小話10 狼さんはどちら?
「へ?今なんて……?」
アーリアがリュゼを伴ってアルカードへ向かう道すがら立ち寄った最初の宿場町。そこで今夜の宿をと考え、数件の宿屋を物色していたリュゼは、街の中央を流れる川沿いにある一軒の宿屋に目を付けた。木造三階建て。一階下部は煉瓦造りで、小さな鉢植えには季節の花。玄関先から清潔感が見て取れた。
男同士ならいざ知らず、女性を連れているなら清潔感を重視するのは当たり前だろう。そう思い選んだ宿だが、一階受付で二人部屋の鍵を借り、三階の角部屋へと脚を運んだ矢先、アーリアから思いもよらぬ言葉がかかった。
「だから、やっぱり部屋は別々にした方がいいよねって?」
「そりゃ、部屋が空いてればそれで良いけど、さ……?」
コスト面を考えるなら二人一部屋が妥当。それに護衛の面を考えても、できれば同じ部屋で寝起きする方が良い。確かに、プライバシーの面を考えるなら、別々の部屋にするのが望ましいだろう。男女間の健全な付き合いを考えるなら尚更だ。
だが、男女交際に於ける知識が乏しく、常識に偏りのあるアーリアから出たこの発言は、リュゼにとって晴天の霹靂だった。何せ、ラスティの街にあるアーリアの屋敷でも、何の疑問なく、二人は一つ屋根の下で過ごしてきたのだから。
ーあー、お兄さん辺りの忠告カナ?ー
未婚男女に於ける正しいお付き合いの仕方。そんなモノを懇切丁寧に教えるとしたら、アーリアを溺愛する姉兄ぐらいであろう。彼らはアーリアを目に入れても痛くない程に愛している。そりゃもう、底なし沼の如くにだ。
「えーとアーリア、誰かに何か言われたりした?」
「何を?」
「ん〜、例えば『正しい男女交際の仕方』とかさ?」
リュゼが多少の気まずさと共にそう問えば、アーリアはきょとんと首を傾げるのみで、問われた意味がイマイチ分かっていない様子。しかも「男女交際?」と恥ずかしげもなく問い直すではないか。
「えー、いやだってさ。急にアーリアが部屋を分けようなんて言うから。どーしたのかなって……」
「恋人や夫婦でもない男女が一つの部屋で寝泊まりするのって、良くないんでしょ?」
「ま、まーね」
アーリアの言い分には一理も二理もある。だからこそ解せぬ、とリュゼは目を細めた。
「んで、それは誰の入れ知恵なワケ?」
「え?」
「お兄サン、それともお姉サンかな?」
「誰のって……その……。……。……。……ジーク、が……」
ジトーっとした視線で見つめられだアーリア。か〜な〜り言い渋った後、やっと口にしたのは一人の男の名。ジークフリード・フォン・アルヴァンド。由緒ある公爵令息にして近衛騎士に所属する新進気鋭の若者である。
アーリアはひょんな事から公爵令息ジークフリードと共に旅をした経験を持つ。それを知るリュゼは、アーリアがその時の体験が今回の発言に繋がるのだと察した。が……
「ふーん、獅子くんがねぇ……」
ある程度の納得はあるが、どうにもキナ臭い話。そう感じてしまうのは、リュゼがジークフリードの為人を知るが故だ。
ジークフリードは爽やかな容姿から見て分かるように、内面も真面目で裏表がない。十人に尋ねれば十人ともが口を揃えて『紳士』だと唱えるだろう。だがしかし、リュゼに言わせれば『ムッツリ野郎』との位置付けになってしまう。本人は隠している様だが、リュゼは知っていた。ジークフリードはアーリアへの片思い(両思いではないと思いたい!)を拗らせているのだ。
ー紳士が聞いて呆れるよ!ー
そんな男が好いた女と旅をして、何も起こらない(起こさない)と思う方が可笑しいではないか。もし自分が彼の立場であったなら、きっと一度や二度、手を出しているに違いないのだ。
「だって、ほら!これ、二人部屋だって言ってたのに……」
アーリアがポツリと溢した言葉。その視線の先には寝台が一つ。シングルベッド二つぶん以上ある大きさの寝台が寝室を占拠している。
寝室へと繋がる扉を開け放ったまま、それをジッと見つめるアーリアの目は困惑色。リュゼが固まるアーリアの肩に手を置こうとした時、その肩がビクンと跳ね、アーリアが肩越しに振り返った。
「アーリア?」
「わ、私がソファを使うからリュゼはベッドで……」
「何言ってんの?アーリアが使いなよ」
「え、でも……」
「僕は何処ででも寝られるから大丈夫」
笑顔で押し切られるアーリア。「悪いよ」と眉を下げながらも、その顔はどこかホッとした様子がある。そんなアーリアの姿にリュゼは「ハハーン」と鼻を鳴らす。
「あのさアーリア。獅子くんに何かされた?もしかして、押し倒されたりトカ……」
「えッ!?」
「……え?」
リュゼによる不意打ち。荷物を降ろし、他人目のない部屋で肩を下ろしたアーリアの顔が固まった。一方、マサカの一発正解を引き当てたリュゼは、アーリアのひきつった顔を見るなり硬直した。
「……」
「……」
無言。優に六十秒は黙ったまま見つめ合う。そして互いに見つめ合ったまま「「アハハハハ」」と笑い合った後、アーリアはサッと顔を晒し、リュゼはアーリアの顔をガン見した。
「さて!今日は何を食べる?」
「……アーリア?」
「この町の名物って何かな?」
「アーリア」
「夕飯には少し早いけど良いよね?」
さぁ早く。と、リュゼの目を見ぬままに腕を引こうと伸ばしたアーリアの手を、リュゼの手が掴んだ。その手が軽く引かれ、えッ⁉︎ という狼狽を挙げる間もなく、リュゼのもう片方の手がアーリアの頬に添えられ、問答無用で上向かされてしまった。
「アーリア」
「ひゃい」
「ジークに何された?」
「にゃ、にゃにも……」
「白状しなよ」
視線を泳がせている段階で嘘をついているのはバレバレなのだが、それでもアーリアは抵抗を続けた。視線を合わせたら負けだと言わんばかりに視線を晒す。なけなしの生存本能がそうさせるのだろうか。
「珍しく強情だね。君がその気なら仕方ないか……」
「だから何もないよって、ひゃあ⁉︎」
足下から重力が消失する。衣服に隠された逞しい腕に抱えられたアーリアの情け無い悲鳴は、宙に霧散されていく。大股三歩。たどり着いた寝台の上に荷物の様に降ろされたアーリアは、柔らかなシーツの感触よりも、頬に触れる暖かな吐息にドキリとした。
「こんな風に押し倒されたの?ジークに」
「ゅっ⁉︎」
「そこまで意固地になるなんて、ホントに珍しいよね?」
「だ、ジ、ジークには『男は狼だから気をつけろ』って言われただけで……」
「あ〜なるほど、それで?」
「別に、何も……」
琥珀の瞳が細められる。ウッカリ視線を合わせてしまったアーリアは瞳の美しさに飲まれ、ピタリと唇を閉じた。
リュゼは面白げに笑んではいるが、その目は全く笑っていない。生存本能から逃亡を選択するが、逃げように両手がシーツに縫い止められ、身動きが取れない。指の間に長く節がある指が入り込む。絡む脚。舌が異様に乾く。冷や汗が止まらない。
「ねぇアーリア。ジークにどんな事されたの?あの色男の事だから、注意だけじゃないよね?」
「っーー!」
「例えばこんな風に……」
琥珀の瞳がアーリアの白い首を注視する。首を擡げたリュゼの顔がその首元目掛けて埋もれていく。暖かな吐息が首筋を這う。普段のリュゼからは想像し難い、男の色気を全面に出した仕草に、アーリアの胸は激しく鳴りっぱなしだ。
耳を擽る吐息に肌がゾクリと産毛立つ。小さな悲鳴を飲んで目を瞑るアーリアの額に、暖かな物が押し付けられた。ーーが、そこで苦笑と共に「ゴメンゴメン」と、謝罪にしては明るい声音が降ってきた。
「ゅ……リュゼ……⁇」
「ウソウソ。無理強いなんてしないよ!どこぞの発情男じゃあるまいし」
腰を上げたリュゼがホラ!と手を伸ばす。アーリアは差し出された掌に恐る恐る指をかければ、軽い力で引き上げられた。
「大方、こんな風に男の怖さについて教えられでもしたんデショ?アーヤダヤダ、ムッツリのやる事って極端だよね!」
「あのっ……」
「アーリア、ゴメンね。怖かったよね?」
「ぅ……ぅん……」
身体を縮め寝台の上に座り込むアーリアの肩を優しく摩るリュゼ。自身も胡座をかいて腰を降ろす。
前科があるだけに、アーリアとの距離の取り方には慎重になっているリュゼ。無理強いして嫌われる事のない様に細心の注意を払っているからこそ、フォローにも余念がない。
「僕はアーリアの嫌がる事はしないよ」
ニッコリ微笑まれアッサリ警戒心を解いてしまったアーリア。甘いとは思うが、リュゼはそれをトヤカク言うつもりはない。
「んでさぁ、ホントーは何を言われたの?」
「え……ジークに?」
「そ。何かしら教わったんでしょ?男のコト」
魔宝石を狙うバルドから逃げる際に立ち寄った東の町アルカード。そこでの出来事を、アーリアはかいつまんで説明した。曰く「下心を持つ男には十分気をつけろ」だとか、「男は狼だ」だとか、「宿屋は信用できる男と利用しろ」だとか、「リュゼのような軽薄男はもっての他」だとか。その殆どがアーリアの警戒心のなさをからくる警告だが、話を聞いている内にリュゼの機嫌はみるみる悪くなった。
「ハァ?なんでジークは良くて僕はダメなのさ⁉︎」
憤慨のリュゼは寝台の上で地団駄を踏む。もしも目の前にジークフリードがいたなら、その首根っこを掴んでいただろう。その気迫にアーリアはタジタジと手に汗握る。
どうしてと聞かれた所で答えられず、「自分はムッツリのくせして!」と憤るリュゼに困惑気味だ。できれば二人には仲良くしてほしいが、男同士の話となれば別だと弁えてもいた。
「はぁ……もういっか。お腹も減ったし」
「……リュゼ、その、ごめんね?」
「いーよ。悪いのは全部あの色男だから」
「……そう?」
おずおずと顔色を伺うアーリアにリュゼはやはり苦笑し、アーリアの頭をひと撫で。リュゼはさっと寝台から降りると、アーリアの手を取り寝台の縁に座らせ、乱れた髪と服を整え満足そうに頷く。
「僕はね、こう見えて誠実な男なんだ。好きな女の子には誠実でありたいと思ってる」
「?そう、なの……?」
「要するに、アーリアはそのまんまで良いってコト。まぁ、警戒心を養うのは賛成だけどネ」
「うん……?」
自身に対して警戒心を持たれ過ぎても困るリュゼなりの精一杯の譲歩は、かなりやんわりとした忠告に留まった。すると、やはりと言おうか、アーリアは頷きつつも疑問符を浮かべた。
「僕と居るときは安心していいよ」
「ホント?」
「ホント。だから部屋も別々にしなくても大丈夫だから」
普通なら、こんな根拠の無い「大丈夫」に納得したりしない。けれど、世情に疎く押しに弱いアーリアに限り、常識は通じない。師匠や姉兄から信頼を得ている相手からの言葉なら尚更だ。結果、リュゼはアーリアと同室する権利を獲得する。リュゼが内心ガッツポーズをしているなど、アーリアは十年経っても気づかないだろう。
「よかった。リュゼの機嫌が直って」
機嫌も直り、ウキウキと外出の準備をするリュゼにホッと胸を撫で下ろしたアーリアだが、ここでふと、小さな疑問が脳を過った。
「リュゼ」
「ん?」
アーリアの呼び掛けに振り向くリュゼ。
「リュゼも狼なの?」
アーリアでも思いつく至極当たり前な疑問。その疑問に自称『安心安全な男』リュゼはニッコリと笑みを一つ。
「さぁ、どうだろうね?」
ーーと、鼻歌混じりに誤魔化した。
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※時系列は第2部と第3部の間くらいに位置します。