小話1 悪戯(下)
「どうかしましたか?そのように不思議そうな表情をして……?」
ナイトハルト殿下は相変わらずの美貌を惜しげもなく晒しており、眩いばかりの御光を感じたアーリアは、一瞬、言葉に詰まってしまった。背後に控える近衛騎士はそんなアーリアの内心が読めるのか、どこか達観した表情を見せている。
「いえ。その、今日のナイトハルト殿下も麗しいなぁって……」
「ふふ、ありがとう。でもアーリア、君の方が素敵だよ」
ナイトハルト殿下はアーリアの手をスルリと掴むと流れる動作で手の甲に口付けを落とした。するとアーリアはナイトハルト殿下から齎される温もりと涼やかな流し目を受けて、ドキリと心臓を跳ねさせた。
「う、嬉しく存じます」
顔を瞬時に赤らめさせ、恥ずかしがって尻すぼみに礼を述べるアーリアの表情に麗しの殿下はいたく満足すると、名残惜しそうにアーリアから手を離した。
「あ、あの、殿下。私に何かご用がおありでしたか?それなら、私から伺いましたのに……」
アーリアはナイトハルト殿下に見つめらたまま、目を晒す事も出来ずにいた。
「いや。コレと言ってはないのだが、ね?」
「そうなのですか?」
「ええ。だからこそ私から参ったのですよ」
「はぁ……?」
「そもそも、これは紳士から淑女へと手渡すべき物ですからね」
そう言うとナイトハルト殿下は桃色の布に包まれた包みを取り出した。アーリアはその包みを見た途端、内心ギョッとした。
「もう、幾人かに貰ったようだね?」
「は、はい……。陛下と宰相様とライズ先生に」
「そう。私が最初に渡したかったけど、さすがに陛下より先を越せはしないな」
残念、と眉を潜めるナイトハルト殿下。その憂に満ちた表情すら美しい。ナイトハルト殿下はアーリアの側に控える護衛騎士に目配らせすると、既にアーリアの中にある包みを持つように指示した。
リュゼは王子殿下の目線から威圧感を感じると共にその強制力から逃れる事もできず、促されるまま大人しく指示に従ってしまった。アーリアが始終「え?」という疑問符だらけの表情をしているが、こればっかりは仕方がない。リュゼの中に元々ある『長い物に巻かれる』精神が発動してしまったのだから。
ナイトハルト殿下は手の中が空になったアーリアに再び向かい合うと、自分の持ってきた包みをアーリアへと手渡した。
「アーリア、君の未来に幸あれ」
微笑むナイトハルト殿下のコバルトブルーの瞳にアーリアが魅入られていると、ナイトハルト殿下の手が左頬にそっと添えられた。そしてフッと影が落ちると同時に右の頬にその柔らかな唇が触れていた。
「ーー!」
柔らかな感触と温かな吐息。その双方に驚くアーリアを余所に、ナイトハルト殿下は一人納得顔で頷くと颯爽と去って行った。
※※※
「だから、これって何なのかな⁇」
「さぁ……」
疑問符の大放出の末に半分パニックを起こしかけているアーリア。そのアーリアを余所目に何故か遠い瞳をしているリュゼ。
「この包みの中身、やっぱりお菓子だったよ?」
「みたいだね」
「リュゼには何か心当たりがあるの?」
「いんや。ーーって、そもそも僕はこの手の季節行事には弱いんだよ。そういうコト、してこなかったからさ」
リュゼは頭の後ろに手を組んで過去を思い出していた。荒んだ幼少期を過ごしたリュゼには季節行事を楽しんだ記憶がない。そんな余裕がまるでなかったからだ。誕生日すら、家族や他人から祝って貰った事が無いのではなかろうか。
アーリアにしてもリュゼと感覚が似通っており、季節行事にはトンと疎かった。幼少時から過ごした師匠の館に於いて、季節行事に参加した記憶は薄い。何より出不精の師匠とその弟子たちの巣窟で長年過ごしてきたのだから、その理由も肯けるというものだ。
「何かの祝祭日じゃないかなぁ……?」
「その可能性はあるね!」
この世界には四季があり、暦がある。一年が何日で一日が何時間といった明確な数字が定められたのは今から何百年前だろうか。しかし、システィナでは世界共通の暦以前に、この国独自の伝承を取り入れた季節行事があるのだ。それは何処の国でも同じだろう。処変われば宗教や価値観も変わり、その土地ならではの行事があるというものだ。
「アーリア、以前に暦帳貰ってなかったっけ?」
「ごめん!まだしっかり見てない」
「だよねぇ」
暦を紙に記した暦帳というものが発明され、近年、貴族の間では利用され始めたが、まだまだ民間には出回っていない。貴族と取り引きのある商人、または商人と遣り取りを持つ宿屋や飲食店に置かれている程度だ。
スケジュールを管理する上で重宝する暦帳だが、一々、季節行事まで確認するほどの興味をアーリアは抱かなかった。
そう話している内に、アーリアとリュゼは目的地へと着いていた。
重厚感のある荘厳な扉の前には二人の近衛騎士。彼らはアーリアの顔を見るや頭を小さく下げると、部屋の中に在わすお方への取り次ぎを行なった。暫くして入室の許可が下りると、アーリアは近衛騎士に先導されて室内へと足を踏み入れた。
「ーー久しぶりだな?アーリア」
出迎えたのはこの部屋の主ではなく、銀髪真紫を煌めかせた豪奢な輝きを持つ青年紳士だった。
「ユークリウス殿下⁉︎」
『何故、このような場所に他国の皇太子殿下が⁉︎』と驚くアーリアを尻目に隣国の皇太子殿下はニヒルな笑みを浮かべながらアーリアの元までツカツカと歩み寄ると、その勢いのままガバッ!と抱きついた。
「〜〜〜〜⁉︎」
「寂しかったぞ?我が姫、我が婚約者よ。そなたの顔を見る事ができて嬉しく思う」
抱き締められたアーリアは両手を上げた降参の姿勢で目を白黒させた。助けを求めてこの部屋の主を見遣れば、『無理だ、諦めろ』と口パクで見捨てられる始末。
「どうした?アーリア。そのように固まって……?私に逢いたくはなかったのか?愛しい姫」
「……。私もお逢いしとうございましたわ、殿下」
「そうか。そのように言ってくれるか?我が婚約者よ」
「はい、ユリウス様」
これもパフォーマンスの一つだ。そう割り切ったアーリアはユークリウス殿下の背に手を回すと、急に始まった『茶番』に勤しんだ。それは、ウィリアム殿下に助けの視線を送った時、殿下の側に来訪者の記録を書き残す『書記官』が居るのを目にしたからだった。
システィナとエステルとの仲を取り持つ緩和剤。それがアーリアにーー『システィナの姫アリア』に課せられた『仕事』。それを果たすべくこの王宮にアーリアはいるのだから、当然、求められた『仕事』は熟さねばならなかった。
「ユリウス様がお越しになっているとは聞いていなかったもので、とても驚きました」
「知らせておかなかったからな。驚かせてすまない」
「お気になさら……」
「ーーそれにな。ウィリアムとてつい先ほどまで知らなかったのだから、そなたが知らなかったのはも無理はない」
「……」
どうやら、ユークリウス殿下の来訪は本当に突然だったようだ。通りでウィリアム殿下の瞳が死んだ魚のように濁ったいる訳だ。
本来、大国の皇太子が来訪するならば、それなりの準備が必要だ。それをすっ飛ばしてユークリウス殿下はシスティナへと訪れた。急遽、大国からの要人を迎える為の準備に翻弄させられたウィリアム殿下の苦労は如何ばかりだろうか。
「ーーもう良いだろう?」
ウィリアム殿下が手を一つ打つと、其々に指示を飛ばし始めた。書記官は役目を終えて下がり、近衛騎士は部屋の配置換えを行った。ウィリアム殿下とユークリウス殿下、そして副官と護衛のみを残し、部屋の中は片付けられていった。
「あの……ユークリウス殿下。もう離れてください」
『茶番』が終了したと感じたアーリアは、事務口調でユークリウス殿下へと話しかけた。部屋が設えられていく中でも、ユークリウス殿下はアーリアを腕の中に抱き込んだままであったのだ。どうやら、アーリアの温もりを心ゆくまで堪能しているようだった。逆にアーリアはと云うと、力強く温かなユークリウス殿下の温もりに安心感を感じながらも、何故か小さな息苦しさを覚えていた。
「……アーリア。お前、随分と素っ気なくなってはいないか?」
「そんなコトはありませんよ」
「そうか?」
「ええ。だってこれは『お仕事』なんですから」
ユークリウス殿下はアーリアから『皇子との関係はお仕事』とハッキリ言われた事に不満を覚えた。年甲斐もなくムッとしてしまったユークリウス殿下は、人目も憚らずアーリアを抱き締めると、額から頬、そして頬から耳かけてツウっと唇を這わした。
「ユリウスと呼べと言っただろう?」
「っーー⁉︎」
柔らかな唇の感触。吐息の感触
「お前が『仕事』と言うのなら、私の下へ妃に来る話も有効だな?」
「なーー⁉︎」
そこで混乱するアーリアを見兼ねたウィリアム殿下が動き出した。
「ユリウス、そろそろ止めてやって欲しいのだが……」
ウィリアム殿下からの呆れを含んだ嗜めに舌打ちすると、ユークリウス殿下はアーリアに対しての『お返し』とばかりの言葉攻めを止めた。そして義兄(仮)から婚約者(未)を引き剥がされる前に、アーリアの小さな耳朶を食んだ。
「ひゃん!」
義兄(仮)の手によってユークリウス殿下から引き剥がされたアーリアは、食まれた耳を手で庇いながら後退りした。そしてウィリアム殿下の胸にトンと背を預けたままプルプルと震え始めた。その震えは怒りからか羞恥からは、外目からは判別がつかない。
「……。大人気なくないか?ユリウス」
「……」
妹の背を支え肩に手を置いて宥めるウィリアム殿下は、そっぽを向く悪友をジト目で睨め据えた。
ウィリアム殿下はユークリウス殿下の悪友だが、アーリアの義兄(仮)でもある。この場合、どちらの味方になるのかは明白だった。しかし、このように一人の女性に固執する悪友を見た事のなかったウィリアム殿下としては「まぁ、仕方ないか」と肩を竦めて、それ以上の叱責を無しにするのだった。
「あ〜〜さて、アーリア。此処へ来てもらった要件を済まそうか?」
未だに震える妹の手を引いて、兄は部屋の奥ーー応接間へと案内した。
応接間の中央に置かれた長方形の机の上には所狭しと箱が置かれていた。大小様々な箱には其々可愛らしいリボンがかけてあり、箱を包む包装紙も色とりどりだ。
「わぁ!すごい……」
「そうだろう?」
「でも、これらは何ですか?」
「これは全て、ユリウスからアーリアーー君への贈物だよ」
「え?」
ウィリアム殿下の言葉にアーリアは言葉を途切れさせると、背後にいるややヤサグレだ表情のユークリウス殿下へと顔を向けた。ユークリウス殿下はアーリアから視線を受け取ると、今度はどこか照れたような表情で頬をポリポリと掻き始めた。
「ああ。これは全て、お前への贈物だ」
「ありがとうございます。ーーでも、どうして?」
アーリアはこの様に沢山の贈物を貰う所以がなかった。
アーリアが『システィナの姫アリア』として隣国エステル帝国の皇太子殿下の婚約者となっているのは『公式の事実』だが、だからと言ってそれは『事実無根』の『非現実』であり、真実、国家間の『政策』であったのだ。
アーリアはシスティナ国からの『雇われ人』でしかなく、ユークリウス殿下との関係は今現在も『他人』止まり。それが現実だった。
「今日はシスティナに於いて『特別な日』だと伺ったのでな」
「『特別な日』?」
「……なんだお前。自国の行事なのに知らぬのか?」
訳も分からずと言った風に首を傾げるアーリアを見たユークリウス殿下は眉を潜め訝しむと、徐にハァと溜息を吐いた。視界の中では、隣に佇むウィリアム殿下さえ呆れた顔をして小さく首を振っている。無言の近衛騎士含め周囲の人々もーーリュゼを除きーー同じように呆れた表情を隠そうともしなかった。
「ユークリウス殿下。残念でしたね?アーリア様はご存知なかったようですよ?」
「……そのようだな」
「アーリア様の喜ぶ顔をあんなに楽しみにしていらしたのに……」
「え、えぇい!ヒース、五月蝿いッ!」
ボソボソと交わされる主従の会話を傍目にアーリアはポカンと口を開けた。
「あの……知らないとオカシイ行事なの?」
誰ともなく質問したアーリアの疑問に肯定も否定もしない人々。彼らはここで唯一発言を許されたこの部屋の主人ーーウィリアム殿下へと一斉に視線を投げかけた。
「アーリアは本当に知らないようだな?今日が何の日なのかを」
「……何の日なんですか?」
「今日は『死者の日』と呼ばれる祝祭日だ」
『死者の日』とは名前の通り亡くなった人の魂を祀る日であるという。祖先の霊を慰め、日々の幸せを感謝し、子孫繁栄を願う日であり、転じて『生者の日』とも呼ばれているそうだ。
「まぁ、祝祭日の由来はこの際、置いておくとして。この『死者の日』と呼ばれる祝祭日は何時からか『悪戯の日』になってしまったのだよ」
「お祭り、ですか?」
「ああ。女性や幼児が祖霊に扮して生者の下へ悪戯を繰り出しに行く。そんな彼らにお菓子を配ると大人しく悪戯を止めて去っていく、らしい」
「はぁ?」
民間伝承によって元来の意味や目的を見失い、姿を変えた祝祭日。何時からそうなってしまったのかは定かではないようで、『死者の日』という名の雰囲気台無しの季節行事に対して、王太子ウィリアム殿下は呆れ顔だ。
「しかしまぁ……アーリア、お前も王太子執務室へ来る前にもお菓子を貰っただろう?」
「はい。国王陛下と宰相様、ナイトハルト殿下とライズ先生にも……」
「やはり国王陛下も……!」
頭が痛いとばかりに額に手を置くウィリアム殿下。それも束の間、首を大きく振ると速攻で立ち直り、顔を上げた。
「陛下自ら、この季節行事には大変乗り気なのだ。それを他者がトヤカクは言えまい」
何せ、悪戯と称して淑女たちが寄ってくるのだ。しかも悪戯を阻止したければお菓子を渡せば良いという安易な発想のラッキーイベントには、国王陛下を始めとした恋多きシスティナの紳士たちは実に楽しげであるという。
「でだ。この季節行事の事を何処からか聞きつけたユリウスが突然、お前への贈物片手に現れた。そう言う事だ」
王太子殿下が指差した先にあるのは贈物の山。アーリアは贈物とユークリウス殿下を交互に見遣ると、「成る程」と頷いた。ウィリアム殿下の説明から、ユークリウス殿下が隣国ーーと云っても未だ両国の関係改善まで至っていない国へと突然現れた理由を知ることができたのだ。
アーリアはユークリウス殿下に向き直るとじっと真紫の瞳を凝視した。すると、いつもはニヒルな笑みでグイグイ来るユークリウス殿下が、この時は何故か神妙な表情で腰を引いたのだ。
「ユークリウス殿下」
「な、何だ?」
「悪戯した方が良いですか?」
※※※
「アッハッハッハッ!あのユークリウス殿下の顔、見たぁ⁉︎」
リュゼはアーリアと共に自室に引き上げるなり、腹を抱えて笑い始めた。その笑い方は苦笑や失笑ではなく『大爆笑』だ。今にも、手足をバタつかせて子どものように笑い出しそうになるのを何とか理性で抑えているといった具合。リュゼに理解のあるアーリアも、その姿にはさすがに呆れ顔だった。
「そんなに笑う事だった?」
「そりゃあもぉ……ぷくくくく!」
アーリアから『悪戯した方が良いですか?』と問われた時のユークリウス殿下は、それはそれは見事な顔面蒼白だった。S属性のユークリウス殿下は攻めるのは大得意だが攻められるのは苦手だった模様。当初、アーリアからの悪戯目的で贈物を用意したであろうユークリウス殿下も、まさか相手の方から悪戯の提案を持ち掛けられるとは思ってもみなかったようなのだ。
愛する婚約者からの悪戯は大歓迎。しかし、自国ではない他国でこれ以上好き勝手をする訳にもいかず、大帝国の皇太子殿下はその威厳を保つ為にも一歩ーーいや十歩引いて、スゴスゴと自国エステルへと帰るハメになった。
周囲の者たちには初めから皇太子殿下の思惑は透けて見えていたようで、あからさまに凹んだ皇太子殿下には皆、同情的だった。しかし、畏れ多くも大帝国の皇太子殿下を慰める事のできる者などおらず、ましては庇う者も誰一人なく、帰国の際に見せた哀愁漂う背中には、リュゼも同じ男として涙がちょちょぎれそうになったという訳だ。
「く、くく、くくく。思い出しただけで笑いが……」
笑い過ぎて目尻に涙を滲ませているリュゼ。アーリアはそんなリュゼを横目に自室へと運ばれた皇太子殿下からの贈物に視線を落とした。
カラフルな箱。カラフルなリボン。包装紙とリボン一つとっても高級品。センスも抜群だ。中身はと言うと、焼き菓子だったり髪飾りだったりドレスだったりと、どれも女性受けしそうな品々だった。しかも菓子類は全て、アーリアがエステルで好んで食べた物ばかりで、それを選んで贈ってくれたユークリウス殿下を想うと、胸がキュウッと締め付けられる思いだった。
「ユリウス、ありがとう」
アーリアは止む無く帰国した婚約者ーーユークリウス殿下に向けて呟いた。
アーリアは身の丈を良く理解していた。他の貴族令嬢なら、嘘であっても皇太子殿下の婚約者役を務めるとなれば逆上せるであろう状況に於いて、常に自分の立場と身分を弁えていたのだ。
だからこそ、ユークリウス殿下の心に触れる度に起こる胸の痛みに、アーリアは目を瞑ると同時に心に蓋をした。
「ーーーーアーリア」
「……あ、ごめん。なに?リュゼ」
アーリアはリュゼから呼びかけられて弾かれたように顔を上げた。間近で声がすると思えば、リュゼの身体はアーリアのすぐ側にまで迫っていた。
先ほどまでのニヤけた笑顔とは違いやけに真面目な表情を向けてくるリュゼに、アーリアは胸を跳ねさせた。
「ねぇ、アーリア。僕にも悪戯してよ」
「え……⁇」
「だってさ。殿下にだけズルイじゃない?」
「えっと……?私、ユリウスに悪戯なんてしてないよ?」
「あはは!アーリアにとってはアレは悪戯に入んないのかぁ〜〜」
不憫な皇太子殿下を想い、リュゼは苦笑した。リュゼから言わせれば、ユークリウス殿下は見事にその目的を達成させたと云える。他国に於いてあのように大勢の前で婚約者に良い様にあしらわれ、這々の体で帰国させられたのだから。アレは立派な悪戯だろう。ーーいや、それ以上にタチが悪い。何せ、悪戯した本人に悪戯した自覚がないのだから。
「みんなしてズルイよね?アーリアが立場上逃げられないからって、君に触れていくんだから」
リュゼは徐にアーリアの白い髪を一房拾うと、その髪に口づけを落とした。
護衛騎士という立場を持つリュゼは、普段からその立場と仕事を優先せざるを得ない。また、アーリアが『個人』となる場所が自室しかない為、王城でリュゼがアーリアと二人きりになる事など殆どないのだ。
リュゼは一房の髪に指を絡ませると、そのままアーリアの頬に手を添えて甘く微笑んだ。とろけるような甘さを持つ笑み、蜂蜜のような微笑みを浮かべるリュゼを、アーリア以外が目にする事はないだろう。
「リュゼ……?」
アーリアはその笑みが自分だけにーー愛しい女性だけに向けられるものだとも知らず、リュゼのとろける笑みに思わず見惚れてしまった。
「今日は女性の方から悪戯してくれる日なんでしょ?だからさ……」
「お願い」と頼まれたアーリアはリュゼの顔から少しだけ目線を落とすと、小さく首を捻った。そして徐に一つ頷くと、もう一度リュゼの顔を正面から覗き込んだ。
「悪戯って、何でも良いの?」
「勿論」
「それじゃあ、リュゼ。目を閉じて少し屈んでくれない?」
「うん……?」
リュゼはアーリアの言葉に首を捻りながらも、言われた通りに少し屈んで瞳を閉じた。
「いくね……」
アーリアはそう言うなりリュゼの顔をーーその両頬を両手で挟んで引き寄せた。
ーチュッー
リュゼは近づいてくるアーリアの体温、そして甘い吐息に、心臓をドクンと跳ねさせた。そして、柔らかな感触が額に触れて離れていった時にはもう、まるで心臓の鼓動が止まってしまったかのような錯覚に陥っていた。
反射的に閉じていた目を開いてしまったリュゼは、アーリアの顔が間近にあるのを見留めてヒュッと息を飲んだ。
「もう!リュゼ。目を閉じててって言ったのに……」
頬から離れていくアーリアの手を咄嗟に掴んだリュゼは、「なんで?」と問い質していた。
「どうしたの?悪戯してって言ったのはリュゼの方なのに……」
「うん。でも、さっきのは……?」
アーリアはリュゼから自分の悪戯の所以を改めて問われるとは思っていなかったので、リュゼの態度には慌てふためいた。すると、急に自分のしでかした事への羞恥心が生まれてきてしまい、顔を赤くしてドキドキと心臓が忙しなく鳴り響かせた。
「おまじない」
「え……?」
「さっきの悪戯は『おまじない』ーー祝福のキスだから」
本来、額へキスは『友情・祝福』を意味する。アーリアは『死者の日』転じて『生者の日』となった祝祭日に贈る悪戯には、『相手の健康と長寿を願う』ものが良いのではないかと考えたのだ。だから迷わずリュゼの額にキスをした。
しかし、今思い返せば軽率であったかも知れない。アーリアは早々に自分の行動を反省し始めていた。
「ご、ごめん、リュゼ。軽率、だったかも……」
腕を掴まれたまま顔を晒すアーリアに、耳まで赤くして恥じらうその表情に、リュゼは猫のような琥珀色の瞳を大きく見開いた。それまで滞っていた血液が一気に身体中を巡る。身体が奥底から温かくなるのを感じた。
「ううん。嬉しいよ、アーリア」
これまで自分からアーリアにしたキスは多々あれど、アーリアからされたキスは初めてだった事もあり、リュゼは何とも言えない嬉しさから心躍る想いだった。
リュゼはその嬉しさのままアーリアの手を引いて胸の中に抱きしめると、先ほど自分がされたようにアーリアの額へと口づけを落とした。
「ありがとう、アーリア」
ー大切な君に『祝福』をー
それは人生で初めてできた大切な女性に対して、『心からの祝福』を込めたキスだった。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
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小話2『悪戯(下)』です。
ハロウィンを模した小話になっております。
ユークリウス殿下ばかりズルイ。僕もアーリアから悪戯してもらいたい!初恋を拗らせたリュゼの想いはいつアーリアに届くのか?
乞うご期待!