4‐14 魔の力の奥底へ(4)
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ぽこぽこと水の中で泡が発生している、静かな音が聞こえてくる。その泡はどこか遠くに行き渡っているようで、音は徐々に小さくなっていた。
レナリアがうっすら目を開けると、小さな空気の泡が上へとのぼっていくのが見えた。泡は絶え間なくのぼっていく。その出所はレナリアのすぐ横だった。小さな箱の中から泡が小刻みにでているのだ。
それに触れようと手を伸ばすと、突如として大量の泡が出てきた。その泡はあっという間にレナリアの視界を覆ってしまった――。
生命は水の中から誕生した。そして永らく水の中で生きていた生き物たちは、やがて陸へとのぼるようになった。人間もその過程を経て誕生した。
すべては水から始まり、水へと終わる――。
その循環は変わることなく、この星ができたときから続いていた。それゆえ決して誰かの手によって変えられるものではなかった。
だから水を操れると知った人間たちは、自分が神にでもなったかのように思えてしまったのだ。実際に操れる者は己の欲望により、過去には多くの人たちの命を奪ったときもあった。しかし、その過ちを知った歴代の魔法使いたちは、体を張ってでも止めていたのである。
魔の力の扱いを決して誤るな――。それは師匠から弟子へと絶え間なく伝えられることでもあった。
『レナリア、いいか、力があるからといって、それだけで自分が有利な立場になると思うな。その奢りがあったために、戦乱の世の魔術師たちは命を落とした。お前はそういう人間になるな』
かつてレナリアもルベグランにその事を何度も説き伏せられた。初めて銃を使って魔の力を発動したとき、そして実戦で初めて使ったときなど、時折師匠は言っていたのである。
そのことを話すときのルベグランはどこか辛そうにも見えた。あとで部長のウィリーに聞いた話では、過去に魔術師でもあった弟子が大怪我を負って戦線を離脱したことがあり、ルベグランはそれに対して負い目を感じているようだった。
彼が怪我を負った一つの理由が、力を酷使しすぎたというものと聞いてからは、よりいっそう魔の力を使う際は気をつけるようになった。魔法使いにもなる自覚を持ってからも、それは意識し続けている。
だが、世の中はレナリアのように魔の力を制限している人間ばかりではない。力があれば使いたがる人たちもいるものだ――。
視界が泡で覆われて暗転したあと、次にレナリアの意識が戻ったときは地面に足をつけていた。
正面に目を向けると、旅装束の四人組の男たちが歩いてきている。誰もがぼろぼろの姿であり、一人がその場でつまずいて、その場に倒れ込む。三人は彼の傍に寄って、立ち上がらせようとするが、他の者たちも力が入らないのか、なだれ込むようにしてその場に倒れた。
「水が、水がほしい……」
喉がからからの状態の一人の男が呟く。彼が視線を空に向けると、空は徐々に暗雲がたちこめてきた。やがてぽつりぽつりと雨が降り出す。
彼らは雨に当たるなり、目を爛々と輝かせた。水をかき集めて喉を潤す。命の水だと騒ぎながら、水と戯れていた。
その姿をレナリアは愕然とした様子で眺めていた。一見して奇跡が起きたように見える。だが、あの男から言葉を発したときに僅かに空気が震え、程なくして雨が降り始めた。それは紛れもなく、魔法を使用したときの姿だった。
『なぜこの国では水に関する奇跡が起こせると思う? 魔法使いがなぜいる? 似たような事象を起こす、魔術師がどうしてこんなにもいる?』
落ち着いた女性の声が脳内に響いてくる。レナリアは周囲をくるりと見渡した。
「……この土地が魔の力で満ちあふれているから」
『その通りだ。誰しも何らかの力を持っている。そして各々の土地にも四大元素が強く影響を与えているところがある。過去にある場所では石さえあれば、自由自在に万物の事象を操れる地もあった』
「その言い分だと、すべて過去のことなのかしら?」
思ったことをそのまま口に出すと、脳内の声は少しだけ黙り込んだ。
レナリアも決して国外のことについては知識が豊富だとは思わないが、それでも近隣の国の様子を知る限りでは、そのような事象を起こせる人がいる国はない。
『貴女の言うとおり、過去のことだ。話に出た国もうまく魔法とは向き合っていたが、それ以上に科学技術が発達し、必要以上に魔法を使うことはなくなった。しかし人というのは愚かなもので、一部では魔法使いを求める者がいた。結果として、悲劇もいくつか起きた――』
女性がそういうと、周囲の風景は揺らいでいく。レナリアの体も同様に揺らいでいき、風景の中に溶け込んでいった。
* * *
「魔法使いとの間で子をはらませれば、自然と魔の力が強い子ができるはずだ。それはやがて魔法使いとなり、その父である私の地位も確固たるものになるだろう!」
愚かなことを高々と発言した男性は、自らの部下たちに魔法使いを探すよう命じていた。広大な屋敷に住んでいる男は、見るからに金持ちであり、国家の運営にも大きな影響を与えている男だった。
命令された部下たちは、密やかに魔法使いを探し、小さな村で暮らしている十代半ばの少女を見つけだした。田舎町に暮らしていた金を積まれた少女の両親は、あっさりと彼女を手放し、彼女は無理矢理男の前に連れてこられた。
「子供じゃないか。本当に魔法使いか?」
「……貴方の都合だけで、私の人生を狂わせないで!」
少女が男を鋭い目つきで睨みつけると、途端に男の下半身が凍り付いた。既に己の力を自由自在に操り、制御できるほどの手腕を持ち合わせていたのだ。
彼女は男が動けないうちに屋敷を去ろうとした。しかし男に仕えていた魔術師が隙をついて彼女の動きを封じ、そのまま地下牢に幽閉させたのである。
手と足を拘束された状態だったが、魔法を使えば拘束を解いて、抜け出すことは不可能ではなかった。タイミングを見計らって魔法を使おうとした。だが、男は卑怯にも彼女と親しかった人間を捕まえて、同じように牢に閉じこめたのである。
「逃げ出せば、こいつは殺す。お前はただ俺の言われるがままにされればいい」
絶望の淵に追い込まれた少女は必死に抵抗したが、男の体を受け入れざるを得なかった。
やがて少女と男との間に子供が産まれた。その期間に少女の魔法の力は消え、ただの少し魔の力が強い人間に成り下がっていた。
嫌々ながらできた子であっても、少女は子供に愛着がわき、愛情を注いで大切に育てていった。その後、子供は魔術師としての才はでてくるが、結局魔法使いにはならなかった。
男はそれに対し不満を抱き、母となった女性に対し散々暴力を振るい、言葉でなじった。それを見た子供は母を守るために、魔術を男に向かって使い、結果として男を殺してしまったのだった。
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『力は人を狂わせる。だから人々は抑制する方向に動こうとするのだ』
レナリアは悲劇の一部始終を見て、手をぎゅっと握りしめていた。そして目の前に広がる凄惨な現場に背を向けた。
目を逸らしてはいけないと思う。こういう事件があったことも受け入れるべきだ。だが悲劇を教訓として動かなければ、無駄死になってしまう。
『魔法はもうないと思っている人間も多い。いつまでもそれに執着しているのは、おそらく国の機関の人間くらいだ。――なあ、水環の査察官』
レナリアは視線を斜め上に向けた。
「何?」
『今の事例以外にも悲劇が起きたケースはたくさんある。だが助けられた事例もあるのは知っているか?』
「雨を降らして、飢えを凌いだとか?」
『それもあるが、それ以上に国は魔法使いに守られている出来事だ』
声を聞いたレナリアの意識は遠のいていく。暗闇に意識が落ちるかのように、消えていった。
* * *
今から百五十年前、ウォールト国は北で接している国との間で大規模な戦争が起きた。国境付近にある鉱物資源を巡り、お互いに引けないまま戦争に突入したのだ。
昔から北にある国とはお互いに折り合いが合わなかったため、武器を用いた戦になるのは時間の問題だった。それがたまたま百五十年前にあっただけで、仮にその時に戦がなかったとしても、いつかは勃発していたはずだ。
国は軍を整備して、まずは歩兵部隊と騎兵部隊で他国と対抗した。しかし戦況は芳しくなく、ウォールト国ではかなり押されていた。そこで国は魔法使いを含めた魔術の使い手たちを召集し、戦に挑んだのである。
魔の力の威力はすさまじく、あっという間に戦場にいた相手国の人間たちを戦闘不能、もしくは追い払ったらしい。魔法使いは広範囲で液体を操ることで人々を凍り付けにしたり、武器を粉々にしたという記録が残っていた。
それから数日もしないうちに相手国は降伏をし、戦争は終了を告げたのである。
その戦いは他国にすぐさま伝わり、ウォールト国には人の能力を超えた人間がいる、戦でも仕掛けようならたちまち氷付けにされるぞという噂が広まっていった。
その噂のおかげで、ウォールト国ではここ百五十年あまり、全国民を巻き込んでの大規模な戦はなく、比較的平和に過ごせていたのである。
資源の量も極端に多くないこの国では、魔法使いがいなければ他国に蹂躙されていたかもしれない。
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『他にも魔法使いが水脈を探しだし、井戸を掘り当てたという話しもある。井戸を掘れば持続的に水を得ることができる。ただ単に大量に水を降らすよりも、よほど有益だった』
淡々と紡がれる過去の出来事に、レナリアはじっと耳を傾けていた。どの話しも、魔法使いとしても水環省に勤める者としても、聞き逃しはできない内容だった。
他にも、この声の持ち主は、過去の様々な出来事をレナリアに教え、見せてくれた。凄惨な場、明るい話題など、魔法使いに関するありとあらゆるものを見させたのだ。
膨大な出来事を見ていき、心身ともにすり切れそうになったところで、レナリアは静かな地に降り立った。そして脳内にはっきりと声が入ってきた。
『決断するにはいくつかの要素が必要と思い、事例を見させた。――さあ、お前はどういう覚悟で決断をする?』




