時が止まった島
「悪いが、橋のあるここまでだ。お嬢ちゃん」
「ありがとう。オジサン」
少女は船に置いていた荷物――ベルトポーチ、鞘に入れた細身の剣などを桟橋まで持ち出すと、ポーチからがま口を取り出し、危険手当込みの運賃を壮年の船乗りに渡した。
そして、乗船中に衣服――黒いゴシックドレスにレースアップのブーツ、髪をまとめるリボンに付いた潮を気品漂う動作で払うと、整備されずに軋む桟橋に足音を刻んでいった。
「しかし、なんでまたあんなフリフリの嬢ちゃんが、この島にやってきたんだ……?」
船乗りは剣を腰に携えながら島に向かって歩いていく少女を見て、妙な悪寒を感じていた。
――ボンガリア島。
島の大きさは山食らいの巨竜三頭分ほど。それなりの大きさであり、島全体で一つの国として観測できるくらいには人口もあったこの島は、五年前、どこからともなく現れた魔物の襲撃を受け、住民の七割が死亡。残された三割も、未だ出航することができずに、島をさまよい続けている――と言われている。
一晩も経過せず、電撃戦のように行われた襲撃により、無月の災厄と呼ばれるようになったこの出来事は、世界各地を揺るがした。
ここ数十年鳴りを潜めていた魔物の襲撃。それによるボンガリア島の崩壊。これを予兆、あるいは危機と断じない国の王は、誰一人として存在していなかった。
大国・ベテルギアを主体とする連合国が真っ先に兵隊を派遣したものの、念石による通信録を最後に兵隊の足取りが掴めなくなったため、捜索活動を無期延期することになった。
その間に名乗りを上げたのが、無謀への挑戦を続ける探索者と呼ばれる者たちであった。
「――手つかずの自然。無造作に猛る森林。空には鳥が鳴き叫び、山からは緑色の噴煙が噴き出す。――酷く、醜く、そして……美しい」
灰色と緑色が交互に混ざった空、毒々しい色をした海。
そして目の前に立ちふさがり唸りを上げる、自らの背丈を明らかに超えている陸の魔物を見て、僅かに舌なめずりをしたこの少女も、探索者と呼ばれる内の一人であった。
――ルイザ・マルレイン。
中世後半からの長い由緒を持つ貴族であるマルレイン家の次女として生まれた彼女は、財の八割を道楽に注ぎ込む根っからの遊び人である父方の叔父――ロンクーツの手により、怪物狩りの才能を見い出されることになる。
手数よりも一撃性を重要とした彼女は、中世では護身用とされ、今では競技用の武器と化した長く重い刺突剣を獲物とし、これまでに幾多の魔物を屠ってきたのであった――。
一瞬の視線の交錯の後、ルイザは魔物の一点めがけて走る。
そして、食らえば致命傷を超えた即死は確実に免れない強靭な上腕が自らの体を粉砕する前に、即座に横っ飛びで回避する。
――物事は何もかも俊敏に。そして確実に。
この行動によって、マルレイン家の家訓を脳にちらつかせたルイザは、攻撃を躱され、間抜けにも己の位置に向き直った魔物の鼻と口の中間――人中と呼ばれる場所を、全力を込めて貫いた。
――バオオオオォォォォ!!!!!!
苦痛によって発せられる魔物の咆哮が、ルイザの鼓膜を突き破らんと、あるいは他の魔物に救助を求めんとばかりに、島中に響き渡る。
――鼓膜などいくらでもくれてやるが、助けを呼ばれるのは非常に困る。
という判断を一瞬で下したルイザは、人中を貫いたままレイピアを下まで運び、体表を引き裂いて震える喉を確認すると、即座にそれを貫き潰した。
バオ、という最期の叫びがむなしく響き渡ると、魔物は大量の血を流し、その場に崩れ落ちた。
ルイザはポーチから黒い液体の入ったビンを取り出すと、血と体液で濡れた刀身にそれをふりかける。
十分に液体がかかったと判断すると、ビンをポーチにしまい、切っ先からぽたぽたと垂れ落ちる水滴を魔物の体にかけていく。
科学国家スプルカで開発された、魔物除けの液体。
魔物が嫌うとされている薬草から抽出された成分を主体とし、他にも様々な対魔物成分を合成して作られたそれは、研磨剤としての成分が入っていたため、探索者たちには武器に付いた血を洗い流すためのもの――液剤版の砥石のような扱いを受けていた。
「さっすがルイザ姉!」
魔物の死体を運び、毒々しい色をした海に放流したルイザは、背後から聞こえる拍手の音、妙に聞き慣れた人の声に気づく。
そちらを振り向くと、大きな弓を背中に、矢筒を腰にぶら下げ、遠国の弓引きの格好にフードを被った少女がいた。
――ヤズサ・クラナギ。
遠国の武家の末裔、クラナギ家の次女としてこの世に生を受けた彼女は、海外で見識を深めるため――という名目で、護衛も付けずにベテルギアまでやってきた上、異国での通貨を稼ぐために探索者となってしまった。
そして初回のクエスト業で、実入りがいい新人育成のクエストをちょうど受けていたルイザに助けられてから、彼女を姉と呼び慕うようになったのである。
「なんでいるの、ヤズサ」
「ひどい! あたしもボンガリアの魔物調査のクエスト受けたって言ったじゃん!」
そう言うと、ヤズサは鞄から中等級の念石を取り出し、表示された受注許可証をルイザに見せる。
受注日・場所・危険度などの項目を興味なさげに一瞥したルイザであったが、報酬金の項目で目が留まる。
「あんたこれ、どこで受けた?」
「え? 普通にベテルギアで受けたけど……」
それを聞いたルイザは、彼女の勉強不足、そして自分の教えが足りなかったことを嘆くような溜め息を吐いてポーチから高等級念石を取り出すと、自分が受けたクエスト内容をヤズサに見せた。
「……報酬金、全然違うじゃん! どこで受けたの!???」
そこに書かれていたのは、中央都市のものより六割ほど上の報酬であった。
「フルム・ハウルム。もっとも報酬の代わりに、調査に加えて別の案件も押し付けられちゃったんだけど」
「ふ~ん……」
クエストというのは、受ける場所、受ける条件によって報酬が変動する。
基準は首都であるベテルギアに存在し、そこから遠く離れた都市――大魔道独立都市国家アルネビア、ルイザがクエストを受けた山脈都市フルム・ハウルムなど――で受注し、重い条件が課せられるほど、報酬はどんどん上がっていく。
しかし、重い条件であればあるほど、命の危機が加速的に迫ってくるため、次の探索に繋ぐための命を取るか、刹那的に消えゆく金を取るか、探索者は日々バランスを探っているのであった。
「ま、金の上下なんてどうでもいいけど、油断しないようにしなさいよ。ここ一番で油断するんだから」
そう言うと、ルイザは岸部に沿って歩き始めた。
「ルイザ姉! どこ行くの?」
「キャンプできそうな場所――」
「キャンプならもうあるよ! 同じボンガリア調査を受けた人が勝手に立ててたの!」
それを聞いたルイザは、しばらくの思案――苦手な探索者との鉢合わせ、キャンプの衛生状況など――の後、
「わかったわ。そこまで連れてってもらえる?」
「うん!」
と言って、反対方向に歩き出すヤズサの後を追い始めた。