4‐17 解き放たれる円環(2)
黒い竜が動けなくなっている間、三人はさらに内容を詰めて今後の動きを確認した。それを終えると、テウスは氷でできた剣を右手で握り、軽く振った。
「この剣、思ったよりも軽すぎるというわけでもないな。小回りが利きやすい分、動けるかもしれない」
レナリアは両手を腰に当てて、胸を張った。
「私が使うために作った剣だもの。テウスがいつも使っている剣みたいのを作るはずがないでしょう」
「お前はいちいち余計なことを言うよな……」
テウスの言葉に応えずに、レナリアは手元に集中した。細長い氷の剣をもう一本、そして小振りな短剣を生み出す。短剣の方は周囲の様子をくまなく見ているアーシェルに手渡した。
「これは?」
「護身用よ。丸腰よりは安全でしょう」
アーシェルは一瞬躊躇った後に、短剣を手に取った。それを両手で握りしめる。
「……氷でできていますから冷たいですが、温かみも感じますね」
「よくわからない言い方ね。結局冷たいんじゃないの?」
「それだけでなく、レナリアさんの温もりも感じますよ」
ふふっと笑みを浮かべてから、アーシェルはそれを右手で握った。そして目を細めながら、切っ先を氷の壁に向ける。
「さあ、行きますよ。――テウス、準備はいい?」
「いつでも大丈夫です」
テウスが頷くと、レナリアは二人から少し離れた。そして両手を握りしめて天を仰ぐ。
「師匠、ファーラデ、私たちを見守っていて――」
アーシェルが手に力を込めると、剣先から水が飛び出た。それは氷の壁に当たるなり、じりじりと食い込んでいく。やがて壁全体にヒビが行き渡った。そして大きな音ともに氷の壁は壊れていく。見る見るうちに、中から黒い竜の姿が露わになった。
黒い竜から発せられるプレッシャーが、三人に容赦なく突き刺さる。しかしテウスとアーシェルはそれに対し引き腰にならずに、黒い竜を睨みつけた。
黒い竜が羽根を動かしたのを見て、テウスは自ら距離を詰め寄っていった。黒い竜の視線が彼に向く。
竜はテウスのことを邪険に扱うかのように、羽根を大きく動かした。それを横に移動しながらかわしていく。
見る見るうちに彼が距離を縮めていくと、黒い竜は口から白い息を吐き出した。テウスは逃げもせずに剣を大きく振る。すると白い息がまるで切られたかのように、二つに分かれていった。白い息はテウスの脇を通り抜けていく。
レナリアが目を丸くしていたが、アーシェルは口元に笑みを浮かべていた。
「氷の剣と氷の息が反発したようですよ。大丈夫です、レナリアさん。確実に潜在的な力は働いていますから」
テウスが黒い竜に一気に詰め寄り、剣を振る。黒い竜は羽根を羽ばたかせて後退した。だが彼は遅れをとられないよう、突き進んでいった。
唐突に黒い竜が後退するのをやめた。テウスはその隙を逃さずに踏み込み、黒い竜の下腹に向けて剣を振る。表面を軽くかすった。
彼は怯まずに、分厚い皮膚に向かって何度も剣を振った。黒い竜の動きが徐々に鈍くなる。不思議に思っていると、地面につけていた尾から凍り始めているのに気づいた。
レナリアの隣では、黒い竜から視線を逸らさない少女が立っている。彼女が短剣を握りしめる力は強くなっていた。
アーシェルが魔法により黒い竜の尾の先端から、少しずつ動きを止めていく。地面を土台としているので、空中で凍らすよりも負担は軽いのだろう、着実に凍り付けは進んでいった。
二人の様子を見ながら、レナリアはその場からさらに下がる。そしてウェストポーチから若干青みがかった黒色の銃を取り出した。それを握りしめる。銃が少しずつ冷たくなった。
自分の魔の力を銃に取り入れていくかのように、意識を集中していく。
テウスが己の力を振り絞るかのように発する声が聞こえ、アーシェルが魔の力を高めるために詠唱を呟く。
やがて二人の声がレナリアの意識の外に入りかけたとき、アーシェルが鋭い声を発した。
「テウス、下がりなさい!」
レナリアははっとして、意識を正面にいた二人の戦いに戻す。徐々に凍り付けられていた黒い竜が尾に力を込めており、間もなくして氷にひびが入りだした。
テウスは唇を噛んで、すぐさま後ろに下がる。アーシェルが両手を彼に向かってかざすと、彼を守るかのように薄い氷の壁が現れた。
次の瞬間、黒い竜の動きを封じていた氷が砕け散った。粉々になった氷はテウスに降りかかっていく。だがアーシェルの魔法のおかげで、直接的に浴びることはなかった。
黒い竜はじっとテウスとアーシェルを見てくる。そして黒い竜は羽根を羽ばたきながら、大きく上昇した。羽ばたいた際に発生した風は冷たかった。その冷たさは徐々に増していく。
アーシェルはその様子を見て唾を飲み込むと、テウスと視線を合わせた。彼はその視線を察したのか、黒い竜に背を向けて下がっていく。
ある程度下がったところで、アーシェルは短剣を逆手に持って、切っ先を地面に向けた。
「地に眠る水分よ、我らに力を貸したまえ!」
地面から土が混じった氷の壁が生まれる。それはアーシェルとテウスの正面を守るかのように広がっていった。レナリアも右手を前にかざして、自らを包む薄い水の膜を作った。
冷たい風が威力を増すと、吹雪になる。二人の壁に雪が降り積もっていった。レナリアの壁は吹雪が当たると、吸収し、さらに強固な壁へとなっていった。
先ほどアーシェルは土に含まれている水分から壁を作った。それは空気内にある水蒸気を使って、物を生み出すことが厳しくなっていることを暗に示していた。そのような状態まで力が落ちれば、吹雪に対して反撃するのではなく、防御せざるを得ない。
レナリアは加勢せず、自分の力を蓄えろと二人から言われた。だがそれは二人が有利に事を進めている場合だ。
今、後ろ姿のアーシェルとテウスは反撃もできず、足は下がり気味である。明らかに攻めあぐねている状態だった。
レナリアは黒塗りの銃の中身を確認する。銃弾は五発入っている。代えの銃弾はない。つまり五発ですべてを終わらせなければならない。
氷の剣を地面に突き刺し、両手で銃を握って、黒い竜に向かって突きつけた。
いつしか吹雪いていた音は耳に入ってこなくなる。吹雪で見えにくくなっているにも関わらず、視界はやけにはっきりしていた。まるでレナリアの視線を遮るものがさけていくような感覚だった。
黒い竜の居場所がはっきりしたところで、レナリアは静かに呟いた。
「――発動、水の華」
引き金を引くと、銃弾は勢いよく飛び出し、迷いなく吹雪を突き抜け、黒い竜の腹に着弾した。黒い竜が悲鳴をあげる。腹を起点として、氷が広がっていった。それと同時に吹雪がやんだ。
片腕で顔を覆っていた二人が顔を上げる。アーシェルが黒い竜とレナリアを交互に見ていた。
「さすが、レナリアさん……!」
アーシェルが頬を綻ばせて言うが、レナリアの表情は揺るがなかった。
黒い竜に放った氷は腹の辺りを広がったが、それ以上は進まなかった。心臓があると思われる部分や足の先まで、まったく氷が伸びていない。それが意味することは一つだった。
「威力が足りない」
黒い竜の氷の広がりが止まると、竜は力を溜め始めた。そして羽根と腕を大きく広げると、氷が一瞬にして砕け散った。
残ったのは腹に着弾した跡のみ。銃弾は内部まで潜り込んだはずだが、それすらわからないほど既に修復されていた。テウスが必死に傷つけた皮膚さえも、跡形もなく綺麗になっている。
それを見て、レナリアは眉をひそめた。テウスがつけた傷は時間をかけて何度も切ったが、傷が癒えるようなことはなかった。だからこの竜には修復能力はないと思った。だが、それは勘違いだったのだろうか。
黒い竜は大きく羽ばたき、上空へと軽々飛んでいく。そしてレナリアたちのことを見下ろしてきた。竜が見つめる先にいるのは、近くにいたテウスでもアーシェルでもない――レナリアだ。
竜はレナリアに向かって直滑降でおりてきた。軽く舌打ちをして、レナリアは黒い竜から逃げるかのようにして、走り出す。
あの竜は今までは近いものに目を向けていた。しかし、レナリアが魔の力を大々的に使った瞬間から、こちらだけに意識が向いている。
(魔の力の強さに惹かれている?)
そうだとすれば、レナリアが銃弾を放ったのは間違いだったということになる。牽制のために放った一発のせいで、止めを刺す一発を逃したと言われかねない。
(今度は連続で二発でも放つ? 頭と腹に一発ずつすれば、全身が凍りつかないかしら?)
そう思い、銃を握りなおしたが、すぐに首を横に振った。
「集中力が切れている状態で、二発だけで仕留められるかどうかわからない。数少ない銃弾を無駄にはできない」
銃をウェストポーチの中に納め、体を反転して、氷の剣を投擲のごとく竜に向かって投げつけた。剣は黒い竜の首もとに刺さったが、ほんの少し動きを止めただけで、すぐに首を横に動かした。氷の剣はレナリアの意志を汲み取って、しぶとく突き刺さっている。
だが、それだけだ。取れないと踏んだ黒い竜は、剣を突き刺したまま寄ってきた。
剣は首に突き刺さっているが、その部分の傷は塞がっている。非常に奇妙な光景だった。
「テウスの剣なら傷つけられたのに、なぜ……」
「レナリア!」
テウスが大声で叫んで、駆け寄ってくる。レナリアが顔を向けると、険しい顔で睨みつけられた。
「お前は引っ込んでいろ! 無駄な魔の力は使うな。こいつがお前の力に慣れたら、どうする!」
「慣れる……?」
慣れる以前に、初発でこの竜はレナリアの銃弾に対応した。慣れるとかそういう問題ではない。相性としては、レナリアとこの黒い竜は最悪なのではないだろうか。
黒い竜が口を大きく開くと、空気が竜に向かって流れ込んでいく。考え込んでいたレナリアが反応したときには、竜がそれらを吐き出したときだった。
とっさに氷の剣を盾にするかのように両手で持つ。
吐き出された絶対零度の氷の吐息はレナリアがいる方向に流れ込んできた。凍り付けにされると覚悟したが、不思議とレナリアの体には吐息は寄ってこなかった。むしろ剣に向かって氷の吐息が流れ込んでいた。
それを見て、目を大きく見開く。そして一つの仮説が思い浮かんだ。
「もしかして、相性は最悪ではなく、最良?」