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小話8 春の夜長に酔っ払い

 この日、アーリアは夜中にぽっかり目を覚ました。まだ肌寒い初春。雪解けた山肌には、ぽつりぽつりと新芽が芽吹き始めた頃で、羽毛入りの上掛けを出れば、冷気でぶるりと身体が跳ねる。そんな夜だった。

 寝室の窓の白いレースのカーテン。その向こうに淡い月光が見える。空高く掛かる薄雲。キンと冷えた空気。その中に一人の青年の姿を見た。リュゼだ。

 アーリアは寝台から降りると、迷う事なく窓の鍵を外し押し開けた。ざあっと夜気が室内に入り込む。夜風の冷たさが肌を刺す。風に舞うレースのカーテンが視界を防ぎ、手を掛けていた窓枠から手を離した時、アーリアの肩を温かなものが包んだ。いつの間にか室内に入り込んだリュゼが、アーリアの両肩を抱いていたからだ。


「ッ! リュゼ……⁉︎」

「なぁに、アーリア」

「ど、どうしたのこんな遅くに……?」


 侵入者。それとも夜襲か。アーリアの脳内に警鐘が鳴る。

 『東の塔の騎士団』、その団員専用の寮に泥棒が入る事は先ずない。屈強な戦士たちの餌食になろうとする愚か者は、この近辺にはいないのだ。だとすれば、騎士団の機密情報を得る為に送り込まれた侵入者か、或いは、何か思惑があって騎士団崩壊を目論んだ工作員による夜襲しかない。

 けれど、その場合、リュゼがこんな悠長に構えているだろうか。チャラい外見は『見せかけ』だと知るアーリアは、自身の専属護衛の行動に違和感を持った。何より、先程から鼻の奥を刺激するこの匂いは、酒気ではないだろうか。

 そこであっとアーリアは思い出す。確か、今日、リュゼは宰相アルヴァンド公爵に誘われて、王都の夜会に参加していた筈ではないかと。リュゼは貴族子息によるでっちあげの冤罪によって王都に召喚され、以降王都に留め置かれている。帰還の目処は未だたっていない。ーーそう、アーリアはリュゼがアルカードに帰って来ているとは、知らなかったのだ。


「アーリア、会いたかった」


 蜂蜜色の瞳がアーリアの瞳を覗き込む。リュゼはアーリアの肩から手を離すと、白金の髪の隙間から手を差し入れ、白い頬にそっと触れた。じんっと温かな体温が触れられた箇所から伝わり、首筋を下から上へ、ざわりと震えが立ち昇る。


「うん、私も……」

「ホント?」

「本当だよ」

「ふふ、嬉しいな」


 リュゼの瞳が和らぎ、栗色の髪が揺れる。その裏表のない笑みに、アーリアの胸はドキリと高鳴る。虹色の瞳いっぱいにリュゼの顔がそっくり丸々写っている。蜂蜜を溶かした黄色い瞳。少し垂れた目尻。癖のある柔らかな髪。愛用の香油の甘い香り。その全てがリュゼという人間を模っている。

 貴族子弟の中にあっても見劣りしないであろう容姿、そして護衛騎士という地位に、最近では見合い話もチラホラで始めていると聞く。騎士として立ち回る様になってから、リュゼはそれまで以上に凛々しく、そして勇ましくなった。そんなリュゼの変化をアーリアは間近で、そしてつぶさに見てきた。だからこそ言える事がある。どんな肩書きがあってもリュゼはリュゼのままで、誰よりも信頼できる人間だと。


「帰ってくるなんて、知らなかった」

「うん。誰にも言ってないからね」

「夜会じゃなかったの?」

「夜会?あー、そうそう、夜会には出てたよ。獅子くんと一緒にね。ルイスさんったら人使いが荒いったらないよ〜」

「ルイス様からのご指示だったのね?」

「そ。やっぱ、宰相ってイロイロ大変みたいでさ」


 会話の最中もリュゼの右手はアーリアの頬にあり続けた。白く滑らかな肌、手に馴染む肌、その温もりを掌に刻みつけようとするかのように。


「お疲れ様。慣れない仕事で大変だったね」

「ありがと。その一言が何よりの労いだよ」


 リュゼの右手がアーリアの頬から離れたかと思えば、リュゼはアーリアの髪を一房掴み、そこへ唇を落とした。


「ーー!」


 驚くアーリアを他所目にリュゼの流された瞳がアーリアを射抜く。リュゼの手はアーリアの髪を掴んだまま。少し垂れた目尻が色気を含んで見る者を魅了する。

 

「ッ!りゅ、リュゼ……あ、そ、み、水でも飲む?」

「何でそんな事聞くの?」

「え、だって、ほら、やっぱり少し、酔って……るから?」


 スルリと髪がリュゼの右手から流れ落ち、それをリュゼは残念そうに眺めている。そんな隙をついてアーリアはほんの少し後退り、リュゼから距離を取り、寝台の側にあるサイドテーブルの水差しへと手を伸ばした。ーーが、アーリアの手は水差しには届かず空を切るに留まった。背後から伸びてきた手が、アーリアの腰をさらったからだ。


「ねぇ、どこ行こうっての?」

「どこって、水を……」

「行かないで。側にいてよ、アーリア」


 ぎゅっと背後から抱かれ、アーリアは呼吸を止めた。

 弱々しく呟かれた言葉が、アーリアの胸に刺さった。


「っ……リュゼ、ほんとに、大丈夫なの?」

「えー、なにが?」

「その、具合とか……?」

「大丈夫よ〜」

「ほ、ホントに?」

「なになに〜、僕の何処か可笑しいっての?」

「えーと……」


 リュゼは酒に強い。およそ半年前に及ぶ逃亡旅の途中、追手としてアーリアを捕まえに来たリュゼと何度か飲み比べをしていたジークフリード。アーリアは彼らが度数の強い酒瓶を何本も空けているのを目にした事があり、その都度、彼らはどれ程呑もうとも、カケラも酔ってはいなかったのを記憶していたのだ。

 では何故、今、リュゼはこの状態なのか……?

 夜着を纏うアーリアを背中から抱き締め、アーリアの肩口に顔を埋めて、熱い吐息を漏らしている。普段のリュゼのスキンシップとは違う距離感。家族のハグにしては情熱的過ぎて、初心なアーリアとしては、どうしてもドギマギしてしまう状況がそこにあった。

 普段のアーリアとリュゼは、保護対象とその護衛という関係を越えて仲がいい。『塔の魔女』と『護衛騎士』という関係になる前からの付き合いで、なぜか気が合い、連れ立って行動していたーー正解にはリュゼがアーリアの後を付け回したーーのだが、今もその関係は変わっていなかった。

 アーリアから見たリュゼは『頼れる仲間』、若しくは『少し年上の頼れるお兄さん』に当たる。尊敬する師匠や兄弟子からの推薦も、リュゼがアーリアからの信頼を得ている大きな要因だった。

 ともあれ、信頼関係の有無はこの際置いておくとして、今のリュゼは、普段とはどうも様子が異なる。普段から軽いスキンシップの絶えないリュゼだが、アーリアが困る事は基本してこない。その辺、一応弁えているのだ。だが、この時のリュゼはある一線を越えている様に思えた。


「ひゃっ!」

「何その声、かーわいー」


 アーリアの首筋に温かいものが触れ、耳に温かな吐息が吹き付けられる。ゾワリと首筋を下から上へ、頭のてっぺんへ震えが奔る。


「あー。アーリアの肌って冷たくて気持ちいい」

「リュゼ!は、離れて……?」

「えー、ヤダ。こんなに心地良いのに、なんで離れなきゃいけないの?」


 懇願を受けてなお、リュゼはアーリアから離れようとしなかった。それどころか益々アーリアの身体を抱き込み、その柔らかさを心ゆく迄楽しんでいる節すらある。しかも、それらの行為は、男性に耐性がないアーリアには刺激が強過ぎて、対処法すら思いつかない現状。男の扱いどころか、まして酔っ払いの対処法など知る筈もなく、強引でいて甘いリュゼの言動に、どきどきそわそわするだけでまるで身動きが取れずにいるアーリアがそこにいた。


「ねぇ、アーリアは僕にこうされるのイヤ?」

「い、イヤとかイヤじゃ、ないとか、そんな事は今関係なくてね……」

「じゃあ何なのさ?」

「だ、だから!私はただ、リュゼの体調が心配なの。とりあえず水飲む?」

「んー、いらない」

「酔い覚ましの薬は?」

「いらない。だって僕、酔ってないもん」


 世の酔っ払いは自分を酔っ払いとは思っていないもの。


「ほ……本当に?」

「ホント。その証拠にホラ!」

「きゃっ!」

「アーリアくらい簡単に運べちゃうワケよ」


 リュゼはアーリアの膝裏を掬うとヒョイっと抱き抱え、先程まで寝ていたアーリアの寝台へとアーリアを下ろした。

 ドサリと背中から寝台へ下ろされたアーリアは、ハッと顔を上げた。鼻と鼻がつく位置にリュゼの顔がある。蜂蜜色の瞳が熱を浴びている。髪と吐息とが頬を擽る。胸が早鐘を打つ。


「酔い覚ましなら薬より別のものがいいな」

「な、なにーー……」


 ふわり、鳥が啄むように唇に触れて離れたそれ。

 何が起こったか分かった瞬間、ぶわりと肌が産毛立つ。

 甘い痺れが唇から離れていかず、アーリアは目を見開いたままリュゼを見つめた。


「アーリア、顔、真っ赤だよ」


 ふふとリュゼが笑う。これが色気というやつだろうか。アーリアは混乱する頭でそんな事を思った。


「かーわいー。ああ、やっぱ好きだな。飽きないもん」


 これは酔っ払いの戯言。これは酔っ払いの戯言。これは酔っ払いの……アーリアは心の中で呪文の様に唱える。これは酔っ払いの戯言であって、本心ではない。例えそれが愛の告白であろうと間に受けてはならない。本気にしてはならない。ーーそう、アーリアは恋多き麗しの治療士に教わった言葉を繰り返した。だからいくらリュゼから「好き」、「愛してる」、「離れたくない」などと言われても、心は平常心を保つべきで……


 ームリ!今夜のリュゼ、甘すぎるッ!ー


 いくら酔っ払いの戯言と割り切っても、とろけた様な表情で見つめられては心が保たない。ぱんぱんに膨れた風船の様に、いつ破裂しても可笑しくないほど容量はパンク寸前。自分でも分かるほど赤い顔に両手を当てて、リュゼからの視線をブロックした。


「えー、なんで隠すの?勿体ない。もっと見せて」

「あっ!」


 抵抗虚しくリュゼの手がアーリアの腕を掴み、強引に顔から退かせた。忽ち、白い頬を薔薇色に染めたアーリアの顔が露わになる。困った様に眉を下げ、瞳を潤ませ、唇を尖らせて。羞恥で爆発しそうな、それでいて脱兎の如く逃げたくなる様な、そんな感情が入り混じったアーリアの表情に、リュゼは満面の笑みを浮かべた。


「笑った顔はホントに可愛いけど、僕は困った顔も、怒った顔も、強がってる顔も、それこそ今みたいに恥ずかしくて泣いちゃいそうな顔も、どの表情も好きだな。いっそ僕の手で泣かせちゃうってのもアリかもね」


 普段、他所で見せない様な人の悪い笑みを浮かべたリュゼ。その表情を間近に捉えたアーリアの喉がぐっと詰まる。

 リュゼは他人に自身の感情を読ませないように、常に人好きする笑みを浮かべている。鉄壁の防御を誇るその微笑みは完璧で、リュゼを知らない人は彼を『程度の低い』と見下す。相手のガードを緩めさせるのだ。所謂、印象操作だ。

 そんなリュゼもアーリアに対してはガードが緩く、愚痴をこぼす、口を開けて笑う、悪い顔で画策する、といった様々な表情を見せていた。

 しかし、この時のリュゼの表情は、アーリアがこれまで見たどれもと違い、多分に闇を含んだものだった。


「……リュゼ、イジワルしないで」

「イジワルなんて人聞の悪い!ただ、ちょっとだけ試してみたくなったダケで……ね、良いでしょ?」

「リュゼは、私にそんな酷いことしないでしょう?」

「……」


 アーリアはじっとリュゼを見つめた。リュゼもアーリアをじっと見つめ返す。アーリアの目にはほんの少し驚いたリュゼの姿が写る。リュゼの目には大真面目で頷くアーリアの姿が写った。

 自分の嫌なる事をリュゼがする筈はない。そう信じ、じっとアーリアが見つめれば、リュゼは見つめ合って数秒後、プハッと息を漏らして笑い声をあげた。


「あははは!これは一本取られたね!」


 リュゼはアーリアの腕から手を離し、半身を起こすと、声をあげて笑った。何が嬉しいのか、瞳の端には涙まで浮かべて。


「そうだよ。僕は君を傷つけたりない。誰からも傷つけさせない。君を守ると誓った時から、今もずっと、その言葉にウソはないよ」


 アーリアがのそりと取り起き上がると、リュゼは先程よりも幾分サッパリした表情をしていた。未だ完全に酔いから醒めてはいないものの、暗い闇はどこかに引っ込んでいる。それは何処か何かを我慢しているように見えて、アーリアは気づくとリュゼの大きな手に、手を伸ばしていた。


「リュゼ、王都で何かあったの?」

「……え?」


 パチクリとリュゼの目が大きく瞬く。


「あったのね?」


 アーリアはむっと顔を顰める。


「私は守られるだけの存在にはなりたくない。リュゼが私を守ってくれるように、私もリュゼを守りたい」

「アーリア……」

「だから教えて。何があったの?」

「……教えたら、アーリアはどうするの?」

「勿論、抗議しに行くよ。だれ?リュゼを嫌な目に遭わせたヒト。さぁ教えて」


 アーリアはリュゼの自分より冷たい両手を握って、鼻息荒く捲し立てた。リュゼが素直に答えれば、そのままの勢いで王都まですっ飛んでいくだろう。そんな勢いで。


「……ふっ、言わない。教えなーい!」


 リュゼは堪えきれず息を漏らすと、ニヤつく顔を片手で覆った。アーリアはというと、リュゼからの返答に「なんで?」と不満顔だ。


「ふふ、だって、アーリアは抗議なんて言ってるけど、口だけで済ます気ないでしょ?確実に魔術()が出る。きっと大惨事になるよ」

「大丈夫だよ。相手から抗議なんてされない様にするから」

「出た出た。アーリアの『大丈夫』って、案外、信頼できないんだよねぇ。この前だって、セクハラしてきた騎士を氷漬けにしたとこだし。アーリアって、皆んながお思っているよりずっと気が強いから」


 アーリアの顔は更に膨れる。まるで膨らんだフグだ。


「売られたケンカは百倍返しが相場だって、兄さまも言ってたよ?これ以上舐められないように、相手の戦意を砕く必要があるって。一撃粉砕だって」

「あーこわっ!これだからこの兄妹は。顔に似合わずカゲキなんだから……」


 プンプンという擬音語を体現させたアーリアの頬を、困った様に微笑んだリュゼの両手が包む。


「いいの。これは僕の問題だから」

「……ズルイ。そんな言い方」

「アレ、言ってなかった?僕ってズルイ男なんだよ」


 唇を尖らせ視線を逸らして「知ってた」と呟く。アーリアは自分の知らない所で嫌味を言われたり、酷い時には暴力を振るわれたりと、リュゼが何かと苦労していいる事を知っていた。その中には、リュゼ本人に対しての事ではなく、庇護者であるアーリアに対してのものが含まれるとも。それらを知っていながら黙っている事に、ほとほと我慢ならなかったのだ。小娘一人に嫌味の一つも言えないのかと。

 『東の塔の騎士』という肩書きを持つアーリアには、宰相閣下と王太子殿下の二人が背後についている。権力と地位に弱い貴族はアーリアの背後を恐れて、アーリア本人に面と向かって突っかかれない。だとすると、彼らの矛先はどこへ向かうか。


「ズルイ」

「うん」


 自分の問題だから手出しするな。厳しく、それでいて優しく静止されたアーリアに、なす術はない。この張り付いた笑みが憎いとばかりにアーリアの手がリュゼの頬に伸び、びよんと頬を抓る。すると、リュゼも同じようにアーリアの柔らかな頬をびよんと抓った。


「リュゼ、ひたひ(痛い)

「うん、ほくほ(僕も)


 成人した男女が向かい合わせで互いの頬を抓り合っている。そんな不思議な光景に、どちらと言わず笑い始めた。


「アハハ!なーに、アーリアのその顔!」

「リュゼだって!今をトキメク護衛騎士サマなのにっ」


 互いを指差し笑い合う二人の空気は、離れ離れの時間を埋めてゆく。ゆっくりと、そして確実に。


「……戻るの?」


 暫く、笑い合った後、アーリアはリュゼに問いかけた。


「うん。無断外泊は流石にマズイかなって」


 視線を逸らしたリュゼが頬を掻く。無性にアーリアの顔が見たくて、衝動的に、そして偶発的に帰ってきていたリュゼとしては、無断で王都を抜け出してきた事を知られるのは非常にマズイ。バレれば監視の役目を担うアルヴァンド公爵の責になり兼ねない。しかし、リュゼの知るアルヴァンド公爵ルイスという人物ならば、問題はない様な気がして「ま、ルイスさんなら上手くやるよねぇ」と溢す。すると、アーリアから意外な提案が持ちかけられた。


「泊まっていったら良いのに」

「……え?」

「だから、泊まっていったらって」

「…………え?」


 思わぬ提案に目をパチクリさせるリュゼ。

 どうやらアーリアは本気でリュゼを誘っているようだ。

 ならば応えねばならないではないか。例えそれが空振りになると分かっていても。


「なら、アーリアも一緒に寝てくれる?」


 答えを聞く前にトンと肩を押せば、アーリアは簡単に寝台に沈んだ。と同時にリュゼも身を倒す。驚いているか、それとも怒っているか……どんな顔をしているかとリュゼがアーリアの顔を覗けば、アーリアは意外にも唇に微笑みを湛えていた。アレ?とリュゼが首を傾げれば、アーリアはふふふと小さく笑った。


「アレ?アーリア、何だか嬉しそうだね」

「リュゼが側にいるのが嬉しくて」

「……そんなに僕がいなくて寂しかった?」

「うん」

「……そっか」

「うん。ね、王都での話聞かせて?」

「いいよ。じゃ、何から話そうか……」


 互いの耳に届くだけの声音でボソボソと交わされる会話は、夜がほんのり色づくまで続いた。離れていた日はそう長くないのに、話す話題が尽きない。あれも、これもと、2人の会話は静間に波のように広がった。


「でね、獅子くんったら……」

「……う、ん……」


 うとうとと瞼を開け閉めするアーリアに、リュゼは口を閉じた。そして暫くじっとしていると、アーリアの瞼は完全に閉じられた。耳を澄ませば、すよすよと静かな寝息が聞こえる。リュゼはアーリアの丸い頭に手を這わし、ゆっくりと撫でた。


「アーリア……すぐに、帰ってくるから」


 そう、静かに耳ともに囁けば、アーリアは「うん」と条件反射のように頷く。アーリアの小さな手はリュゼの服の裾を掴んでいる。そんな姿が愛らしくて、リュゼは名残惜しげにアーリアの髪を撫で続ける。次はいつ会えるだろうか。なるべく早く事態を好転させて帰って来るつもりだが、それこそ希望的観測過ぎるだろうか。


「待っていて、僕は必ず君の下に帰ってくるから……」


 ふわり。白いレースのカーテンが揺れる。柔らかな朝陽が、朝の清らかな風が、ほんの少し開いた窓から吹き込む。陽の明かりに照らされ始めた寝室に、一人の少女が眠っている。その穏やかな眠りを暫く見守っていた青年は、少女の額にひとつキスを落とすと、彼はその場から煙の様に掻き消えた。鍵のかけられた部屋に、自身の存在を残す事なく。

 だから、少女が目を覚ました時、夜中にあった出来事は夢だったのではないかと、首を捻った程で。けれど、微かに残る香ーー嗅ぎ慣れた汗と、香水と、ほんの少しの酒気に、少女は彼が幻ではなかったと確信した。


「うん、待ってる」


 アーリアは名残惜しそうに、香りの残るシーツを抱きしめた。



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小話8『春の夜長に酔っ払い』をお送りしました。

この話は、リュゼが不良騎士に因縁をつけられ、王都へ召喚された後の話になります。



【後日談】

「夜会に出た事でのボーナスの使い道が『好いた女性に一目会うため』だなんて、なかなかどうして、やるではないか?なぁ、リュゼ」

「う、五月蝿いよ!貰った物をどう使おうと、僕の勝手じゃないか⁉︎って、頭いったぁ……。大声出させないでよね、ルイスさん」

「アハハ!二日酔いとは、なかなか若いなぁ?リュゼは」

「……飲ませたのはアンタだろう?てか、なんでルイスさんは平気そうなのさ?」

「酒にのまれた挙句にオイタをするなど、若い頃だけで十分。これでも私は一国の宰相なのだぞ?ペース配分くらいできて当然ではないか」

「……こんのタヌキオヤジ……」

「ん?何か文句でも?」

「イイエ、ナニモゴザイマセン」



以上、頭を抱えて項垂れるリュゼと、紅茶片手に優雅に朝の時間を過ごすアルヴァンド公爵でした。


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