4‐3 引き寄せられる地(3)
* * *
目が覚めたレナリアは、地面に両手をついてゆっくり起きあがった。その際、背中にかけられていた上着がずれ落ちたのに気づく。地面に落ちたそれをきょとんとした表情で見ていると、前方から声が投げかけられた。
「意外と早かったな」
胡座をかいていた青年が不機嫌そうな顔をしている。レナリアは彼の顔を見て、慌ててその場で正座をした。
「ご、ごめん! 離れちゃいけないってわかっていたけど、ランタンが捕られて……」
「ランタンよりも自分のことをよく考えろ。まあ、今回はこいつの思惑にはまっただけだから、よかったが……。おい、怪我は?」
「ないけど……」
「そうか。なら、それでいい」
テウスが首を横に動かすと、その先には腰をつけた犬が座っていた。いや、犬ではなく、言語を話す犬と人間の合成獣だ。
レナリアはそれに目を向けてから、鍾乳洞の奥に目を向けた。その先にあるのは、暗い中でも続く道。
『どうやら見られたようだな』
「ええ。なかなか生々しい光景だったけど、この先に何があるのかわかった。私たちが目指すべき、タリラート城があるのね」
『正確にはタリラート城があった場所だ。行けばわかるが、所詮過去形だ』
吐き捨てるように合成獣は言う。それは悔しさがにじみ出ているような声だった。
「あなた……、もしかしてあの女性と一緒に行動していた槍使いの青年?」
合成獣は僅かに耳を動かし、視線を逸らした。何気なく聞いてしまったが、仮にそうだったとした、反応に窮されるだろう。これ以上、問いかけるのはやめようと思い、テウスに向き直った。
「テウス、私、ここで過去に起きた出来事を夢で見ていたの。そしたらここの洞窟はタリラート城という城に続いているとわかった。さらにその城には魔法使いが滞在していた。その魔法使いは、鍵を持っていたわ」
「鍵だと?」
「ええ。しかも鍵で開いた先には鏡があると言っていた。だから、この先にある城は私たちが行く目的地でもあると思う」
「じゃあ地上を歩かずに、この先を進めばいいのか」
テウスは立ち上がり、目を細めて鍾乳洞を見た。レナリアもその方向に目をむけていると、目の前に手を差し伸ばされた。
「進むべき方向ははっきりしたが、今は休息だ。食べて寝てから進むぞ」
「……そうね、ありがとう」
青年の手をとると、強い力で引き上げられた。
洞窟の入り口にあった荷物を鍾乳洞の入り口に移動し、そこで二人は一晩を明かした。犬の合成獣はふらりと消えては現れ、まだ明るくないだとか、雨が降っているだとかを教えてくれた。ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、とても面倒見のいい犬だった。
傍に来たとき、レナリアが手を伸ばそうとすると、犬は一瞬間を置いてから、体を近づけてくれた。レナリアは優しく頭を撫でた。少しちくちくしたが、このような環境下でふさふさしているのもおかしな話だった。
『お前は魔法使いの匂いがするのに、まだ魔法使いではない。いったい何者だ?』
「どうやら次の候補らしい。変な話で、そこまで飛び抜けて魔の力が強いわけでもないんだけどね」
『歴代の魔法使いが全員ずば抜けて魔の力が強いわけではない。俺が仕えていた魔法使いも……大技を使えばすぐに疲れ切ってしまう人だった。だが誰よりも責任感は強かった。だから死にかけた俺の魂を憑依させたのは、あの人なりの意地だった……』
「私のような人を導くために、その人は貴方を合成獣にしたのね」
『ああ。俺の意志を無視して事を進める頑固な人だった。おかげで勝手に死ねなくなったさ』
犬の合成獣がレナリアのことを見上げてくる。
『雰囲気もそうだが、匂いも何となく似ているな。もしかして……生まれ変わりか?』
「それは違うと思う。貴方が慕っていた人は、もっと凛として強い人でしょう?」
合成獣の頭を最後に軽く撫でると、レナリアは手を離した。合成獣は名残惜しそうにしていたが、少し離れてくれた。
レナリアは軽くあくびをする。テウスから薄手の毛布を受け取ると、それにくるまって少し冷たさを感じる床で横になり、目を閉じた。
ひと眠りすると、レナリアたちは犬の合成獣の先導のもと、洞窟の中を歩いていた。分かれ道がいくつもあり、案内役の合成獣がいなければ道中で途方に暮れていただろう。
二手に道が分かれるところでも、犬の合成獣は長考することなく道を選び、黙々と進んでいく。鍾乳洞は奥深いところまで続いていた。途中で底が見えない地帯もあったが、それ以外は怖がることなく歩けている。
道が徐々に狭くなっていき、乗ってきた馬を通すのにも一苦労な道が続いた。
やがてうっすらと前方から光が射し込んできた。正面には草や蔓などで覆われた一帯がある。テウスが先にそこに行き、ゆっくり手で草や蔓をむしると、光の筋がはっきりと洞窟の中に射し込んできた。
「出口……!」
だがまだ気は緩められない。テウスが慎重にむしり、人の体が通れる大きさまで広げると、先に行くという合図を出して、出て行った。レナリアは二頭の馬をその入り口のすぐ傍にまで連れて行く。
『なんだ、お前たち、お尋ね者なのか?』
「違う。でも誰かに狙われているのは事実。この前も知らない人間にナイフを突きつけられた」
『魔法使いが狙われるのは、ある種の必然といっても過言ではない。せいぜい気をつけて進むことだ』
「ありがとう。まずはできる限り遭遇しないようにする」
外に出たテウスが穴の隙間から手を拱いてくる。彼に馬の手綱を手渡すと、レナリアは内側から草や蔓などをゆっくりとはいでいった。テウスも外側から手伝い、馬が通れる穴になると、馬を一頭押し出した。続いて二頭目を押し出していく。それらが外に出たのを見届けてから、レナリアは犬の合成獣と向き合った。
「案内ありがとう。……あなたは一緒に来られないの?」
犬の合成獣は悔しそうな表情で首を横に振った。
『残念だが遠慮しておく。光を浴びるともろくなる性質になっている。俺はここでお別れだ』
「そうなの……、わかった。色々と話を聞けて助かった」
『いいや、こちらこそ久々に人と話せて嬉しかった。――おい、外にいる男』
少し間を空けてテウスが入り口から顔を出してきた。犬の合成獣が近寄り、ぼそぼそっと話す。
『守るなら徹底的に守れ。俺みたいに後悔するな』
「そんなの、わかっている。命を懸けても守ってやるよ」
互いに笑みを浮かべると、合成獣は奥に向かって歩き出した。レナリアはそれとすれ違うようにして、光がある方に出て行った。
洞窟から抜けたレナリアたちは、方角を確認しながら進んでいた。途中で川のせせらぎが聞こえ、ほっと一安心する。目的地である城の近くには川が通っているはずだからだ。
川まで出ると、休憩がてらそこで腰を下ろした。馬たちは水を見るなり勢いよく飲み始めた。空は雲で覆われ、鬱蒼としているが、雨が降っていないのが幸いだった。
二人は地図を広げて、今いる場所を見定めることにする。ふと、川向かいの茂みがかさかさと音をたて始めた。すぐに地図をしまい、レナリアとテウスはそれぞれ剣の柄に左手を添えて、いつでも抜けるようにした。
茂みの音が一端やむ。空気が一瞬緩んだところで、茂みの間から一本の氷の矢が飛び出してきた。二人は剣の抜くのをやめて、地面に転がりながら矢から逃れた。
「――まったく、まさかこんなところで再会するとは思ってもいなかったわ」
女性の声を聞いて、二人は目を大きく見開いた。テウスの鞘を握る力が強くなった。レナリアは右手を胸の前に添えながら、茂みの向こうから出てくる人物を待ち構える。
「そんなに殺気だてないで。別に貴女たちを殺す依頼なんて受けていないから、手なんて出さないわよ」
「そうだ、殺す理由がない」
淡々とした男性の声も聞き、レナリアとテウスは頭を動かさず、視線だけを合わせた。
向こう側から二人の人間が出てくる。一人は深紅の長い髪の女性。金色の瞳は暗がりの中ではよく見えた。
そしてもう一人、薄金色の髪の青年の赤色の瞳も遠くからでもはっきり見えた。
「ベルーンとカーン……」
「あら? レナリアと、アーシェル様の護衛のテウスだけ? アーシェル様は?」
ベルーンが心底驚いた表情でテウスを見てきた。テウスは忌々しいものを見たかのように、舌打ちをする。
「……アーシェル様はいない。俺は今、レナリアの護衛をしている」
ベルーンが目をぱちくりとした。カーンも若干だが眉をひそめている。
「なぜ? あれだけアーシェル様にご執心だったのに。まさかあの事件以降、この女と懇意の仲になったの?」
「……仲間が心配だから、一緒に行動して何が悪い!」
溜まらず言い返すと、ベルーンが手を口元に当ててくすくすと笑い出す。
「ふふふ、随分と感情が豊かになったわね。いえ、アーシェル様といるときが、感情を無理して抑えていたと言った方がいいかしら。テウスが感情的になって、あの子に何かあったら大変ですものね。……護衛の印象は、あの子の心象に成り代わるもの。だから抑えていた、そうでしょう?」
「さあ、どうかな」
テウスは淡々と言ったが、レナリアは彼が感情を今にも爆発しそうなのを横目で見ていた。手の握りしめ方が強くなっている。女性の口車を止めようと口を開こうとしたが、その前に薄金髪の青年が口を開いた。
「ベルーン、そこら辺にしておけ。また雨が降るんだろう」
カーンが肩をすくめて言っていた。ベルーンは口に手を添えて、空を見る。
「ああ、そうだったわ。こんなところで呑気に休憩している人たちと違って、早く雨宿りをする場所を探さないと」
二人が背を向けて去ろうとする。レナリアは空に顔を向け、軽く目を見開いてから、口を開いた。
「ちょっと待って。二人はなぜこんなところにいるの?」
立ち止まるとベルーンが顔を向けてきた。
「その台詞、そのまま返しましょうか。どうして査察官の貴女が、魔法使いの護衛を連れてこんなところにいるの?」
「……ベルーン、もしかして今の狂った循環を止める術が、この先にあると知って向かっているの?」
躊躇いつつも聞くと、ベルーンは目を大きく見開いていた。彼女がそのような驚きの表情を見せるのは初めてだったかもしれない。
「そうなんだ。意外と世の中のことを考えている人だったのね」
「……かなり癪に触る言い方よ。今、先を急いでいなければ、すぐさま魔術を使っていたわ」
「怖い言い方しないで。私も貴女たちと同じ理由で、同じ目的地に向かっている間柄なんだから」
すぐ傍にいるテウスが険しい表情で肩に手を乗せてきた。それを宥めるかのように、レナリアは優しく肩から外した。
敵だった相手にあっさりと目的を伝えるのは、どうかと思う。しかし同じ魔の使い手同士、異変を正したいという思いは、共通だ。
レナリアは僅かに逡巡してから、顔をあげた。
「水の循環が狂っているのは自明のこと。一般の人から見ても明らかにおかしいと思えている状況よ。水を操る魔術師なら尚更。頭のいい魔術師なら、この異変がどこか特定の水に関係する地から、狂いの始まりがあるのではないかと考えるはずよ」
レナリアは一歩ベルーンに向かって近づいた。
「ロイスタンから解雇という扱いになった貴女は、あのときの戦闘で自分が操る水に異変があったと気づいた。そこで様々なことを調べた結果、この先にある城に行こうとした、そうでしょう?」
ベルーンとカーンの眉間はさらにしわが寄っていた。警戒心を露わにした視線が突き刺さる。しかしレナリアはそれをかわすかのように、ふっと表情を緩めた。
「私も似たような考えでここまで来た。一刻も早くその場所に行きたい。でも残念ながら今は地図で場所を再考しているところ。だからよかったら一緒に行ってもいい?」
「おい、レナリア、何を言っているんだ!?」
我慢していたテウスがとうとう叫んだ。ベルーンはこちらの様子を伺ったまま黙っている。
「別にこいつらと一緒に行かなくてもいいだろう」
「どうせ向こうで会うはずでしょう? 仲違いになって別れ、向こうで再会して剣呑な雰囲気になるより、ここで一緒に行くと決めた方が良くない?」
「だからってな……」
レナリアはテウスの腕を掴んで、耳元でささやいた。
「他の人や合成獣と戦闘になった場合、二人がいれば心強いでしょう? 私だって、またいつ体調を崩すかわからない……」
ずっとテウスに負担をかけさせていないかと心配だった。だから強さだけなら信用できる二人と一緒に行動してもいいと思ったのだ。
ベルーンは口車もあり、信用まではいたっていない。カーンも不透明な部分はあるが、彼は彼なりの持論があって動いている人間だ。おそらくそう簡単にレナリアたちのことを陥れない。
仲間という関係ではなく、同じ目的で行動する者という関係であれば、手を組むのは可能ではないだろうか。
「……俺はお前らと再戦することを約束してくれるのなら、一緒に行動してもいい」
今まで黙っていた剣士の発言は、ある意味では彼らしかった。レナリアの表情は僅かに緩んだ。
ベルーンは腕を組んで、こちらを見てきた。
「今の話だと私に得るものがないわ。見返りはあるの?」
「水の華水晶」
その言葉を聞いたベルーンは息を呑む。
レナリアはウェストポーチから、青みがかった黒い銃を取り出した。
「私の銃弾の中身は氷が入っている。その氷にも色々な質があって、最高級の物は水晶を使っている。威力もずば抜けているだけでなく、それを使って放ったものは輝く水晶となる。それを売ればかなりの額になるはずよ」
「そんな大切な銃弾を使えるの?」
「使う。たぶん使わざるを得ない状況になるから」
ウェストポーチから、手のひらで握れる黒い筒を取り出す。その中に銃弾が入っていた。それを見せつけてから、ポーチを閉めた。
ベルーンはしばらく黙り込む。
「……使わざるを得ない状況にならなくても、目的が達成したらくれるのね」
「ええ。何もないところで放って、見事な水晶の華を咲かせる」
「その台詞、忘れるんじゃないわよ」
そしてベルーンは川の先を指で示した。
「この川の脇を歩いていけば、かつてタリラート城があった地に辿りつくはずよ。ただし、これから雨になる。増水されると面倒だから、少し内側に入るわ」
「わかった。まずはそっちに移動する」
浅瀬であり、大きめの石が点々としていたため、すぐにベルーンたちがいる側に移動できた。四人は一度顔を合わせてから、ベルーンとカーンを先頭にして、歩き出した。