幕間3 過ぎ去りし日の魔女
一通り話した後、女性は三人の若者たちを送り出し、去った方向をしばらく眺めていた。彼女らの背中が見えなくなると、ふっと表情を崩して、近くにあった岩を軽く撫でた。精神のみの存在であるため、そのようなことをしても無駄だとわかっている。だが、何となく何かに触りたかった。
『ルベグランが言っていた娘、もしかしたら今の状況を変えてくれるかもしれない』
彼女と会うまでは半信半疑だった。
しかし今ならティルナははっきり言うことができるだろう。ルベグランが発していた言葉は本当になるかもしれない――と。
* * *
ティルナは百年前に自ら命を絶った後、精神体となって廃坑の奥や周辺を漂っていた。この近辺は魔の力が集まりやすい地であり、ここで過ごしていると精神が安らいだのだ。
近場の村に降りることもあったが、魔の力が強い人間には見えてしまうこともあったため、だんだんと近寄ることもなくなっていた。
やがて人との関わりを断ち、ほとんど廃坑から出なくなった頃、廃坑内部に出入りしていた熊に頼まれたのだ。その熊は誰かに襲われたらしく、酷い怪我を負っていた。
まだ生まれたばかりの子どもがいる。だが自分はもう長くなく、近隣に子どもを育てられる他の熊はいない。どうにか貴女の魔の力で自分を長く生きさせることはできないのかと。
水をはじめとして液体を自由に操れ、魔法使いとしての素質も秀でている方であったが、死にかけている生き物を生きさせることはできなかった。
血だらけの熊の役に立てないと思い、首を横に振ろうとしたが、唐突にティルナは思いついた。今のティルナの状態だからこそ、できる方法があると。
そして熊に対してこう提案したのだ、「自分の体を憑依させて、合成獣にならないか」と。
成功する保証はなかったが、理論的には可能だと思った。合成獣とは、生き物と生き物を掛け合わせたもの。熊という入れ物に、精神体をかけあわせるのも、合成ではないだろうか。
しかし失敗すれば、互いの体が消滅するかもしれない。そういうリスクもあったが、熊はすぐさま同意した。自身の命が長くないことを察したのだろう。
ティルナは強い決意を持って、熊と合成することに決めた。結果として合成は成功し、ティルナは合成獣として生身の体を持つようになったのである。さらに熊の肉体から出て、引き続き精神体での活動もできたため、制限なく動けていた。
その力を生かし、廃坑に来る者でやましい考えを持つ人間は率先して追い出すようにしていた。掘り尽くされた炭坑であるため残っている鉱物はほとんどない。だがそれでも何かがあると期待して荒らしに来る人間はいたのだ。その者たちを蹴散らすのは、時に苦戦したが、だいたいが容易に追い出すことができていた。
一時期はあまりにも出入りする人間が多かったため、このままひっそりと廃坑を閉じてしまいたかった。しかし元魔法使いであるティルナがずっといたおかげか、石に魔の力が宿り、魔の力を抑制させる、もしくは解放させる石ができあがってしまったのである。それを必要としている人間も多くいると知り、廃坑を閉じるのはやめ、奥まで来るものを選別するようにしたのだ。
ティルナの選別外にあったものは、即座に追い出すようにしていた。当初はティルナが率先して動いていたが、時がたつにつれて、ここを住処としている生き物たちも手を貸してくれるようになったため、任せるようになった。
次第に廃坑の奥には凶悪な生き物がいるという噂が伝わり、来る人間は減っていった。しかし逆に来る者は力に自信がある者が多くなった。その人たちから取捨選別をし、ティルナの力を宿した石を切実に求めている者には石を渡しながら、日々過ごしていった。
そのようなことをしながら、数年前、無精ひげを生やした茶髪の男性――ルベグランと出会ったのである。
「お前、熊と人を掛け合わせた、合成獣だろう?」
一回だけ剣と爪を合わせた後に、そう言い放たれた。僅かな時間で判断され、言われたのは初めてだった。
彼は危害を加えない、ただ話をしたい、できれば石が欲しいと言ってくる。
「俺の大切な愛弟子が、いつか必要になるかもしれない。だから石が欲しいんだ」
『ここでお前が石を持ち帰っても、その弟子とやらに手渡す前に効力は失せる。その弟子が直接来なければ意味がない』
「そうか……それは残念だな」
ルベグランは頭をかきながら、視線を上に向けた。
「きっとお前さんの無念を払える人間になると思うが、その前に力に押し潰されたら、それまでの人間だったってことか」
『……どういう意味だ?』
思わず聞き返すと、ルベグランににやりと笑みを浮かべられた。彼の表情を見て、謀られたと思った。その言葉を待っていたようだ。仕方なしに熊の合成獣であるティルナは彼の言葉を待つ。
「お前さん、中身は約百年前に水環省から追放された魔法使いだろう? その後に自殺した」
命を絶った事実は誰にも知られていないはずだ。この廃坑の近くにある森の奥でひっそりと絶ち、遺体は命令していた合成獣によって埋めてもらった。
ルベグランは左耳の穴を軽く指で掘り、ついたかすを息で払った。
「どうやら自殺した直後のことは覚えていない状態で、精神体になったみたいだな。たしかに国はお前さん――いや、ティルナを追放した。だがティルナの力や存在を大切にしていた人間もいた。その人たちは追放した後も動向を追っていたんだ。だから自殺したことも知っている。俺はその派閥の末裔だ」
ルベグランは熊とティルナの合成獣に向かって、手を差し伸ばす。
「なあ、直接会って話がしたい。俺に人間の姿を見せてくれないか?」
ティルナはしばし逡巡した。この男の話には興味がある。だが信じていた人たちに追放されて、人間不信になりかかっていたのも事実だった。
信じるか否か。
『……なぜ、私の姿を見たい』
ルベグランは歯を出して、にかっと笑った。
「せっかくだから怖い熊じゃなくて、綺麗な姉ちゃんと話したいだろう」
あっけらかんとした言葉を聞いて、ティルナはぽかんとした。まさかそんなくだらない理由だとは思わなかったのだ。少しして声を出しながら笑い出した。
そして涙目になりながら意識を分離し、彼にも見えるような精神体となって熊から出ていった。
黒い長い髪、全身黒い服に覆われた若い女性の姿は、古き時代に想像された魔女に似ていると言われていた。ティルナとしてはその当時を意識したわけではなく、何となく黒色の服の方が気に入っているため、着ているだけだった。
ルベグランは精神体となったティルナをじろじろと見てくる。彼の視線を受けて、ティルナは頬が赤くなった。
『……何ですか?』
「いや、俺がもう少し若くて、ティルナも生きていたら、一目惚れしているだろうなって」
『はい!?』
顔を真っ赤にして声を大にして言うと、ルベグランは表情を緩ました。
「そういう表情もできるんだな。良かった、年相応の表情を見られて」
彼の表情は嬉しそうであり、どこかほっとしたような顔つきでもあった。
ティルナは口を尖らせながら、近くにあった大きな石に腰をかけるふりをした。
『早く用件を言ってください。普段は合成獣に精神を預けているのです。この状態でいるのは疲れます』
「わかったよ、さっさと放題に入るぜ。――俺の魔術の弟子に、魔法使いの片鱗を見せている人間がいる。そいつの力が暴走したときに抑えられるよう石が欲しいんだが、ここで俺が持って帰っても意味がないんだな?」
『石も万能ではありません。持ち手がここで手にすれば石の効力は維持できますが、他の者が持って帰って手渡しても、効果は半減してしまいます。できるなら、そのお弟子さんを連れてきてください』
ルベグランは腕を組みながら、うなり声をあげる。
「そうしたいのはやまやまだが、下手に刺激して暴走されるのも嫌だから、そっとしておきたい。……しょうがない、俺がいないときに暴走されかけた場合のことを考えて、あいつに日ごろからヒントは与えておくか」
『……どうして貴方の弟子が魔法使いの片鱗を見せているとわかるのですか? その言いぶりからすると、能力も秀でているとみているようですね?』
「そりゃ俺の弟子だからだ」
胸を張って言われたが、ティルナは眉をひそめるだけだった。
思ったような反応を得られなかったルベグランは、耳の穴を掘りながら言葉を続けた。
「何度か水じゃなくて、液分を凍らしたことがあった。他の水分と一緒に凍ったから、本人は気づいていないみたいだが。あとは扱いがなかなか難しい銃を媒体とした魔術を使いこなせている。いずれは魔術師としては優れた能力を持つようになると、俺は思っている」
『それだけでは魔法使いの片鱗というのはわかりません』
「――始まりの魔法使いが残した石に触れたら、無事に戻ってきただけでなく、力を開花させて戻ってきた。ちなみに意識を飛ばした時間は僅かだ」
ティルナは目を細めた。ルベグランは視線を逸らすことなく、むしろ真っ直ぐ見てくる。嘘をついているようには見えない。
始まりの魔法使いの魔力が残っている石は、国の各地に点在している。触れると激しく意識を乱されるため、決して触れないように言い伝えられていた。
しかし現実には誤って触れてしまう者は多数いる。多くの者は数日間意識を失うが、ほんの一握りの人間は魔術師としての力を開花させるのだ。力の度合いは、意識を失っていた時間に反比例するという。
ルベグランの言い分が本当ならば、かなり能力的に高い人間だと思われる。
「興味沸いたか?」
『……多少というところです。どうやら貴方のお弟子さんは潜在的な魔の力が強いのですね。魔法使いになるならば、それは必要な要素です。しかしだからといって、次代の魔法使いだと決めつけるのは、いささか乱暴な気がします。あまり確証づけない方がお弟子さんのためでしょう』
諭すように言ったが、ルベグランは了承の首振りをしなかった。ティルナは息を吐き出してから、話を切り替える。
『仮にお弟子さんが魔法使いになったとしましょう。その人がなぜ私の無念を払える存在になるのですか。私よりも魔の力が強い人間になるということですか?』
「それはわからないが、今の再び狂い始めた循環や変則的な魔法使いの存在を考慮すると、今か次の代の魔法使いが国の行く末を左右することになるはずだ」
『変則的な魔法使いとは、隙間の魔法使いが長期に渡って居座っていることですか? たしかに異様ですが、そこまで――』
そう言いながら、ティルナの目は徐々に丸くなっていった。
かつてあまりに強い魔の力の乱れを感じたため、ティルナは精神体となってアーシェルという少女の動向を追いかけたことがあった。その過程でファーラデという青年らが命を落とし、彼女も当時の記憶を失った、という悲劇が起きてしまった。
そこで彼は言っていた、「今は絶妙なバランスの中で成り立っているが、いつかはその均衡が崩れれば、それによって国が崩壊しかねない」と。
もし今まで時折発生する循環の乱れの原因が、魔法使いの出方によるものならば、ティルナが命を絶ったことで乱れが整ったのも理屈としては成り立つ。ティルナが魔法使いとして活躍している時に、実は他の魔法使いの芽が出始めているという場合だ。
だからティルナという存在がいなくなり、魔法使いが一人となったことで、水の乱れが落ち着いたのではないだろうか。
「俺は今の時点で魔法使いと言われている少女を見たことがある。魔の力をそんなに持っていない俺でも、あの少女はかなりの力を持っていると思った。隙間なのに、だぞ? 次の本当の魔法使いはどんな存在になる?」
『……一概には言えませんが、前任者が強ければ強くなる傾向はあります。つまり強い魔法使いが二人存在することになるため、その影響によって国の存亡にも関わってくる可能性が出てくるということですか?』
ルベグランは少し間を置いてから頷いた。
「まあ、俺や俺が面倒見ていた男が出した結論としては、そういうことだ。これをどうするかは本人たち次第だな……。できれば穏便に今の魔法使いの力が勝手に譲渡してくれれば、助かるんだが……」
『世の中は思うように事は進みませんよ』
ティルナは髪を軽く外に向かって払った。
『……ここまで話したという事は、貴方は私に対して何かを求めているのでしょうか?』
そう尋ねると、男はにやりと口元に笑みを浮かべた。その表情を見て、今までの話が先の言葉を自分に出させるためのものだったと察した。
口車に乗せられるのは面白くはない。百年前もいいように言いくるめられて、国から追放された。
しかしこの男の言葉は自然と受け入れることができた。馬鹿がつくほど、弟子のことを思っているのが切に伝わってきてからだ。
かつて循環が悪化し、国に危機が陥ったのは事実だ。またあのときの二の前は見たくない。
ティルナは姿勢を正して、目の前にいる男を見据えた。本気と伝わってくれたのか、男はじっくりと話し出した。