急襲
「こ、れは……!」
魔女の混沌に誘われしアルネビアの街道を、ぜえぜえと息を切らしながら走っていたルイザは、自らの感覚が異様に強化されていることに気づいた。
周囲より得られる風景の見え方、アルネビアを覆う混沌より生まれ出る喧噪、上質なワインの中に落ちた一滴の泥のように拡散する血と鉄の香り、そのどれもが、ルイザの感覚を強く刺激していた。
目から流れ込む色彩や散見する建造物、耳より入ってくる咆哮や悲鳴は、ルイザの脳をじんわりと染みこむような痛みで支配し、情報処理能力の遅延を起こさせた。
認識外から起こる現象による精神的変動があまり起きないはずのルイザであったが、空間より去来する多数の情報量に立ち眩みを起こし、少しばかりの休憩を余儀なくされた。
不規則にざわめく頭を抑えながらへたり込んだルイザは、一時の休息を入れた後、再びどこかへ消えたデュランダルを追おうとした――瞬間、ポーチに入れていた念石が震えだした。
発信者の表示を見てみれば、今まさに探していた男の名前が映し出されていたその念石を、ふらつく手でルイザはしっかりと握りしめた。
「……何の用かしら」
『今どこにいる?』
今までの曇ったような音声ではなく、妙にはっきりとした声が聞こえてきたことにルイザは違和感を覚えたものの、逐一そんなことを気にしている余裕はなかった。
念話を継続しながらルイザは地図の幻影を展開し、自らの位置を再確認する。
「アルネビア北東――教皇派本部の近く、マルセバ街道という所に……」
『……そうか、では後ろを見てみろ』
そう言われてルイザが振り向いた瞬間、魔女・シーカーラの姿がそこに存在していた。
そして魔女が振るってきた、傘を模した形状の大鎌をすんでのところで躱すと、反射的にルイザは体勢を立て直した。
「あら、躱されちゃった。ぴったりの玩具持ってきてあげたから、これで遊んであげようと思ったのに」
まるで赤子を相手にする母性混じりの言動でけらけらと笑いながら、シーカーラはゆらりゆらりと凪ぐような動きでルイザの眼前に立っていた。
そしてその深紅の双眸は、ルイザではなく遠くの存在を見据えているような動きをしていた。
「グリフィ~ン? いるのは知ってるのよお。早く来ないとまた目の前で大事な人間が死ぬわよぉ?」
眼前の女がそう言ったのを、確かにルイザは聞き逃さなかった。
まさか不死身の黒騎士の正体は、およそ七十年前に活躍していた極北の騎士、グリフィン・アッシュフィールドではないのか――ルイザがその考えを脳内で巡らせていると、
『「そうか。だが今度は間に合ったようだ。貴様の予見も随分と衰えたものだな」』
握りしめた己の念石から放たれる声と同じ声が、さらなる遠方より轟いてきた――
瞬間的に剣をブーメランの要領で二人めがけて投げ飛ばした灰髪の男は、シーカーラがそれをひらりと回避し、ルイザに剣が直撃するのを察していたかのようなタイミングで剣の表面にびっしりと書き込まれていた転移の術式を発動し、引き戻したと同時に眼前に現れたシーカーラの体を一気に切り裂いた。
その一瞬の行動によって巻き起こされた風が止んだ時、そこにはただ静寂が存在するのみであった――。
「……貴様の蛮行を見逃すのもこれまでだ。貴様が犯してきた罪、それが全て、この剣に乗っていると考えろ」
切断されたそばから結合を繰り返すシーカーラの遺骸を見つめ、グリフィンはその言葉を口にした。
「……その薄汚い短刀に背負えるのかしら? 私が純粋培養で育ててきた罪が」
切り裂かれた肉体が完全に結合し、三度再生したシーカーラは、独特な渦巻き模様が描かれた刃傘を展開し、一気にグリフィンの首を刻もうとし――
シーカーラが背後から吹き付ける風に気づいた時には、遺物錬成器がその身に向けて振り下ろされた直後であった。
半歩飛び去ることでルイザの斬撃を回避した目前から襲い来るのは、グリフィンが振るう大斧と見まごうほどの剛剣であった。
再び矢継ぎ早にやってくるルイザの斬撃を躱しながらでは、その規模、そして質量を避け切れないと瞬間的に悟ったシーカーラは、あえてグリフィンの剛剣をその身で受け、再び肉体結合による再生を繰り返した。
「……とんだ見掛け倒し。そんなチャチなナイフでは、私は倒せないわよ」
「なるほど、しかし貴様はこの切り結びの中で、ルイザ・マルレインの剣には絶対に当たろうとはしていなかった――つまるところ、遺物由来の攻撃は通してしまうようだな」
「…………っ!」
「その理由であれば、真っ先にルイザを襲い、後々標的とするための刻印を付けていたのも説明が付く。貴様の感知能力であれば、遺物を持つものが現れたことによるほんのわずかな魔力の乱れも気づくだろうからな」
意思を持つグリフィンの眼光に気づいたルイザは、急いで右手のグローブを外し、そこに存在していた魔女の刻印を見て、声にならない叫びを上げた。
いつ付与されたのか、何の目的があって刻まれたのか、薄々感づいていたものの、今目の前で起きていることだけが、それを事実であることを物語っていた。
「……仕方ない、仕方なかったのよ。遺物を探るものは全員始末しなくちゃあ、私が不安になるのよ……」
歯をぎりりと噛み締め、手をぶるぶると震わせながらも刃傘をいつでも展開できるような状況を保ちながら、シーカーラの内面はねばりつくような殺意が循環を開始していた。
「貴様はそのちっぽけな安堵感のためだけに、タルヴォスの国民を鏖殺したというのか?」
その殺意を知るはずもなく、グリフィンは剣を盾に言葉を交わそうと強い勢いで飛び掛かり――
「|私の秘密を知ろうとしたカス《タルヴォス国民》を皆殺しにして、何が悪いっていうのよッ――!」
瞬間、シーカーラの殺意に反応するように、刃傘の刃が花吹雪めいて空間に舞い踊った。




