003
美代がいる部屋は、木造の個室だった。ベッドが一つとその脇に小さな戸棚が置いてある。その上には照明が置かれているところから考えるに、おそらく宿泊施設のようだった。
「宿屋、かな? ホテルって雰囲気でもないし、ファンタジーな世界だったら宿屋だよね」
小さい頃にプレイした竜の冒険みたいな名前のゲームでは、そう言っていたはずだ。
しかしそれにしても、と美代は思わず溜息を漏らした。
一見ごく普通の木造の家だが、なによりもすごいのはそのリアリティだ。
とてもではないが、現実にしか思えないほどの木の質感、そして匂いと感触だ。
デバイスで脳を誤認させることによって、あたかも匂いや感触があるように感じさせているらしいが、ここまでくると本当に別の場所に移動したのでは、と思ってしまってもおかしくはない。
「技術の進歩ってすごいものね。私が子供だったときは想像も出来なかったようなことができるんだから」
とはいえ、個室だけ見て満足しているわけにはいかない。美代は正面にある扉に手をかけて、ゆっくりと開いた。
扉を開けると、突然様々な音が聞こえてきた。
人の声がほとんどだったが、どうも宿屋の外や下の方から聞こえてくる。
通路に顔を出して横を見みると、下に降りるための階段があった。どうやら美代がいた部屋は宿屋の二階だったようだ。
「そうなると、まずはここの店主の人に話を聞かないとダメかな」
階段を降りると、周りの喧騒がより聞こえるようになった。
一階には小さいながら宿屋利用者のための受付スペースがあり、入口のすぐ横の壁には見るからに薄そうな木の扉がついている。扉の上にはビールジョッキのような絵が描いてある板がついているから、宿屋と酒場を合わせてやっているようだ。
酒場らしき場所とは扉で区切られていたが、扉の薄さのせいか防音に関してはあまり意味がないように思えた。
美代はチラリとその扉を見たが、開く様子はない。そのため気にせずに受付まで向かう。
「あの、すみません。どなたかいらっしゃいますか?」
受付には誰もいなかったため、その奥にかかっている暖簾に向けて呼びかける。
すると、暖簾で遮られている奥の方からガタゴトと物を動かす音がした。
「はーい、ただいま行きますので、ちょっとお待ちくださーい」
「あ、はい。ゆっくりで構いませんので!」
物音から少し遅れて若い女性の声で返答はあったが、どうやら忙しそうな雰囲気を感じる。
慌てて怪我をさせてはいけないと思って美代は返事をしたが、そういえばゲームの宿屋の中で怪我をするのだろうか?と、言ってから疑問に思った。
「いやー、すみませんね、お待たせしちゃいまして。それで、何かご用でも?」
そう言いながら暖簾を潜って現れたのは、短髪の女性だった。
見たところ年齢は美代より少し下くらいだろうか。活発そうな印象を受ける人だ。
髪の色がオレンジに近く明るいことも、与える印象に影響しているのかもしれない。
「あ、どうもお忙しいときにすみません。私はアルファという者です。
それで、その、実はいつの間にやらこちらのお宿の二階にいたので、少しお話を伺えたらと思ったのですが……」
「あらま。それはそれは、ようこそいらっしゃいましたね。
あなたさん、獣人さんみたいだけれど星の旅人さんでしょ? なら色々と知らないことも多いでしょうし、ちょっとくらいならお話できますよ」
「えーと。たしかにそうなんですが、なんで分かったんでしょうか?」
今の話だけだと普通は怪しい奴だと思うはずだが、なぜか女性は美代が星の旅人だと分かるらしい。
「ああ、それはですね。実は宿屋は、星の旅人さんが初めてプレリュードにいらっしゃるスポットの一つなんですよ。前にも何度か同じようなことを言って現れた旅人さんがいらっしゃったんで、きっとあなたさんもそうだろうな、って。
ああっ、そういえばうちったら、まだ名前も言ってませんでしたっけね。
うちはこの宿で女将をやってるタブサって者ですよ。どうぞお見知りおきを、旅人さん」
「あ、これはどうもご丁寧にありがとうございます、タブサさん。こちらこそよろしくお願いします」
礼儀正しく頭を下げる美代の姿に、タブサは感心した様子で小さく何度か頷いた。
「あらま、礼儀正しい方ですね。とても良い心掛けだと思いますよ。
どうにも素行があまりよろしくない旅人さんも多いですから、あなたさんのような方は珍しいんですよ」
機嫌良さそうな笑みを見せるタブサの言葉に、それはちょっと同じプレイヤーとして恥ずかしいかもしれないと美代は感じた。そして、少なくとも自分だけでもある程度は気を付けなければと思った。
「それはその、すみません……」
「あらま! 気にしないでくださいよ。こちらこそすみませんね。あなたさんが謝るようなことじゃないのに、ちょっと話題を間違えちゃったみたいで。
……さてと、それで何か聞きたいことがあるんじゃありませんか?」
「あ、はい。あの、お聞きしたいのは、ここはどこなのかということなんですが……」
なんとも漠然とした質問で申し訳ないなと美代は思ったが、どうやらタブサには伝わったようで、両手を合わせて頷いた。
「ああ、そうですね、初めてじゃあ分かりませんよね。
ここはプレリュードの第一大陸って呼ばれている場所の、その一番東にある町、ビギンタリアですよ。
旅人さんたちの間じゃ“始まりの町”って呼ばれてますね」
「始まりの町、ですか」
「ええ、そうですよ。初めてプレリュードにいらっしゃった旅人さんは、皆さんこの町にお出でになりますね」
つまりゲームの開始地点ということか。それならばチュートリアルのようなものもあるのかもしれないと美代は考えた。
「ところで、そういえばアルファさんは確かウチの二階にいらっしゃったんでしたよね。それなら一週間はそちらのお部屋を無料でお使いいただいて大丈夫ですよ」
美代がこれからの行動について考えていると、タブサが突然そんなことを言い出した。
「えっ! さすがにそこまでしてもらう訳には……。その、理由もありませんし」
冒険物で宿屋といえば、一晩休むと体力を回復したりセーブができたりする場所だ。このゲームではセーブは自動セーブと言っていたが、体力的なものの扱いは変わらないだろう。
そんな場所を無料で利用させてもらうなんてことは普通は遠慮する。
美代は仕事をしているいい歳の大人なので、何も払わずになんて、とすごく恐縮していた。
そんな彼女の様子にタブサはにこにこと笑顔を見せている。
「いえいえ、理由ならちゃあんとあるんですよ。
旅人さんはこちらにいらっしゃったときには、あんまりお金をお持ちじゃないですからね。
ですから、神様から旅人さんがいらっしゃった場合は、お部屋を一週間はお貸しするように、と取り決められているんです」
まぁちょっとした決まり事みたいなものですね、とタブサは頬に手をあてる。
それを聞いて、初心者のためのちょっとしたサービスみたいなものなのかな?と美代は思ったが、そこでふと大事なことに気が付いた。
「あ、お金とかってどうやって確認するんだろう……?」
「あらま、アルファさんはそのあたりから知らないんですね」
美代が漏らした言葉に、タブサが少し驚いたような表情を浮かべる。
今まで現れた旅人は、それくらいのことは聞かずとも出来ているようだったので、美代の悩んでいる姿が新鮮に見えたのだ。
しかし、メンタルダイブ型のVRゲームをプレイするのが初めての美代にとっては未知の話である。
この手のゲームには専用のコントローラーなどないため、まったくの素人である彼女には基本の操作からして分からなかった。
「そうですね。せっかくだから、そのあたりも教えましょうか。
ボイスコマンド【メニュー】って言ってみてくださいな」
両手を空中でこねくり回しながら、えいやっなどと言っている美代を見かねたのか、タブサは自分が説明しようと考えたようだ。
そんな彼女の言葉に対して、美代はこの人はスタッフさんなのだろうかと疑問に思ったが、ミンフィエルの言動を思い出すとAIという可能性も捨てきれない。
しかし、どちらだったとしても教えてくれるのなら、その好意には感謝するべきだろう。
「えーと、ボイスコマンド【メニュー】って、うわっ!」
タブサの指示通りコマンドを口にした瞬間、目の前に半透明のパネル画面が現れた。
目の前に急に現れたそれに驚いた美代は、思わず飛び上がる。
「もう、びっくりしたなぁっ、まったく。っと、これってもしかしてゲームのメニュー画面?」
左上にメニューと書かれた半透明のパネルには、ステータスやアイテムの他にもログアウトなど、いくつかの項目が表示されている。
「そうですよ。今目の前に見えてると思いますけど、それが旅人さんがよく使ってるメニューってもんですね。ウチらみたいな普通の町の者には見えませんが、そこから所持金の確認や荷物の整理ができるらしいですよ」
タブサが言うには、このメニューというものは神様が旅人たちに与えた加護だとか。
荷物などをある程度収納できたりする機能は、普通の住人にとっては羨ましい限りらしい。
「そこに書いてあるアイテム項目を開いてみてくださいな。その下の方に現在の所持金が書いてあるって話ですよ」
「えーと、アイテムを開いて……、下の方……」
タッチ式らしいメニュー画面のアイテム欄を開くと、現在所持アイテムなしと表記されていたが、その画面の下の方に所持金と書かれた項目があった。
そこには現在の美代の所持金として1,000トールという数字が表示されている。
「1000トールって書かれてます」
「神様が言ってた通りでだいぶ少ないですね。ウチの一泊分の代金が朝昼なしの夕食付きで300トールって設定してますんで、そのまんまじゃ三日でほとんど文無しですよ」
「ほ、ほんとうにお金ないんですね……」
予想以上の貧乏さに美代はがっくりと肩を落とす。
「それにあなたさん、旅人さんなら色々と入用になるでしょうし、お金はいくらあっても困るもんじゃないですよ。まぁあれですね、人の好意は素直に受け取っときなさいということですよ」
からからと笑うタブサに、美代は申し訳なく思いながらも素直に甘えることにした。
お金がないのは本当のことだったので、見栄を張っても仕方がないとの考えからである。
「すみません……、それではお言葉に甘えさせていただきます」
「はいはい、っと。えーと、それじゃ204室に登録してあるみたいですから、そのままそこを使ってくださいな」
宿の台帳のようなものを確認して、タブサは部屋番号を指定する。
美代は部屋を出るときに確認していなかったが、どうやら彼女が最初に出てきた部屋は204室だったらしい。
「分かりました。ありがとうございます」
「まぁ、せっかく初めていらっしゃったんですから、ひとまずそのあたりを散歩でもしてきたらどうです? 旅人さんに必要な施設も多いことですし、道を覚えるためにも」
「……たしかに町の中は見てみたいです。それなら最初はどこに行くのがおすすめでしょうか?」
タブサの提案に対して美代は、たしかに拠点も出来ているし、なによりも町を歩き回ってみたいと思った。
そこで何のあてもなく歩き回るのもどうかと思い、タブサにどこかいい場所はないかと聞いてみる。
「そうですね、最初に行くならやっぱり冒険者ギルドじゃないですか?
旅人さんがたくさん集まるところで、お仕事が受けられますし、町の詳しい案内もしてますよ。
宿屋からまっすぐ進むと大通りに出るんですけど、そこを左に曲がって通り沿いに歩いていればすぐに分かると思いますよ。それくらい大きいですからね」
「なるほど」
冒険者ギルドとはいかにもファンタジーっぽい響きだ。施設的にも確かに最初に行ってみた方が良いかもしれないと美代は考えた。
そういう施設ならば、基本的なゲームの操作も覚束ない自分のような初心者のために、チュートリアルのようなものが用意されているだろうという予測からだ。
「ありがとうございます。それなら最初にそちらの方に行ってみます」
「はいはい、お気をつけて。夕食は18時以降ですよ」
タブサに言われて、受付の壁に掛かっている時計を確認すると針は15時を指していた。
現実ではもう22時を超えているはずだが、どうやらゲームの中では時間の流れが違うらしい。
「分かりました。ありがとうございます、いってきます!」
美代はタブサにお礼を言うと、宿屋を後にした。




