4‐4 引き寄せられる地(4)
ベルーンの言うとおり、そしてレナリアも薄々感じていたように、城に向かっている途中で雨に降られた。とっさに近くにあった朽ちかけた小屋で雨宿りをする。至る所から雨漏りをしている小屋だったが、多少は風雨をやり過ごすことができた。
「レナリア、随分と水や魔の力に敏感になったんじゃない?」
「このいびつな水の循環を感じれば、嫌でも敏感になる」
髪についた雨をタオルで拭いながら、ベルーンに言葉を返す。彼女は「ふうん」と言っただけで、それ以上追求してこなかった。
内心ドキドキしながら言葉を発していた。ベルーンほどの魔術師ならレナリアから漏れ出ている魔の力の強さに気づいているはずだ。勘付いていながらも、確認のために聞いたのだろうか――。
彼女の不敵な笑みを見ても、何を考えているのかわからない。
ふと、魔の力が強い人間は、癖が強い人間が多いという師匠の発言を思い出した。
雨が小降りになると、水溜まりに靴を踏み入れながら、四人は足早に進んでいた。森の中を突っ切り、馬を引っ張りながら進む。川は増水していたが溢れるほどでもなかったため、位置を見定めるためにも川が見える範囲で進んでいった。
やがて川が大きく開けた地帯が視界に入ってきた。同時に森も終わりとなる。周囲に警戒を払いながら、四人は森から飛び出した。
目の前に広がるのは、大きな湖。先ほど横目で見ていた川が流れ込み、その逆側から細い川が出ていく水の流れになっていた。
四人で湖の周りをぐるりと回っていく。だがどう見ても、周囲に大きな建物などは見あたらなかった。
「ベルーン、ここら辺なの?」
「……そうよ。色々な村で聞き回ったら、この湖に城があるって答えたわ」
はっきりと言い切るが、ベルーンの表情は浮かなかった。必死に見渡すが、森しかない。
「場所を間違えたとか? 城がそっくりなくなるわけない。もしかしたら別の場所で朽ちかけているかもしれない」
レナリアは視線を湖から森の方に向ける。すると森の奥から勢いよく何かが飛び出てくのが目に入った。それを確認する前に、レナリアの腹に直撃する。
「かはっ……!」
あまりに勢いが付いて直撃したため、レナリアはその勢いのまま陸地から押し出された。テウスが手を伸ばしてくるが、それは手を握り返す前に空を切る。
湖の上まで飛ばされたレナリアは、自分の意志とは無関係に湖の中に落ちた。
テウスの声がぼやけて聞こえてくる。レナリアは手を空に向かって突き出すが、体は反対に湖の底へと落ちていった。
為す術もなく湖の中に落ちていく少女の手を、テウスは掴むことができなかった。
「レナリア……」
愕然としていると、大きな声を投げかけられた。
「しっかりしなさい! あの子は水に護られているわ! そう簡単に死ぬ女じゃない。それよりも、次に備えなさい!」
ベルーンが叫ぶのと同時に、レナリアを突き飛ばした何かが、森の中から再び飛び出てきた。それは人の頭の大きさ程度の水の固まりだった。それらがテウスたちに襲いかかるように飛んできた。テウスたちはとっさに動いて、次々と投げられる水の固まりをかわしていく。すれすれで頬をかすったものもあり、そこの跡は擦り傷となっていった。
「埒が明かないわね。カーン、援護しなさい!」
ベルーンは舌打ちをして両手を前に突き出す。カーンは彼女の前に立ち、剣を抜いた。そして襲い掛かってくる水の固まりを叩き切り出した。その間にベルーンは口元を動かし始める。
二人の様子を見て、テウスは目を大きく見開いていた。圧巻という言葉が当てはまる光景が広がっていた。
カーンはベルーンの前にくるだろう氷の固まりを、すべて捌ききっている。左右同時に襲われそうになった時は、鞘を抜き、両手で剣と鞘を振りながら防いでいた。
「――すべてを吸い込む水の壁よ、ここに現れなさい!」
詠唱を終えたベルーンが高らかに言うと、彼女の目の前に大きな水の膜が生み出される。それらに水のかたまりが衝突し、あっけなく膜に吸い込まれていった。水のかたまりは次々と当たっていくが、一つも二人の体に当たることなく消えていった。
やがて森の奥から水の固まりはでてこなくなった。
「無駄だとわかったから、攻撃をやめたみたいね。さて、いきなり私たちを襲った不愉快なものは誰かしら」
ベルーンは森の奥を睨みつける。ほどなくして、水滴がぽたりぽたりと垂れる音とともに、二本足で立っているものが現れた。それを見たベルーンがあからさまに顔をしかめる。
「……また奇妙な組で合成させたものが出てきたわね。魚と人間ってところかしら。まったく悪趣味」
二本足で立っているが、頭はまるで魚の顔のようであり、耳の部分はエラとなっていた。全身は鱗で覆われ、銛を持った半魚人というのがぴったりの生き物がいた。銛の先端からは、水のかたまりが出来上がっている。それらが四体もいた。
「レナリアもいれば、一人一体相手をすれば良かったのに。――テウス、まさかこういう輩が出ると思って、一緒に行動しようって言ったの?」
ベルーンの問いに対し、テウスは黙り込む。何かが出るかもしれないと危惧していたが、まさか半魚人が出てくるとは思わなかった。
沈黙を貫いていると、ベルーンはふんっと鼻で笑った。
「言わないのなら、あとで貴方が忠実に尽くしているレナリアにでも聞くわよ。――とりあえず構えなさい。最低でも一人一体は倒すこと」
半魚人たちが銛を構え直すと、水のかたまりが多数できあがっていった。テウスは剣を構えて、半魚人の動向を追った。
テウスたちが半魚人と対峙している頃、レナリアの体は湖の奥底へと沈んでいった。水を飲み込まないよう必死に口を抑えるが、限界がきてしまい、空気を求めて口が開いてしまった。口の中にあった空気が泡となって消えていく。泡をぼんやりと眺めながら、レナリアの意識は遠のいていった――。
次に目を開けたときは水中ではなく、陸地の上だった。呼吸をしても水が入ることはなく、新鮮な空気を吸うことができた。ゆっくり起きがあると、濡れた髪が顔に付いた。
「私、助かったの?」
ぐるりと周囲に視界を向けると、レナリアの目は大きく見開かれた。
光に照らされて、朽ちかけた城が目の前に佇んでいる。城は長い年月そこにあったのか、建物の隙間からは苔や草が生えていた。
「え、城? どこにあったの? 私が見た範囲ではなかったのに!」
立ち上がると、レナリアは自分が異質な空間にいることに気づいた。
先ほどまでの薄暗い雲とはまったく違う、温かな木漏れ日が射し込む空間。草木は瑞々しく、蝶やその他の虫も羽ばたいていた。周囲に目立った建物は城しかなく、他はまるで永遠に続くかのように草原が続いていた。
死後の世界に来たのかと思い、ついつい自分の頬をつねった。痛みははっきり伝わる。草花を踏みしめる感触もたしかに感じ取れた。
「精神体ではなく、自分の肉体でここにいる……。ここはいったいどこなの?」
視線を上に向けると、空が水のように揺らいで見えた。目を細めて再度見返せば、たしかに空はうねっていた。あの先にある空間とこの空間では何かが違う気がした。
呆然と立ち尽くしていると、唐突にある推測に思い当たった。
「……ここってもしかして湖の底? その底に城がある? まさか、信じられない……」
そう呟きつつも、半ば確信している自分がいた。
夢で見た魔法使いが、この城の存在を他の人に知られたくなければ、何らかの魔法を使って、城をこの空間に隠したかもしれない。かなり大掛かりな魔法となるが、死を覚悟した魔法使いであれば、おおいにあり得ることだった。
様子を知るためにレナリアは城の方に向かい、扉の前で立ち止まった。そこで下から見上げると、小ぶりだが堂々とした城が目の前にそびえ立っていた。
この先に扉がある――と思いながら手を伸ばそうとすると、急に空がざわめいた。はっとして顔を空に向ける。頭上にある空らしき場所が、水のようにうねりだしていた。
「地上で何かが起こっている?」
湖の中に溺れて、意識が飛ぶ前の出来事が思い出される。謎の固まりに体を押し出され、湖に落ちてしまった。もし、あの固まりが他の人たちにも襲っていたらどうなるだろうか。レナリアのように運良くこの地底に降りてこられるとは限らない。そのまま溺れ死んでしまう場合もある。
「戻らないと……。でもどうやって?」
あの空の上に行けば、戻れるかもしれない。しかしそれをするには飛ばなければならなかった。生身の人間が飛べるはずがない。
そこで一度思考を止めた。果たしてこの空間では、飛ぶという言葉が正しいのだろうか。この場はレナリアの仮説が正しければ、湖の底のはずである。ならば飛ぶのではなく、水の粒子の中を泳ぐという感覚が正しいのではないのだろうか――。
レナリアは空に向けて、手で軽く水を掻く真似をした。すると体がふわりと浮いた気がした。続けて何度か掻くと、はっきりと体が浮かんだ。
ここが水の中ということをイメージしながら、ひたすら掻いていく。体は見る見るうちに地面から離れ、やがて地上部に向かって伸ばしていた手が空中と水の境目に触れた。
一瞬、この穏やかな空間に留まっていたいという想いになった。だがすぐに恐れを弾き飛ばすように首を振り、手を真っ直ぐ上に突き出して、水の中に手を突っ込んだ。
テウスへの半魚人からの攻撃は銛による突きと、水の固まりの投擲が主だった。時に不意打ちで鋭い爪を突き出してきたりと、人間とはまた違った動きをされてやりにくい。
しかし一体一体はそれほど激しい攻撃はしてこなかったので、隙をついて迫ってきた半魚人の胴体を右肩から左腰まで切ることができた。致命傷を受けたと思われる半漁人はそのまま仰向けで倒れ込んだ。黒にも似た赤い血が流れ出ていく。
「意外と呆気ないな」
テウスが半魚人を倒すのとほぼ同時に、カーンも二体の半魚人の首をはね飛ばしていた。
戦闘に区切りがついたところで、湖に沈んだレナリアを救出に乗りだそうと森に背を向ける。しかし背後からどす黒い殺気を感じた。慌てて振り返ると、水の固まりが投げつけられており、それがテウスの頬をかすっていった。頬に赤い線ができあがる。
「おい、不死身ってことかよ……!」
袈裟切りで致命的な傷を与えたはずなのに、血を流しながらも半魚人は平然と立ち上がっていた。さらに驚くべきことにカーンが首をはね飛ばした半魚人たちも銛を片手に立っていた。
「首を切っても無駄なら、心臓を突くか」
カーンは慌てた様子を見せずに、まだ動きが鈍い相手の左胸を突き刺した。そして引き抜いて一歩下がる。
半魚人はゆらりと揺れ、崩れ落ちそうになった。だが銛を掴んだ手が緩むことはなく、むしろ勢いをつけて下から銛を突き上げてきた。カーンは顔をそらして、それをかわす。彼の表情は僅かに堅くなった。
「首をはねても心臓を貫いても動くのか。残りは体を両断するくらいしか思いつかないな。だが……」
全身は堅い鱗で覆われている。薄くなっている首回りや心臓という一点くらいなら突破はできても、両断とまでいくと剣が持ちこたえられるかわからなかった。
テウスとカーンは互いに距離を縮めながら、三体の不死の半魚人と睨み合う。
その時、背後から破裂音が聞こえた。テウスがちらりと背後に目を向けると、小さな噴煙が立ち上っていた。
「この方法はあまりやりたくないのよね」
ベルーンは肩を激しく上下させて、呼吸をしていた。彼女の前には細かくなった凍り付いた残骸が広がっている。鉤爪や鱗も辛うじて見られることから、おそらく彼女が相手をしていた半魚人だろう。半漁人を凍らせて、破裂させたようだ。荒技だと思うが、どう切っても動いてしまうそれに対しては一番有効な技だったかもしれない。
しかし彼女自身にも体に負荷がかかるのか、地面に軽く膝を付いていた。彼女の視線が横目で向けられてくる。
「残念だけど、この技はそうそう使えないわ。貴方たちは貴方たちで対処して」
ベルーンは視線を正面に戻すと、眉をひそめた。彼女が倒したと思ったはずの鉤爪らが僅かに動いていたのだ。それを対処するのは造作もないが、あまりにも気味悪すぎた。
テウスとカーンは考えを巡らしながら後退する。次の戦略を練ろうとした瞬間、周囲の気温が一気に下がる。そして半魚人たちもうっすらと凍り付いた。