4‐13 魔の力の奥底へ(3)
ベルーンの容態も気になり、アーシェルの頭を冷やすためにも、レナリアたちは一度、キストンたちが休んでいる大広間に戻っていた。浮かない顔をして戻ってきた一同を見て、彼は事態が思うように進んでいないことを察した。
アーシェルは膝を抱えて座り込むなり、自分の顔をそこに埋めてしまった。彼は彼女に駆け寄ろうとしたが、寸前で思いとどまっている。
光の矢は消えたが未だに目を覚まさないベルーンの胸に、レナリアは手を当てた。心臓はしっかり動いている。しかしそれだけでなく、何かがうごめいているようにも感じられた。
「レナリア、これからどうするつもりだ」
竜とのやりとりを一部始終見つつ、何も言葉を発さなかったテウスが口を開いた。言いたいことは他にもたくさんあるだろうが、全員の思いをくみ取って、その言葉だけを発した。
レナリアは意識を失ったベルーンを眺める。言葉を間違えれば、あの竜はレナリアたちにも同じような攻撃を仕掛けてくるだろう。やり手の魔術師であるベルーンがこの状態なのだ、魔法使いの素質があるレナリアとアーシェルも同様の攻撃を受けたら、似たような状態に陥るか、最悪命を落とすかもしれない。
竜をどうにか説得するしか、あの先に進む術はないだろう。
「……私はどうにかして循環を正したいと思っている」
「あの竜を倒すのか?」
レナリアは首を横に振った。
「倒すのはできないと思う。あの竜も循環の一手を担っている。仮に倒せたとしても、後に与える影響が大きすぎる。だから説得するか、あの竜が言うとおりに事を進めるか……」
「たしか要求は……人間たちから魔の力を消すってことか」
それを聞いたキストンたちは目を丸くして顔を上げた。
「魔の力を消すってどういうことだ?」
レナリアは真っ先に発言したキストンに顔を向ける。
「そのままの意味よ。私やアーシェル、ベルーンら魔術師が抱いている魔の力を消すってこと。そうすれば下にいる門番は、先に進ませてくれると言っていた」
「魔の力って消せるのか? 消したらどうなるんだ?」
「あの口調からすると、門番が何らかの消す術は持っていると思う。ただ、消すとなった場合、私やアーシェルだけが良ければいいというわけではない。力自体は個人でもっているものだから、その人たちの力の消えることになる」
自分の身だけなら、躊躇いもなく力を差し出したかもしれない。レナリアにとって魔の力はあくまでも付属の力。なくても査察官の仕事はできる。
しかしアーシェルやベルーンなど、力に特に依存している人たちにとっては、力がなくなれば非常に困るはずだ。アーシェルが思い悩んでいるのは、それが要因だろう。
「消えたら不都合なことでもあるのかな」
「キストンは使っていないからわからないけど、水を操るって場合によっては便利よ。よく使われる方法は水がないところに水を生み出すとか、氷を作り上げるとか」
「便利かもしれないけど、僕たち力を持っていない人間から見れば、別になくても不便ではないと思う。水を操るっていうのは、自然界に手をつけるってことだろう? そんなことをする前に、僕たちはいかに上手く付き合っていくかを考えると思うよ」
キストンの言葉を聞いて、レナリアは目を丸くする。彼は視線を逸らして、自嘲気味に笑った。
「僕たち人間たちは自然の上に成り立っている。それを支配しようなんて、僕には到底思いつかないだろうな」
レナリアは言葉を失っていた。キストンの発言はまさしく正論だった。
水を少し操れるからといって、思い上がっていたのかもしれない。魔の力に執着しすぎたのかもしれない。
今、魔術師と呼ばれる人間は、統計的に見ても、全人口の一握りである。国境戦争などでは先陣をきって活躍しているが、それ以外に何人の人が魔の力を駆使して生きているだろうか。
そもそも魔法使いという名前自体も、事情が事情とはいえ、百年前に表向きは消失している。それに関していつまでも執着しているのは、国の政治家や役人だけではないだろうか。一般人にとっては、もはや過去の産物となっているのではないだろうか。
産業が発達したおかげで、普通の人でも簡単に火を起こし、水道が通っていれば、捻ることで水を得られる。自力で作り上げた科学が人々の生活を豊かにしていた。それは数百年前とは圧倒的に違うことだった。
「……レナリアさん、知っていますか。魔の力って死ぬまで永続的に続くわけじゃないんですよ」
黙り込んでいた少女が顔を上げていた。銀髪の少女はこちらに顔を向けて、目を伏せた。
「ある日突然消えたという話も聞きますし、徐々に力が衰えていって、気が付けば消えたという話もあります。魔の力がなくなっても、人々の生活が劇的に変わることはないと思います。それほど人間たちの力によって、国は進歩したのですから」
そして静かに微笑んだ。
「たぶん大変になるのは水環省の人たちだと思います。水に関する諸々を扱っている省ですから、力が消えたとしたら、水を扱っている魔術師から様々な質問がくるかもしれません。だからレナリアさんには魔法使いだけでなく、水環省の人間として答えを出してください」
そして儚げな笑みを浮かべた。
「……私の気持ちはまとまりました」
レナリアは目に涙が浮かびそうになったが、ぐっと耐える。そして彼女の前に座り、体をそっと抱き寄せた。アーシェルは目を丸くした後に、体を抱きしめ返した。
彼女の表情からどんな結論に至ったかはわかった。ずっと魔の力と共にあった彼女からすれば、辛い選択となるだろう。しかし、彼女は国の未来のために決断をしようとしていた。
「勝手に決断したら後世の人たちに何か言われそうですが、魔法使いが選択したと言えば、何も言わないはずですよ」
「そういうものかな」
「一緒に説明はしますので、安心してください」
アーシェルの言葉がゆっくり身に染み渡っていく。
決断するのが怖いというのは本音だ。他の誰かが覚悟を決めてほしい。しかし今こそ決断しなければならなかった。
同時期に魔法使いが現れ、共に手を取って未来に向かって前進している。きっとこれは偶然ではないはずだ。
レナリアはアーシェルから体を離し、彼女の顔を見て口を開いた。
「在るべき循環を正すために、魔の力を消そう」
その決断に対し、アーシェルは笑顔で頷いた。
一人だったらできない決断だ。二人だからこそできる覚悟だった。
できれば事前に魔の力の使い手たちに事情を話したかったが時間はない。
今度はレナリアとアーシェル、そしてテウスとカーンの四人が階段を降りて、地下の廊下を歩いていた。相変わらず二人の顔色はさえないが、漂う雰囲気は張りつめていた。
「レナリアさん、一ついいですか」
「何?」
「魔の力がなくなったとしたら、私たちの身に何が起きるのか、正直言ってわかりません。……死んでしまうかもしれません」
「わかっているよ。魔法使いは魔の力で形成されている人間といっても、過言ではないからね。力がなくなってバランスを崩すこともあるでしょう」
「はい。だから……怖くないのですか?」
「怖いけど、たぶん大丈夫よ」
「どうして?」
さばさばとした表情で言うと、アーシェルは目をぱちくりした。
「だって生きていないと、鍵は回せないもの。あの竜は頭が良さそうだもの、そこまで考えているはずよ」
「なるほど。さすがレナリアさん、しっかり見ていますね」
アーシェルは納得したのか、再び尋ねるようなことはなかった。
適当に言ったが、ただの推測だ。レナリアは鍵をポケットから取り出し、首からぶら下げた。仮に何かあった場合、テウスの目にすぐ付くようにしておくためだ。話の流れがわかっている彼なら、何をするべきなのかはわかるだろう。
レナリアたちは再び地下の大広間に戻ってきた。大広間に踏み入れる直前で足を止める。竜は顔を上げて、レナリアたちのことをうろんげな目で見下ろしてきた。
『また来たか。結論は出たのか』
レナリアはアーシェルと並んで前に出た。
「ええ。人間たちが持っている魔の力を取り上げてください」
『ほう。その言いようだと、わしが魔の力を取り上げろと?』
「できないのですか?」
まさかの展開に思わず言葉をこぼす。
『できなくもないが……、実際にするのならば、お前たちの手でやれ。道は作ってやる。こっちにこい』
竜に促されるままに、レナリアたちは大広間に入った。入った途端、カーンが膝をついて崩れ落ちる。
『耐性だけでどうにかなる場所ではない。大人しく引っ込んでいろ』
竜は冷たく言い放つ。レナリアは心配になりテウスの顔を見る。彼は汗を浮かべているが、倒れるまでいかなかった。
「レナリアさんが強く魔の力を込めたから、まだ大丈夫なんでしょう。でもそれも限界があると思います。……テウス、きついのなら、ここで待っていて」
アーシェルがそう言ったが、予想通りテウスは首を横に振った。
「ご迷惑はかけないようにします。ですから行かせてください」
断固として譲れない表情をしていた。彼の性格からして、引き下がることはないだろう。アーシェルとともに息を吐き出してから、竜へと近づいた。
竜はアーシェルとレナリア、そしてテウスをじっくり見ていった。
『魔法使いが二人と、魔の力の加護を受けた人間か。わしが退いた扉の奥に、鍵がかかった扉がある。そこを開ければ、魔の力を回収して、循環を正すことができるだろう』
「鍵って、もしかしてこの鍵?」
レナリアがぶら下げていた鍵を見せると、竜は頷いた。
『ああ、その鍵だ。代々魔法使いに受け継いでいる鍵を持っていたか。扉の奥にあるのは魔の力の循環、それはすなわち水の循環を操れる場所だ。循環を狂わそうとするならば、わしはすぐにお前らをかみ切るからな』
脅しではない言葉を聞き、レナリアは背筋をぶるっと震わせた。適当に愛想笑いをして、その場を受け流す。
竜は体を持ち上げ、ゆっくりと移動する。竜がいた場所には、人が一人通れるほどの扉があった。そこへ歩み寄ると、いとも簡単に扉は開いた。
『そこに鍵はかかっていない。わしが番をしているからな。それより先はわしもよく知らん。せいぜい落とし穴に落ちないようにすることだな』
「ご忠告ありがとうございます。じゃあ、アーシェル行こうか」
「はい」
扉を開けると、正面に同じように扉があった。とても簡素な扉で、一見してこの奥に何かがあるようには見えなかった。
扉に手を触れようとしたが、拒絶のような電気が走ったため、すぐに引っ込めた。
レナリアは鍵を握り、二人の顔を交互に見た。
「いい、開けるよ?」
「お願いします。覚悟はできています」
「こうしている間にも、刻々と循環の狂いは続いているんだろう。さっさと開けろ」
「わ、わかった」
二人に背中を押されて、レナリアは鍵を差し込んだ。そして音が鳴るまで回す。小気味のいい音とともに鍵が開いたようだ。
次の瞬間、扉は勝手に奥側に開いた。レナリアたちが目を丸くしている間に、扉の内側に向かって突如吹き出した風が、レナリアたちを吸い込もうとしてきた。
「吸い込まれる……! どうなっているの!?」
「でもこの先に行かないと、循環は正せません。吸い込まれましょう!」
アーシェルはレナリアの手を掴んだ。テウスもそれに倣って、手を握ってきた。レナリアは意を決して、一歩踏み出した。するとあっという間に三人は扉の奥へと吸い込まれてしまった。