小話1 悪戯(上)
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これはアーリアがまだ、王都に滞在していた時のこと。
程なく冬も去り春の訪れを待つ穏やかな日。暖かな日差しを受けた王都オーセンーーその王城は、今日も王侯貴族たちの職場としての機能を果たしていた。
「ーーはい。今日はここ迄と致しましょう」
手を打つ音と同時に終了の合図が齎された。
「ありがとうございました」
アーリアは相手役から腕を離すと社交ダンスの指導者ーーライズに向けて頭を下げた。ライズは丸眼鏡に手をかけると頷き一つ。大概、不遜な態度だが、この王宮に於いて誰からもその指導方法を叱責される事はない。
「ふむ。大分、様にはなってきましたね」
「本当ですか⁉︎」
「ええ。私は嘘は申しません」
「嬉しいです」
ライズが生徒を褒める事は早々ない。叱咤激励なら叱咤9割を超える鬼畜属性のライズだが、努力している生徒を苛める趣味は持ち合わせていなかった。
アーリアは自身に厳しい練習を行わせる先生を疎ましく思う事などなく、寧ろ、自分のような鈍い女を呆れず諦めずに指導してくれる先生には多大な感謝をしていたのだ。
「先日の夜会、見せて頂きましたよ。素晴らしいダンスでした」
「先生もご覧になっていらしたのですか⁉︎」
「ええ。隣国の皇太子殿下とのダンス、大変素敵でございました」
「ありがたく存じます」
恥ずかしい、と呟いて顔を赤らめるアーリア。俯いて恥じ入るアーリアにライズは微笑まし気に見遣った。
社交ダンスとは恥ずかしがる物でも何ともなく、夜会に於ける義務行為だ。それは客への挨拶となんら変わらない。貴族令息、令嬢たちは社交ダンスを義務教育の一環として幼少の頃より叩き込まれている為、社交界デビューした時にはもう、恥じらいというものを感じる者は殆どいない。それは普段、貞淑さの演出から素肌を隠すドレスを身に纏う貴族令嬢たちが、夜会に於いては自分の魅力を最大限に表す為に胸元を晒すドレスを身に纏う行為と同意なのだ。
そのような事情からライズがアーリアを見る目線は何やら生暖かい。
「恥じ入る事はありません。貴女は立派に役目を果たしておられるのですから」
貴族社会のルールに疎いアーリアをライズは疎ましく思う事はなかった。寧ろ、自分の失った感情を思い出させてくれるアーリアとの授業に、ライズは感謝こそしていたのだ。それに加え、努力家のアーリアの事を好ましいとさえ思っていた。
「ーーでしょ?ライズ先生からも褒めてやってよ。アーリアは良くやってるって!」
自分とアーリアとの微笑ましい会話に割って入ってきた若者に対して、ライズは眉間にシワを寄せた。絶対零度の視線を向けた先には、本日、アーリアの相手役を務めた青年の姿があった。
柔らかな猫毛のような薄茶色の髪に琥珀色の瞳。身に纏う騎士服は専属護衛を示す黒。表情は柔らかーーを通り越してニヤついた笑みがはっきり言ってチャラい。
「アーリアは『やれば出来る娘』なんだよねぇ。ま、出来るまでが長いのがタマニキズなんだケドさ」
「リュゼ!それって褒めてるの?貶してるの?」
「もっちろーん、褒めてるよ?」
何でそこで疑問形なのか。アーリアは護衛騎士リュゼに反論しようにもし切れない自分の鈍さに、敢えなく押し黙った。
ライズは眉間のシワを増やしながら溜息を吐くと、渋々の体で青年騎士へと向き直った。
「……アナタこそ。踊れるのなら初めからそうおっしゃい」
アーリアとライズとの最初の授業に於いてアーリアの鈍さを指差して笑った事で、リュゼは初日からライズから『立入禁止』を喰らっていたのだ。出禁を喰らったリュゼは渋々の体で、アーリアのダンス授業を部屋の外から護衛するしかなかった。所謂、自業自得というものだ。
幸いにも此処は王城の一室。しかも後宮にほど近い奥まった場所。従って王族と王城を守る近衛騎士も多数配備されているので、此処に居る限り護衛騎士の出番はほぼ無いとも言えた。
「アナタがマトモに踊れるなど、思ってもおりませんでしたよ?」
「アハハ!踊れるなんて言ってないからねぇ。それに僕のは見様見真似だよ。本当に踊れてるのかどうかなんて、僕には判断つかないじゃない?」
普段からライズは事前に相手役の紳士を用意するのではなく、其処彼処でぶらついている暇そうな貴族官僚を適当に見繕っていた。それがどういう訳か、今日は誰一人も生贄が捕まらなかったのだ。近衛騎士から一人拝借するのも良いがそれは流石にどうかと考えていた時、自分が出禁にした護衛騎士自ら申し出があったのだ。
「大丈夫です。アナタは其処らの紳士より踊りはマトモですよ」
「わぁーお。言葉にトゲを感じるなぁ……」
「傷ついちゃうよ?」と全く傷ついた様子を見せずに笑う青年騎士に、ライズも流石にイラッとした。
「黙らっしゃい!アナタは言葉と態度とが一致していないのですよ。とても『麗しの騎士サマ』とは思えません」
「アハハ!アタリ。先生ってホントに鋭いね!」
王城には数多くの美術品が飾られている。それらの多くは著名な作家の作品、若しくは他国からの贈答品であり、その全てに多大な価値がある。一つひとつには銘がつけられておりその価値は単には計り知れない。
それは王城に住まう人間、王宮で働く人間にも当て嵌まる事だった。王城に住まう人々は言わずもがな、王宮で働く人々は尊き血を持つ貴族で占められているのだから。
その王城において異物は二人の方だった。アーリアも正規の姫ではなく、また護衛騎士リュゼに至っても正規の騎士ではない。二人ともこの王城に相応しくない贋作なのだ。
ライズはアーリアの社交ダンス指導を任されるにあたり、国王陛下よりお言葉を頂戴していた。その中には、アーリアたちの事情、そして国の事情に触れる事項もあったのだ。従って、ライズはアーリアたちの事情を割とよく理解していた。だからそこ、理不尽にも巻き込まれた運命から逃げず立ち向かう二人の姿に、尊敬すら覚えていたのだ。しかし……
ー彼らには悲壮感などといったモノがまるでないー
「なになに?先生、そんなに脱力してどーしたの?」
「あの、大丈夫ですか?ライズ先生」
自身の置かれた状況に悲嘆に暮れる訳でもなく、『仕事』と割り切り前向きに取り組むその姿に、本来なら褒めるべき場面であっても、何故か苦笑することしか出来ないライズであった。
「大丈夫です。少し、疲れただけです」
ライズは心配する二人を手で押し止めると、丸卓に用意しておいたバスケットへと手を伸ばした。そしてバスケットの中から白い布で包まれた包みを二つ出すと、その内一つをアーリアへと差し出した。
「これをお持ちなさい」
「ありがとうございます。……でも、これは?」
「今日は他でも沢山貰うでしょうがね」
「沢山、貰う……?」
「私からは『ご褒美』としておきましょうか」
「はぁ?」
首を傾げるアーリアに、ライズは「やはり疎いのですね?」と言葉を溢した。そのアーリアと同じく首を捻っているリュゼにももう一つの包みを手渡した。
「本来なら子どもと女性にのみ渡す物なのですが、これは『ご褒美』ですからね?アナタにも渡しておきますよ」
「……。先生、これなに?」
いつも戯けた調子でニヤついた笑みを浮かべる青年騎士だが、この時ばかりは怪訝な表情を隠そうとしなかった。その表情は普段より一段と若くーー年相応に見え、ライズは普段のリュゼを真似てニヤリと不適に笑った。
「ふふふ。頑張っている生徒たちへのささやかなご褒美ですよ」
ライズはそう言って呆然と佇む生徒たちを残し、部屋から去って行った。
※※※
クッキーに飴、ビスケットにチョコレートと云った様々なお菓子の入った包みを広げながら、アーリアと理不尽とは目を点にしていた。
「何だったのかな?」
「さぁ……」
アーリアの疑問にリュゼは疑問で返した。
普段、鬼教官と知られるライズ先生からの『ご褒美』に、出来の悪い二人の生徒は戦々恐々としていた。褒める事のない先生からお褒めの言葉を頂いただけでも奇跡のような出来事なのに、加えて褒美なる物まで頂いたのだ。震えるな、勘ぐるな、と言われる方が無理だった。
「まだ怒ってくれた方がマシだよね?」
「……。黙秘します」
「あ、ヒドイ!アーリア、今日だけ『イイコちゃん』になるなんてっ」
「ヒドくないよ。ライズ先生は私の先生だもの。下手なコトは言えないよ」
「それが『イイコちゃん』だって言うの!」
王城の廊下を王宮に向かって二人が小声で言い争っていた時、渡り廊下の向こうから二人の壮年紳士が現れた。
「ーー楽しそうだな?」
「彼方の方まで話し声が聞こえていたぞ?」
突然現れた二人の壮年紳士に驚きつつもアーリアは腰を落とし、リュゼは反射的にその場に膝をついた。
「国王陛下。それにアルヴァント宰相様まで……」
壮年紳士たちはこの国で最も尊ぶべき存在ーー国王陛下とその一番の臣下、宰相閣下であった。
国王陛下は頭を下げ腰を落としたアーリアとリュゼに軽く手を振ると、立つように目線で示した。
「国王陛下とは何と他人行儀な。父上ーーいや、お父様と呼んで欲しいのだが」
「そんなっ……恐れ多いです、陛下」
「そなたは仮であっても私の娘なのだが……なぁ、宰相」
「ふふ。こう見えてもアーリア殿は頑固者なのですよ、陛下」
国王陛下は顎に手を置くと、「やはり妃のようにはいかんなぁ……?」と自分の正妃の強引さを思い出してしみじみと感嘆した。そんな国王陛下に生暖かい目線を送るのはアルヴァント宰相閣下だ。職務上に於いては『陛下』、『宰相』と呼び合う二人だが、彼ら『幼馴染み』という間柄。お互いの性格を嫌という程、理解しているのだった。特に、若い頃は猪突猛進感が強かった国王陛下をその側で見守ってきたアルヴァント宰相閣下にとって、国王陛下は『手のかかる弟』のような感覚すらあった。
「アーリア、ダンスのレッスンは終わったのかい?」
「はい。今日は先生にお褒めの言葉を頂きました」
「ほう?そうかそうか」
国王陛下は社交ダンスの師ライズが生徒を褒めたという事実に、僅かばかり瞳を細めた。
「それに、ご褒美まで頂いてしまって……」
「ほう?褒美、とな?」
「はい。これです」
アーリアは馬鹿正直に話すと、手の内にあった包みを国王陛下へと見せた。国王陛下は包みの中身を見ると目を一瞬見開き、破顔して、ハハハと笑い出した。
「え……?陛下?」
突然笑い出した国王陛下にアーリアは戸惑いを見せた。腹に手を当てて笑う国王陛下は実に楽しそうで、アーリアは何と声をかければ分からなかったのだ。
「ハハハハハ!『褒美』か……!成る程、あやつらしい……!」
一応、「陛下、笑いすぎです」と嗜めるアルヴァント宰相閣下。本気で嗜める気がないのは、アルヴァント宰相も国王陛下と同じ気分だったからだ。
「ーーならば、私もそなたに『褒美』をやらねばならぬな!」
言うや否や、国王陛下は背後に控えていた従者に目線を送ると、持たせていたバスケットの中から橙色の布に包まれた包みを取り出した。
「そなたの働きを嬉しく思うぞ」
笑顔全開の国王陛下は包みをアーリアに手渡した。
すると「私からもこちらを」、とアルヴァント宰相閣下もまた包みを取り出すーー今度は水色の包みだーーと、アーリアへと手渡したのだ。
「ありがたく存じます?」
頭に疑問符を乗せたままアーリアは壮年紳士たちへと礼を述べると、二人の紳士たちはアーリアに軽く手を振ってその場から去って行った。
※※※
「だから、これは何なのかな?」
「さぁねぇ……?」
アーリアの疑問にリュゼは疑問で返しながら王宮内を歩いていた。
手の中にある包みは三つ。白、橙、水色と三色の包みの中身は全てお菓子だった。どのお菓子も一口大の大きさで、全てカラフルな紙に包まれていた。アーリアが試しに一つ食べてみたが頬っぺたが蕩けるような美味しさだった。
「なんだか怖くなってきたよ……」
「へ?何で?」
「だ、だ、だって……!続け様に『ご褒美』が頂けるなんて恐怖以外にないよね?あ、ほらっ、死刑囚は処刑の前日には豪華な食事を与えられるって聞くじゃない?」
「はぁ〜〜成る程。甘いお菓子で釣ってその後ドン底に落とすって?んなバカな⁉︎」
アーリアの突拍子もない発想をリュゼは全力で否定した。『ご褒美』と云ってもたかだか菓子だ。どれだけ高級な菓子だろうとそれを餌にーーいや、脅しに使うにはいささか易すぎるだろう。
そう、リュゼがアーリアを宥めていたその時……
「ーーやぁ、アーリア!」
二人の前に現れたのは、システィナが生んだ奇跡。一流画家の絵画も霞む美の化身。美の女神が生み出せし生きる芸術品。
「ナイトハルト殿下!」
微笑みを湛えた美丈夫は第二王子殿下、その人であった。
お読み頂きまして、ありがとうございます!
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とっても励みになります(*'▽'*)
小話1『悪戯(上)』です。
ハロウィンを模した小話となっております。
よろしければ『悪戯(下)』も是非ご覧ください!
※本編中に挟まるようにあった小話を抜き出して、再編する事にしました。