小話9 魔女と獣人の野営
※(ジークフリード視点)
正直、年頃の娘を伴っての旅など困難でしかない。
彼女を牢から連れ出した時点では、そこまで考えていた訳ではなかったのだが、よくよく考えてみれば女子供との旅には様々な問題にぶつかる事などは、分かり切っていたんだ。それなのに、それらの問題に全く考え至っていなかったのだから、あの時の俺がどれほど焦りを抱いていたかが伺える。そう思えばこそ、あの時よくぞこんな考え無しの男に彼女はついて来てくれたものだと、彼女には感謝しかない。
ーまったく、頭が上がらないなー
食事や寝床、入浴や排泄、盗賊や野獣など。旅をする上での問題は山ほどある。しかも、あの時俺たちは追われる身。簡単に街や村に降りる事もできない。そんな状況下、俺は年頃の娘と二人きりで旅をした。これはそんな旅の一幕だーー……
「アーリア、怖いなら目を瞑っていても良いぞ?」
右手にナイフ、左手に獲物を持った俺は、背後から顔を背けつつも覗き込んでくる彼女にそう声をかけた。
ナイフから滴る血の匂い。生々しい臓物の色。それらを好む人間は余程の好きモノだろう。かく云う俺だって好き好んでいる訳ではない。食事の糧、それを得る為の行為だからこそ、甘んじて受け入れているだけに過ぎない。
『あ、いえ、その、大丈夫です!』
「本当か……?その割に顔が真っ青だが……」
野山で捕まえた野兎を解体する俺の様子を、アーリアは真っ青な顔をしながら見学している。姿勢は完全におよび腰。俺の肩に置く手などは僅かな震えを帯びている。
『ジークさんだけに何もかもを煩わせるのは気がひけて。私だってその野兎を食べるんですから……』
「狩りの事を言っているなら気にする事はない。騎士時代には野外演習も行っていたから、この程度は造作もないしな」
『でも……』
「それにアーリア。お前、料理ができないだろう?」
『……』
黙った。見れば、アーリアの目が泳いでいる。どうやら自分でも料理技能の低さを自覚しているらしい。
そうなのだ。平民の年頃の娘=料理ができると思い込んでいる者も多いかと思うが、彼女ーーアーリアは料理ができない。数日前、試しにナイフを持たせてみたが、あまりの覚束なさに此方が先に根を上げたほどだ。
まぁ、本人の意識はなんにしろ、貴族令嬢などはナイフなど握らず一生を終える者も少なくないから、料理など出来ずとも嘲る事などないのだがな。
『……でも、それを理由にジークさんからの施しを一方的に甘んじて受けるのは、イヤなんです』
ギュッと握った拳。引き絞った唇。意志のある眼差しに彼女の覚悟が見えた。
「そうか。なら、勝手にしろ」
俺はそれだけ言うと作業を再開した。アーリアはコックリと頷くと作業の様子を具に観察した。
それから数日後、アーリアは俺に解体の仕方を教授して欲しいと言ってきた。最初は本気かどうか耳を疑ったが、彼女の意志は思った以上に強固だった。
「そうだ、そのまま真っ直ぐに刃を突き入れて……」
『……』
相変わらずアーリアの顔は有り体に言えば真っ青。だが、文句など垂れずに俺の指導に従っている。
首を落とし血を抜く。腹を裂き内臓を引き摺り出す。羽を毟り皮を剥ぐ。ただ、それだけの事が難しい。
肉を裂く感触。血の暖かさ。むせ返る血の匂い。それらに慣れるには時間がかかる。大の男だって、初めてでは卒倒する事もある。現に、騎士時代の野外演習では、鳥の首を落とした時点で血の気を無くして倒れた同僚が幾らもいたくらいだ。
それにしては、アーリアは良くやっている方だ。
顔こそ青くしているものの黙々と作業を熟している。取り組む姿勢に不真面目な点もない。実に優秀な生徒と言えた。
『できました!』
「うん。初めてにしては上出来だ」
その言葉に、アーリアはやっと笑みを浮かべた。
生命を頂くということ。特に貴族など特権階級にいる者は、その意味を真に知る者は少ない。毎日の食卓には調理済みの食材しか並ばないからだ。酷い者になると、人参や馬鈴薯など、本来の形を知らぬ者すらいる。けれど、本来それではいけない筈なんだ。
『生きていくって事は、生命を頂く事なんですね?』
小川でナイフの血を洗い流しながら、アーリアはポツリと呟いた。その言葉は当たり前のようでいて、当たり前ではない。生命を頂く行為を知る者しか実感し得ない言葉なんだ。だから俺はアーリアの頭をガシガシと撫でた。アーリアが俺と同じ感覚を共有し得る者だと知って、嬉しかったからだ。
「……明日は野鳥を解体しようか?」
『はい!』
子気味良い返事を返すアーリアへ、俺は満面の笑みを向けた。
ーーしかし何事も順調にとはいかないもので。
『いやぁ!ムリ、ムーリ、ムリ!』
「アーリア、落ち着いて」
『ムリなものはムリなんです!こっち向けないでくださいっ!』
程よい獲物という物は都合良く狩れる訳でもなく。
その日は雨のため川も増水しており、鳥にも野兎にも出会わず。かといって、大型の猪や熊を狩る訳にもいかず。
丁度良い食料として手近にいたソレを狩って来たのだが、ソレを目にしたアーリアの反応は上記の通りだった。
まぁ、控え目に言って『パニック』だな。半狂乱と言っても差し支えない。
首を目一杯横に振り、涙目で後退る。
もし、この時、魔術が使えていたなら、アーリアは確実に俺に向けて魔術を放っただろう。勿論、俺の手にあるソレを葬り去る為に。
それほどアーリアを混乱に陥れたソレ。
無脊椎動物。おもに地中を住処にする。全長およそ1メートル前後。淡白な味。鶏肉に似た食感。身近なタンパク源。野営のお供その1。
『これ以上近づかないでください!本気で怒りますよ!?』
離れているので声は届かないが、おおよそその様な事を言っているのだろう。ソレを視界に入れるのも憚られるようで、目線を逸らしつつ牽制してくる。そこまで嫌うか!? ってほど苦々しい表情をしている。
夜戦食にしろ、野宿にしろ、これまで何にも文句を垂れなかったアーリアが、初めて見せた拒否感。年相応の表情。その年頃の娘らしい反応に、俺は呆れを通り越して笑ってしまった。
澄ました表情もいいが、感情を表に出したら表情の方がずっと好みだ。
今までだって、もっと文句を言って良かったんだ。
なのに、アーリアは何でもかんでも受け入れてしまうから、俺はずっと、安心するよりも不安になっていたくらいで。
だから、この時、そんな場合じゃないのに、俺はソレ片手に腹を抱えて大笑いした。
「……アハハ、アハハハハ……!」
『じ、ジークさん!?』
突然笑い始めた俺に、アーリアはギョッと目を剥く。
だが、やはり目線は此方に向けない。そんな様子が可笑しくて可笑しくて堪らない。やっと、頑なな彼女から一つ個性を引き出せたようで、嬉しくて仕方がなかった。
『何を笑っているんですか!?』
「す、すまん、アハハハハ……!」
『も、もう!とにかく、ソレを早く捨てて来てください!じゃないと絶交ですからね!絶交!!』
この時、俺はアーリアから絶交宣言をされているとも知らず、腹の虫が治るまで笑い続けた。
しかしこの後、ソレを捨てた後になってもアーリアは俺の方に近づこうとはしなかった。しかも、数日前もの間、口すら聞いてくれなかったのには弱ったな。
怒ったアーリアはなかなかに強情で、でも、そんな彼女も嫌いになれず。いや、寧ろそれをきっかけに、彼女の事をずっと好ましく思っていった。
ーつくづく度し難い性癖をしているー
騎士道精神云々と云う前にその性癖は如何なモノかと思う。しかし、男なんて一皮むければこんなモンだろう?特に、誰かを好きになる瞬間なんてものは誰にも分からないし、途中で引き返す事は勿論、止められる想いでもないじゃないか。なぁ、馬鹿猫……?
因みに、彼女は『絶交宣言』をしたにも関わらず、その夜は俺の肩にピッタリとくっ付いて寝た。
やはり、俺への憎しみよりも、近くに存在と知ったソレへの脅威の方が強かったみたいで。
ま、俺としては、普段は遠慮がちに肩を寄せるアーリアがその晩は腕に縋り付いて眠る様にぐっときたから文句なぞない。寧ろ、役得などと考えていたのは内緒だ。そんな事、あの執着心丸出しの馬鹿猫に知られたら面倒だからな。しかしーー
ーなかなか悪くない旅だ!ー
などど、刺客に追われる身でありながら、呑気にそんな事を考えていた数日後、俺はまたやらかした。
『蛇も嫌だけど、蛙も嫌です!』
コレを見た途端、仰反るアーリア。
『もう!ジークさんってば、どんな感覚しているんです!? どーして、そんなモノを食べようと考えるかなぁ?信じらんない!』
蛇がダメなら蛙は?と獲って来た俺に侮蔑の表情を向けたアーリア。その蛞蝓を見るような目つき。放たれる罵詈雑言。彼女の身体から溢れる魔力がチクチク刺さる感覚。それらは、俺の保護欲と多幸感を高めたと知ったら、彼女はどういう感情を抱くだろうな?きっと良い顔はすまい。
『もう!ジークさんの意地悪!私がコレも嫌いなのは知ってたクセに!さいてー!!』
声が聞こえないのをいいことに非難の声を飛ばすアーリアに、俺は敢えて良い笑顔を向けた。
実のところ、彼女の魔力が高まり過ぎて、身体に触れてなくとも、契約印を通して彼女の感情がダダ漏れだったのだが、それを知らないアーリアは普段の敬語も取っ払って悪口を垂れ流す。そんな姿もイイなどと思って笑顔を向けたら、本気で嫌われそうになったのは、今からすれば良い思い出だ。
「アーリア、もう許してくれないか?」
『しっしっ!あっち行ってください。もうジークさんなんて知らないっ!』
「悪かった。この通りだ」
『私がいつもいつも簡単に許すと思ったら、大間違いですよ!?』
「後生だから。な?アーリア。もうあんなのは獲って来ないから」
平謝りを続ける俺に、アーリアの感情は次第に落ち着きを見せたと思えた。がーー
「なぁ、アーリア。コモドドラゴンなんてどうだ?見た目はアレだが、なかなかに美味なんだぞ……?」
この発言で俺が全く反応していない事を知ったアーリアは、顔を真っ赤にさせて『却下です!』と怒鳴ったのは、ま、想定通りだったな。
ーーでもな、アーリア。お前は知らないと思うが、街へ降りた時に偶に食べた屋台の唐揚げ。実はアレがコモドドラゴンの肉だったんだぞ?それをお前は美味しそうに食べていた。もしもその事実を知ったら、お前はどう云う反応をするんだろうな……?
「きっと、最低!と言われるのだろうな?」
あの強烈な視線を向けて。
ーーこれは俺と彼女の旅、その中でも一二に入る思い出の内の一つ。
王都へ帰り、近衛騎士へと復職を果たした今、あの日の思い出を時々思い出してはほくそ笑む。あの旅の日々を懐かしむようにーー……
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●後日淡ーー……
「うそっ……そんなコトって……」
肉の串揚げ片手に絶句するアーリア。その視線の先にはトアル屋台が。屋台には数人の客が並び、皆、肉の揚がる匂いに心躍らせている。一本銅貨2枚。それでこのクオリティ。数ある中でも人気の屋台になるのも肯ける。ーーが、アーリアはその事実を知った時、とんでもない裏切りに遭ったかのような錯覚を得た。
『美味!クルイソン名物唐揚げ!一本銅貨2枚』
その暖簾に違和感はない。問題はその下にある信じられない言葉だ。
『産地直送!ここでしか食べられない新鮮なコモドドラゴン肉!』
謳い文句を凝視したアーリアの目に、次第に安穏ならざる感情が滲み始める。
「コモドドラゴン!? うそぉ!」
別名、コモドオオトカゲ 。有鱗目オオトカゲ科オオトカゲ属に分類される蜥蜴だ。全長二十センチ以上あるでっかい蜥蜴で、どうやらこの辺りの名物であるらしい。
「あの時、ジークはそんな事一言も……」
言われはしなかったが、見れば、暖簾にはデカデカとコモドドラゴンらしいイラストが描かれている。一目で分かる仕様だ。しかし実際には、イラストはかなりファンシーに描かれているものだから、アーリアでなくとも見落としがちではあったのだが。
「えっ、なになに?獅子くんがどーかしたの?」
串揚げを片手に尋ねるリュゼの言葉なぞ、混乱状態のアーリアには耳に入らない。
「コレ、なかなかイケるよね?それに、めちゃくちゃリーズナブルだし」
「知ってたの!? リュゼ」
「え……?何を……」
「あれあれ、アレだよっ!」
「ドレ……?あ、あぁ、コモドドラゴンはこの辺りの名産みたいだね。確か、暖かい土地にしか生息してないらしいし……」
「そーじゃなくて、コレがアレの肉だって知ってたのって聞いてるの」
暖簾を指差し絶叫するアーリア。物凄い形相で詰め寄られ仰反るリュゼ。
「ま、まぁね。事前にこの店のこと、教えられてたし……」
「誰に!?」
「えっと……獅子くんに、だけど……」
その名が出た瞬間、アーリアはガッテム!とばかりに天を仰ぎ、地を踏みしめた。あまりの驚きと、そして同時に湧き上がる悔しさに身体がプルプルと震えている。しかもそれは次第に怒りの感情となって、アーリアの魔力を高まらせた。
ージークのウソつき!ー
あんなに嫌いだと伝えてあったのに、ジークは野営中、時折、アーリアを困らせる事があった。蛇が嫌なら蛙を、蛙が嫌なら蜥蜴をと、獲ってきた食材をアーリアに見せたのだ。
アーリアも世話になっている手前、あまり文句は言えなかったが、それにしても嫌がらせのように続く爬虫類料理にはゲッソリとしていた。しかも、始めなどは知らずに口にしていた事もあり、知ってからは自分も肉の解体を手伝うようにしたのだ。
「あ、え〜〜と……アーリア。その、あのさ。ちょっとばっかり抑えてくれないかなぁ?君の魔力がダダ漏れていて痛いから……ってヒィ!?」
ただならぬ雰囲気を醸し出すアーリアを宥めようと声をかけたリュゼも、アーリアからの恨みの感情を一身に受けては黙るしかない。生粋のインドア。引篭りの変態。そう世間では言われている魔導士だが、個人としての戦闘能力は騎士にも勝る。しかも、高位魔導士の攻撃魔術ならば言わずもがなだ。
「ジークってば、絶対、私のこと揶揄ってたんだ!信じられないっ!」
地団駄を踏んで怒る魔女は、周囲をドン引きさせていたが、当人はそれを気にする余裕もないようで。その後我に返ったアーリアが赤面して逃げ去るまで、怒りが収まる事はなかったーー……
ブックマーク登録、感想、評価等ありがとうございます!
小話『魔女と獣人の野営』をお送りしました。
【注釈】
※ジークが持ってきた蛙は食用としてもある程度認知度があるもの。『食用』と名の付く事から想像できると思われるが、全長は二十センチもある。たまに三十センチを超える個体もいるが大味。毒は持たない事から野営する旅人には重宝されるも、その見た目から女子供には嫌われてもいる。
※酔った勢いでジークの話す野営中の出来事を聞いたリュゼの反応は概ね「騎士って気持ち悪りぃ!」であったのは、言うまでもないことだろう。