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水環の査察官  作者: 桐谷瑞香
第四章 水の循環を操る魔法使いたち
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4‐10 古城の前での共闘(5)

 * * *



『レナリア・ヴァッサー、なぜそこで立ち止まっているのですか?』

 黒い長い髪の女性が凛とした口調で尋ねてくる。藍色の髪の少女はその言葉を聞くと、遠退いていた意識が戻った。うっすらと青みがかった空間に立っていたレナリアは、視線を下に向けると、目を大きく見開いた。

「何これ……」

 自身の腹から鋭い針が飛び出ている。状況が読めず、半笑いをするしかない。

『それが今、現実世界で貴女が置かれている状況です。このまま意識を戻せば死は目に見えているでしょう』

「――でも、それを実現させない方法もある。だから貴女は出てきたんでしょう、かつての魔法使い、ティルナさん」

 ティルナは口元にうっすらと笑みを浮かべた。

『そこまでわかっているのならば、自分がすべきこともわかっているでしょう。貴女ならもうできるはずですよ』

 レナリアは右手をそっと自分の胸に置いてから、手を握りしめた。

「……私がこれからある行為をすることで、果たして循環は狂わないのでしょうか」

『貴女はどう思っているのですか。魔術師……いえ、水環(すいかん)の査察官?』

 レナリアは手を服の中に隠してあるペンダントの一つに触れた。国章が描かれた査察官の証でもあるペンダントだ。このペンダントに打たれている名前は、疑いようもなくレナリア・ヴァッサーと書かれている。魔法使いとしての才は偶然だろうが、査察官の立場はレナリア自身が掴み取ったものだ。自信を持って口を開く。

「一般的な理論法則から言えば、あるべきところにない循環を作り出すため、狂わすという行為になると思われます。倫理的な観点から見ても、多くの人が狂う行為だと思うでしょう。ですがこれから私がする行為は、自然界の循環ではなく己の循環をいじることです。倫理的に問題があるでしょうが、水の循環としては問題ないと思います」

『そうですね。では、最近増加している合成獣(キメラ)についてはどう思っていますか?』

 レナリアはほんの少し間を置いた。ティルナの口元は笑みを浮かべたままである。これは明らかに試しているような問いかけだった。

 考えは既にある。適切な言葉を選ぶだけだ。

「……合成獣は偶発的にできたものはいますが、人の手によって意図的に作り出されたものもいます。それらに関しては、大きさや作成したときの状況にもよりますが、作り出す際に水の循環に若干ながら影響を与えていると思います。元となる生物がいますが、それから新たな生き物を作る過程にて、周囲にある水を多量に使用しなければなりませんから」

 視線を下げていたレナリアはティルナに目を向けた。

「今、合成獣が増えている理由としては、国境付近での争いが絶えないことに要因があると思います。争いによって増えた生き物の死骸を用いて、合成獣を作る。これは新たに人員を補給するよりも、時間をかけずにすぐにできます」

 さらに死んでいれば、仮に再度死んだとしても死人は一人としてカウントするだけである。傷つく遺族も一組だけで済む――と上層部は思っているのかもしれない。

『では貴女としては循環を狂わしているのは、合成獣を作るときだと言いたいのでしょうか?』

「いえ、合成獣だけではないと思います。それよりも影響を与えているのは、古城の中にある、何かではないかと考えています。そうでなければ湖の下に古城があるという、不可思議な現象は起きません」

 しかしティルナから受け取った鍵は扉を開けるものではなかった。入口の扉を開けるための鍵を新たに探しに出なければ話は進まない。

『……焦りは禁物ですよ。慌てずとも運命の歯車は動いていますから。――ただし』

 ティルナが言葉を強めに発する。レナリアはすっと背筋を伸ばした。

『すべての歯車が自然と動いているとは限りません。止まっていた歯車をあなたたちの手で動かすこともあるでしょう』

「それはどういう――」

 その時、ふわりとレナリアは浮かび上がった。一時の夢が終わることを示しているようだ。

 まだ話足りていないレナリアはティルナに向かって手を伸ばそうとしたが、彼女は微笑みながら手を振っていた。

『貴女は言いましたよね。合成獣は循環に影響を与えてできあがった生き物だと。そのものの末路は私も含めて貴女の考える通りですよ。あとはよろしくお願いします。現代の魔の使い手』

 視界が徐々に靄がかかっていく。レナリアはティルナに対して叫ぶこともできずに、視界のすべてが真っ白になった。



 * * *



 レナリアの意識が古城の前に戻ってきた瞬間、腹部に激しい痛みが走った。それに耐えるかのように、歯をぐっと噛みしめる。視線は腹部に向けずに左手でそっと触れた。

(間違った血の巡りよ、正しき巡りに戻れ)

 言葉を脳内に反芻させる。氷の針が溶けてくるのとほぼ同時に、レナリアの体の血の巡りは激しく動き出した。燃えるように熱く、叫びたくもなったが、ひたすらに食いしばった。

 やがて針が刺されたことで流れ出ていた血が止まる。そして痛みが緩やかになっていった。熱も下がっていき、徐々に沈静化していく。動悸も収まっていく。

 レナリアは高らかと笑い声をあげているターリーに対し、目を細めて見た。彼はレナリアを突き刺したのをたいそう満足しているようで、こちらの様子を事細かに見ようとはしなかった。叩くなら今だと思い、レナリアは口を閉じる。

 頭の中で水の動きを集中して想像する。水の粒子がレナリアの周囲に漂っていた。その粒子はターリーの周りにも浮かんでいる。それらが少しずつ彼の周りに集まるように意識した。

 同時にレナリア自身の血の流れも元に戻っていくのを感じた。一度切れた血管だが、再び循環は生み出されている。水ではなく液体を操る――それは魔法使いであるからこそ、できる行為だった。

「さて、異分子の息の根を止めてやろう。死――」

「発動、水の華!」

 一番慣れ親しんだ発動の言葉を発する。魔の力を使う際のきっかけともなる言葉。それを発することで、レナリアは自分がまだ水環の査察官だということを、身を持って実感することができた。

 ターリーの周りに水から氷の粒子に変わったものが漂い出す。彼が息を飲んでいる間もなく、彼の下半身が氷付けになった。だが彼の口元は緩んだままだ。

「爪が甘い。魔の力で一番重要なのは、(こと)の葉の力だ! 我が身を凍らす氷よ、我のことを――」

 その時、鈍い音が周囲に響いた。ターリーの後頭部に大きな氷の固まりが衝突したのである。彼は目を見開き、レナリアの方に軽く顔を向けてくる。

「これをねら……って……」

 最後まで言い切る前に、ターリーは前に倒れ込んだ。レナリアは気を抜かずに、彼の体の半分が凍り付くまで水を操り続けた。

 まったく動かなくなったところで、レナリアは数歩彼に近づく。ターリーの背中は僅かに上下している。殺さずに済んだようだ。

 ほっと息を吐き出すと、急に疲れがどっと出てきた。その場に膝をつける。そして苦しくなった胸のあたりを服の上から握りしめた。鼓動に従って痛みが全身に広まっていった。

 痛みはほどなくして収まったが、血が全身を激しく巡るような感覚は薄れなかった。

「レナリア、まさか自己治癒したの?」

 ベルーンが険しい表情で尋ねてくる。彼女に対し躊躇いながらも頷いた。すると彼女は憂いを含めた表情をした。

「……そう、貴女はもう魔法使いなのね。そんな芸当ができるのは、魔法使いだけだもの」

 理論から考えれば、そうなるのかもしれない。しかし血は異常なまでに、脈々と巡り続けている。

「おい、大丈夫か?」

 上から聞き慣れた低い声が聞こえてくる。若干声が震えているような気がした。返り血を浴びたテウスが顔を強ばらせている。背後では半魚人が倒れ伏していた。

 レナリアは力ない表情で頷いた。

「ええ。傷は塞がったから、死ぬことは――」

 その時、全身が激しくぶつけられたような衝撃が走った。目を閉じて、テウスに向かって倒れ込む。あまりの痛さに意識が飛びそうになったが、それをさせまいと内部からも激痛が襲ってくる。

(自己治癒は循環に影響はなくても、自分自身に反動はある……。それを受け入れられなければ、私は――)

 生きたいと思った。

 生き続けて、循環を正したい――。

 だから差し伸ばされた手を、たとえ掴んではいけない手でもあっても掴みたいと思った。

 テウスの腕が緩まり、レナリアを抱えている人間が変わった。柔らかい肉つきの誰かが優しく包み込んでくる。

 懐かしい空気が漂ってきた。同時に反発する感覚も得る。

 反発する想いを必死に押しとどめながら、胸元にある二つのペンダントに触れた。

 水環の査察官としての誇りを抱くペンダント。

 そして憧憬にも似たかつて抱いた想いを思い出させるペンダント。

 それらの想いがレナリアの体の中に澄み渡っていく――。

「もう大丈夫ですよ。ファーラデさんとルベグランさんが、レナリアさんのことを護ってくれていますから」

 母にも似た優しくも懐かしい声を聞き、レナリアの目からは一筋の涙が落ちた。

 同時に頭の中で鎖が砕け散った音が響く。そしてレナリアの体にのしかかっていた何かが消え去った。

 ゆっくりと顔を上げながら目を開く。銀髪の深い青色の瞳の少女と視線があった。彼女はにっこりと微笑んでいた。

「お久しぶりです、レナリアさん。ご無事で何よりです」

 レナリアは涙目になりながら、少女の両腕を掴んだ。

「アーシェル……! 私はもう会えないと思っていた。会ったら殺さないと、私がもたないって……。でも、もうそんな感覚はないの」

「そうですね、私が簡単に触れることができましたから、もうレナリアさんを縛っていた何かがなくなったのではないかと思われます。……魔法使いは二人いてはいけない、いたら循環が狂うから。存在するようなことがあったら、殺し合わなければならない。でもその法則は――今回はやり過ごせることでしょう」

「どうして?」

 レナリアはアーシェルの腕を掴むのをやめて、自力でその場に座った。膝をそろえて足を畳んだ状態で座っていたアーシェルは、膝に自分の手を下ろした。

「その二つのペンダントのおかげだと思います。レナリアさんを大切に想う人々が、私と出会っても決して死なせないという想いを込めたからです」

「ペンダント? 一つはファーラデにもらって、もう一つは師匠から受け取った?」

「そのお二人から受け取ったのですか……。レナリアさんのお師匠様、間接的に聞きましたがルベグランさんとおっしゃる方、かつて移動中に会ったことがあります。私のことを魔法使いと見破っていましたが、軽くお話ししたのちに、頑張れよと言ってくれた素敵な人でした。ファーラデさんはご存知の通り、非常にタイミングが悪かったのですが、お会いになりました……。そのお二人と出会ったときに、レナリアさんへの強い想いを感じました」

「強い想い……」

「はい。レナリアさんが大きな一歩を踏み出したことで、お二人の想いや願いが花開き、私たちが出会えたのではないかと思っています」

「そうか。二人には感謝しないといけないのね……」

 優しく語りかけてくる彼女の声は、とても安心感があった。彼女との間にあった壁は確かに取り払われたようだった。

 湖の底に沈む古城の前という水に囲まれた地域であり、魔の力に満ちあふれているからこそ、二人の想いも追加して再会できたのかもしれない。

 レナリアは少し姿勢を整えると、ポケットに入っていた何かに気付いた。ターリーたちとの戦闘前にとっさにしまったものだった。それを思い出し、レナリアはアーシェルを見つめた。

「――ねえ、アーシェル。貴女は鍵を持っている?」

 レナリアが何気なく尋ねると、彼女は目をぱちくりとした。

「はい、持っていますよ。ある方から譲り受けまして……」

 これは運命か、それとも初めから仕組まれていたのだろうか。

 どちらであっても前に進むためには、彼女の手を取らなければならなかった。

 レナリアは前に乗り出し、アーシェルの両手を握りしめた。

「アーシェル、一緒に扉を開こう」



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