陽炎の巨人
「ちょっと、本当に暑くないの?」
【この程度、竜の炎が直撃した時よりぬるい】
ルイザとデュランダルが足を進めるほど、洞窟にこもる熱も次第に強さを増していった。
溶岩は次第に緑色が薄れてゆき、源泉に足を進めるほど本来の色である橙色へと変わっていった。
そして、体に吹き付ける熱風が止んだと二人が感じた時には、火山内に存在する、開けた場所に出ていた。
そこには、デュランダルの上にルイザを乗せたとしてもその大きさには届かないであろう、灼熱の顕現であるかのような紅色に煌めく大水晶が鎮座していた。
これこそが、グリュニールの原石。ボンガリア島民が太陽の化身と崇めた、眩き炎を称えた大水晶であった――。
水晶が鎮座した場所に向かおうとしたルイザだったが、ごぼり――と大地から唸る音に気付くと、妙な感覚を覚え、一瞬にしてその場所から飛びのいた。
そしてその判断は正しかった。ひび割れた大地から噴き出したのは、炎竜を思わせるような溶岩であった――!
【伏せろッ!】
ルイザが急いで身を屈める。
前から迫りくるは、触れれば身を溶かすほどの熱を持った溶岩流。
そして後ろからは、荒れ狂う暴風を思わせるような剣圧が、間近に迫っていた。
キィィィィン――――――
全てが静止した空間に、空を切り裂いた音が響いた。
その刹那とも言うべき間止まっていた溶岩流は、洞窟内に響き渡る轟音と共に崩壊していく――かと思われた。
「ちょっと、何よあれ……!」
ルイザは目の前の光景を見て、呆気に取られていた。
地中、そして天井より溶岩が結集し、グリュニールを取り込みながら急速的な成長を遂げていく。
洞窟全てを埋め尽くすほどに成長を遂げた溶岩塊は、崩壊と再生を繰り返しながら、二人の目の前に立ちはだかった――。
【……おそらくは、これ以上グリュニールを奪われまいとするためにボンガリア島民が残した存在――溶岩の巨兵だ!】
「……何よそれ!?」
【ツァルク山に存在する超自然の溶岩――それを集めて作られた、天然もののゴーレムだ!】
「ゴーレム!? ゴーレムなら滅壊の術式が通じるんじゃないの!?」
【あれが崩壊して、俺たちが無事でいられるのならな!】
「……あっ!」
――洞窟内に、再び轟音が響き渡る。
先ほどと違ったのは、爆発の如き衝撃と、洞窟内が水飴めいて溶け落ち、溶岩の巨人の肉体となっていく光景が混じっていたことだった。
覚醒した巨人は洞窟を溶かしつくした上では飽き足らず、火山の頂上を目指し、全身を使った上昇を開始しようとしていた。
【あの巨人は、マナで汚染された島の溶岩を、元通りにするつもりだ。おそらく、グリュニールのエネルギーを使ってな】
「私のっ、クエストはぁっ!?」
【奴が火山上空に到達したら、手の付けようがない。ここで諦めるか、あるいは……】
デュランダルは再び剣を構える。
その剣は誰のためでもなく、また己のためでもない。
ただ単純に、目の前に存在するものを切り裂くだけであった――。
【ここで奴を切り捨てるかだッ――!!!】
身の丈以上もある溶岩の巨人の体表を、剣によって崩壊させてゆく。
その重装備からは到底ありえないような跳躍を見せると、グリュニールを覆う胸の溶岩が一直線に切り裂かれ、紅色の大水晶が露出する。
【今だ!】
その言葉と共に、地に降り立ったデュランダルの肉体を飛び石にしたルイザが、グリュニールの前までたどり着く。
そして彼女がレイピアを引き抜き、グリュニールに突き刺そうとしたその瞬間。
「え?」
胸元の溶岩がせり上がり、ルイザの肉体を捉え、自らの体に飲み込んだ。
ぶじゅっ、という肉を焦がす音が一瞬響き渡った後には、何もかも残されていなかった。
◆◆◆
――死後の感覚というのは、こんな感じなのか。
ルイザは溶岩に取り込まれた後も、冷静に、そして鮮明に意識を保っていた。
周囲には先ほどまで洞窟で見ていた橙色の光景が無限に広がっており、死ぬ寸前の瞬間を永遠に見せつけられているのではないか、とルイザは思考していた。
――後一日で成人となるはずであった、十九歳の夜。
そんな日に死ぬとは、神様も残酷なことをするものだ。
次女である自分が死んでも、マルレイン家はおそらく存続する。叔父に似た道楽であるが、締める時はしっかりと締める長兄。齢十五にして騎士団に抜擢された弟。少々病弱であるが、たぐいまれなる聡明さを持った姉。
あの人たちがいれば、細々と、しかし確実に、マルレイン家は続いていくのだろう。
「……死んだのか。私は」
改めてそう呟くと、ルイザは膝から崩れ落ちた。
そして、生前姉と交わした約束を思い出し、瞼から水滴を零した。
――世界の全てを明らかにし、その内容を本にして、真っ先に姉に届ける。
そのために、世界を渡り歩く探索者になったのであった。
しかしまさか、こんなところで終わりを告げてしまうとは。
ふざけている。馬鹿げている。どうかしている。
だが、いくら嘆いても、溶岩に飲まれた肉体が戻ることはない。携えていた剣も、おそらくは巨人の燃料の一部となったのであろう。
「死にたく、なかったなあ……」
自らの思いを言葉として零したルイザは、目の前で白い光を放つ渦巻に気付く。
既に体の感覚はないが、腕と足の精神体が存在していることを意識して、その渦巻に近づいてみる。
すると、ぎゅるりと回転した白い渦巻は、ルイザの精神体を引きずり込んだ。
「ここは……?」
渦巻に飲み込まれた先に広がっていたのは、当時を語る資料、壁画、デッサンなどで描かれていた古代大戦、その真実を語る光景であった。
片方には、藍色のマントを着た剣士が、空間全体を焼き焦がすような光炎を放ち、魔物を焼き味方を癒す光景。
もう片方には、雷鳴を支配する魔王がいくつもの光刃を展開し、歯向かう人間を滅ぼす光景。
しかし、この時点で戦争が決することはなかった。
いくつもの味方と精霊を操る勇者と、数多の強靭なる魔人を配下に据えた魔王との闘いは、今後二百年ほど続くことになる――というのを、ルイザはしっかりと覚えていた。
――古代大戦の後、古代の魔力を持つ魔導遺物が全世界に放流され、それを巡って世界戦争が発生したというのも、おぼろげながら記憶していた。
そして、戦争を眺めるルイザの眼前に突如現れた白銀に煌めく光の剣も、魔導遺物の一つであった――。
ルイザは右手の感覚を意識し、それを拾い上げる。
すると、眩き閃光が視界を包み、全身に強い風が吹き付ける感覚があった――。