主題:あの人に伝えよう!大切な想いを。
◆概要:胸に秘めた熱〜い想いをチョコレートに込めて伝えよう!君の愛はきっと届くハズ。
◆準備物:愛とチョコレート
◆開催日:春月の二週目
ハート模様が散りばめられた派手なチラシに目を通されたアーリア様は、その小さな口をポカンと開けられた。そして、その視線を普段より人通りの多い中央通りへと向けてから息を吐くと、成る程と何度も頷かれた。
「カイネクリフ様らしい……。通りで、普段より混んでいたはずです。いつもより品数も多かったですし、何故か包装が無料でしたし……」
先ほど訪れていた菓子店の様子を思い出していらしたのでしょう。通常より多く並べられた様々な形状の小箱。色とりどりの包装紙に包まれたチョコレート菓子の山。誰にでも手の届く手頃な金額の物から高価な物まで。店内の商品は種類も多岐に渡っていました。いつもよりも多い品数とサービスの良さ、そして人の多さに漸く納得されたご様子です。
ーこれではミシェルも報われませんねぇー
朝方、騎士駐屯基地から街へと繰り出そうとしていらしたアーリア様を呼び止めたのは、若手騎士ミシェルでした。
ミシェルはセイと並ぶほどの軽薄さの持ち主。噂好きで社交界で巻き起こった下世話な話のネタを面白おかしく騎士団へと運んでくる常習犯。しかし、彼の情報がなかなかに正確で、また、的を得た視点を持ち合わせている為に『バカな』と一笑する事ができない現状があります。
そのミシェルが今朝方、トアル不良領主の策略に乗せられてアーリア様に所謂『告白』を行なったのですが……
『アーリア様、宜しければ僕とお付き合いしてください!』
バッと差し出された右手。ミシェルの勢いに押されやや引き気味のアーリア様は、その手を取る事はありませんでした。
『え……ごめんなさい。その……先約があるの』
『先約ぅーー⁉︎ も、も、も、もしかしてリュゼ殿とお付き合いなさっているのですか⁉︎』
『お付き合い?リュゼと?』
『な、な、なら、ナイル先輩ですか?』
『いえ、あの……⁇』
『セイ……ですか?い、いや、ありえん。あんなチャラ男は認めたくないッ‼︎』
『……えっと……?今日、アーネスト様がお付き合いくださると……』
『ぃいッーーーー⁉︎』
腹が捩れるとはこの事でしょうか。一連の光景を影から見守っていた私は何食わぬ顔でアーリア様の側へ近寄ると、アーリア様の腰を背後から拐い、ぐっと自分の胸へと抱き寄せました。肩を跳ね上げて萎縮し目を白黒させるアーリア様の肩を優しく抱き締めると、意味ありげな視線をミシェルに送りました。
『あ、あ、あ、アーネスト副団長ォーー⁉︎』
『そういう事です、ミシェル。理解ったらサッサと仕事へ戻りなさい』
ニッコリと笑みを浮かべそう言い放った時のミシェルの顔ときたら!傑作を通り越して秀作でした。周囲にいたアーリア様の警護担当たちも顔を背け、笑いを堪えるのが精一杯といった雰囲気。あのナイルですら失笑していましたからね。要するに、盛大な『勘違い』をしていたのは、あの時、あの場所で、究極に混乱していたミシェルだけだったのです。
ーそれもこれも、あの領主の仕業でもあるのですが……ー
何が『チョコレート記念日』ですか⁉︎ 恋心を商売に利用しようなど、いつか天罰が下るに違いありません!
大方、何処ぞの商人と連んで大々的にカカオをーーチョコレートを売り込みたかったのでしょう。南国ドーアとの繋がりを強化したかった、或いは政治的視点から意図して行われた『政策』に違いないのです。帝国との友好が軌道に乗り始めた現在、対ライザタニア政策の一環として南国ドーアと友好関係を作る事は有効な戦略です。それに気づいたあの領主が早々に隣国との繋ぎを謀ろうと考えたのだとしても、何ら可笑しな点などありはしません。
ー彼は先物買いが得意ですからねー
チラシ片手に唸るアーリア様を片目に想いに更けていると、前方に例のご領主様の居城ーー領主館と領主館前広場とが見えてきました。
「アーリア様、こちらへ」
「え……?」
「馬車が来ました」
背後から馬車の気配を感じ、私はアーリア様の肩に手を回して軽く引き寄せた。すると、アーリア様は脚をよろけさせ、私の胸に手を預けて来られました。羽のように軽いアーリア様の身体を転ばぬように支えていると、我々の横を二頭立ての大きな馬車が通り過ぎていきました。
「す、すみません」
「構いませんよ」
頬を赤らめて頭を下げるアーリア様。しかし、こちらは役得ですからね。何も気にする必要などございません。嗚呼、我らの主は本当に謙虚でいらっしゃる。
本来ならば安全確保の為に馬車移動が望ましいのですが、アーリア様は過度に護衛される事をお嫌いになるので、自然、外出は徒歩での移動が多くなります。その為、護衛は騎士服姿の者と私服姿の者たちで影から警護するのですが、これがどうして、護衛騎士としては楽しい時間であるようなのです。
ー擬似デートのようですからねー
担当ともなれば一日中付きっきりで護衛となる。うら若き女性を護衛しながらーーしかも、このようにデート気分を味わえるとなれば、『アーリア様の警護担当になりたい』と、騎士の間で争奪戦になったとしても不思議ではありません。まぁ、良からぬ考えを起こす若手騎士はナイルの手によって報告がなされ、我々管理官によって秘密裏に処理(意訳)されているのですがね。
「ほら、見えてきましたよ」
「うわぁ!すごい人……!」
領主館前広場には大勢の人で埋め尽くされていた。広場一面に白い天幕が張られ、そこかしこから甘い香りが立ち昇っている。
「アーネスト様、これは……?」
「全部、チョコレート菓子の露店ですよ」
「え⁉︎ これ、全部がですか?」
「ええ。アルカード領民はお祭り好きですからねぇ。『チョコレート記念日』に因んでチョコレート菓子を扱う露店商が多く集まった事から、ご領主は急遽、今週末を『チョコレートの祭典』にしてしまったのですよ」
「へぇ、すごい……」
アーリア様は目を忙しなくキョロキョロと動かして露店と人々とに視線を向けている。その瞳がキラキラしている事から、アーリア様もお祭り好きなのだという事が分かった。
「……あ、あの。アーネスト様」
「はい?」
「見に行っても構いませんか?」
「ええ、勿論」
両手を握ってキラキラした瞳で見上げてくるアーリア様。その表情は年相応ーーいえ、とてもお若く見えます。そんな可愛らしい顔で見つめらて『ダメだ』などと言える訳がございません。
しかし、人混みの多い場所での護衛は容易ではございません。そこで私はアーリア様に一つの条件を出す事に致しました。
「ただし、一つ条件がございます」
「条件、ですか?」
「はい」
ゴクリと唾を飲むアーリア様。その表情は真剣そのものです。私は眼鏡を上げるとふっと顔を緩め、アーリア様のギュッと握られた小さな手をそっと掬い取りました。
「この広場にいる間、絶対に私から手を離さないでくださいね、我が姫」
そう言ってアーリア様の手の甲に唇を落とす。子猫のようなか細い悲鳴を上げて、頬を薔薇のよに染め上げられたアーリア様の何とも云えぬ表情に、私は内心ほくそ笑むのでした。
※※※
トアル領主発案の『チョコレート記念日』。そしてその記念日にあやかったチョコレートの祭典。甘い物が大好きな女性は沢山いますが、それは我が姫も同様でした。
露店に並ぶ様々な形状のチョコレート。同じ食材を使用しているとは思えぬほど、その種類は多岐に渡っています。一口サイズに切り分けられたもの、宝石のような彩りと美しい光沢を持つもの等、様々です。苺や葡萄などの果実とチョコレートとの相性も抜群で、特に、チョコレートの中にブランデーなどの酒成分が入ったものは男性受けする一品ではないでしょうか。
「アーネスト様。このチョコレート、とっても苦いんですよ?」
「カカオが90%も含まれたビターチョコレートだそうです。私はこれくらい苦い方が好ましいですね」
「アーネスト様。このチョコレート、真っ白です!」
「それは『ホワイトチョコレート』と言うそうですよ?」
「アーネスト様、ホットチョコレートですって!美味しそうっ」
「そのように急がれなくても、チョコレートは逃げませんよ」
当初は私がアーリア様をエスコートするつもりでしたが、アーリア様のあまりのテンションの高さに、自然と私の方が手を引かれるようになりました。露店に並ぶ様々なチョコレートに目を輝かせ、甘いチョコレートを口に含んでは頬を緩めるアーリア様。その微笑ましい光景は私の心を和ませてくれます。
「こんなに沢山あると、逆に選べません」
「選べなければ全てお求めになれば良い」
「そんなのダメですよ!食べきれません。それに、太っちゃいますから……」
「確かに。チョコレートは熱量が高いと聞きますからね」
頬を挟んでウムムと唸るアーリア様は体型を気にされているご様子です。アーリア様はほっそりなさっていますから、多少食べ過ぎた所で大丈夫なような気もしますが……体型の問題は繊細ですからね。迂闊な事は申せません。それでもアーリア様は幾つかのチョコレートを購入すると、満足そうに頬を綻ばせていらっしゃいました。
「アーリア様、あちらで休憩しませんか?」
興奮なさっていてお元気そうには見えますが、その顔にはほんの少しだけ疲れが見えます。私はアーリア様を促すと、領主館の中に併設されたカフェテラスへと足を踏み入れました。
ートク、トクトクトク……ー
美しいカップの中に注がれていく琥珀。
「わぁ……綺麗。可愛い……」
このカフェテラスは領主館を訪れる他領からの来客ーーつまり、貴族をもてなす事もあるので、内装は勿論、品質もスタッフも一流です。特にアフターヌーンティは一品。曇りひとつない鏡のような銀の皿に盛られた美しい甘味の数々。ケーキ、パイ、タルト、クッキー、マカロン、プディング、そしてチョコレート……どれもが一口サイズに形作られており、女性の口に運びやすく成されています。カップに注がれた琥珀色の液体。伝統を感じさせるロイヤルブルーで彩色されたアンティーク。唐草模様に薔薇、菖、白詰草。カップ、ソーサー、ケーキプレート、トリオのティーセットは使う者の感性を豊かにしてくれます。
「お嬢様、蜂蜜と牛乳はどうなさいますか?」
「あの……たっぷりと……」
「かしこまりました」
黒いスーツに真白のエプロンを腰に巻いた給仕によって、紅茶の中にたっぷりの蜂蜜と牛乳を注いで貰ったアーリア様は、笑みを隠しきれずにソワソワとなさっている。
「あぁ、どうしよう。幸せすぎる……」
「ふふふ。それは良うございました」
「ーー!こ、声に出てましたか?」
どうやら大きな独り言だったようです。アーリア様は両頬を挟んで「やってしまった」と溜息。
「お気になさらず。今日は公休日なのですから、リラックスして楽しんでください」
「はい。ーーあの、アーネスト様も、此処ではゆっくりなさってくださいね?」
はにかむアーリア様に向けてゆっくり頷くと、ほっとしたように肩の力を少し抜かれた。自分は公休日であろうと、護衛を担う騎士たちは『仕事』なのです。それを十分ご理解なさっているからこそのお言葉でした。「せっかくのお茶が冷めますよ?」とお茶を勧め、お菓子を勧めると、アーリア様はおずおずとスイーツに手を伸ばし始められました。
その後は、私も休日気分を味わいながらのアフタヌーンティーを楽しませて頂きました。少しずつアーリア様の緊張も溶け、ご家族の話などもお聞きする事もできました。育ての親である魔導士様、そしてご兄弟様のお話をなさる時のアーリア様はどこか誇らしげでありました。
「ーー待ってくれよ!エリカ」
「嫌よ!」
アーリア様との楽しい談話のひと時。アーリア様の微笑みを一身に浴びながら胸を温かくしていると、カフェテラスの奥で一際高い声が上がりました。
キョトンと首を傾げるアーリア様。私も揃いの疑問符を浮かべて首を巡らせると、そこには……
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小話2『甘い香を貴方へ(上)』をお送りしました。
バレンタインを模した小話となっております。
是非、『甘い香を貴方へ(下)』もご覧ください!