4‐12 魔の力の奥底へ(2)
キストン、ルカ、そしてトラスを大広間に残して、レナリアたちは先へと進んだ。広間を抜けて廊下に出ると、下へ続く階段と、上へと続く階段に分かれていた。
「地下と二階、どちらに行こうか」
レナリアは手を軽く口元に添えて考える。八人いれば二手に分かれるという手も使えた。しかし今は五人しかいないし、そのうちの二人は心の底から信じられる人間とは言い難い。
どちらかを選んで地道に進んでいくしかないと思っていると、アーシェルがじっと下へと続く階段を見つめていた。
「下の方に何かいますね」
「アーシェル、何か感じるの?」
「水分の対流というのでしょうか。それがほんの少し違和感がしまして」
「そうなの? 私、全然気づかなかった」
「本当に僅かな違いですよ。後ろにいる魔術師さんも、わからないようです」
後ろに顔を向ければ、むすっとした顔つきのベルーンが立っていた。図星を言われたのか、何も言い返せないようだった。
アーシェルが率先して階段を降りていく。レナリアとテウスも彼女のすぐ後ろについて行った。
階段を降りると、ご丁寧にランタンが置いてある。マッチを擦って火をおこし、ろうそくに火を灯すと、一気に明るくなった。
地下に降り立つと、日が射し込んでこないからか空気がひんやりとしていた。ランタンに灯された炎が少しながらも温かみを持たしてくれている。
五人は冷たい石畳の上を歩いていく。苔もところどころに生えていて、歩く度に苔を踏みしめる音が聞こえた。
「空気が重くなっている気がする」
レナリアがぼそりと呟くと、アーシェルも軽く頷いた。
「だいぶ濃くなってきましたね。ここまで濃くなっているのは異常だと思います。これを解放させないと」
「……本当にそんなことができるかしら、アーシェル様。貴女様の思うとおりには事は進みませんよ」
ベルーンが溜息を吐きながら言ってくる。深紅の髪の女性はヒールのとがった靴をならしながら、二人の前に出てきた。
「私たちが扱っている水に関する魔の力は、この国を影ながら作り上げたものでもあります。その循環を正すおおもとに何もないとお思いですか?」
「もちろんあると思っているわよ。私が無策にここに来たと思うの?」
銀髪の小柄な少女は、背の高い女性に向かって鋭い目つきで見上げた。彼女の顔を見たベルーンはくすりと笑った。
「いえいえ、ただの小娘ではないようで、ほっとしましたわ。不本意ながらも、これから共闘しましょうか。後ろにいる男たちはだいぶお疲れのようですし。接近戦はレナリアに任せましょう」
さらりと名前を出され、レナリアは眉をひそめた。
「あの、勝手に大変な仕事を押しつけないでくれる?」
「だって残念だけれど、私は接近戦苦手だもの。アーシェル様は見たとおりですし。レナリアは査察官として、一通り体術や剣術は学んだのでしょ?」
「たしかに学んだけれど……。……わかった、そういう場合になったら援護してよ」
ベルーンの言うとおり、後ろで剣を握りしめて歩いているテウスとカーンは口数も少なく、眉間にしわを寄せており、さらに気難しい表情をしていた。レナリアは折れて鞘に入れたブロードソードに手を触れた。力を込めればすぐに氷の長剣となるように意識をする。
ベルーンはさらに前に出た。
「とりあえず私が様子を見るわ。動けない人間たちは引っ込んでいてちょうだい」
地下の廊下を抜けた瞬間、ベルーンは手を前に突き出す。同時に視界が真っ白い世界に包まれた。レナリアは思わず腕で顔を覆った。冷たい空気が正面から激しく流れ込んでくる。それが積み重なると、服に霜のようなものが付きだした。手元がかじかんでくる。
「やはり一番の難敵になりそうだわ……」
ベルーンが呟くと、さらに風は強く吹いてくる。彼女は両手を前に突きだし、両足を肩幅くらいに広げた。
「魔の力の渦よ、逆となりて、生むべし己へと戻りたまえ――」
深紅の髪がその場で浮かび上がる。ベルーンの周囲は赤く染まりだした。
やがて冷たい空気の流れがこちらではなく、徐々に逆側へと傾いていく。目に見えて渦が向こうへ流れていくのがわかった。そしてその先にいる何かが視界に入った。
薄い水色の羽根を生やした巨大な鳥のようなものが見えた。全体像はまだ見えない。
「あれは番人のようなものかしら。それならば一気に反撃するまでよ」
ベルーンは歯を食いしばって力を集中させると、渦は一直線に飛んでいった。衝突するなり、まばゆい光が再びレナリアたちの目を襲う。その間、脳髄にまで響きわたるような声が聞こえてきた。
『浅はかで中途半端な人間よ、私に反抗するとは愚かなことよ。そこで黙っていろ!』
ベルーンが放った渦が消えた。広間にいた何かの姿が露わになる。
鋭い羽根、鉤爪、口からは鋭い牙が見え、長い髭を二本ゆらゆらと漂わせている巨大な躯は、書物で読んだ竜という言葉がぴったり当てはまる生き物だった。
その竜から鋭い光の矢が飛び出てくる。ベルーンはとっさに避けようと試みるが間に合わず、右脇腹に貫通した。そして彼女はその場に仰向けに倒れた。
「ベルーン!」
レナリアは竜の動向を気にしながらも、踵を返して腰を下ろす。ベルーンは目を閉じた状態で、横になっていた。光でできた矢は彼女に突き刺さったままだ。しかし刺された部分から血は出ていない。ベルーンはうめき声も発さずに目を閉じていた。
「この矢はなに?」
レナリアはおそるおそる触れようとすると、アーシェルが一喝した。
「触れてはだめです! それはおそらく魔の力に影響させるものです!」
彼女の言葉に反応したレナリアは寸前で手を止めた。
アーシェルは薄い水色の竜をそっと見据える。
「ベルーンの体内にある魔の力の循環が、矢によって乱れていると思われます。端から見れば何も違和感がないように見えますが、体の中では目まぐるしく動きがあるはずです。魔の力が強ければ強いほど、その影響は強くなると思われます」
そう結論づけると、竜は高々と笑い声をあげた。
『一回の攻撃で見破るとは、恐ろしい女だ。お主も魔の力が強そうだな。これ以上、足を踏み入れるなら容赦はせん』
竜はぎろりと睨みつけてきた。アーシェルはそれに対抗するかのように、言い放った。
「このまま先を進まなければ、水の循環は狂い始めたままです。循環を正すためにも、私たちを前に進ませていただけませんか?」
『循環を狂わせているのはお前ら人間たちだろう。それを正したいから、この先に行きたいだと? あまりに都合が良すぎるとは思わないか!』
「わかっています! 身勝手な言い分だとは、重々承知です。しかし今正さなければ、この国は水によって押し流され、何もかもなくなってしまいます。それでもいいのですか、この場所もなくなりますよ!?」
『ここはなくなりはしない。消えてなくなるのは、地上部だけだ! ――お前もわかっているのだろう、魔法使いの女。狂い始めた歯車はもう止まらないところまできていると!』
レナリアは目を丸くして、アーシェルのことを見上げた。彼女の頬には汗が流れ落ちている。今まで見たことないほど、表情は険しかった。
『狂った循環は止まらない。水でできた幻想の国はここで終わる』
「……幻想の国……ですか」
『魔法とは循環を崩して、あり得ない現象を起こすことだ。魔法を使って雨の量を調整し、川の流れを動かし、時には水を用いることで火や風、土にも影響を与える。それを駆使しながら作り上げた国など、幻想でできた国でしかないだろう?』
国はかつて魔法使いを重鎮として、国家の政に携わらせていた。それは水に関係することを、自分たちの好きなように動かしたかったという考えがあったと思われる。百年前の決裂を契機として、それは薄れつつあったが、今でもアーシェルといった魔法使いたちは、頼みがあれば水を操っているという。
「ではもう二度と、人間たちの勝手な理由で魔法を使わないと言ったら、そこを通してくれますか?」
『その言葉を信じると思うか? 人間というのは、口は達者だが実行した試しがない』
「じゃあ、どうすれば……」
『人間たちから魔の力を取り上げるのならば、ここを通してやってもいいぞ』
その言葉を聞いたアーシェルは即答できず、レナリアも声を詰まらせた。
魔の力というのは、レナリアやアーシェルと言った魔法使いだけでなく、ベルーンなどのその他大勢の魔術師にも関わってくる案件だ。おいそれと了承することはできないし、そもそも魔の力を取り上げるというやり方が思いつかなかった。
『できないのか。それならば、この話はなしだ。さっさとお仲間さんを連れて、地上に戻れ』
「ですが……!」
『何度も言わせるな!』
アーシェルが再び口を開こうとしたのを見て、レナリアは彼女の肩に手を添えた。そして首を横に振る。
「一度上に戻ろう。血がのぼっている相手に対して、これ以上話すのは危険よ。私たちの頭の中も整理しましょう」
「レナリアさん……」
「アーシェルが魔法を使って、この国を良くしたいのはわかっている。でもそれも限界があるし、いつかは自力で何とかしないといけないと査察官の私は思う。水を巡る争いは永遠に続く。だって私たち生き物にとってなくてはならない存在だから。だからここは慎重に、ね」
レナリアがアーシェルのことを諭すと、彼女は躊躇いながらも頷いた。そしてテウスとカーンにベルーンのことを任せて、レナリアはランタンを片手に、来た道を戻っていった。




