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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第四章 水の循環を操る魔法使いたち
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4‐16 解き放たれる円環(1)

 レナリアが見えない何かを掴んで横に引くと、視界ががらりと変わった。何もない静かな空間ではなく、砂埃が舞い、血なまぐさい臭いがする、殺伐とした雰囲気になる。

 赤い血を滴らせている少女が、すぐに目に入った。少女と彼女を支えている護衛の青年の名を呼ぼうとしたが、襲ってくる生物を見て、言葉が止まった。

「何、あれ……」

 限りなく黒に近い青色の鱗、二本足で立ち、背中からは巨大な翼が生えている。長い尾、鋭い鉤爪が生え、口先は細く、そこから牙が垣間見えた。

「黒い竜……」

 竜は翼を動かすと、軽々と地面から離れた。それが一気に少女たちのもとに迫ってくる。

「危ない!」

 レナリアが叫ぶと、黒い竜と少女たちとの間に氷の壁が立ち上がった。壁に衝突した竜は、忌々しい顔つきで壁を、そしてレナリアを睨んできた。赤い瞳が向けられる。そしてゆっくりと体までこちらに向いてきた。竜は口を大きく開くと、口の奥から光り輝く何かが現れる。

 それを見て反射的に横に転がった。光は吐き出され、レナリアがいた場所を通っていった。

 鼓動が速くなる。とっさに動かなければ、今の攻撃で確実にレナリアは死んでいた。

 竜は再び口を開く。身構えるが、口からは煙が軽く出ただけだった。

「今の攻撃はそう何本も放てません! 私たちもずっと対峙していますが、一発だけでした!」

 アーシェルが叫んだ内容は、レナリアの心を少し楽にさせるものだった。竜の動向を見つつ、彼女たちに目を向ける。

 少女の左手はだらりと下がり、左腰からも血がにじみ出ていた。そんな彼女をテウスが左手で支えている。

 レナリアは手元に氷の剣を生み出すと、切っ先を竜に向けた。

「ねえ、アーシェル、この竜は魔の力に対しての、本当の門番みたいなものと捉えていいのかしら」

「門番という言い方とは少し違うと思います。正確には人間たちが水に関して争って出た、負の遺産のようなものだと思われます」

「負の遺産?」

 アーシェルはこくりと頷く。竜はぎょろりとした目玉をレナリアに向けているため、なかなか動けなかった。

「これは私が調べたことと、魔法使いの師匠から教えてもらったことですが……、今でも隣国との争いの原因のひとつでもあるように、私たち生き物たちは昔から水を奪い合う戦いをしています。これは人間に限らず、動物たちにも当てはまります。水の飲み場を奪い合ったりするのは、ずっと昔から行われていることです」

 生き物の大半は水でできている。水がなければ脱水症状になり、体は乾ききってしまう。食べることも大切だが、生きていくためにはまず水分をとらなければならないと言われていた。

「それゆえ生き物たち、そして人間たちは水を確保するために、歴史上を紐解いても、何度も争いをしてきました。これは国同士に限らず、国内でも起きていることです。……今でも小さな村同士や村の中では、その争いがないとは言い切れないでしょう」

 アーシェルは悔しそうな表情で唇を噛みしめる。テウスは辛そうな目で彼女を眺めていた。しかし彼女は少し間を置いた後に、しっかりとした口調で言い放つ。

「争いを通じて村は荒れ果て、人々は傷つきました。それら負の遺産とも言われるものが積み重なったことで、この竜はできたと思われます」

「そんなこと、どこに書いてあったの?」

「とある疑問から推測しました。魔の力の使い手は何のエネルギーを使って、自然界を揺るがしているのか、ずっと疑問に思っていました。たしかに液体や水という縛りはありましたが、それを生み出す際に使うエネルギーは爆発的なものです。ですから、別の何かを元にしているのではないかと考えました」

 レナリアは目を細めて、竜を見据える。竜はまるでアーシェルの言葉に耳を傾けているかのように、微動だにしなかった。

「……レナリアさん、すべては循環しているという言葉を誰かから聞いたことがありますか?」

 アーシェルの問いに対して、レナリアは即座に頷いた。師匠だけでなく、ファーラデからもよく聞いていたことだった。

「では知っていますか。負の感情には憎しみ、悲しみ、苦しみなどが含まれているということを。その感情は非常に強く、時として人に強大な力を与えます。言い換えれば爆発的な力を与えるということです」

「爆発的な力って……!」

 レナリアは目を疑って竜を見る。アーシェルは淡々と続けた。

「竜はあくまでも力を一時的に保管しているような場所でしょう。だからこの竜を倒すことで、円環は切られ、魔の力が使えなくなるはずです」

「だから試練……」

 どう足掻いてもレナリアたちが考える未来を目指すには、竜を倒すほかないようだ。

 今まで黙っていた竜が首をゆっくり動かす。レナリアは竜に対して身構える。

 どう戦うか考えるが、思考が回らない。奇妙な合成獣相手でもどうにか相手をしたが、先ほどの竜からの一発が未だに脳内から消えず、体が動かなかった。

 少しでも突破口を探すために、仲間たちに声をかける。

「アーシェル、私がここに来るまで、どんな攻防をしていたの?」

 血を流している少女に対して問いかける。彼女はふっと口元を緩めた。

「残念ながら、ただ必死に逃げ回っていただけです。この傷もちょっとした加減で攻撃を避けきれなかったものですよ。私の魔の力はだいぶ落ちていますからね。とりあえず今は――逃げましょう」

 テウスがアーシェルを抱え上げると、竜に背を向けて走り始めた。レナリアもそれに倣って走り出す。今まで様子を伺っていた竜は少し距離を置いてから、羽根を羽ばたかせて寄ってきた。あっという間に追いつかれそうになる。

 羽根でレナリアを叩こうとしたのに対し、レナリアは牽制のために氷の剣を振った。水滴がこぼれる。竜は唐突に体を震わすなり、その場で止まった。

「え?」

 呆気なく動きを止めたのを見て、レナリアは目を丸くする。しかしそれも束の間、竜は再び襲ってきた。歯を食いしばりながら、再度何度か剣を振る。その度に氷の剣から水がこぼれ、竜は下がっていった。

 レナリアは手で握りしめた剣を見る。

「水を嫌がっているのは、偶然じゃない?」

「偶然じゃありません! やはりレナリアさんは今の魔法使いなんですよ! レナリアさんの魔法が相手ならば、おそらく一時的には攻撃を止められるはずです」

 テウスに抱えられたアーシェルが必死に叫ぶ。彼女が考えていることを瞬時に判断したレナリアは地面に向けて手を大きく広げた。

「竜の周りに氷の壁を!」

 すると動きを止めていた竜の四方に、氷の壁が立ち上がった。竜はすぐさま空いている空から出ようとするが、間もなくして氷のふたが現れて、竜を閉じ込めてしまった。中ではばたつく音が聞こえるが、壁にヒビが入るようなことはなかった。

 レナリアはほっと一安心した直後、その場でよろめきそうになった。氷の剣を地面に刺して、よろめきを最低限にする。魔法を使った反動か。

「まだ、魔法を扱えきれていない……」

 慣れてきたとはいえ、かつてアーシェルが使っていた力とはほど遠いものだった。

「ですが、一時的には時間が稼げていますよ」

 テウスはレナリアのすぐ傍にアーシェルを下ろした。レナリアは二人を見て、少しだけ表情を緩めた。レナリアは腰の鞄から、布や包帯を取り出した。

「とりあえずこれで応急処置を……」

 傷ついた部分に布を当てて、紐で固定していく。見ため以上に傷は抉られていなかった。

 レナリアは竜が入った氷の箱を警戒して見ているテウスに声をかけた。

「テウスは無事なの?」

「……ああ。アーシェル様がかばってくれたおかげで、俺は特に傷は負っていない。ただ攻撃するにも接近するのが難しいから、今までは逃げ回ってばかりだった」

「今までは?」

 テウスはアーシェルと目配せをする。

「さっきレナリアが魔法を使ったように、相手はお前の魔法には拒絶的な反応を見せる傾向がある。それをうまく使えば、必ず倒すことができる」

「レナリアさんの攻撃を私たちが援護します。私も力は落ちていますが、多少なりとも攪乱をするための魔術は発動できます」

 アーシェルも身を乗り出して、言ってくる。

 レナリアの攻撃だけが突破口となる。だから二人はレナリアがここに来るまで、じっと竜の攻撃に耐えていたのだ。

 ちらりと氷の壁を見る。まだ破られていないが、ヒビが入ったらすぐにでも壁が破壊するだろう。

 アーシェルとテウスから期待が込められた視線を向けられる。レナリアだけが希望の光のようだ。ごくりと唾を飲み込んでから、二人を交互に見る。

「ねえ、あの竜を倒すのに、何か考えはある? 急所は生物と同じでいいの?」

「急所は同じと考えていいと思います。心臓や動脈、頭など。ただ皮膚が硬いのでただの剣で貫くというのは難しいでしょう」

 テウスが鞘から剣を抜き、刃こぼれした剣を見せてくる。彼も必死に立ち向かおうとした結果がそれだった。

「私の力で作った氷の剣は通用するのかしら」

「水滴だけでも影響がありました。強度としては通常の剣よりはいいと思います」

 腰にある剣は使い慣れているから、それを元にして攻撃をしたかったが、決定打とはならなそうだ。

「皮膚の硬さがどの程度かはわかりませんが、私としては凍り漬けにして、その後に粉々にするのが一番いいと思います」

「私があれを氷漬けにする力があるかどうか……」

「レナリア」

 不安げな声を出していると、テウスが顎で軽く促してきた。

「お前の武器はなんだ。アーシェル様のように魔の力を好き勝手に使って、思うような物を作り出すことか? 俺が知っているお前はもっとシンプルな戦い方をしたと思う。相手を凍らせて、隙をついて叩く――」

 諭されるように言われると、レナリアはあっと声を漏らした。何も自分だけの力で対処しなくてもいい。何かを使って力を引き出せば、レナリア自身にもそう負担はかからないはずだ。それを思い出し、手を握りしめた。

「そうね、私らしい戦い方があった。あの竜を見事凍らせてみせる」

 レナリアが力強く言うと、二人も表情を明るくして頷き返した。

「援護となると、二人にも危険が及ぼすことになるんだけど……」

 テウスはふっと表情を緩めた。

「そんなことわかっている。俺が突破口を作ってやる。うまく対応しろよ」

「私も最大限頑張ります!

「わかった。お願いね、テウス、アーシェル」

 レナリアは氷でできた剣をテウスの前に出す。彼は一瞬目を丸くしたが、軽く頷いてから、それを握り返した。

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