小話6 メリークリスマス
時系列:第二部「魔女と北国の皇子」後半にあたります
アーリアがエステル帝国へと流されてからおよそ二月。その日、アーリアは日課となっていた図書棟へと足を運んでいた。
「ーー……ア……、……姫、アリア姫」
「あっ、はい!」
「日も暮れて参りました。そろそろ戻られませんか?」
大陸北部に位置するエステルでは初冬から雪がちらつき始め、年の瀬に近づくに連れ吹き荒ぶ風は肌を刺すような冷たさとなっていた。
と言っても、帝宮内に限り外部の寒さとは無縁であった。
白亜の城を守る幾重もの結界。それらは外部からの攻撃や侵入を防ぐだけでなく、寒さや暑さを防ぐ役割を担っていたのだ。
精霊魔法による結界は魔法の才のある者ならば視認できるもの。しかし、この帝宮を覆う結界は内部と外部との境を限りなく無くしてある為、余程、感覚の鋭い者にしか視認できない。大陸随一の国土を持つ大帝国。千年という長き年月を精霊と共に歩み、魔法の研鑽に邁進してきた歴史の集大成こそがこの結界魔法と云えよう。
「ええ、そうね。ディナーに遅れてはいけないわ」
自身の護衛騎士の背後に司書を視界に収めると、アーリアは姫仕様の笑みを浮かべる。
アリア姫が立つタイミングに併せ護衛騎士が椅子をひく。サラリと靡くはシスティナ王族を示す金の髪。しかしその瞳は海の様な青ではなく、空に掛かる虹色に耀いていた。
姫の容姿に目を奪われていた司書は護衛騎士からの視線を受け、慌てて離れていく。その姿を見送って漸くアーリアは息を吐いた。
「行った?」
「行った」
護衛騎士は司書が置いて行ったカートと、そのカートに残された数冊の本に「あの司書、何しに来たの?」と呆れた眼差し。自身の主人たるアリア姫を奇異な目で見てくる者がいる事を知っていた護衛騎士にとって、それらは不快な存在でしかない。
「見ない顔だったね、新人かな?」
「かもね。さ、本を」
「ありがとう」
姫から本を受け取った護衛騎士は主人の背に付き従う。そして貸し出しカウンターからの物珍しげな視線を無視し、二人は図書棟を後にした。
※※※
「わぁ、綺麗!何があるの?」
図書棟から皇居へと至る道すがら、薔薇の回廊を覆う光魔法に感嘆の声を挙げるアーリア。回廊から庭園を見遣れば、そこは光の楽園となっていた。
光は白色ばかりでなく、青、赤、黄、緑と様々な色で木々がデコレーションされている。
帝宮を彩る庭園の美しさは、日々の手入れに予断ない庭師たちの努力が成せる技。夜であっても光源を照らし、皇族たちーー退いては帝宮で働く者たちの目を楽しませている。それでも、今日見たこれは言葉に尽くせに美しさがあった。
「もうすぐクリスマスなんだって」
「くりすます?」
「そ。システィナにはない季節行事だよねぇ〜」
図書棟から皇居へと至る道すがら、耳馴染みのない言葉に首を傾げる姫改め魔女アーリア。護衛騎士リュゼは主人へ向けるには気軽すぎる雰囲気で声をかけた。
「季節行事なの?」
「そうみたい。って言っても堅苦しい皇室祭祀とかじゃないよ。そう畏まった物じゃなくて、民間伝承の一つだってさ」
そもそもクリスマスとはドコゾの神の生誕祭だそうだが、精霊を神と崇めるエステルに於いては冬の季節行事としての位置付けでしかない。その為、本来のクリスマスの定義など紙切れの如く、やれ『サンタクロスとかいう好好爺からプレゼントが貰える』だとか、やれ『ディナーには鶏の丸焼きを食べる』だとか、やれ『家族または恋人と過ごす』だとか、平民にとってとっつき易いものしか伝承されていない。
最も、宗教色少ないシスティナでは、そもそもクリスマスなる季節行事すら伝わっていなかった。
「プレゼントが貰えるの?そのサンタってご老人から」
「それは幼い子どもだけみたい」
夜な夜な無償でプレゼントを配り歩く赤服の老人を想像したアーリアの表情は明るくない。何の見返りもなく金品を配る者の存在を快くは思えなかったのだ。
「でも、夜中に煙突からってホント?」
「アハハ!それが本当だったら、サンタって確実に泥棒か不審者だよね」
リュゼもアーリアと同じ様に考えていたようだ。
「実際にはサンタクロスなる者は存在しなくて、親が代わりにプレゼントを準備してやるものなんだって」
「誰から聞いたの?ヒースさん?」
「いんや、カイト」
「へぇ!カイトさんもも子どもの頃に貰ったりしたのかな?プレゼント」
「貰ったみたいだよ。枕元にプレゼントが置いてあったって言ってたから」
現在のカイトからは想像できないハートフルな過去に、アーリアはへぇ!と驚きの声を挙げる。
「因みに何を?」
「確か、乗馬用の短鞭やサーベルとかだって言ってた」
「思ったより実用的……」
「だよね。女の子ならぬいぐるみや絵本、装飾品とかだろうけど……」
とそこでリュゼは言い淀む。訓練場で交わしたカイトとの会話。それを思い出して苦笑いした。
『ーーと言っても夢を見るのは幼子の特権。幼児たちはサンタが本当に存在すると信じている。それを出来るだけ壊さないのが大人の役目なのだ!』
「だってさ」
「なるほど」
夢ある季節行事にアーリアも漸くほっと胸を撫で下ろした。
「夜遅くまでサンタが来るのを信じて待っていた事もあったってさ。あのカイトがだよ?信じられる?」
「意外とロマンチストなのかもね」
アーリアから見た近衛騎士カイトとは『リュゼの良い兄貴分』だ。快活で人柄が良く、人望があり、背を預けるのにこれ程頼り甲斐のある騎士はいない。招かざる敵国の人間に対してさえ、その態度を変える事はなかった。
「システィナにもあれば良かったのにね」
ポツリと零したアーリアの言葉。それにオッとリュゼは眉を上げる。
「アーリアだったらどんなプレゼントが欲しい?」
「え?うーん、そうだなぁ。私だったら本をお願いするかな?」
「本?絵本とか?」
「本なら何でも好きだけどね。絵本なら幼い頃はよく読んでもらっていたかな。ほら、王子様が出てくる絵本とか」
興味がないからと読まなかった訳ではない。幼子の好む絵本をいく通りか読んだ事のあるリュゼは、絵本の登場人物を思い出すなり「王子様ねぇ?」と苦い顔をした。するとアーリアはリュゼの何とも言えない表情にクスリと笑みを溢す。
「今から思えばあり得ない話ばかりだよね。絵本の中の王子様って猪突猛進な人が多いもの。後先考えないタイプの」
「そうだねぇ〜」
「でもさ、子どもはそんな事知らない。だから絵本の王子様には憧れちゃうのは仕方ない事だと思わない?」
幼い頃、姉や兄から読み聞かせてもらった絵本。その中に登場した王子様に心ときめかせた事がアーリアにはあった。現実を知った今なら虚像としか思えないが、それでも、あの頃の気持ちを否定するには少し気が引けた。
「アーリア」
「なに?」
「アーリアもさ、憧れていたの?」
「えっ!? 昔の事だよ、昔の!」
絵本の王子様と云えば『白馬に跨り』、『金髪を靡かせた』、『碧眼のイケメン』と相場は決まっている。システィナの三人の王子がその色味を持っているが、アーリアはもっと身近な人物が当てはめていた。アルヴァンド公爵令息ジークフリード・フォン・アルヴァンドだ。
アーリアは出会った頃あの王子様顔に耐性がつくまで、ジークフリードの容姿にしょっちゅう胸をときめかせていた事は、今でも誰にも内緒にしている。自分のこんな幼い感情を知られたくないと、口を紡いでいるのだ。
「ふぅん?ーーアーリア」
「なぁに?って、きゃっ!」
突如手を引かれたアーリア。気づいた時にはリュゼの顔が真正面にあった。
「今、誰を思い出していたの?」
「!?」
琥珀の瞳が怪しく揺らめく。リュゼは常に微笑みを貼り付けている。しかし、その笑みは偽物だ。あくまでも社交辞令の笑みでしかないのだ。だからこそ、リュゼは本当に理解して欲しい相手にしか、素の顔を見せない。心を許さない。そのリュゼが感情を剥き出しにしていた。その感情の名をアーリアは言い当てる事ができない。
「アーリア、今も王子サマには憧れてる?」
「そ、んな、ことは……」
「責めてる訳じゃないんだ。ただちょっとムカついたダケ。そりゃ容姿の良さじゃ獅子くんには勝てないけどさ……」
狼狽するアーリアにリュゼはニヤリと笑みを浮かべる。
「いま、『なんでバレてるの!?』って思った?バレバレだって。アーリア、隠し事苦手でしょ?」
「うぅっ……」
「いーよ、憧れを否定するつもりはないし。それに、別に誰かを好きになるのに他人の許可なんて必要ないんだから」
希薄に思えるリュゼの言葉。本当に?とは到底問えない雰囲気だが、人間を恋愛対象にするには少々訳ありなアーリアにとっての恋愛観は、リュゼが思うより歪だ。アーリアはフンワリ微笑むと「それを言うならリュゼもだよ?」と掴まれたリュゼの腕にそっと残された片手を置いた。
「リュゼだって、いつ誰を好きになっても良いんだからね?私はリュゼの意思を尊重する。それが私に貴方に返せるたった一つのものだもの」
売り言葉に買い言葉とは云うが、言い返されるとは思ってもいなかったリュゼは、アーリアの言動に狼狽せざるを得なかった。
ともすれば「お前の事など何とも思っていない」と捉えかねない言葉。だが、それは真に護衛騎士を思っての事だとは、リュゼ以外には通じないであろう。
「……そこまで言われちゃ、期待に応えない訳にはいかないね?」
「え?リュゼ、誰か好きな人がいるの?」
「え。それ、聞いちゃう?」
胸にもやもやしたものが漂う。聞きたい。けど、聞きたくない。そんな感情がアーリアの思考を硬直させた。リュゼの意思を尊重すると言ったのは嘘ではない。嘘ではない筈なのに……?
「アハハ!なんて顔してんの」
「だだだって……」
「大丈夫。僕は君の側を離れたりしないよ」
ーー僕は君だけの騎士だから。
リュゼの表情が和らいでいく。朝露の溢れる薔薇の様な、静間に差し込む木漏れ日の様な、そんな笑顔がアーリアの視界いっぱいに広がっていく。耳元で囁かれる甘い声に、鳥肌が脚から腹へ、腕から首へと上がっていく。
忽ち顔を真っ赤にさせたアーリアに、リュゼはどこか満足したように頷いた。
※※※
その後、ユークリウス殿下との晩餐に於いて、アーリアは再びクリスマスについてのレクチャーを受けた。
クリスマスとは『年中行事の一環』であり、『国政』にも直結する重要な季節行事だと聞かされる。子どもへのプレゼントは義務ではないが、ゆとりのある家庭なら用意するのが通例であり、財布の紐を緩める時でもある。要するに経済効果が見込まれる季節行事である為に精霊第一主義でありながら、国は見て見ぬふり。むしろ影から季節行事を後押しする始末。精霊帝国が聞いて呆れる。
ーーと、いらぬ内情まで聞いてしまい、ゲッソリと肩を落とすアーリア。すぐさまそこへ「立場上はやく大人にならなければいけなかった殿下の実情は分かりますが、少しは夢のある事を言っては如何ですか」と侍女フィーネからお小言がくだった。
「それにしても、お前が王子サマに憧れていたとはなぁ?」
「昔の話ですよ!真に受けないでください」
淡い希望に満ちていた幼心を揶揄われ、アーリアはぷんすかと怒った。王子様に憧れを抱く事の何が可笑しいのかと。
すると、そんなアーリアの乙女心を知ってか知らずか、ユークリウス殿下は徐に立ち上がると、向かいに座るアーリアへと歩を進める。そしてグラスをテーブルへ置きかけたアーリアの手を掴むと、反対の手に掴んだボトルを傾けた。
トクトクトク。注がれていく透明な液体。
本来なら給仕にさせる行為を帝国の皇太子にさせている背徳感。アーリアは掴まれた手に熱を感じて無闇に唇を開閉させた。
「俺にしておけ。どこぞの王子サマよりもずっと有望だ。それに俺はお前の婚約者だからな?俺の顔ならば何時迄見ていても構わないぞ」
「か、仮の、だよ……」
「俺は本当にしても良いと思っている。お前さえ首を縦に振ればな……」
皇太子殿下の言葉にアーリアは目を見開く。大帝国の皇太子が他国の魔女を娶るメリットなどない。にも関わらず、どうしてこの様な戯言を口にするのか。
どういう訳かこの時、皇太子殿下の言葉から本心を読み取れずにいたアーリアは、混乱のあまり表情を固まらせた。
「無防備が過ぎるぞ?アーリア」
「……?」
「これでは襲ってくれと言っているようではないか」
アーリアは本日三度目の狼狽を覚えた。長い指が頬を滑ると真珠の髪を一束掬い上げ、そこへ唇が落ちる。紫水晶の瞳が益々深みを帯び、婚約者の瞳を甘やかに見つめる。まるで「愛おしい」とでも語りかけるように。
「アーリア」
「ハィ!?」
「知っていたか?俺はお気に入りを他人に譲ってやれるほど心の広い男ではない。それを覚えておけ」
皇太子殿下の瞳は、獲物を定めた獰猛な肉食獣のそれ。隣国の偽姫は「ぴゃっ!」と悲鳴なのか何なのか分からぬ声を挙げ、椅子から飛び跳ねた。
お読み頂きまして、ありがとうございます(*'▽'*)
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小話『メリークリスマス』をお送りしました。
クリスマスのない国に育ったアーリア。楽しげなイベントに期待を寄せていただけに、皇室に於ける位置付けを知ってガッカリ。しかも、クリスマスの家族ディナーとやらに呼ばれては楽しい筈もなく。肩を落として自室へ引き上げました。
※クリスマス当日※
「ねぇねぇ見て見て!」
「どーしたの?ってソレ……」
「朝起きたら枕元に置いてあったの!」
「へぇ……」
「可愛い!誰が置いてくれたのかな?リュゼ、知ってる?」
「さぁ、僕は知らない。けど……」
「もしかしてサンタのお爺さんが……いやいや、まさかそんな筈は……?そもそも私、子どもじゃないし……」
「いーじゃん、貰っといたら?」
両腕に抱える程大きなクマのぬいぐるみ。そしてぬいぐるみの両腕に抱かれた革張りの本。それを抱き締めてはしゃぐアーリアに、リュゼは苦笑しつつもホッと胸を撫で下ろした。
「良かったね、アーリア」
「うん!」