雲の上の場所
山脈都市フルム・ハウルム。
シルディルス大陸の中でも北東に位置し、春には山風、夏には太陽が照り付け、秋には再びの山風、冬にはアルテイニアからの豪雪が吹き付けるこの場所にも、人々、そして屈強な探索者が住み、開拓された山脈から成り立つ都市が築かれていた。
「グリュニールの原石が二つ――確かに確認した!」
「四つくらい持ってきた方がよかったかしら?」
「二つで十分だ! 一つでも爆発的なエネルギーを孕むというのに、四つもあったらフルム・ハウルムが崩壊してしまう!」
毎日様々な人間によって取り決められるクエスト、それの受注・経過・完了報告までを一手に管理する場所――ギルド。
そこで、二人の女性が言葉を交わしていた。
一人は、黒いゴシックドレスに茶色のベルトを巻き、ポーチと白銀の剣を腰に下げた少女――ルイザ・マルレイン。
そして、インナーとズボンの上に厚手のジャケット、さらにその上に複雑な機械を大蛇のように巻き付けたもう一人は、そのルイザに今回の依頼を行った、中肉中背のルイザより一回りほど大きい長身の女性研究者――パウリナ・エルレンブルであった。
パウリナは下界の科学者同士で行われている科学社会に一切貢献することのない勢力争いに心底嫌気がさし、研究で集めた金の三割をはたいてこの地に移住し、自由気ままに無軌道研究を行っているのである。
移住を行う際に護衛の依頼を送って以来、ルイザはパウリナの研究施設をフルム・ハウルムでの拠点とし、パウリナは今回のような資材調達の依頼を定期的に送る――という専属的関係が続いていた。
ルイザが念石を取り出し、クエスト管理タワーに置く。
それを見たパウリナは、急いで両手を温めているグリュニールを茶色の鞄にしまうと、着用していた手袋を外し、タワーに右手を置いた。
依頼者の指紋・波動・脈拍・その他様々な個人を証明する要素によって、依頼者本人であることが確定すると、タワーから経過確認の操作盤が出力される。
パウリナがそれを操作し、『経過中』という表示を『完了』に切り替えると、ルイザの念石が強く輝いた。
これにて、今回のルイザのクエストは完全に終了した――。
ギルドを出て街道を歩く途中、ふとルイザの差異に気づいたパウリナが話しかけてきた。
「ところでルイザ、いつものレイピアはどうしたんだ? 今日はぶら下げていないようだが」
「……溶岩の中に落っことした」
パウリナの言葉を聞いたルイザは、一瞬の逡巡を挟んだ後、その理由を話した。
「なっ……弁償金も出した方がいいか!?」
「いいわよ別に。新しい武器は既に調達したし」
動揺するパウリナに、ルイザは腰の剣を抜いて見せる。
その剣は、まさしく太陽の顕現というべき淡い光を放っていた。
見るもの全てをその光で照らし、剣によってもたらされる真なる一撃は魔を滅する。
大英雄ロストリオが使用し、マルレイン家の実力者が代々精神世界で受け継いできた剣――ネイベルスが、ルイザの今の佩剣となっていた。
「おお……なんかよくわからないけど、凄い力を感じるな……」
ルイザが見せたそれに、パウリナは一瞬で目を奪われていた。
その目には憧憬の念が宿り、研究者としての側面と同時に、一人の探索者としての一面を覗かせていた。
「探索者業やってるなら、一本一本武器に拘ってるやつから死んでいく――ってのは知ってて当たり前でしょ?」
「まあ……それはそうなんだが」
「そんなことに弁償金を出すのであれば、もっと有意義なことに使いなさいよ。たとえば……嘶きの小鉢亭に行くとか」
「お前またカレーか? 同じものばっかり食べてると、脳がカレーに支配されてカレー人間になってしまうんだぞ」
「チーズソテーばっかり食べてる貴方に言われたくないわ」
嘶きの小鉢亭。
山脈都市に唯一存在する小料理屋であり、この地に居を構える探索者や山暮らしの戦士などが一斉に集い、常に満席に近い状態となっている場所であった。
しかし、この日は珍しく人が少なく、数名の登山客、いつも走り回っているせいか妙に落ち着かない様子の従業員数名、食材の調理を行っている店長と調理人が存在しているだけであった。
それを気にすることもなく、適当な椅子に座った二人は、ここに来る度に注文する料理――山に自生する野菜をふんだんに使ったカレーと、雑多に切り分けられた具材を濃厚なチーズで和えたチーズソテーを注文した。
パウリナは続いて酒樽から酒を取ろうとした瞬間、とあることを思い出した。
「そういやあルイザ、一昨日誕生日だったんだっけ?」
「ええ。二十歳の誕生日がボンガリア島でなんて、かなり珍しい体験だったけど」
「そうかー、もう知り合って二年近くになるのか。お互い、年をとったなあ……」
「老人みたいなことを言わないで。それに、貴方もまだ二十二でしょう?」
「いやなに、しばらく下界から離れてると、時間の流れに鈍感になってしまってなあ」
二人が探索の様子やここ最近の研究成果を話し合っている内に、注文した料理が届いた。
木製の椀に乗せられてきたそれを、二人は木製の匙を使って食べ始めた。
先ほどまで騒がしかった一角が急に静かになったことに登山客は困惑していたが、従業員の説明を受け納得していた。
薬効人参やジャガイモ、独特なえぐみを出す球体植物などの山の野菜、そして山に生える香辛料という、全てが山の植物から作られたカレーを、これまた山脈の中腹にある畑で作られた米と共に食べていくルイザ。
パウリナと共に初めて山脈都市にやってきた時に食べ、非常に衝撃を受けた経験が忘れられず、ルイザはこの都市に来るたびにこれを注文していた。
そしてもう一方、山脈の移動、新鮮な空気と水で鍛えられた家畜の肉を山の野菜と共に粘性の高いチーズで和えたチーズソテーを、パウリナは貪るように食べていた。
「カレーとチーズソテーを頼んで食べていく女二人組」の伝説は嘶きの小鉢亭の常連であれば誰でも知っており、誰もが皆彼女たちの食生活の乱れなどを心配していた。
「んで、これからどうすんのよ、ルイザお嬢様」
「さあね。適当にアンダロス辺りにでも行こうかしら……」
「アンダロスなら、そろそろ定期船がやってくる頃だと思うけど」
食事を終えて店を出た二人は、話しながらパウリナの研究施設まで歩いて行った。
【パウリナ・エルレンブル……数年前に姿を消したと思いきや、こんな僻地に住んでいたとはな】
その二人の後を、中型飛行船を背後に据えた漆黒の影が追跡していた。