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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
終章 川は分かれ、また別の川と交わっていく
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終章 川は分かれ、また別の川と交わっていく

「レナリア、復帰した早々で悪いけど、書類はできたかい?」

「もう少しで書き終わります! 少々お待ちください、ウィリー部長」

 必死に文字を書き連ねていたレナリアは、上司に呼ばれると、顔をがばっと上げた。彼はレナリアの顔を見て、にこにことした表情を向けて、通路を歩いていった。

 彼が歩いていった方から、水環すいかん省の同僚が顔を伸ばしてくる。

「そんなに急いでやらなくてもよくないか? 色々と調子だって戻っていないだろう」

「これが終わらないと次に進みませんから、さっさと終わらせたいんです」

 肩をすくめながら、書き終えた様々な種類の報告書を横目で見る。休職延長の理由、休職中に強制査察をした理由、巻き込まれた事件内容などの報告書が積まれていた。

 今書いているのは、休職中に知った水の魔術に関することだ。どこまで盛り込んでいいかわからなかったが、ウィリーに魔法も含めてすべて書いていいと言われて、ペンを動かしている最中だった。量としてはかなり多いが、もう少しで結論まで書けるところまで達していた。

 レナリアは一度大きく伸びをする。体を伸ばした後に、続きを書き始めた。



 魔の力を解放し、湖の底に沈んでいた城から脱出してから、早二ヶ月がたった。

 はじめの一ヶ月は体の調子を戻すことに重点を置いていた。もともと無理に力を行使していた影響か、眠りにつけば、半日近く起きられないこともしばしばあった。しかし日が経つにつれて体力は戻っていき、一ヶ月たった頃には元通りに戻っていた。

 それから水環省に顔を出すようになり、その二週間後には本格的に職員として復帰し、今に至っている。

 復帰したとはいえ、仕事内容に関しては、かなり制限されていた。まず与えられた仕事が、休職中に遭遇した事件関係の報告書をまとめるというものだった。勝手に動いて強制査察をした件もある。報告書を出さないという選択肢はあり得なかったため、レナリアはおとなしく書き連ねていた。

 本当は戻るのに不安もあった。長期に渡って職場から離れていたのだ。仕事内容や人間関係が変わるのをかなり恐れていた。だが、それは杞憂だった。

 戻ってきたとき、ウィリーをはじめとして、担当の皆が笑顔で出迎えてくれたのだ。不安は一瞬で消え去り、皆の存在の有難さを感じたのだった。

 仕事の終了時間を告げるベルが鳴ると、職場からさっさと追い出される。残っている人間もいるが、レナリアは強制的に定時で帰らされていた。まだ無理はするなということらしい。体調を崩したことは否定できなかったため、渋々従っていた。

 職場を後にすると、レナリアは商店街にある定食屋に向かった。そこでは既に待ち合わせしていた先客が座っていた。

 奥に座っていた亜麻色の髪の少女はレナリアを見ると、手を軽く振って自分たちが位置を教える。一緒に座っていた少年と女性も微笑んでいた。レナリアは三人が座っている机の近くに寄った。

「こんばんは、アーシェルにキストン、そしてルカさん。待ちましたか?」

「さっき来たところですよ、レナリアさん。お仕事の方はどうですか?」

 レナリアはアーシェルの前にある椅子を引いて、そこに腰をかけた。

「まだ報告書を作成している最中で、現場には全然出ていないの。でももう少しで書き終わるし、来週には新しい人間が入ってくるから、そのあとは少しずつ外に出ていくかもしれない」

「それは良かったですね! レナリアさん、ずっと外に出たいって言っていましたから。ですが、あまり無理はしないでくださいね。体が完治したかどうかはわかりませんから」

「わかっているよ。その言葉、同僚や上司にもさんざん言われているから」

 水を飲んでから、大きく息を吐き出す。耳にたこができるほど、アーシェルが出した言葉を言われ続けていた。

 あまり自覚したことはないが、どうやらレナリアは頑張りすぎのようだ。しかも復帰したばかりのため、余計に気を使われているらしかった。

 やがて食事が運ばれてくると、レナリアたちは次々と食べ始めた。食事をしながら他愛のない話をしていく。ここの料理はおいしいやら、最近の様子はどうやら。

 一通り食べ終わったところで、アーシェルとキストンは視線を合わせた。そしてレナリアと向き合う。

「レナリアさん、実はご報告がありまして。私はこれからハーベルク都市を離れようと思います」

「離れて何をするの?」

「魔の力がなくなったことで、各地に及ぼしている影響を調べたいと思っています。特に間接的、直接的に関わらず私が魔の力を与えたせいで、環境が変わってしまったところを中心に」

「歩き回って聞くってこと? それ、いったい何年かかるの?」

「わかりません。ですが私は一度この国をじっくり見てみたいのです。今まではただ言われるがままに、目的の場所に行って力を使っていただけですから……」

 アーシェルは視線を下げる。両手を軽く握り返しているようだった。

「私たち、水環省側も今後は各地の状況は見ることになると思うよ?」

「そうですね。しかし、おそらくそれは限界があり、表面上のことしか見ることはできないと思います。私はそれだけでなく、住民から直接生の声を聞きたいのです。……今更ですが気になるんです、住民たちが何を望んでいたかを」

 その表情には彼女なりの決意が垣間見えた。彼女の曲がらない心情を理解して、レナリアは静かに微笑んだ。

「わかった。長い道のりになると思うけど、無事に戻ってきてね。ちなみにアーシェル一人で行くの?」

 魔法使いでなくなったとはいえ、少女の一人旅は見過ごせなかった。彼女はキストンとルカをそれぞれ見た。

「キストンさんとはずっと行動して、あとはルカをはじめとする青輪会の人が交代して同行してもらう予定です。皆さんもそれぞれやりたいことがありますので、私が振り回すわけにはいきませんから」

 アーシェルとキストンが互いに視線を合わせると、互いに表情を緩めあった。二人の間に流れる空気がより穏やかなのに気づいたレナリアは、ルカにちらりと視線を向けた。

「……そういうことなんですか?」

「仲はいいですよ、以前よりもさらに」

 その言葉を聞いて、思わず「へえ……」と声を漏らしてしまった。

 最近のアーシェルは憑き物が落ちたかのように、表情や雰囲気が明るくなった。魔法使いという大役を終えて、一息ついたのだろう。彼女が苦しいときも支え続けていたキストンに心を許すのも必然かもしれない。

 自分にはない知識を持っている、技術者のキストン。彼は魔法がなくなった今後では、おおいに活躍する人間になるだろう。

「しばらくアーシェルとは会えなくなるのね」

 ぽつりと言葉を漏らすと、彼女も少し憂い気味な表情をした。

「そうなりますね。けれども、いつかここには戻ってきます。それに現場に行って何かあった際には、水環省の人間にも助けを請うことになります。ですから、一度は離れ離れになりますが、私たちの縁はなくなりませんよ」

 二つの川はある場所で交わり、一つの大きな川になったが、またやがて分かれていく。

 水はどこにでも存在している。それがある限り、レナリアとアーシェルの関係も続いていくのだろう。



 * * *



 次の仕事の休日に、レナリアはルベグランの墓参りに行った。ハーベルク都市に戻ったときにも一度行ったが、明日からまた忙しくなるため、再び出向いたのだ。

 その日は穏やかな晴天だった。レナリアが魔の力を解放させてからは、国内ではまだ豪雨などの被害はでていない。空雨が続いていた地域でも、それなりの量の雨が降っているようだ。

 環境は良くなっているのだろうか――。いや、そう思うのは時期尚早で、長い目で見なければわからないだろう。

 片手に花束を持って行くと、ルベグランの墓の前に剣をぶら下げた黒髪の青年が立っていた。レナリアが近づくと、彼は顔を向けた。

「どうしてここにテウスがいるの?」

 目を瞬かせると、彼は頭を軽くかいた。

「キストンとこに行ったら、あいつの師匠が今日はお前がここに来るんじゃないかって……」

「さすがガリオットさんはよくわかっている。だいたい節目の時は挨拶に来るのよね。まだ私は師匠に未練があるのかな」

 レナリアはしゃがみ込み、墓の前に花束を置いた。

「別にいいんじゃないか。故人を忍ぶのは、悪いことじゃない。さっさと忘れられたら、それもそれで悲しいだろう。俺は羨ましいと思うぞ、お前みたいな人間がいて」

「そう言ってくれて、ありがとう」

 そして両手を合わして、目を閉じた。ルベグランに対し今後の予定などを心の中で簡単に報告した。

 それを終えると立ち上がり、テウスと目を合わせた。

「私に会いにいきたの?」

「……ああ。しばらく俺も忙しくて、会えなかったから」

 レナリアはくすりと笑みを浮かべる。そして少しだけ前に進み出した。

「少し歩こうか」

「そうだな」

 二人で並んで歩きだし、ルベグランの墓を後にした。

 テウスは最近の状況を軽く話してくれた。慣れないことを随分としていたらしく、彼にとっては苦労した日々だったようだ。

 逆にレナリアはほぼ机の上での作業しかなかったため、体力が有り余っている状態であった。机の上での仕事も多いと知ったテウスは渋い顔をしていた。その顔を横目で軽く見る。

「記録に残さないと、今後に生かせないのよ。私たちがいないときにも、似たようなことが起きた場合、過去の記録があった方がいいでしょう? テウスもこれからは自分の経験だけを重視にしないでね」

「わかったよ……」

 ある程度まで移動すると、町全体を見渡せる高台についた。工場地帯からは煙突がのび、その周辺を住宅街が囲んでいた。中心地には役所の建物がまとまって建てられ、周囲には川が流れている。

「レナリア、お前、体の方は大丈夫なのか?」

 意識を失い、水まで大量に飲み込んだ。もしかしたら一時的に心臓は止まっていたかもしれない。しかしテウスの蘇生で水は吐き出すことができた。

 レナリアはそっと胸に手を当てた。

「大丈夫だと思う。医者が言うには対処が早かったから、危ういところまでは到達しなかったって」

 テウスに対し顔を伸ばして、微笑んだ。

「ありがとう。すぐに人工呼吸をしてくれたって聞いた。助かったわ」

 彼は口をとがらせて、顔を横に向けた。

「別に……。お前がいなくなったら、アーシェル様が寂しがると思っただけだ」

「あらそう。本当にアーシェルが第一の人間なのね」

 両手を腰に当てて、レナリアは肩をすくめた。ここまでご執心だと、彼女に対して主従以上の感情を抱いているように思えてしまう。

 息を吐き出して少し離れようとすると、テウスはぼそりと呟いた。

「……俺だって、お前がいなくなったら困るから、躊躇うことなく蘇生を試みたんだよ」

 レナリアがそっと振り返ると、頬を赤らめて視線を逸らす青年がいた。彼の様子を見て、こちらも思わず頬が赤くなる。心臓が早鐘を打っているのは、気のせいだろうか。

 そして彼は赤らめながらも、視線をまっすぐ向けてきた。

「いつも無茶なことしやがって。本当に見ていられないな。お前が無茶して背中を切られないよう、背中を護ってやるし、何度でも助けてやるよ」

 その言葉から、ぶっきらぼうな彼なりの思いが伝わってきた。

 今まで危険な場面に直面すると、多くの人たちからは危ないから下がれとさんざん言われてきた。レナリアのことを思って言っているのだろうが、査察官となると決めたときは、危険な場に居合わせるのは覚悟している。だから危ないと言われても、それが当たり前だと思っているため、レナリアの想いを考慮しない発言はあまり好きではなかった。

 だから今受けた彼の言葉に対し、レナリアは素直に礼を言った。

「ありがとう、お願いするわ。でも私をかばったり、勝手に無茶なことはしないでね?」

 テウスは一瞬目を丸くしてから頷いた。そしてすれ違いざまに、レナリアの頭を軽く叩いた。

「安心しろ。俺はあの二人みたく、先に逝かないから」

 その言葉を聞いて、無意識のうちに涙が一筋流れ落ちる。今まで我慢していたものが、そこに凝縮されていたようだ。

 テウスは逡巡した後に、レナリアの腕を取って軽く抱き寄せた。そして頭を軽くなでてくる。温もりと鼓動が直に伝わってきて、ほっとしてきた。

 今まで目に見えないものに縋っていたが、それからもようやく距離が置けそうだった。



 * * *



 休日明け、レナリアは職場に向かうと、いつもより皆がざわめきながら話していた。なぜなら、今日から新しい人間が赴任してくるのだ。査察官としての身分は持ち合わせていないが、これから忙しくなることを見越して、臨時職員として雇ったという。

「新しい人間の採用条件としては、まずは腕っ節が強い奴ってことらしいな。魔術が使えなくなったから、それに対応するために純粋な力だけの強さを求めたとか」

「ああ、ルベグランさんみたいな人がいると、強行的な時には助かるからな」

 やがて部長のウィリーが部屋に入ってきた。一同のざわめき声がいったん静まる。

「おはよう。これから新しい職員を紹介する。色々なところを練り歩いている剣の使い手を雇うことにした。基本的なことは既に研修で学ばせている。主に外回りの担当だ。荒くれ場に行くときは、事前に打ち合わせをするように」

 ウィリーが声をかけると、廊下の向こう側から黒髪の青年が緊張した面もちで入ってきた。彼はウィリーの横で止まってから、しっかり口を開いた。

「テウス・ザクセンと言います。今回はウィリー部長のはからないなどで、こちらで仕事をすることになりました。過去に護衛として働いていましたので、剣の腕はそれなりに自身があります。ご迷惑をかけると思いますが、これからよろしくお願いします」

 そして彼はレナリアとちらりと視線を合わせた。レナリアは表情を緩めて、軽く頷いた。

 テウスが水環省に興味を抱いていると知り、さらにウィリーも護衛の人間がほしいと言った結果、このような展開になったのだ。

「さて、早速だがテウスには近日中の出張に同行してもらう。レナリア、細かいことは教えてやってくれ」

「わかりました」

 ウィリーが各自持ち場に戻れと言うと、そこでお開きとなった。

 レナリアの元にテウスが寄ってくる。彼が「よろしく」と言ったので、軽く挨拶を仕返すと、レナリアは彼に水環省の基本的なことを教え始めた。




 再び流れ出す、一本の川。

 それらは交わったり離れたりしつつ、最終的には大河へと繋がっていくだろう。

 この二つに交わった川も、ここから大きなうねりとなり始まっていった。





 了






 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 これにて『水環の査察官』は完結となります。

 水の循環をテーマにして、章ごとに雰囲気や舞台設定を変えるという内容で執筆しました。

 レナリアとアーシェル、そしてテウスは新しい道を辿っていくことになるでしょう。


 コメントや感想等、随時お待ちしております。

 これからの執筆の糧となりますので、お気軽に感想欄、メッセージ、拍手等でお寄せ頂ければ大変嬉しいです。

 今後ともより良いものを執筆できるよう、精進します。

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