表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第四章 水の循環を操る魔法使いたち
92/94

4‐19 解き放たれる円環(4)

 テウスの目の前で、藍色の髪の少女は血を吐いてその場に倒れ込んだ。黒い竜は消えて、喧噪は消え去り、命の危機にさらされることもなくなったが、別の意味で恐怖が襲ってくる。

 レナリアのすぐ傍に座り、彼女の頬を軽く叩いた。

「おい、レナリア、レナリア!」

 しかし反応はない。口元についている赤い血が、彼女の容態の悪さをそのまま表していた。

「まさか……」

「諦めないで!」

 逆側に座り込んだアーシェルがぴしゃりと言い放つ。彼女はレナリアの脈をとり、そして心臓に手を当てた。

「弱々しいけれど、動いているわ。相当強い力を使ったから、その反動で意識が飛んでいるのかもしれない。ただ……このまま意識が戻らない可能性もある」

 アーシェルは垂れ下がる横髪を耳にかける。歯をかみしめていた。

「こいつを助ける方法はありますか?」

「正直言うと、私たちができることは何もない。でもこれだけは言える。私たちがこの空間に居続けても状況は変わらないと言うことよ。まずはこの幻想の世界を脱出して、現実世界に戻りましょう」

 アーシェルは目の前にある空間をまるで扉をノックするかのように手を動かした。するとコンコンと小気味のいい音がした。

「ここからでも空間が壊せるかも」

 そして彼女は手を握りしめて、思いっきり叩きつけるようにして振り下ろした。バリンという何かが砕ける音がした後に、小さな穴が空いた。その先には黒い空間が広がっている。

「テウスはレナリアさんを抱えて。これくらいの強度のものなら、私でも道は作れるから」

 そう言われたテウスはレナリアを抱き寄せた。アーシェルの言う通り、微かに心臓は動いているとはいえ、血の巡りは悪いのか全身は冷たかった。

 アーシェルは手でひたすらに壁を叩き割っていく。氷の短剣はレナリアが意識を失った瞬間に消えてしまったため、今ある武器は己の手のみだった。

 割っていく度に、アーシェルの手は傷つき、赤い血が滴っていく。だが彼女は痛そうな様子をまったく見せなかった。

「レナリアさんの辛さに比べたら、こんなもの……」

 懸命に壊し続けていくと、やがて人が一人通れるくらいにまで広がった。アーシェルが振り向いてきた。

「この先に飛び込むわよ。そうすれば現実世界に戻れるはず」

「本当ですか?」

「たぶん。あとは戻りたいっていう強い想いがあれば、戻れるはずよ。レナリアさんをしっかり抱えてね」

 そう言って、少女は自らの手で作った穴を先に通っていった。彼女の背中が暗闇の中に埋もれていく。テウスもレナリアを抱き上げて、急いで背中を追った。



 暗闇の中を終えて目を開けると、テウスは吸い込まれた扉の前で横たわっていた。先に空間を通り抜けていたアーシェルが、レナリアの体の様子を伺っている。

 テウスは上半身をあげると、急にめまいがした。精神体としてしばらく居続けていた反動なのか、体が重かった。

「アーシェル様、ここは現実世界ですよね?」

「ええ。良かったわ、簡単に戻ってこられて。魔の力がなくなった関係で、そこら辺の縛りがだいぶ緩くなっていたかもしれない」

「レナリアは?」

 まるで人形のようにぴくりとも動かない少女を見下ろして、アーシェルは首を横に振った。

「さっきと同じ。心臓は辛うじて動いているけど、生きているとは言い難い。とりあえず上に――」

 その時、周囲が小刻みに揺れ始めた。それは徐々に強くなっていく。アーシェルははっとして顔を上げた。天井から埃などが落ち始めていた。

「いけない! 魔の力がなくなったから、魔の力でできていたここの空間が壊れる!」

「それってどういう……」

「ここは本来湖の底にある空間。話を端折ってまとめると、このままここにいたら、溺れ死ぬわよ!」

 その言葉にはさすがにテウスは耳を疑った。アーシェルは立ち上がると、軽くよろけるが、自力で立ち続けた。

「テウスは引き続きレナリアさんを抱えていて。どうにかして地上に戻るわよ」

「わかりました!」

 テウスはレナリアを抱えて立ち上がる。そして落とさないようになるべく体に寄せてから、歩き出したアーシェルの後についていった。



 途中でカーンと合流し、城の一階まで戻ると、目覚めていたベルーンが天井を睨み上げていた。彼女はテウスたち、そしてレナリアを見て、眉をひそめた。

「アーシェル様、何をしたの? 天井でも落ちてきたら困るから、氷の壁でも張ろうとしたら、魔術が使えないんだけど」

「ごめんなさい。循環を正すために、レナリアさんの力で魔の力を消してもらいました」

「……は?」

 彼女の眉間のしわがさらに寄っていく。

「詳しい説明は後よ。今は本当の地上に戻りましょう」

 アーシェルの言葉を補強するかのように、天井の一部がはがれ落ちた。床に衝突すると、激しい音と振動が響く。その音にキストンがびくりと体を震わした。状況の悪化を判断したベルーンは、渋々アーシェルの言葉に従って、城を脱出することにした。

 一同は廊下を駆け抜けて行く。キストンがレナリアのことを気にかけてきたが、テウスは「すまん」という言葉しか出せなかった。

 護ると言ったのに、この有様だ。不甲斐ない想いでいっぱいだった。だが今はとにかく生きて、大地に足をつけなければ。

 降り落ちていく壁や天井などをかわしながら、進んでいく。そしてずようやく外にでたが、崩壊は既にそこまで及んでいた。

「頭上の水面が揺らいでいるし、水も滴り落ち始めている!?」

 テウスが驚きの声をあげるが、アーシェルは慌てることなく、ひたすらに淡々と状況を見つめていた。

「まだ完全には崩壊していないわよ。すべてが終わるときは、この城が水に溺れるとき」

 アーシェルが天井に向かって手を伸ばす。しかしそれで何も変わらなかった。彼女はぎりっと歯を噛んで手のひらを見返す。

「何も反応しない。もしかして力がなくなったせいで、上がれない……?」

「そうだと思いますよ。ここは本来魔の力でできている空間ですものね。ここと地上部の行き来もそれが関係していた。魔の力がなくなった今、上がるのは無理なのでは?」

 ベルーンが悪態を吐きながら、指摘をする。彼女は両腕を組んで揺れる水の底でもある空を見上げた。しかし彼女の目はまだあきらめの色は見えなかった。

「でも私が思うに、空へと上がれるきっかけがあればいけると思います。魔の力がなくなったとはいえ、循環は続いているはずですから」

「なるほど……」

 アーシェルは手を口元に当てて、考え込む。しかし考えている間にも崩壊は加速していた。天井の水は滝のように落ちている場所もあった。

 どうすればいい、どうすれば元に戻れる!? テウスも考えるが、揺れる中、レナリアを抱き寄せるので精一杯だった。

「――天井に刺激を与えたら、何か起こりますか?」

 キストンが言葉をこぼすと、アーシェルは目を丸くした。

「あの天井はもともと特殊なものですから、刺激を与えれば何かは起きると思いますが……。ですが、そんなことできるのですか? あの高さですよ?」

 半信半疑で言われた彼は、リュックの中から一本の筒を取り出した。

「これは照明弾が入っている筒です。これに火をつければ、天井くらいまでなら照明弾を当てることは可能です」

「そんなものがあるんですね。触ってみてもいいですか?」

 キストンはアーシェルにそれを手渡した。彼女はじっとそれを見つめる。

「……魔の力がなくなっても循環は永遠に続いているはず。それなら水による循環もここには僅かながらあるはず? ――キストンさん、これはあと何本ありますか?」

「これを含めて三本です」

「わかりました。それをすべて使いましょう。――皆さん、今から天井に刺激を与えます。その時に水が落ちてきますので、マッチで火を灯しながら、水を全身で浴びてください」

 アーシェルの発言にほとんどの人間が首を傾げたが、ベルーンだけは目を見開いた。

「なるほど。火が消える際、本当に僅かだけれども水蒸気が発生する。その時に水蒸気が上昇する様子を想像することで、それに乗じて私たちも上へと昇る突破口を開く感じなのかしら?」

 こくりと頷く。

「水に関連して上昇するって事を考えると、それくらいしか思いつかなくて」

「そうね、私も昇華や沸騰くらいしか思いつきませんわ。何もしなくても崩壊するんだから、とりあえずやってみましょう」

 キストンが照明弾を残り二本取りだし、さらにマッチを分け与えていった。ターリーも回収した一同は三つに分かれて、マッチを照明弾に着火する準備をする。テウスはアーシェルが手を動かしているのを見守っていた。

 準備が終わり、マッチを持った三人が視線を合わせると、三人は擦って火を起こした。

「いきますよ」

 そして同時に火をつけ、照明弾を発射させる。勢いよく上昇し、それは水の天井へとぶつかった。間もなくして天井に潜り込み、やがて水が一気に滝のように落下してきた。アーシェルは火をつけていたマッチを頭上に高く掲げた。

 水がマッチの火や人間たちを叩きつけていく。火は一瞬で消えたが、僅かな量だが瞬間的に水蒸気が発生した。それを感じると、ふわりと全身が浮かびあがった。

 テウスはレナリアを抱き寄せて、アーシェルと共に上昇していく。落下していた水は、逆に空へとのぼっていた。まるで水は底から噴射しているような状態になっていた。

「循環が変わった? 温泉を掘り出すと、こういう風に水は飛び出ることはある。そういう状態になった?」

 アーシェルが感心して声を漏らすと、天井がすぐ傍にまで寄ってきていた。あそこを突破すれば本当の湖の中に入る。そこからは現実世界、呼吸すらできない状態になる。二人は息を止めて、天井のさらに上へと貫いた。

 急激に水による圧がテウスたちを襲ってくる。テウスはレナリアを抱えて、上へとのぼっていった。アーシェルも懸命に泳いでいく。テウスよりも泳ぎが上手いのか、すいすいとのぼっていった。

 彼女の行動に刺激を受けて、テウスは必死に泳ぐ。やがて水面の光が見えてきた。そこにめがけて泳ぎ、水面から顔を出した。空気を求めるかのようにして、激しく呼吸をする。それが落ち着いたところで、ゆっくりと水面を泳いでいった。

 テウスたちに続いて、他の者たちも次々と水面に顔を出した。ターリーを含めた九人は無事に地上に戻ってこられたようだ。

 陸にあがると、テウスはレナリアを地面につけた。そして横にしながら背中を叩いて、水を吐き出そうとさせた。しかし水は出てこなかった。

「意識を失った状態で水を飲んだのよ。水を自発的に出せるはずがない」

 アーシェルに諭されて、テウスはレナリアを再び仰向けにした。顎を動かして、気道を確保する。

「レナリア、戻ってこい……!」

 彼女の胸を両手で圧迫しながら、必死に叫ぶ。それを数十回行った後、レナリアの口をそっと塞ぎ、息を入れ込んだ。冷たい唇がテウスを余計に焦らせる。

「お願いだ、戻れ!」

 そして何度も何度も声をかけながら、テウスはレナリアの体内に息をいれ続けた。


 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ