3‐22 廃坑の奥にある光と闇(4)
前に飛び出てきそうなテウスを目だけで制し、レナリアは黒い熊の視線を全身で受けた。汗をかいた手をぎゅっと握りしめる。じろじろと見られるのは気持ちのいいものではないが、下がることなく見返した。
固い表情で立っていると、熊が口を開いた。
『魔の力が強いな。だが完全に使いこなせていない。それで果たしてなれるのか、魔法使いに』
背後にいたテウスが「は……?」と声を漏らしたのが、耳に入った。上半身を起きあがらせていたウェルズは、視線をそっと逸らしていた。
言われた張本人であるレナリアは、目を大きく見開いて、唾をごくりと飲み込む。
『わかってはいたか、魔法使いの卵よ』
「確証はないけれど、何となく……ね。最近、感覚的に魔の力を扱えている。今まではある程度理論的に取り組まないと力は発揮することはできなかった。仮にこの力を魔術ではなく魔法として使っているのであれば、意味合い的にも納得することが多い」
レナリアは握っていた手を目線まで持っていき、そこでゆっくり開いた。
「でもまだ魔法使いではない。魔法使いはこの世界でたった一人だけの存在だから――」
脳裏に浮かぶのは銀髪の少女の背中。華奢な背だが、決して屈しまいと背筋をしっかり伸ばしている。口を一文字にして、視線を上げているように見えた。
黒い熊がレナリアの元に歩み寄ってくる。間近で顔を見て、思わず息をのんだ。一瞬顔が人間に見えたのである。
『その表情は……見えたということだな』
「あなた、ただの合成獣じゃないの……?」
『合成獣は生き物と生き物を合成したものだ。掛け合わせてうまくいけば、通常の生き物よりも長生きはできる』
真っ黒い熊の合成獣はレナリアから離れると、自らが現れた道を戻り始める。
『魔の力を抑制したいのだろう。それならばついてこい』
一瞬見せた真の顔を伏せて、熊の合成獣は歩いていく。驚きのあまり崩れ落ちそうになったレナリアだったが、そうなる前にテウスに後ろから支えられた。
「どうした」
「テウスは見えてないの?」
「何がだ?」
眉をひそめて聞き返される。テウスの反応を見て、彼はさっきの光景が見えなかったと察した。レナリアは首を横に振って、何でもなかったように振る舞う。
あまり積極的には教えたくはなかった。道案内をしている人語を話す合成獣が、何と何を合わせて生まれたのかを。
レナリアたちは黒い熊の背を追って、通路を進んでいった。ウェルズの怪我は思ったほど深くはなかったが、しばらく満足に槍を振るえなさそうである。軽く止血をしてから、テウスの肩を借りて進んでいった。本当ならばウェルズをその場から動かしたくはなかったが、いつ外から他の合成獣が襲ってくるかわからなかったため、連れてきたのである。
「ウェルズは私が何であるか、わかっていたの?」
レナリアが尋ねると、彼は少し間を置いてから軽く首を横に振った。
「特別な存在であるのはわかっていたが、どういう存在までかはわからなかった。だから魔法使いの卵と言われても、たいして驚かなかっただけだ」
「私の魔の力が整っていないのは、次の魔法使いの可能性があるから?」
「……そう捉えてもらってもいい」
不自然な間からの回答だ。さらに尋ねようとすると、進行方向の視界にうっすらと何かの輝きが垣間見えた。
レナリアは口を閉じて、その先に目を向ける。輝きを見て思わず足を速めていた。テウスとウェルズも後に続き、やがて小さな部屋に入った。
入った直後は、真っ暗でほとんどものが見えない。だがウェルズがランタンの火を大きくすると、部屋の概要がおおかたわかった。
炭坑の最奥にある部屋のようで、掘り起こされた穴がいくつもあった。しかし埋められたのか、穴はすべて塞がれていた。そのため先に人が進める道はなかった。
数歩進むと、靴に石が当たった。それを屈んで拾い上げる。灰に近い色の石の欠片だった。レナリアが視線を右に向けると、石ころが大量に積まれている山があった。
「かつてはここで鉱石が掘られていた。だが今では掘り尽くされており、誰も近寄ろうとはしない」
ウェルズが教科書通りの説明をしてくれる。レナリアは部屋を見渡すと、ある一点で目を止めた。若草色の石がある。それにつられるようにして歩み寄った。壁の中に埋め込まれていたそれをレナリアが掴むと、簡単に取れた。
石を持った瞬間、ふつふつと高ぶっていた感情が沈静化していくような感じになる。
「これが魔の力を抑える石……」
『――お前以外にも、魔の力に苦しめられた人間はたくさんいる。そこで魔の力を抑えてもらうために、魔法使いが自らの力を石に与え、それを持つことで強制的に力が収まるようにした』
「より強い力のものを持つことで、力がそちらに偏るみたいな感じですか?」
『感覚としてはそんな感じだろう。だからそれを持てば、お前の魔の力も抑えられるはずだ』
レナリアは石をぎゅっと握りしめた。心が落ち着いてくる。こんなにも穏やかな気分になったのは久しぶりだ。
表情を緩ませてテウスたちのほうに振り返ろうとすると、急に胸が引き締められた。その場で膝を付く。すると焦った表情のテウスが駆け寄ってきた。
「おい、どうした!?」
胸の辺りを左手でぎゅっと握りしめながら、テウスを軽く見、その先にいる熊の合成獣を見上げた。熊は眉間にしわを寄せている。
『お前の魔の力はいったいどれくらい強いんだ? ここの場を作った魔法使いは、歴代を見てもずば抜けて秀でている人間だぞ。お前はそれよりも強いというのか……?』
苦悶の表情を浮かべているレナリアは石を握りしめていた手を広げる。燦々と輝いていた光は既に弱々しくなっていた。やがて光が消えて、ただの石ころになると、レナリアの胸の痛みは激しくなった。石が手のひらから転げ落ちる。
「ここまできて……!」
歯をぎりっと噛みしめていると、合成獣から一喝された。
『石に頼るな、己の力で押さえ込め。さもなければ永遠に克服できないぞ!』
はっとしたレナリアは、ごくりと唾を飲み込んだ。テウスを押しのけて、右手で強く地面を押しながら目を瞑った。
痛みと同時に駆け抜けるのは、出会ってきた人の顔。誰もが大切な人だった。
レナリアがいつまでも追いかけている聡明な青年、生き方を教えてくれた査察官の師匠、厳しくも優しく整備してくれる整備士の男性、いつも温かく迎えてくれる同僚たち、家を出るときも快く送り出してくれた家族。
さらに、知識と技術でレナリアを援助してくれる少年、寡黙で不器用だが力と想いは確かな青年、そして――懸命にレナリアを助け慕ってくれる少女。
少女は微笑を浮かべて口を開いていた。まるで「レナリアさん」と言っているようだ。
彼ら、彼女らと共に生きたい――。
魔の力が体を蝕もうと、想いだけは負けたくない。
力を抑えるために石を欲していたが、所詮は気休めではないだろうか。
内に秘めた力を抑えるのに本当に必要なのは、内にある自分自身の想いではないだろうか。
「……負けない」
拳を作り、レナリアは目を開けて、顔を上げていく。目の前にいる熊の合成獣に対し、人の影が被った。長い髪の女性のように見えた。彼女に向かって、レナリアは声を大にした。
「私は負けない! 作られた道を歩むなんてしない。自分の道は自分で切り開く!」
握りしめていた石が輝き出す。レナリアはそれに気づかずに、ゆっくり立ち上がった。
脳内に大量の情報が流れ込んでくる。レナリアの故郷にて、アーシェルが見ていた光景や彼女が衝撃の事実を伝えられたこと、そして決意したことが――。
「アーシェルと同じ時を歩むことができないなんて、誰が決めたのよ。どうして魔法使いは同じ時代に一人しか生きられないのよ!」
熊の合成獣――いや、今ではその場には、黒い長袖のロングスカートを着た長い黒髪の女性が立っていた。彼女は緩やかに微笑を浮かべている。
『だいぶ誰かから吹き込まれているようですね、レナリア・ヴァッサー。さすが私が期待している人間だけあります』
レナリアは警戒を解かずに、女性を見据えた。
「ありがとうと言っておいた方がいいのかしら。貴女は何者? この世の者でないとすると、過去の魔法使い?」
『その通りです。察しが早くて助かります』
「そして百年前の追放された魔法使い」
レナリアはにやりと笑みを浮かべる。女性は一瞬目を丸くした後に、口元に手を当ててくすくすと笑い出した。
『そこまで言い当てるとは。どうしてその時代の魔法使いだと思ったのですか?』
「未練がましく、この世に残っているから。百年前のことはわからないことが多い。だから推測でしか物事を言えないけれど、水環省から追放されたのは余程のことをしたか、もしくはされたから。そんな状況にあえば、いつまでも魂が残っていても納得ができる」
女性は口元に手をあてて、声に出して笑い出した。
『ふふふ、今までたくさんの魔術師や歴代の魔法使いと会ったけれど、その若さで言い当てたのは貴女が始めてです。貴女、誰から魔の力の扱い方を学んだのですか?』
「……ルベグランという男性です」
女性の目が軽く見開いた。そして数歩近寄り、レナリアのことをじろじろと見てくる。
『ああ、あの男の弟子でしたか。それならその洞察力も頷けます』
女性は翻り、近くにあった大きな石にそっと腰をかけた。
『頭の回転も速く、素晴らしい潜在能力を秘めている特異点の貴女なら、たしかにあの男の言う通り、今の状況を変えることができるかもしれません。――私ができなかったことをしてほしいのです』
「百年前の貴女ができなかったこと?」
女性は軽く頷いた。
『ええ。百年前も今のように水の循環が酷く狂っていました。水環省や私はその循環を正すために、必死に原因を探し、時に対処療法として水を操って降らせていました。しかし一向に改善されず、結果として一部地域では数十日も大雨が降り、村が流されました。さらに他の地域ではまったく雨が降らず地面はひび割れ、砂漠になりました』
彼女が話したのは、教養として学校で習ったり、人から聞かされる内容だ。百年前に発生した大災害。多数の死者や負傷者を出した災害は、悪魔の数十日とも言われている。
万が一、次にそれが発生した場合、一人でも多くの人命を救おうと、国を挙げての対策をたてていた。
『その際、魔法使いとして何もできなかった私は落とし前をつけるために水環省から追放されました。……確かに私の力がさらに秀でていれば、多少は緩和できたかもしれません。しかしあまりに膨大な水の分子を操ることは、魔法使いには無理な話でした』
女性は首を横に振って嘆息を吐いた。手を軽く握りしめる。
『私も首都から離れた地で必死に祈りを送りましたが、悪循環は多少和らいだものの、変わりませんでした。そこである事実に気づきました。水の循環の一端を担っているのは魔法使いです。その循環の一部である私がいなくなれば、多少流れも変わるのではないかと思い――私はこの地で命を絶ちました』
彼女は抑揚なく、事実を告げた。レナリアは歯を噛みしめ、テウスとウェルズは視線を軽く逸らしていた。
『……おかげで循環は上向きにはなったようです。日照りも落ち着き、大雨もやみました。しかし一時的なのには変わりなく、また循環が目に見えて狂い始めてきました。今度は国全体に狂いが発生しています。ある地域では砂漠化が進行していることなどはご存じですか?』
軽く脳内に考えを巡らしてから、レナリアは頷いた。
休職に入る前に、日照りが続いている地域があると聞いていた。曇りや雨が続き過ぎて、農作物が育たないという地域の存在も。
他にも今まで溢れ出ていた地下水が突然枯れたり、逆に水が吹き出たという話もあった。そのため水環省の地方支部は、様々な異常現象の対応に追われている。
「水に関する異常現象は、各地で起きている。それをどうにかしないと、今度こそ国は――滅ぶの?」
レナリアは真正面から、今は亡き魔法使いを見据えた。彼女は立ち上がり、こちらに近寄ってくる。
『可能性としてはゼロではない。うまくやり過ごせるかもしれないし、水に覆われて滅びの一途を辿るかもしれない。――それを防ぐためにも、貴女たちには動いてほしいのです』
「たち?」
言葉を漏らして、レナリアは銀髪の少女の顔が思い浮かんだ。目を丸くする。
「魔法使いが二人いるのには、それなりの理由がある。それを意味しているの?」
『おそらく私はそう思っています』
女性は握りしめた手を差し出してきた。レナリアは彼女の手の下に、手のひらを広げた。彼女が手を開くと、ぽとりと鍵が手のひらの上に落ちた。
『その鍵で扉を開いた先に、解決策があると言われています。まずは扉を開いてください。それが私が百年の間に知った情報です』
「扉はどこにあるの?」
『古いお城だと聞いています』
城という単語を聞いて、レナリアは眉をひそめた。政治形態が変わった時点で、城は取り壊されたはずだが――。
唐突に師匠の言葉がよぎった。
――この森の先には古びた城がある。小さな城だったから、国の統治外になっていてほとんど知られていない。
「……この鍵を使えば、城の扉は開くことができるのね」
レナリアは鍵をぎゅっと握りしめる。すると周囲の石の欠片が煌めいた。まるでレナリアの心に灯った火に呼応するかのようだ。
その光景を垣間見て、美しいと思う。しかしこの美しさは永遠に続くものではない。
彼女と素晴らしい光景を一緒に見るためにも、レナリアは次なる目的地を定め始めた。
第三章 真実を求める二人の旅路 了