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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第四章 水の循環を操る魔法使いたち
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4‐20 解き放たれる円環(5)

 * * *



 水が流れていく音が聞こえる。せせらぎの心地よい音は、傍で流れている小川の音だろうか。

 レナリアが目を開けると、森林の中を流れる小川の前に立っていた。日差しが葉の隙間をぬって差し込んでくる。目を細めて葉を見上げると、何かが歩いてくる音が聞こえた。

 視線を正面に戻して小川を挟んだ向こう岸に目をやる。すると無精ひげを生やした中年の男性が歩いてきた。レナリアは彼を見て目を大きく見開く。彼は飄々と手を挙げて、挨拶をしてきた。

「よう、久しぶりだな、レナリア」

「師匠!? どうしてここに……。……ああ、そうですか、ここは死後の世界なんですね。だから死人に会えるわけですか」

 自嘲気味に言うと、レナリアの亡き師匠であるルベグランは腕を組んで首を横に振った。

「お前は完全に死んではいない。死にかけているがな」

「私、今、どうなっているんですか? それよりもアーシェルやテウスは!?」

 ルベグランはレナリアの必死の形相を見て、目を丸くした。

「一緒にいた二人のことか。お前が体を張ったおかげで、あの竜は倒せたぞ。それであの二人の意識は肉体に戻って、今はあの地下の部屋にいる。だがお前の体には、魂は戻っていない状態だ」

「そう……ですか。二人は無事だったんですね」

 ほっと胸をなで下ろす。レナリアが捨て身で行ったことに対して、二人が巻き添えにならなくてよかった。それさえわかれば、だいぶ心は落ち着いてくる。

「師匠、私はもう助からないんですよね。あれだけ血を吐いたということは、相当体に負荷がかかっている状態だと思うのですが」

「あの状態で、そういう風に冷静に分析できていたか」

「感情的になるときがあっても、心のどこかでは冷静でいろって言われましたからね」

 ふふっと笑った。ルベグランは頭をぽりぽりとかく。そして息を深く吐き出した。

「何とかしてやりたいのは山々だが、もう死んじまった人間だから何もできない」

「相変わらずはっきりした言い方をしますよね。それがいっそ清々しくて、有り難いです」

 レナリアは肩をすくめて、視線を上に向けた。

「私がした決断のその後が見られないのは残念ですが、それが人生ってものなのでしょうね――」

 そしてゆっくりと視線をルベグランに戻す。

「師匠、私、一つ気づいたことがあるんです」

「何だ?」

「私はずっと魔の力は一部の人間しか持っていないものだと思っていました。ですが本当は誰でも、いえ、どんなものでも持っているのではないでしょうか? それが強いと、より表面化しやすくなり、不可思議な術を使う魔術師という人間がでてくる。だから今回私がしたことは、あくまでも魔の力を表面的に感じなくなる程度まで力を落とすことだった。おそらく私も完全には魔の力を失っていないはずです」

「根拠は?」

 ルベグランは腕を組んで、じっとレナリアを見てくる。

 レナリアはしゃがみ込み、川を手で触れた。冷たい水が感じ取れる。次に手を離して、目を閉じた。涼しげな空気が皮膚に触れてくる。

「……水はいつでも感じられます。いつでも私たちに寄り添ってくれます」

 そして目を細めながら開ける。

「魔の力というのは、水に関して不思議な現象を起こすということ。ですが、水というのは私たちが意識すれば、すぐに変化してくれます。――例えば汗。体が気温などに応じて噴き出てきます。それはある意味で言えば、神秘的な現象と見られるのではないでしょうか。――例えば水たまり。時間がたてば蒸発して、液体はなくなっていきます」

 レナリアはゆっくり立ち上がり、ルベグランに向かって微笑んだ。

「すべては様々な循環の果てに起きた現象です。つまり魔の力というのは、水の循環と同義と解釈してもいいもの。それはこの星がある限り、永遠になくなりません」

 腕を組んでいたルベグランは、そっと視線を背後に広がる森に目を向けた。

「おい、今の話、どう思う?」

 彼に呼びかけられて森の奥から出てきたのは、亜麻色の髪の青年ファーラデだった。彼はにこやかな表情をしている。

「面白い仮説だと思います。確固たる証拠はどこにもないですが、そういう考えもありますね。実際に僕もそういう風に考えたことはあります」

 そう言われたレナリアは嬉しくなった。彼の背中を追いかけていた身としては、考えが一致したことが一つの成長の証だった。

「ただ、それを証明することは難しくなったと思います。レナリアが魔の力の大元でもある竜を消失させたから……」

 ファーラデが軽く目を伏せたが、レナリアは大きく首を横に振った。

「いえ、あの竜は消失まではしていない。私は黒い竜を氷付けにしたのを粉々にして、力を解放しただけ。だから空気中には今もあの竜の意識は微かに残り、広く漂っているはずよ」

 魔の力が凝縮されていると、不可思議な力を起こせる。しかし今はもう、それが細かく広がってしまい凝縮ができない。レナリアはそうなるよう力を解放させただけなのだ。

 だがファーラデの言うとおり、確固たる証拠はない。魔法使いであったレナリアが何となく感じた上で言った仮説だった。

「――ねえ、レナリア、聞いてもいい?」

 ファーラデが川のすぐ傍にまで寄ってきている。

「何?」

「レナリアは生きたい? それともこっちに来たい?」

 こっちというのはファーラデやルベグランがいる死後の世界だろう。そう問いかけられて、レナリアは一瞬言葉が詰まった。

 二人はレナリアにとって大切な人間だ。彼らと一緒に過ごせれば、また楽しい日々が待っているかもしれない。

 だが、今は――。

 手を握りしめて、顔を上げる。目頭がうっすらと熱くなっていた。


「……私は生きられるのなら生きたい。もっとやりたいことがあるし、待ってくれる人がいる!」


 退職しようと思ったのに、それをやんわりと止めてくれた上司や休職の間もいつまでも待っている同僚たち。

 武器を使い倒してでも必ず戻ってこいと言ってくれた工房の職人たち。

 娘が自信喪失状態でも優しく見守ってくれた家族。

 再戦誓ったかつての敵、力はあまりないが必死について行こうと努力する少年。

 そしていつまでもレナリアのことを信じて力を貸してくれた、剣士と少女――。

「生きられる方法があるのなら教えて。私はまだ死んでいないんでしょう!?」

「この先大変な未来が続いているかもしれないよ?」

「未来がどうなるかなんてわからない。でも水の循環は永遠に続いていく、それだけは真実よ。それを――私は自分の目で追い続けたい」

 思っていたことを力強く言い切る。ファーラデはルベグランと顔を合わせた。そして互いに表情を緩めた。

 ルベグランは両手を腰につける。

「それでこそ俺の弟子だ。その想いを抱いて、無事に職務をまっとうしてくれ。ただし銃は使えなくなる分、さらに体術は鍛えろよ」

「師匠……」

 ファーラデは首下に軽く手を当てた。

「寂しいけれど、そういう前向きな発言を聞けて嬉しいよ。レナリア、僕があげたペンダントを持っているかい?」

 こくりと頷き、首にかけた瑠璃色の石がついたペンダントを取り出した。仄かに温かい。

「それには魔の力が凝縮されている。でもなぜだかまだ解放されていない。だからそれを解放する反動で、レナリアを現実世界に戻そうと思う」

「そんなことできるの?」

「できるとははっきり言い難いけど、たぶんできると思う。それを握りしめて、何かを解放させる想像をするんだ」

「わ、わかった」

 軽く握りしめると、温かみが若干強くなった。石の中が変化しだしている。

「……師匠にファーラデ」

「なんだ?」

「なんだい?」

 呼びかけると、二人が返してくれる。レナリアは二人に笑顔を向けた。


「今までありがとうございました。いつも私を見守っていただき。二人の教えがあって、今の私がいます。たくさん迷惑をかけましたが、これからは前を向いて生きていきます」


 目から一筋の涙がこぼれる。おそらくもう二度と、二人とは永遠に会えない。

 生きていた頃の記録を辿っても、他人から話を聞いても、彼らが戻ってくることはないだろう。

 今まで二人の背中を追っていたレナリアにとっては、この涙が一つの区切りのようだった。

 ファーラデはにこりとしつつ、ぼそりと言葉をこぼした。

「……レナリアが生きて戻りたいっていう気持ちにさせた、小さな魔法使いと剣士が羨ましいよ」

「何か言った?」

「いや、何でもない。さあレナリア、早く行って。あまり長い時間ここにいると、現実の体はどうなるかはわからないから」

「わかった。じゃあ、私はここで。二人とも元気でね!」

 そしてレナリアは石をぎゅっと握りしめた。徐々に温かくなっていく。

 やがて光を発し始め、石はレナリアの手を離れて浮かび上がった。紐が自然と切れて、レナリアの目の前を浮かぶ。

「綺麗……」

 次の瞬間、激しい光がほとばしった。思わず腕で目を覆う。光はレナリアの視界を遮り、そして二人の姿も見えなくしていった。

 やがて光は視界をすべて包み込んだ――。



 * * *



 全身に微かに痛みを感じる。しかし何か憑き物が落ちたような感覚だった。

 レナリアは重い瞼を開けると、すぐ目の前にいる、黒髪で黒色の瞳の青年と目があった。彼はレナリアと目が合うと、目を大きく見開いた。

「テ……ウス?」

「レナリア、大丈夫なのか!?」

「わたし……ここは……」

 周囲に目を向けようとすると、テウスがレナリアを起きあがらせてくれた。心なしか腕を支える力が強い気がする。

 すぐ横には銀髪の少女が涙を流していた。それを必死に拭っている。

「良かったです……、戻られて」

「アーシェル、私たち、どうなったの?」

 黒い竜に氷の華を咲かせた後に意識を失った。自分自身の全身が濡れているだけでなく、周囲にはキストンやベルーン、カーンらがいることから、ここはあの空間ではないことがわかった。

「ここは地上です。湖の底にあった城はなくなりました。魔の力がなくなったからです」

 アーシェルが後ろに目を向けると、ぽっかりと穴があいたくぼ地ができていた。

「あそこは湖の跡地です。城だけでなく湖までも幻だったようですよ。さすが魔の力の固まりがある地といったところでしょうか」

「無事にすべて終わったの?」

「おそらく。私もベルーンも完全に魔術は使えなくなりました。レナリアさんはどうやって戻ってこられたんですか?」

 レナリアは自分の手のひらを見た。前はここに意識を向ければ、水が集まってくるような感覚があった。だが今は何も感じない。

 それから胸に手を当てた。首から二つの紐が下がっている。そのうちの一つを取り出した。瑠璃色の石が光を失っていた。それを手に乗せていると、小さな音をたてて粉々に砕けた。

 レナリアが驚きの声を漏らしている間に、あっというまに手から消えていった。

「そのペンダントは……」

「……ファーラデからもらったものよ」

 アーシェルの顔が強ばる。レナリアは消えた先に目を向けた。

「たぶん私はファーラデや師匠に生かされたんだと思う。そして役目を終えたから、なくなった」

 レナリアはアーシェルに視線を戻した。


「想いは人から人へと伝わっていく。それはまるで解き放たれた円環のようね……」


 一息つくと、どっと疲れが押し寄せてきた。後ろに体重がかかると、テウスが腕でしっかり支えられた。そして後ろからそっと抱きしめられた。

「もう無理するんじゃねぇぞ……」

 ほっとするような温もりを感じる。レナリアはそれを感じながら、ゆっくり目を閉じた。

 

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